最近、私が考え出した言葉に「ドミノ倒し体質」というのがあります。
例えば誰かのちょっとした一言がツボにはまると、それをきっかけにして、
色んな考えがダーっと湧き出してきて、軽い興奮状態になり、次から次へと飛躍的連想が働き、
周囲の人にあれこれと熱く語り、でも、周囲の人々はそれに付いて行けなくてポカンとし、
それでもそんなのはおかまいなしに、本人の熱い妄想は続く・・・
こんな人、みなさんの知り合いにもいると思いますが(あるいは、ご自分がそうかもしれませんが)、
そのような人を指して、私は「ドミノ倒し体質」と表現したわけです。
ドミノ倒しに似てますよね? 最初の一枚が倒れると、
あとは自動的にダダダァーっと連続して倒れます。一直線に倒れるだけではなく、
扇状に広がりながら倒れることもあります。最初の一枚からは想像も出来ないような、
壮大な絵が描かれます。一旦倒れ始めたら、見ている人は手出しできません。あれよあれよ、です。
で、この「ドミノ倒し体質」という言葉が一部でウケているようです。失礼ながら、
「ドミノ倒し体質」と思われる人に「ドミノ倒し体質」という言葉を披露したところ、
ご本人はともかくも、その周囲の人に大ウケしているようなのです。
つまり、「ドミノ倒し体質」という言葉は、そのような人の性格をかなり的確に面白く言い当てている、
ということなんじゃないかと思います。
本当は「ドミノ倒し気質」の方が正確な表現なのかもしれませんが、
実感としては気質というより体質なんですよね。骨の髄まで、赤血球の一個一個まで、
という感じです。
実を言うと、私にも「ドミノ倒し体質」がちょっとはあると思います。でも、
私のドミノはサイズが小さいですし、それほど壮大な絵は描いてませんし、意外性もありません。
正真正銘の正統派「ドミノ倒し体質」に比べたら、スケールが違いすぎます。
「ドミノ倒し体質」の称号は、謹んで辞退いたします。
「ドミノ倒し体質」はオタクとは違います。オタクと「ドミノ倒し体質」
が両立することもあるかもしれませんが、単にオタクと言った場合、
連想の飛躍や壮大な絵ではなく、マニアックで一般性のない知識の方面に連想が行くだけですし、
そのパワーの発散において、「ドミノ倒し体質」とは明らかに異なります。
「ドミノ倒し体質」は嫌いじゃありません、付いて行けないこともしばしばありますが、
連想の飛躍とか壮大な絵とかを見るのは、なかなかにエキサイティングです。
「ドミノが倒れ始めた」と思ったら、それをさらに助長するような一言を言いたくもなります。
ドミノが倒れていく様を目の当たりにすると、大げさに言うなら、モーゼの前の海が割れたような、
大雪崩の VTR を見ているような、デススターの爆発シーンのような、そんな快感があるわけです。
「付いていけないや」と投げてしまわずに、できるだけ一緒に走ろうとすると、
思いがけない発見や感動があるかもしれませんし(大げさ)、
「ドミノ倒し体質」の方にとってもシアワセなことではないかと思うわけです。