2005年6月20日


行列の話から、クルマの運転を考えてみる 


昨日の「行列を苦手とする人」に関して、 いくつかコメントを頂いたのですが、ある方は自省の意味も込めて、「そういう人は、 自分が行列の最後だと思っていて、自分の後ろに別の人が並ぶことは想定していないから」 だそうです。なるほどって感じですね。

また、ある方は「行列にきちんと並べない人は、クルマを運転しても、 自覚のないまま周囲に迷惑をかけているんじゃないか」とのこと。

私は何でもクルマの運転に置き換えて考える癖があるんですが、確かに行列にきちんと並べない人は、 運転がうまいとは思えませんね。他には、リュックを背負って混んでる電車に乗り込む奴とか、 電車やエレベーターでドアが開くと、降りる人を待たずに乗り込む奴とか、 そういう人達は運転でも似たようなことをしそうに思えます。

物理的な意味での「自分の前方」にしか注意が向かないとか、「これから自分がしようとすること」 方面にしか意識が行かないとか、そんな感じですね。物理心理両面での「後方不注意」 って感じでしょうか。

だいぶ前のことにになりますが、私は交通標語などで用いられる「譲り合い」 という言葉とその意味するところを批判しました。まずは こちら こちらを読んで下さい。

合理的な理由がないにもかかわらず、自分の優先順位を捨てて、一方的に相手に進路を譲る行為 (おばちゃんに多い)や、それを助長する「譲り合い」なる言葉について、 私はかなり本気で批判しています。

私は一方的に譲る人の心理について、全然理解出来ませんでした。 自分の運転技術に対する自信のなさから、自分が進めるにも関わらず、「先に行って」 という意味で譲る、ということがあるのは承知しています(道の狭さが原因のことが多いですね)。 もちろん、それでもペケですけど、でも、「先に行って」という状況ではなくても譲るわけですよ。 それが不明でした。

あまりに単純なことで盲点になっていたのかもしれませんが、先日、クルマを運転しながら、 そういう「譲り合い」を実践する人の心理について、わかったような気がしました。 もしかしたら間違っているのかもしれませんが、「ああ、譲る人ってのは、 譲る相手のことだけを考えているんだ」と思ったわけです。

コンビニの駐車場に右折で入ろうとしていて、でも、 対向車線が混み合っていてなかなか右折できないでいるクルマがいた場合、 「おやまあ、かわいそうに。譲ってあげましょう」なんていう風に考えて譲るんでしょうね。 譲る相手のために、という思考回路です。自分の後ろからはクルマが全然来ていない、 なんてことは頭にありません。

思いやりとも言えそうですが、運転に必要なのは思いやりじゃありません。 共通のルールとそれに従った通行が必要なんです。「右折待ちのクルマには譲ること」 なんていうルールがないのは何故か、考えてみる必要があるでしょうね。

私がこれまで何故、「譲る相手のことだけを考えているんだ」が盲点になっていたかというと、 私が右折待ちのクルマを見た時、「その人のこと」などほとんど何も考えないからです。 その状況における優先順位に基づき、周囲の状況に気を配り、右折待ちのクルマに対しては、 「俺は直進するからな」という意思が伝わるように運転します。

もちろん、右折待ちのクルマに譲ることもありますが、それは特別な状況で、 なおかつ「その人のため」とか「ずっと待っていてカワイソウ」などではありません。 周囲全体のためによりよい結果になる時だけ譲ります。

自分の運転行動を決める時に、「特定の誰それのため」というのはないんですよね。 結果的に誰かのためになることはあるでしょうけど、それを狙ったわけではなく、 思いやりなんかでもなく、あくまでも、合理的かつ全体的判断のつもりです。

ということで、やや強引ではありますが、一方的に不合理に譲る人ってのは、 コンビニのレジの行列で微妙な位置に立って行列を乱す人と、 どことなく共通点があるんじゃないかと、と思った次第です。




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