1998年4月26日

隠すという事


一連の金融不祥事、大蔵官僚の接待(というより贈収賄だと思うが)問題、 冨士重工のリコール隠し、三井造船のゴミ焼却炉偽装工作事件、などなど。

最近のこれらの事件に共通する要素として、「隠す」ということがあるように 感じられます。上にあげたもの以外にもあるでしょう。また、最近にかぎらず、 色々な事件や出来事においても、「隠す」というキーワードで語れるものが 数多くあるでしょう。

自分にとって都合の悪いことを隠す、ということは、あまり誉められたことでは ないにせよ、理解できないことではありませんが、どうもそればかりではないような 気がします。

私の思うに、日本人の根元的な価値観として、「隠す」ことがある場面では「美徳」、 またある場面では「必要悪」として、認識されているのではないかと思います。 言葉を変えれば、開示することをある種「はしたないこと」のように考えている、 とも言えると思います。

例えば、行政情報の開示問題もそうです。私は、行政情報は原則的には開示すべき であり、個人のプライバシーを侵すとか公共に大きな不利益があるとかいう、 例外的なケースだけに限って非公開とすべきだと思うのですが、どうやら、 そうは考えていない人達も多くいるようです。

また、自民党の総裁選びでも「話し合い」で決めよう、つまり隠れた密室で 決めよう、などと言う人が多いわけです。どうして公明正大に選挙しないのか、 全く理解に苦しみます。しこりを残したくない、などとたわけたことを言う 奴は、さっさと引退すべきだと思いますね。

談合もそうですね。自由競争なのですから、本来であれば、製品やサービスの 良し悪し、価格などで正々堂々と競争すべきなのですが、そういうやりかたを嫌って、 裏でコソコソ決めようとする。

政治献金などもそうです。政治家の先生がたは何故か隠したがる。一円単位まで 全ての支出入を公開すべき、という当たり前の論理に抵抗します。

総会屋対策もそうです。株主総会での議論というか紛糾をさけるために、 裏でいろいろと工作をしますね。

それぞれのケースで、それぞれに言い分はあるのでしょうし、それぞれに 「隠す」ことの(当事者にとっての)メリットはあるのでしょう。でも、 それらに加えて、「隠す」こと自体を無意識のうちに指向している面も あるように思います。

これらの「隠蔽指向」は日本人に特有なものでしょう。そしてこれが、 日本が国際社会で孤立している一番の要因のように思います。

私のつたない知識の範囲では、一般に欧米の企業や行政は、日本ほど 隠すことをしていないと感じられます。

メルセデス・ベンツの A クラスが横転する可能性があると指摘されたとき、 彼らはそれを認め、A クラスの出荷をすぐに停止し、対策を発表しました。 そして、今は対策が施された A クラスが出荷されてますし、既に出荷された ものに関しても、無償で対応しているということです。

この出来事で、ダイムラー・ベンツ社はその潔い態度と迅速な対応で、 その評価をあげました。

冨士重工のリコール隠しを見るまでもなく、日本企業の場合はそうはいかなかった のではないかと思います。欠陥を認める前には、「社内のテストでは不具合は 出なかった」とか「調査中です」とか言って時間かせぎをし、さらに、 認めるとしても「一般的用途では問題ない」などという言い訳を、 だらだらと述べる姿がうかんできます。

欠陥を認めるとことが企業イメージの著しい低下を招くと思い、なかなか潔く なれないのでしょう。

企業だけではなく、お役所も自分の行政の失敗を決して認めません。むしろ、 その証拠を隠そうとします。

これは、自分にとって都合の悪いことは隠す、という部分はもちろんあるにせよ、 それ以前に、白黒をはっきりつけるのではなく、適当に隠してぼやかして 「穏便に」という感性が作用しているのではないかと思うわけです。

最近読んだ本で、「日本人の最も根本的な行動規範は『和』である」というような 主張をしていたものがありました。選挙や議論で白黒をはっきりさせて、しこり を残すよりも、「話し合い」で皆が納得できるところに落ち着けよう、ということ です。でも、ここでいう「皆」というのは、決してグローバルなものではなく、 閉鎖的な小さな社会における「皆」ということです。そして、「和」はしばしば、 道徳、倫理、法律などに優先することがある、とも主張していました。

なるほど、と納得させられるものがあります。「穏便に」というのは「和」ですね。 総裁選びの話し合いも「和」、談合も「和」、接待も「和」・・・・

こうして見てくると、「隠す」ことは、ある狭い社会における「和」を偏重するが ため、ということも言えそうです。

国際的にみて、この「和の文化」が極めて異質に映るのは、容易に想像できます。 諸外国でも、「和」を全面的に否定はしないかもしれませんが、少なくとも、 道徳、倫理、法律などに優先する概念とは捉えてくれないでしょう。

こんな風に偉そうに書いている私も、きっと「和」に毒されている部分もあるのでは、 と心配もしているのですが、幸いにして、仕事の上では非常に激しい競争の 真っ只中にいるわけで(コンピュータ業界です)、「和」なんてものが入り込む 余地はなさそうです。

でも、隠すことはありますね、バグを「仕様です」と言って。私は言ったことは ないですが・・・






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