ちょっと前のことですが、うさこさんの日記で女性器の呼称を募集してました。子供に対して、どういう
呼称を使用すれば良いのか、という主旨でした。
実はこれに関しては、深く考察しなければならない点が二つほどあるのです。考察せずに「○○○を
女性器の呼称とする」としても、別に何も困らないのですが、深く考察したほうが面白いというものです。
まず第一の点。男性の場合は、「性器=排泄器官」でありまして、「ちんちん」という言葉は
性器も表わし、同時に排泄器官も表わしています。物理的にはひとつの器官に対する呼称ですから、
これは極めて自然の成り行きです。
一方、詳細に見ていきますと、女性の性器と排泄器官は別器官となっています。従って、呼称を考える
時には、「女性の性器の呼称」と「女性の排泄器官の呼称」のふたつに分けて考えなければなりません。
もちろん、二つの呼称が同一となることを否定するものではありませんが、とりあえずは別々に考えるのが
スジというものでしょう。しかし実態としては、我々にそのような意識は希薄であり、女性器も排泄器官も
ひっくるめて○○○などと呼んだりしています。
ここでは仮に、女性器をドテドテ、女性の排泄器官をモリモリと呼称することにしましょう。
一般的に、男性性器(かつ排泄器官)の呼称であるところの「ちんちん」、「ちんこ」その他は、比較的
市民権を得ておりまして、出版物にも現れますし、我々の会話の中にも時として現れることがあります。
その理由は、「性器の呼称=排泄器官の呼称」となっているからだと想像されます。つまり、単なる性器の
呼称であれば、書いたり話したりするのに抵抗感があるでしょうが、排泄器官の呼称でもあるので、
その抵抗感は小さくなる、ということです。
女性の場合でも、本来であればドテドテは恥ずかしくて口に出来なくても、モリモリならばちんちんと
同じように使えるはずなのです。ところが、性器と排泄器官の区別をしていないばかりに、
「あそこらへん」を指し示す言葉に不自由してしまうのです。
以上をまとめると、ドテドテはモリモリではない、ということです。
さて、もう一つの考慮すべき点は、日本全国津々浦々において見られる、女性器の呼称に「する」
を付けると、あるいはそのままでも、性行為を表わす言葉になることです。例をあげると・・・、
あげなくても分かりますね。
この特徴は男女の性差とか男性上位の社会とかいう要因から生まれたと想像されますが、ここではそれを
考察しません。ただ、文化的な連続性を尊重するためにも、一般に女性器の呼称に「する」を付けることで
性行為を表わす、とのコンセンサス形成が速やかに必要であろうと思われます。
さて、先ほどの仮称を使えば、「ドテドテする」というのは「セックスする」という意味になるわけです。
全然淫靡な感じはしませんが、そこはご愛敬です。
このように、性器の呼称を性行為にまで拡大解釈して使うことにより、女性器の呼称の大衆性、通俗性、
一般性はどんどん失われていきます。「ちんちん」や「ちんこ」が、どこかユーモラスな響きを持つの
とは対照的です。
これに関しても、「ドテドテ」「モリモリ」のように、性器と排泄器官を区別することで解決できます。
「ドテドテ」を犠牲にして、「モリモリ」に市民権を与えればよいのです。
長々と書いてきて、自分でも何を言いたいのか分からなくなってきましたが、要するに、単に女性器の
呼称だけを決めるのではなく、性器と排泄器官の呼称を別々に決めて、性器の呼称のほうはコソコソと
使い、排泄器官の呼称は「ちんちん」的に明るく使いましょう、ということです。
ここ数年、夫婦別姓の問題がさかんに議論されていますが、性排別称もまた重要なことではないかと
思います。女性性器の呼称だけが淫靡な扱いをされるのは一種の女性差別であり、それを解消するためには
性排別称が必要と考えます。