女性にとって、自分で脱ぐのか男から脱がされるのか、
という問題の重要性がいかばかりのものなのか、男の私としては
いまひとつ分かりにくいものです。
ただ、女性が私の目の前で自分で脱ぐということは、なかなかにエキサイティングで
あることは言うまでもありません。ストリップの話ではありませんよ。
個人的な深い関係においての話です。
付き合いが長くなると、恥ずかしさのカケラもなくパッパッと脱いでしまいますが
(もしかしたら、多少は恥ずかしいのかもしれませんが)、初めての時とか、
初めてではないにしろ付き合いの浅い段階では、かなりの恥じらいを持って脱ぐわけで、
それがよろしいわけです。
そのような時、多くの方は次のようなことをします。
ブラのホックをはずし、肩紐をはずした段階で、両方のカップを両手で持ちます。
そして、そのままで一瞬のためらいを見せた後に、カップを取り去るのです。
私はこの行動パターンを「ためらいカップ」と呼んでいます。たった今、
思いついたんですけど。
この「ためらいカップ」はちょっと興味深いものです。何故、
このようなことをするのでしょうか?
「恥ずかしいから・・・」と言ってしまうとそれで終りのような気もしますが、
カップを取る段階になってのためらいというのは、往生際が悪いと言うか何と言うか。
いやいや、別にそれを非難しているわけじゃありませんよ。その往生際の悪さが
可愛らしかったりもします。
往生際が悪いといえば、カップを取った後でも両手で乳房を覆って、
乳首が見えないように隠していたりして、これもまた往生際が悪いことであります。
男がその手をどける、という楽しみ方もありますが、
黙って見ていて、自ら進んで手をどけるのを待つのも悪くありません。
映画などでも、「ためらいカップ」にはよくお目にかかります。きっと台本にも
「カップを両手でささえて 1 - 2 秒ためらい、カップをはずした後も、
両手で乳房を隠す」などと書かれているのでしょう。
こういうことは、単に女性が恥ずかしがっていることを表現しているだけではなく、
それなりの演出効果が認められているということなのでしょう。
AV ですら「ためらいカップ」の演出がありますから、それを見た男は
「往生際が悪い!」と憤慨するのではなく、なにかしらトキメクものを
感じるのでしょう。
実際、可愛らしいです。この期に及んで、全てを見せるのをほんの何秒か遅らせることに
どれだけの意味があるのか、なんてことを言ってはいけないのです、きっと。
男としては、素直にその可愛さを楽しむべきなのでしょう。
女性の側に「焦らす」という意識があるかどうかは分かりません。多くの場合は、
単に恥ずかしさから「ためらいカップ」になっているだけなのでしょうが、
もしかしたら、「ためらいカップ」が男に及ぼす効果を計算しつつ、
それを行っている人もいるかもしれません。
もちろん、そういう計算があったとしても、いや、そうであればなおさら、
男としてはそれを楽しむべきでしょう。カップをはずした後で、乳房を隠しているのも
全く同様です。
間違っても、「何で隠してるんだよ!」とばかりに手を払い除けてはなりません。
ゆっくりとゆっくりと手をどけるか、そうでなければ女性が自ら手を下ろすのを
待たなければなりません。
待ちきれないことが多い、というのが私の反省点です。今度そういう機会があったら、
じっくりと待ってみたいと固く心に誓う高樹でありました。