先日テレビを見ていたら、いわゆる靖国問題に関連して、何人かのゲストがそれぞれの主張をする、
という企画がありました。まあ、どこにでもある企画です。
ゲストのうちの二人(男女ひとりずつ)は、自民党の国会議員で、「真の国益」なんちゃら
「首相の靖国参拝」なんちゃら「国会議員の会」とかいう名前の団体に所属しているそうで。
この二人を「真の国益の二人」と呼ぶことにしましょう。
靖国の問題というのは、知れば知るほどに複雑で色んな問題が絡み合っていて、
私としては正直言って、自分の主張を充分に論理的合理的に組み立てきれないのです。
色んな主張があって、それぞれに一理あったりして、でも、その一理が複数集まると、
解決できないような矛盾を生じたり。
ということなので、私としては比較的ニュートラルに、
色んな見解に耳を傾けていると思っているのですが、このテレビ番組での、
「真の国益の二人」の主張に関しては、かなり強い抵抗を感じましたね。
最初に「真の国益の二人」の顔がテレビに映った時の印象は、「うゎ、気持ち悪っ。
いかがわしい新興宗教の勧誘をしている奴らの表情だよ」でした。気持ち悪いにこやかさ、
ドロンとした目、といったカルト宗教にはまった連中特有の表情と、同質なものを感じました。
実際、「真の国益の二人」の主張を聞くと、その主張には合理性の欠如が感じられました。
ベースは宗教的価値観です。合理性よりも優先するのが宗教的価値観の特徴です。
日本人の多くは「戦没者あるいは戦没将兵の追悼」という宗教色のあまり濃くない概念に関しては、
その必要性を認識していると思うのですが、「真の国益の二人」は「御霊」「英霊」
という言葉を多用し、単なる「戦没者あるいは戦没将兵の追悼」以上の、
宗教色の濃い価値観に染まっていることを伺わせました。
局所的には頷ける主張もないわけじゃありませんが、価値観のベースが「御霊」「英霊」
などの宗教的な概念にあると感じられました。まあ、靖国神社は宗教施設ですから、
問題自体に宗教色はあるのですが、国会議員が政策を議論するのですから、
宗教臭ぷんぷんでいいとは思いません。
象徴的な意味での英霊ではなく、大真面目に「英霊」なんぞを持ち出してきたら、
その瞬間に合理的な議論は成立しえません。「霊なんてモノがどこにどう存在しているか証明しろ」
となります。で、そういう英霊を前提とした主張は、
「アッラーの神は靖国神社の存在を許さないから、爆破してもよい」という理屈と、
本質的には何も変わらないと思うわけです。
実際、その番組の議論は全然かみ合ってませんでした。「小泉首相が靖国参拝することで、
どのような国益が得られるのか?」という質問に、「外交的に妥協のない姿勢を示すことで・・・・」
とでも主張するのなら分かりますが、「真の国益の二人」は、その国益を具体的に示すことはできず、
英霊がどーのこーのと、トンチンカンな答えをしてました。
思想信条においての日本人の良いところ(と、私は思う)は、宗教色の薄さです。
国としての方針や、国民一人一人の信条が、
宗教独特の問答無用の絶対的価値観にほとんど犯されていない、とも言えます。
実際、靖国は微妙ですが、その他においては、政教分離がほぼ完璧になされていると思います。
ところが、「真の国益の二人」はお見事に宗教にはまっているように見えました。
その宗教は、神道といういうよりは、靖国教とでも言う方が正しいかもしれません。
靖国問題だろうと、消費税率の問題だろうと、私が重視するのは合理性です。
色んな意見があっていいのですが、それぞれは充分に合理的たらんとする必要があると思います。
合理性に優先する、「宗教的な問答無用の絶対的価値観」は嫌いです。
靖国問題に関しては、色んな人が色んなことを発言していますが、
靖国教の人はちょぼちょぼと見受けられるような・・・
カルト新興宗教の勧誘をする人と同質の、気持ち悪い笑顔で見分けられる・・・、
と良いのですが。「英霊」という単語の使い方で判断する方が適切かもしれません。