| アントニオ猪木は成仏できたのか? |
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やはり、アントニオ猪木の引退に関しては書いておかなければならない。 いささか遅くなってしまったのだが、東京ドームには行かなかったし、 テレビ放映はビデオに撮ってあって、それを見たのがつい最近、 という事情である。 私はここ 10 数年、猪木に関しては、彼の「壮絶なる死」のみを楽しみに していたような気がする。 私はいわゆる「猪木信者」ではない。猪木が不世出のレスラーであることには、 全く異議はないが、好きなレスラーを 10 人挙げろ、と言われても、そこに 猪木の名前は入ってこない。しかし、嫌いなレスラーという訳でもない。 私は一時期、プロレスのテレビ放送を全く見なくなったことがあり、それは 偶然にも猪木の全盛時代とほぼ一致する。親日を旗揚げし、ストロング小林と 壮絶な試合を行い、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセンらと抗争を 繰り広げていた時期である。 とは言え、一連の異種格闘技戦は見ていたし、テレビ以外のメディアで、 猪木の動向をうかがうことはできたので、全くの空白だったわけでもない。 私が再びプロレス中継を見るようになったのは、タイガー・マスクがデビュー した直後あたりだった。その頃の猪木は、スタン・ハンセンという強力な ライバルを失い、いまひとつ輝いていなかったように思われた。 そんな中で猪木が提唱した IWGP 構想も、蓋をあけてみれば、本来の IWGP の 姿とはかけ離れたもので、しかも、第一回の IWGP 決勝戦で、猪木はハルク・ ホーガンのアックス・ボンバーの前に、失神KOされてしまった。 このころから、私は猪木の「壮絶なる死」を求め始めたようだ。特に嫌いでは ない猪木ではあったが、彼の失神した姿は、私に妙な快感を呼び起こした。 私がホーガンのファンだったことを割り引いても、それは不思議な快感であった。 この試合は、ひとつの試合としての「壮絶なる死」ではあっても、レスラー猪木の 「壮絶なる死」ではない。私が求めたのは、もちろん後者である。 「ピークを過ぎたのだから、さっさと引退しろ」という感情ではない。猪木の レスラーとしての散り様は、予定調和であるわけがないし、それはどんな戦慄を もたらしてくれるのだろうか、といういささか不謹慎な思いであった。 その後の猪木について記憶に残っていることは、すべて「壮絶なる死」を キーワードとしている。「壮絶なる死」を予感させる出来事、「壮絶なる死」に 近いところまでいった試合、「壮絶なる死」を否定している猪木、などなど。 思いつくままに挙げてみよう。
UWF というムーブメント(夢枕 獏氏の表現である)この辺りで、猪木が「壮絶なる死」を迎えるとしたら、当然、相手は前田しか 考えられなかった。しかし、猪木はその時点では死に対する潔さは持ち合わせて いなかった。そして、猪木と前田の接点はなくなってしまう。 UWF が独立した以降のことを、さらに列挙してみる。
スティーブ・ウィリアムスのバックドロップで半失神時が経つにつれ、「壮絶なる死」を避けようとしているかのような、猪木が 見えてくるような気がする。その好例が、一連のファイナル・カウント・ダウン である。猪木は「魔性のスリーパー」を武器に、ほとんど負け知らずであったが、 その戦う姿は痛々しかった。勝ち方も「そんなのあり?」と言いたくなることが しばしば。 誰かが猪木にトドメを刺さなければならないのだが、誰もいない。実力の問題では ない。適任かどうかである。藤波、長州、天竜、橋本、武藤、蝶野、誰もが 猪木のアンチテーゼ足り得ない。すなわち、猪木の介錯人とはなれないのだ。 だからこそ、猪木は「魔性のスリーパー」で勝ち続けたのかもしれない。 そして、1998 年 4 月 4 日の東京ドーム。猪木はレスラーとしての死を迎えた。 猪木との対戦相手を決めるトーナメントに勝ち上がってきた、ドン・フライが 相手である。引退試合の相手としては最低だったと思う。ドン・フライの 格闘技者としての実力はともかく、彼には猪木を壮絶に殺すことなど出来るわけが ない。試合には勝てるかもしれないが、猪木にふさわしい死を与えるための「役者」 ではない。仮に相手が小川直也でも同じことである。 猪木はフライに勝った。つまり、「壮絶なる死」はなかった。予定調和の世界だ。 これでは、レスラー猪木は成仏出来ないに違いない。猪木の引退には「壮絶なる死」 が相応しいはずだ。 猪木に「壮絶なる死」を与えられるレスラーはいなかったのか? 前田をひっぱり出す わけにはいかない。ホーガンも違う。ヒクソンも違う。 私は一人だけ適任者がいたと思う。 藤原喜明だ。 彼が「仕事人」ではなく、一人の格闘技者として試合に臨み、スリーパーで猪木を 絞め落とすことが出来たら、それは猪木にとって至福の敗北ではないだろうか? そして、それこそが「壮絶なる死」であり、「壮絶なる死」なくして猪木は 成仏出来ないと思うのである。
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