最近、サンキュー・ハザードと絵文字や顔文字は似ている、と思いつきました。
と思ったら、以前、ちょっとだけサンキュー・ハザードと顔文字について書いてました。
こちらです。また、
こんなことも書いたことがありますね。
サンキュー・ハザードという珍妙で危険な風習が蔓延してしまった日本においては、
サンキュー・ハザードを出さないことで、「あいつは感謝の心がない。けしからん!」
などと思われかねない状況があります。けしからんのはどっちか、よくよく考えて頂きたいのですが、
宗教的にサンキュー・ハザードを信じちゃっている人には、
何を言っても、「感謝の気持ちを表すのの何が悪いんだ」みたいな感情的な答えしか帰って来ません。
で、顔文字とか絵文字です。
自己表現として顔文字とか絵文字を使うのはご自由にどうぞ。その結果、相手が好印象を持つか、
悪印象を持つか、それは知りませんが、顔文字とか絵文字の使用は自己責任というやつです。
ここ、サンキュー・ハザードとは違いますね。私は、サンキュー・
ハザードは完全撲滅すべきものだと思ってますから。
自分で顔文字とか絵文字を使うのは自由ですし、
自分で使う顔文字とか絵文字にどのような意味を付与しても、それはそれで
(伝わるかどうかは別にして)自由です。
でもね、他人が顔文字や絵文字を使わないことに対して、
ネガティブに捉えることはやめて頂きたいわけですよ。
例えば、「ストレートな言い方を和らげるために顔文字を使います」と思うのは勝手です。
そうするのもご自由に。でも、他人からのメールなどに対して「笑った顔文字が付いてないから、
きっと怒っているんだ」といったイメージで捉えるのは、はなはだ迷惑です。失礼です。
傲慢です。
私にとっては、もともと顔文字も絵文字もない文化で育ってるんで、
通常文字の文章だけで物事を伝えるのが普通なんですよ。で、それが「そもそも」
のはずです。絵文字や顔文字は「そもそも」への付加とか、「そもそも」からの派生とか、
そういった類のことでしょう。絵文字や顔文字を使用しないことをネガティブに捉えるのは、
ラーメンがあって、豪華版のチャーシューメンがあってという状況で、
ラーメンを注文するのはけしからん、と言っているようなものです。
実を言うと、何回かあります。「高樹さんのメールには絵文字も顔文字もないから、
怒ってるみたいに感じる」といった趣旨のことを言われたことが。
「文章がぶっきらぼうで愛想がない」なら納得しますが、「顔文字がないから怒ってるみたい」
は決して受け入れられません。
「若い女性へのメールには適度に絵文字を使った方が印象がいいよ」ならば、
そのご意見は尊重したいとは思います。まあ、絵文字の有無で、
相手の印象が大きく変わるような女性は、あまり好みとは言えないと思いますけどね。