| 霊感と新興宗教 |
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学生時代のことだが、私はとあるキリスト教系の新興宗教の教会に 行ったことがある。その新興宗教の名前を言うと誰もが知っていると思うが、 差し障りがあるといけないので、ここでは「ほにゃほにゃ教」としておく。 学生というのはたいがい暇なもので、暇潰しのためにいろんなことに 首を突っ込んだりすると思うのだが、私が「ほにゃほにゃ教」の教会に 行くことになったのも、暇潰しおよび単なる好奇心である。 私は「宗教」そのものを否定するものではないが、オウムの例を出すまでも なく、一部(あるいは多く)の新興宗教には否定的である。もちろん、新興 だからという訳ではなく、その団体の教義や活動内容によるものだ。 私は当時、大学の帰りに、ある書店に寄っていくのが日課のようになっていた。 その書店の前では時々、「ほにゃほにゃ教」の信者の方が、アンケート と称した布教活動をしていた。忙しいときには声を掛けられても無視するのだが、 普通は暇だし、ときにはかわいい女の子が声を掛けてくるので、そういう時には ときどき話し相手になったりもしていた。 今なら、「二人きりで落ち着ける場所にいきませんか?」などと言ってしまうと 思うのだが、当時はそういう知恵もなくホテルに入る金もなく、ということで、 そっち方面でいい思いをしたことはない。 それはさておき、その日も、ちょっとかわいい女の子と話していたのだが、 そのうちに「是非、教会に来てください」ということになり、やや不安は あったものの、好奇心もあったので付いて行くことにした。 「ほにゃほにゃ教」の教会は、そこから徒歩で 10 分位のところにあった。 そこでどんな話をしたのか、詳細は忘れてしまったが、いろんな人が入れ替わり 立ち代わりやってきて、「ほにゃほにゃ教」の教義を説明した。「ほにゃほにゃ教」 では、聖書よりも教祖の記した教義書を重視している。 そのなかで、私が疑問に思ったのは、ある種の霊感を強調していることだった。 教義に沿って勉強していくと、段々と霊感が強くなって、心霊体験が出来る というのだ。 霊感や心霊現象を否定するとか認めるとかいう議論はおいといて、宗教にとって、 霊感が必要であったり、霊感を強くするのを目的にしたりするのはおかしい、 と思ったのだ。 そこで、その疑問を尋ねてみた。 「霊感なんて全然なくても、愛情とか思いやりにあふれた心の持ち主は いるはず。だから、霊感を得ることが重要なこととは思えない。第一、イエス・ キリストだってそんなことは言ってないのでは?」 その時、私の前に座っていた方は、私の疑問に答えられなかった。そこで、 その教会で一番偉い人(そういう表現をした)を呼んできた。 ところが、その一番偉い人も私の疑問には明快に答えてくれなかった。「教義書を しっかり勉強すればわかります」とか「霊感を得るとその素晴らしさがわかります」 とか言って、霊感から離れようとはしない。 霊感なんて重要なことではない、と言うことが何故出来ないのだろうか? その 当時は、どうしても理解できなかった。教祖さまの教えが絶対だからなのか、 霊感の重要性を否定すると教義が根本から崩れるのか、飛び入りの若僧に やり込められる訳にはいかないのか、くらいに思っていたが、どうもしっくり 来なかった。 この疑問以外の部分でも、その一番偉い人からは、なんら得るものはなく、 「ま、暇潰しにはなったか・・・・」程度の思いで、私は教会をあとにした。
さて、今の私なら、私の昔の疑問に明快に答えることが出来ると思う。少なくとも、 かなりの自信がある。 何故「ほにゃほにゃ教」の教義上で霊感が重要なのか? それは、そういう教義が
だろう。 うまく考えたカラクリである。
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