1998年9月9日

セーラム・ライトの誘惑


私の会社は、いや私が社長ではないので、正しくは、私が雇用されている ところの会社は、基本的にはオフィス内では禁煙で、タバコを吸いたい人は 喫煙ルームで吸うことになっています。

ある日の夜のこと、私が喫煙ルームに入っていくと、中には誰もいなかったのですが、 灰皿のひとつからユラユラと煙が立ちのぼっています。

さっきまでここでタバコを吸っていた人が、消し損ねていった吸い殻です。

ということは・・・・

私と入れ違いで出ていったあの人です。K女史です。吸い殻を見るとフィルター部分に 口紅がついていますので間違いありません。

とりあえず、防火のためきちんと消しておこうと、私はその吸い殻を手に とりました。

セーラム・ライトでした。半分程吸ったところで、消そうとしたようですが、 火種がまだ残っていたのでした。

そのセーラム・ライトを、灰皿の底でグリグリと揉み消しながら、私は ふと考えてしまいました。

その吸い殻は、ついさっきまで、K女史の唇にくわえられていたのです。その 彼女、なかなかに色っぽいのです。おまけに、フィルターには口紅もついているのです。 きっと唾液もついています。

今、喫煙室には私しかいません。

この吸い殻を、私がくわえても誰にも見つかる恐れはないのです。彼女との 間接キスが経験できるのです。

正直に言うと、私はK女史のファンです。あまり話す機会もないのですが、 ファンなのです。表情やしぐさが「オンナ」という感じで色っぽいのです。 ちょっとハスキーな声が色っぽいのです。グラマーではないのですが、 充分に大人のオンナを感じさせる肢体で色っぽいのです。

その彼女と間接キス可能な状況が、今ここにあるのです。

いやいや、そんな変態チックなことは、私の美意識が許すはずはありません。 でも、私の本能は許したりしています。

「誰も見ていないんだから・・・」

悪魔の囁きです。

しかし、もし私がそのセーラム・ライトをくわえて恍惚となっているところに、 誰かが入ってきたら・・・・

私の会社人としての生命は終わりです。

でもでも、すでに残業時間ですので、周りに人は少ないのです。私は喫煙ルームを 利用する人々を思い浮かべては、

「あいつはもう帰ったはず、あいつも帰った、あいつは出張で不在・・・」

などと所在を確認してみました。

私がセーラム・ライトをくわえているわずかな時間に、誰かが喫煙ルームに入って 来る可能性は低いように思われます。

私はじっと手に持ったセーラム・ライトを見つめました。口紅のあとは、唇の 表面の起伏を忠実に再現しています。

それは抗い難い誘惑でした。

そして私は吸い込まれるように、その吸い殻を口元に持っていき・・・


なぁーんてことするわけないじゃん。ぜーーーーったいしてませんよ。

あ、疑っているな。そりゃあ、私はスケベですよ。それは認めましょう。でもね、 私は「ええかっこしい」なんで、そんなかっこ悪いことはするわけないのですよ。 人様が見ている前では。ああ、誰もいなかったんだ。誰もいなければするかも しれないけど、その時はしてません。

くわえて吸ったらほのかにメンソールの香りがしたとか、フィルターにしみこんだ 唾液をチュパチュパしたとか、あとで唇に着いた口紅をペロペロしたとか、そんな ことは一切ございません。(←妙に具体的)

でもその後、K女史の顔を見ると照れてしまう私ではあります。特に、喫煙ルームで 二人きりになったときは、悪いこともしてないのにドキドキものでして、何も 話せなくなってしまうのでした。






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