地下鉄有楽町線の営団成増駅で降りた。この駅に降り立つのは 2 年ぶり位だろうか。
2 年前と今回、目的とする場所は同じだ。
改札を出たところにある地図で目的地を確かめ、最も近い出口に向かった。
2 年前の記憶が甦って来る。駅の地下通路の様子も、街の様子も。
何もかもみな懐かしい。目的の場所は駅から歩いて 7 - 8 分である。
出口から川越街道を池袋方面に向かい、ちょっと行った先を右折する。
あとは真っ直ぐ行くだけだ。迷うことはない。
ここまで来て焦っても仕方がないのだが、自然と早足になってしまう自分を
抑えることが出来ない。この道を真っ直ぐ行った右側が目的の場所だ。
そこは私の視界に入っているはずだが、まだ距離があるため、
その様子を伺うことが出来ない。何人かの人がいるようにも見えるし、
誰もいないようにも見える。
やはり早足になってしまう。一刻も早くそこに着きたいのだ。かといって、
駆け足になってしまうのも考えものだ。バーゲンセールに殺到するオバチャン軍団の
ようにはなりたくない。
目的地まであと 100 メートル位になった。やはりそこには、
10 人位の人がいるようだった。並んで待っているのである。
気分だけは駆け足であるが、私はあくまでも紳士的に、早足ペースを崩さない。
ふと前を見ると、中年の男性が一人で歩いていた。下はヨレヨレのジーンズ、
上は紺のジャージ。くたびれたオヤジである。右手にはワンカップ清酒の
空容器を持っている。根拠はないが、松金良造という名前に違いないと思った。
私は直感した、松金良造もあの店を目指しているのだと。倒置法など使ってみた。
松金の歩くペースは私よりも遅い。彼も私も紳士的に、
このままのペースを崩さないとしたら、おそらく店に着くまでには、
私は松金を追い越すことが出来るだろう。私は決して駆け出したりはしない。
そんなことは出来ないのだ。問題は松金良造である。彼が紳士かどうかは分からない。
気のせいだろうか、松金良造の歩くペースが早くなったようだ。
彼は私には気付いていないはずである。彼もまた行列を見て、
気がはやってしまったのだろう。決して私を見てペースを早めたわけではなかろう。
しかし、それによって、私が松金良造を抜き去ることは不可能になったかと思えた。
私は決して走ったりはしないのだ。これは美意識の問題である。
これは自己同一性の問題である。意味不明である。
確かなことは、このままでは松金が先に店の前に到着し、
彼が早く行列にならんでしまう、ということだ。私はその事実を受け入れようと思った。
私は決して走ったりはしないのだ。決して。順番がひとつ違うくらい、
どうということはない。
ところが、事態は一変した。松金良造が店の前 30 メートル程に近づいた時、
私は彼の数メートル後ろを歩いていたのだが、
松金はヒョイと小路を右に入って行ったのだ。あの店に向かっていたのではないのか、
と愕然としかけた私であるが、一瞬の後にそうではないことが分かった。
松金良造は小路を入った先にある自販機の脇のゴミ箱に、
ワンカップの空容器を捨てるために寄り道したのである。
わずかな寄り道であるが、私が彼を抜き去るには充分である。私は走ることなく、
合法的に松金を抜き去ったのである。何もやましいことはないのである。
晴れやかな気分で、私は行列の最後尾に着こうとしていた。
どんでんがえしである。私が松金良造を逆転したことがではなく、
さらにその後にどんでんがえしである。
タッタカタッタカと足音が聞こえたかと思うと、
行列の最後尾まで数メートルと迫った私を駆け足で抜き去って行く松金。
もちろん、彼が先に行列に並んでしまったのである。
脱力である。無念である。憤りである。卑怯である。哀号である。
私は私に言い聞かせた。
私は決して走ったりはしないのだ。でも、松金良造はそうではなかったという、
ただそれだけのことなのだ・・・