先日、「朝日新聞(他)に物申す」で、
天声人語に書かれていた「モー我慢出来ない」について文句をたれました。
ちょっとタイミングをはずしてしまいましたが、その続報です。
「朝日新聞(他)に物申す」の時には、
一部で大受けを頂きまして恐縮しました。こちらの勝手な期待としましては、
私の主張に深く納得しつつ笑って頂く、というのがベストな反応でありまして、
そういう意味では大受けは正しいことなのです。
さて、「モー我慢出来ない」は 1 月 24 日付けの朝刊でのことですが、
その後しばらくして、同じく天声人語に次のような一節がありました。
引用します。
事件発覚のとき「モー我慢できない」と牛の気持ちを代弁して書いたら、
読者からは「笑い事ではない」とのおしかりの手紙をいただいた。ただ、
牛の立場というのも考えてみたい。
やっぱこの筆者は何も分かっていません。「モー我慢できない」が「牛の気持を代弁」
だそうです。これってギャグでしょうか? さらに、「笑い事ではない」
という手紙を書いた読者も恐るべき感性の持ち主です。こういう読者がいるから、
そしてそういう読者が手紙を書いたり投稿したりするから、
筆者はいつまでたっても気付かないのかもしれません。
繰り返しますが、シリアスな事件に対する論評でギャグをかますこと自体は、
私は何も問題視していません。そりゃ、あまりに不謹慎なギャグはどうかと思いますが、
ギャグ自体を否定するのはおかしいと思います。
断じてギャグとは認めたくない「モー我慢できない」というカビカビのフレーズを
常用している感性が、報道機関として全く信じられないのです。
それはさておき、驚くことに、「笑い事ではない」と書いた読者は、
「モー我慢できない」を「笑い事」と解釈してしまったのです。牛の話題で
「モー」だから「笑い事」なのです。「牛 → モー」という展開をパターン認識的に、
あるいはパブロフの犬的に「笑い事」と感じてしまうのでしょう。その結果、
もしかしたら「ハハハハ」と乾いた笑い声が出てしまう人もいるかもしれません。
私は声を大にして問いたい(でも、「小一時間問い詰めたい」は使いません。
恥ずかしいから)。本当に「モー我慢できない」は可笑しいですか?
世論調査をして頂きたいくらいです。「『モー我慢できない』というフレーズを
使う自分を笑い物にする」という形で使うならばともかく、「モー我慢できない」
それ自体は既にギャグにはなっていないと思うのです。
読者がおしかりの手紙を書くとしたら、「笑い事ではない」ではなくて、
「そういう恥ずかしいフレーズは使用禁止にしろ!」でなくてはなりません。
「モー我慢できない」は「ちょいと銀ブラとシャレこもうか」
よりも 100 倍恥ずかしいフレーズです。「銀ブラ」と「シャレこもう」
が分からない人は、30 代後半以上の人に聞いてみましょう。
差別的な語句や表現を使用しないことも結構ですが、あまりに恥ずかしいフレーズも
使用禁止にしてしまうべきでしょう。とりあえず、「牛 → モー」、
「犬 → ワン」、「猫 → ニャン」、「ニワトリ → ケッコー」といった連想で
成立している駄洒落モドキは全廃して頂きたい。
そして、「モー我慢できない」を「笑い事」と感じてしまう、
そんな固定化された思考回路は、オヤジギャグの温床となっているばかりではなく、
「前例がない」という理由だけで、新しい事を拒否するお役所的発想にも通じるのです。
・・・というのはちょいと飛躍してますが、ギャグの「前例」を金科玉条のように
重んじる姿勢には、「前例がない」にも共通する匂いを感じなくもありません。