2006年8月11日


蕎麦屋にて 


もう何年も前の話です。その日、私は仕事を終えて帰宅する途中、 とある蕎麦屋さんで食事をとることにしました。どこの何と言う蕎麦屋さんかは覚えていませんが、 この話はグルメ情報ではありませんので、どこの蕎麦屋さんであっても関係ありません。

蕎麦屋さんにありがちな、狭い四人席に一人で座った私は、納豆蕎麦かカツ丼セットか、 そういったものを注文し、それが出てくるのを待つ間、 たまたま持っていた雑誌を読んでいました。

しばらくして蕎麦が出てきて、私は雑誌を閉じてそれを食べ始めました。 雑誌はテーブルの上の、食べるのに邪魔にならないところに置いときました。

すると、店内が混んで来たのか、お店の人が来て「相席をお願いしてもよろしいですか?」と。 私が蕎麦をずるずる啜りながら頷くと、ほどなく私の正面に、 私と同世代と思われるスーツ姿のサラリーマンが座りました。

認めたくはありませんが、多分、私よりはいい男です。

ところがです。いい男ってのとは関係ありませんが、その彼、注文を済ませると、 テーブルの上にあった私の雑誌を手にとって読み始めてしまいました。 もちろん、彼としては、その雑誌は店のものだ、と思い込んでしまったわけです。

私はそれを見た時、ずるずるが一瞬止まってしまったかもしれません。でも、 何事もなかったかのように蕎麦を食べ続けました。私の雑誌ですが、 人に読まれても減るもんじゃなし、「まいっか」です。

彼が私の雑誌を読むのはいいのですが、問題は、私が蕎麦を食べ終わり席を立つ時に、 どのような状況になっているか、です。もし、その時に彼の注文した蕎麦が出てきていて、 彼は雑誌を閉じてテーブル上に置いていたとしたら、 私はそしらぬ顔でその雑誌を回収して立ち去ることが出来ます。

私は微妙に食べるペースをゆっくり目にしました。その甲斐あってか、 私が食べ終わる直前に、彼の蕎麦が出てきました。

私はそれを見て、ほっとしたのですが、世の中はそうそううまく行くものではないようです。 彼は蕎麦を食べながらも雑誌を読み続けたのです。

間もなく、私は蕎麦を食べ終わりました。お茶を飲みながら、必要以上に時間を過ごしました。 でも、彼は私の雑誌を読むのをやめません。

まさか彼が食事を済ませて帰るまでねばる訳にもまいりません。 私は意を決して立ち上がり、彼に言いました。

「済みません、その雑誌・・・」

「・・・・は?」

「それ、私のなんですが・・・」

「・・・・・・・???」

「この店の雑誌じゃなくて、私が買ったものなんですよ」(笑顔のつもり)

「・・・・あ、あぇ、ああ、ど、どうも済みません」

とまあ、彼もえらく焦って恐縮してしまいまして。たかだか雑誌を持ち主に無断で読んだだけなので、 それも、店の雑誌だと思い込んでいたわけですから、そんなに恐縮するほどのことじゃないのですが、 まあ、気持ちは分かります。

彼はえらい恥ずかしかったことでしょうね。彼と同じ立場になったら、 誰もがむちゃくちゃ恥ずかしい思いをすることでしょう。

でも私だって恥ずかしかったんですよ。彼に「私の雑誌なんです」 と声を掛けることも多少は恥ずかしいのですが、決定的に恥ずかしい理由は別にありました。

その雑誌が、オヤジ向けの大衆低俗エロ雑誌だったからです。




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