1998年4月1日

レバニラ炒め


昨日、レバニラ炒めを食べた。私はどちらかというと下品な料理が好きである。 「下品」というと語弊があるかもしれないが、要するに大衆的で、味付けも はっきりしていて、というやつである。懐石料理とかフランス料理には ほとんど魅力を感じない。

レバニラ炒めも好きなのだが、なかなか美味しいレバニラ炒めには巡り合えない。 昨日のレバニラ炒めも、残念ながらあまり美味しくはなかった。

レバニラ炒めの命は言うまでもなくレバーである。きちんと下味を付けておくのは もちろん、レバーは炒めるのではなく、最初に油で揚げて、カラリと仕上げて おいて欲しいものだ。茹でたようなレバーではいけない。

昨日のレバニラ炒めは、レバーの下味が不十分なうえ、油で揚げず、炒めるときの 火力も弱く、さらに全体の味付けが薄味すぎる、という欠点だらけのものであった。

話は変わるが、実を言うと「レバニラ炒め」という呼び方には大いに異論がある。 「ニラレバ炒め」なら良いのかというと、そういうことではない。それは どちらでも良いのだが、本来であれば「レバニラモヤシ炒め」あるいは 「ニラレバモヤシ炒め」と言うべきだ、と思うのである。

もやしのあのシャキっとした食感こそが、レバーの食感とあいまって、レバニラ炒めの 食感のハーモニーを作り出しているのだ。食感という意味ではニラの果たす役割は ほとんどない。

このように重要な役割を担っているもやしを無視して、「レバニラ炒め」と呼ぶのは もやしに対して失礼である。確かに栄養の面では、もやしはレバーやニラに及ばない かもしれない。しかし、もやし無しでは「レバニラ炒め」は成立しえないのだ。

たとえて言うなら、山内和豊の妻みたいなものである。あたらおろそかにしては ならない。ラーメン界では、もやしそば、あるいはサンマー麺というかたちで、 きちんともやしに対して敬意を払っているのに、大衆中華界では、 もやしに対する敬意が足りない、と言わざるをえない。

とにかく、もやしはエライのだ。誰がなんといってもエライのだ。文句がある奴は かかってきなさい。私は断固として「レバニラモヤシ炒め」という呼称を主張 するものである。


なぁーんて感じのエッセイを書いている、プロの物書きっていそうだなぁ。 実は、ここまで書いてきて、結構恥かしかったのであります。

まあ、上に書いたようなことは、私の本音ではあるのだけれど、この類いの エッセイ(コラムと言ってもいいが)の書き方、つまり、さして重要ではない 事柄を大上段に振りかぶって荒っぽい文調で議論し、「俺はこだわってるんだ!」 ということを必要以上に強調するスタイル、というのは、読んでいて ある種の面白さはあるのだけれど、お気軽にマネしちゃならんと思うわけです。

このスタイルの元祖が誰かはよく分からないのですが、おそらく椎名 誠さん あたりではなかろうか。椎名さんはそういうスタイルを作ってきた人なので、 彼は堂々とそういう書き方をすることが出来ると思う。でも、それを他の人が コピーするのはいかがなものかと思いますね。

もちろん、プロの物書きの場合ですよ。我々アマチュアの物書き(ってのも 変だけど、実際書いているんだから物書きではある)なら、好きにすれば いいと思います。

誤解されるといけないんで、はっきりさせときますが、私は椎名さんの ファンですし、椎名さんの書く文章は好きです。でも、それ風を装った 他の人の文章は、鼻につくことがしばしばあります。

だから、上で「恥かしかった」と書いたのは、椎名さんの書くような文章は 恥かしい、ということではなく、椎名流を真似していることが恥かしい、 ということです。

因みに、ニラもえのき茸と同様の 注意が必要です。デートの前日にレバニラ炒めを食べた時は、お気を付けて。






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