| 「胸を張る」と「鼻息は荒い」 |
「今回発表した『愛膜』は CPU に 1 THz のパワー・ピーピーを採用し、 その性能はペンチャム搭載の PC を大きく凌駕する」と、林檎電脳(株)の 高樹洸氏は胸を張る。こんな書き出しの記事を目にすることってありますよね。コンピュータ系の 雑誌や新聞のインタビュー記事です。(念の為、上記は完全なるフィクションです) まあ、なんというボキャブラリーの貧困さでしょうか。いや、「林檎電脳(株)の 高樹洸氏」ではなくてですね、この記事を書いた記者です。「胸を張る」とか 「鼻息は荒い」なんていう表現使って恥かしくないんでしょうか? こういう記事を読むと、読者の印象としては、 「おお、新製品に自身満々なんだな」 「すっげー意気込みだ」 なんて感じでしょう。高樹洸氏を、ちょっとイヤミに感じる人もいるかもしれ ませんね。でも、インタビューの場面では、別に胸も張っていなければ、鼻息が 荒いなんてこともないことが往々にしてあるものです。 「『愛膜』の一番の特長は?」 「そうですねぇ、やはり、1 THz のパワー・ピーピーを搭載したことですね」 「ペンチャムと比べて速いんですか?」 「アプリケーションに依存しますが、ほとんどのアプリケーションでは、 ペンチャムよりも速いと思います」 「それで、販売目標は?」 「正直なところ、500 万台で大成功だと思います。でも、この際ですから、 景気良く 1,000 万台ということにしておきましょうか、ははは」 こんな会話が、上記のような記事になるのです。断定してしまいます。 経験者は語るです。 新製品に関するインタビューですから、もちろん、その新製品をアピールしますが、 「胸を張る」とか「鼻息は荒い」なんていう表現は、記者の側で恣意的に付加した イメージなのです。 つまり、記者は胸を張らせたいし、鼻息を荒くさせたいから、そのように 書くのです。言葉を変えれば、自分のイメージする型に嵌め込んで、記事を 書くのです。さすがに嘘は書かないまでも、発言者の意図は無視あるいは軽視 されます。記者が「自信満々だ」と感じたら「胸を張る」でもいいのですが、 そうではなく、あくまでも記者の勝手な演出として、そういう表現になるのです。 インタビューの 95% は別のこと(本来主張したいこと)を語っていても、残りの 5% でついでに言ったことが、型に嵌め込みやすければ、それが記事になります。 型に嵌め込む時の常套手段として、「胸を張る」とか「鼻息は荒い」といった、 決まりきった言い回しを使うのです。ボキャブラリーの貧困さが恥かしくないのか、 というのは置いとくとして、こういう表現が出てきても、あまり言葉通り受け取らない ほうが無難です。 このような習性は、なにもコンピュータ系の記者に限ったことではなくて、芸能記者でも スポーツ記者でも政治記者でも、いや、雑誌や新聞に限らず、マスメディアの送り手 側の意識としては、みんな共通だと思います。 自分で結論めいたイメージを持っていて、それに合わせて記事を書いたり、番組を 作ったりするのです。事実関係を正確に、ということよりも、なにがしかの話題性や 意外性を付加することを優先するのです。 まあ、それをけしからんのなんのと騒いでも、どうせ変るわけはないのですから、 受け取り側が賢くなるしかありません。テレビのニュースを見ても、新聞の記事を 見ても、「胸を張る」とか「鼻息は荒い」に類した、イメージ誘導がしばしば 見受けられます。 もちろん、私がそれと気付かずに、誘導されてしまっていることも多々ある でしょうが・・・ 私はテレビのニュースを見ながら、おかしなことを発見すると、テレビに向って ツッコミを入れてますが、はたから見てるとアホでしょうね。でも、ついつい ツッコミたくなるのですよ。特に、現場からの中継でレポーターが喋る内容は、 ツッコミ甲斐のあるネタの宝庫です。 「おめー、その場にいたのかよ? いないのに、何でそんなことが分かる?」 「おいおい、どうしてそういう風に決めつけられるんだ?」 「自分の想像を事実のように言うな、ボケ!」 「『・・・と見られます』って何だ? 警察の見解じゃなくておめーがそう思ってる だけだろ!」 みなさまも、あら探しをして楽しんでみましょう。
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