また日記読み日記が流行ってるんでしょうか?
日記読み日記にも面白いのとそうでもないのがあるわけで、そうすると「日記読み日記」読み日記とか、
「日記読み日記」猿人とか、Read(ReadThem) とか、訳分からん状態を招きかねないのです。
さて、基本的に何でもありなのが Web の世界ですから、Web 日記を書くのが自由だというのと同列に、
日記読み日記を書くことも自由でありまして、誉めるのも貶すのも、全ては本人次第。これは誰が
何と言っても動かせないことですね。
誉められて悪い気がする人はあまりいないでしょうが、貶されれば何かとカドが立つもの。貶された
立場の人は、どうしたものかと思い悩んだりもするでしょう。
日記読み日記に反論するも自由、見て見ぬ振りするのも自由、日記読み日記読み日記を書くのも自由。
罵倒のメールを送るも自由。相手の掲示版にあれこれ書き込むのも自由。
この自由さというのは、意外と不自由でして、色んな選択肢の中から、どうすべきかということで
悩んだあげくが、結局のところ大別すると、無視するか反論するかの二つしかないのであります。
日記読み日記の作戦は比較的ワンパターンであり、それに対する自由度は保証されているのですが、
結果的にワンパターンに見えてしまうのは、日記読み日記ではなく、それに対する反応である
というのは、承服しがたいでしょうが、事実であります。
どうにも、批評されるほうが不利な状況に見えるではありませんか。もちろん、批評内容の正当性
なんてのは本質ではありません。むしろどうでもいいことです。「立ち回り」としての華のようなものが
重要なのです。批評されたほうが華のある立ち回りをするのが難しいのです。
それに反して、それなりに才能を持った人なら、華のある日記読み日記を書くことは、さほど難しくは
ありませんね。日記読み日記を書くモチベーションというのは、その華にあることでしょう。
ここはひとつ、無視でも反論でもない、新しい対処法というのを考えても良い時期に来ていると思うのは
私だけでしょうか?
例えば、同意してしまう。
本心から同意できるのであれば、これに決まりです。めでたしめでたし。
しかしながら、貶されたのですから、そうそう同意できるものではありません。
そこで必殺技の「曲解」が登場するのです。Web 日記だろうとメールだろうとテキストでの
コミュニケーションですから、曲解はつきものだし不可避だし前提だし常識だし鰹だし。
これを使わない手はありませんですね。
自分の日記が貶されていても、それを思い切り曲解して「誉められている」と解釈して、お礼の
メッセージを書きましょう。多少の技は必要かもしれませんが、曲解するのは正確に理解するよりも
一般的には簡単ですから、何も心配はいりません。
そうすると、皮肉を言われたと思った作者がまたまた貶してくるかもしれませんが、そしたらまた
曲解しましょう。
今までに、このようなさわやかなやりとりはなかったことでしょう。誰かやってみませんか?