何だかもう、すっかりタイミングを逸しているのですが、どうしても書きたいので、
書いてしまいましょう。
先月だったと思うのですが、一部で「すわ」が連呼されたりして、流行語となるか、
という状況でありました。その「すわ」なんですけど、私には「すわ」にまつわる
ほろ苦い思いでがあります。
「すわ」といっても「諏訪」でも「驚破」でもありません。単に「すわ」なのです。
で、私の人生のある一時期、「すわ」とは女性器を表わす単語だったのです。
「それはどこの地方の方言なのか?」との疑問もあるかもしれませんが、どこの
方言でもないと思います。あえて言えば、小学校の特定のクラスでのみ通用する
方言でした。もし、どこかの地方で「すわ」が女性器を表わすとすると、
それは全くの偶然です。
話は小学校5年の頃に遡ります。当時のクラスに井上君(仮名)という、明るくて
スポーツ万能の人気者がいました。
昼休みだったか放課後だったか忘れましたが、男子 10 名程が教室の黒板の前に
集まって、バカ話、スケベ話をしていました。誰かが女性の裸の絵を黒板に描きました。
もちろん、小学生ですから稚拙な絵でして、女性器の細部の描写などはありません。
で、井上君は黒板の前に立ちチョークを持ち、どういう経緯かは覚えていないのですが、
その絵の女性器の部分から矢印を引っ張って、ひらがなで「すわ」と書いたのです。
そして、みんなのほうを見てニカッと笑い、「すわ」とひとこと。
あたかも当然のように、自信たっぷりに。「これは『すわ』と言うんだ、いいな」
とでも言いたそうに。
今にして思うと、誰も「すわ」なんていう言葉は知らなかったのです。でも、
井上君があまりに自信たっぷりだったのと、「すわ」という言葉のどことなく
オマヌケな語感のせいか、すんなりとみんなが受け入れることとなったのでした。
それ以来、うちのクラスでは「すわ」が爆発的に広まってしまいました。
本来の女性器を表わす単語ではないため、みんながお気楽に使っていました。
女子も「すわ」を知ることになりましたし、担任の若い男の先生も知りました。
いや、彼は自分でも使ってました。
「すわ」はとても明るい言葉だったのです。淫靡な感じなどなにもありません。
さて、皆さんは疑問に思うことでしょう。「何故、井上君は『すわ』と言ったのか?」
「『すわ』にはどんな意味があるのか?」
クラスの面々も、おそらく疑問に思っていたのでしょうが、裸の王様状態だったらしく、
誰も井上君に尋ねたりしませんでした。
でも、「すわ」が定着してから随分後のことですが、私はとうとう我慢できなくなって、
井上君に聞いてみました。
「なあ、なんで『すわ』っていうんだ?」
すると井上君の答えは、とても意外なものでした。
「高樹がそう教えてくれたんじゃないか!?」
「?????」
私にはそんな記憶はありません。第一、井上君が「すわ」を口にするまで、
私の頭の中には、女性器の名称としての「すわ」なんて、存在していませんでしたから。
で、色々と問いただして見ると、ようやく事情が飲み込めました。
井上君が「すわ」と口走る、2 - 3 ヶ月前のことです。同じクラスの真知子ちゃん
(仮名)が、女友達とじゃれあって遊んでいて、教室の床にペタンと腰をおろした
状態で、股裂きのようなことをされていました。あくまでもおふざけで、真知子ちゃんも
ケラケラ笑っていたのです。
たまたまその時、私は真知子ちゃんの股間がモロ見えになる位置におりました。そして、
私の隣りには井上君が立っていました。
真知子ちゃんのパンツはモロ見えです。いや、そんな程度ではありません。
股裂き状態ですので、パンツがずれて大事なところまで見えていました、いや、
少なくとも私には見えたような気がしたのです。
で、私は隣りにいた井上君に囁いたのです。大事なところのヒダヒダが見えた、
という意味で「『しわ』が見えた」と。ボキャブラリとしては適切ではなかったと
思いますが、私は「しわ」という単語を使ってしまったのです。
で、井上君はそれを「すわ」と聞き取り、「ああ、あそこは『すわ』と言うんだ」
と納得してしまったのです。スケベ方面の情報源として、高樹が信頼されていたのかも
しれません。とにかく、井上君は一人で深く納得したのでした。
それで、黒板の前の「すわ」発言に繋がるのです。信じるということは恐ろしいことです。
井上君としては、「高樹が言ったんだから間違いないだろう」てなもんで、
自信満々です。私も含めたクラスの面々は、「井上があれだけ自信たっぷりに
言うんだから、きっとあそこは『すわ』と言うに違いない」と思ったのです。
かくして、「すわ」はクラス内ローカルな方言として、完全に定着しました。
「すわ」の起源が明らかになったあとも、それは廃れることなく、結局、
6年生になり、小学校を卒業するまで常用され続けたのでした。
それ以来、私にとって「諏訪さん」という人や「諏訪神社」なんかは、どうにも
微妙な感情がつきまとう対象なのであります。
因みに、日記猿人の一行コメントで「○○○○を斬らせていただきますわ
」といったフレーズを目にすると、「すわ」について思いを巡らせてしまう、
などということはございませんです。