| 受け入れられない変化 |
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ネクラという言葉が流行り出してからどのくらい経つのでしょうか? 10年以上は経ってますよね。もしかしたら、20 年近く経っている かもしれません。 今、私が使っているかな漢字変換は、IME97なんですが、これは 「ねくら」を「根暗」と変換してくれます。「根暗」が辞書に登録されていたとは 驚きです。 この辞書からも明らかなように、ネクラとは「根が暗い」の略語です。 まあ、言うまでもなく、皆さんご承知でしょう。この言葉を最初に聞いた ときは、なかなかいいセンスの略語、というか造語だと思いました。 「なぜ略すんだ?なぜだ!?」という、とーそーしんのコマーシャルが ありますが(関東地方のみの放映かもしれません)、私は最近の コギャル言葉も含めて、省略したり結合したりして新語を作ること 自体には、目くじらをたてるつもりはありません。 ただし、センスの善し悪しはあると思います。 私の思うに、「ネクラ」はなかなかいいセンスだと思います。「根が暗い」 から「ネクラ」と、当たり前と言えば当たり前ですが、リズムも語感も よろしいのではないでしょうか。 それにひきかえ、「ネクラ」の反対語である「ネアカ」はいけませんね。 私自身、「ネアカ」という言葉を口にしたことはほとんどないのですが、 人がそう言うのを聞くだけでも、背中がムズムズします。私の感覚には 合いません。 何故か? 「ネクラ」の「クラ」は「暗い」の「クラ」です。「クラ」は「暗い」の 語幹で、「クラ」だけで「暗い」の意味を持ち得ます。ところが、「ネアカ」 の「アカ」は「明るい」の「アカ」ですが、「アカ」は「明るい」の語幹では なく、「アカ」だけで「明るい」の意味は持てないからです。 つまり、「ネアカ」と言われると「根が明るい」ではなく、「根が赤い」という 意味に繋がるのですね。「赤い」の語幹は「アカ」ですからね。「ネアカ」では なく「ネアカル」なら「根が明るい」になるのですが、リズムもよくないし、 「ネクラ」との対比上もよろしくないですね。 まあ、難しく理由付けすると、こんなふうになるわけですが、語幹がどうの こうの言う以前に、「ネアカ」という言葉を聞いたときの不自然感は、 どうしようもありません。私にとっては。 「いまいち」というのは好きです。フォーマルな表現ではありませんが、 くだけた場面で使うにはなんの問題もないと思います。でも、そこから派生した 「いまに」「いまさん」というのは「いまいち」だと思います。 略語ではありませんが、よく話題にのぼる言葉使いに「とか」や「チョー」 があります。「とか」も「チョー」も、起源は 20 年近く前だと思います。 「とか」は大学時代に周囲にいる人達が使っているのを耳にしたのが最初です。 「なんで並列関係でもないのに『とか』を使うのか?」と疑問に思ったものです。 「チョー」は、やはり大学時代、家庭教師のバイトをしていて、教えていた中学生が やたらと「チョー」を付けていたのを思い出します。 「とか」も「チョー」も、あまり好きではありません。「チョー」はあえて 最近の若者的表現をしたいときに使うことはあっても、日常的には使いません。 ところが、「とか」は使ってしまっています。 本来は「AとかB」というように使うわけですが、「Aとか」を「Aまたは それに類するもの」という意味で使ってしまうことがあるんですね。もちろん、 話し言葉に限られ、こうやって文章を書いているときにはないですよ。 さすがに、断定的あるいは限定的にAを表しているのに「Aとか」と言うことは ないですが、周囲に「とか」が溢れていると、影響されるものです。 言語は生き物とはよく言われます。きっとそうなのでしょうね。色々な変化が あって当然でしょう。「ネクラ」とか「いまいち」とかいう表現が定着する のも変化ですし、「とか」や「チョー」の多用および多様化も変化でしょう。 変化自体を認めないつもりは毛頭ないのですが、良い変化と悪い変化があるように 思います。 悪い変化とは、従来の表現に対する無知や誤解から発生したり、あるいは語彙 や表現力の不足を補うための、安易で便利な方法として、発生するのではないかと 思います。 前者の例は「ネアカ」や「『ら』抜き言葉」で、後者の例は「とか」や「チョー」 です。 そういった悪い変化をした表現は、どうしても不自然感がつきまとい、受け入れる ことが出来ません。一方、「ネクラ」や「いまいち」には、そういう不自然感が ありません。もちろん、私の個人的な感覚ですが。 日本人全体の平均の読書量がもっと増えれば、この種の悪い変化は少なくなると 思うのですが、いかがでしょうか?
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