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題名 著者 初版発行日 |
感想
・印象的な内容 |
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決断 私の履歴書
豊田英二
日経ビジネス人文庫 文庫版初版 2000年11月7日 |
1985年に出版されたものの文庫版。
豊田自動車は三河の会社、と思っていたのだが、豊田一族は尾張名古屋出身だったのですね。
■ジャスト・イン・タイム
トヨタのかんばん方式は、豊田自動車の創業者喜一郎氏が戦前に考えついた生産方法であった。「ジャスト・イン・タイム」という言葉も喜一郎氏がつけた名前のようだ。
■ジェット機
第2次大戦中は、軍の指令でジェット機の生産にも関わったそうだ。潜水艦でドイツから運ばれてきた図面をもとに、ジェット機をつくるのだが、トヨタはエンジンの一部を担当した。このエンジンを積んだ飛行機も空を飛んだのだが、試験的なものだけで終わったようだ。
- 人間も企業も前を向いて歩けなくなったときが終わりである。(247頁)
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王道の経営
江口克彦
PHP文庫 文庫版初版 1998年12月15日 |
PHP副社長の江口さんが、松下幸之助の経営手法について語った本。江口さんが松下幸之助を語るところ、まるで神のようである。心から幸之助氏のことを尊敬しているようだ。
この本の題名が『王道の経営』となっているので、内容も王道に則ったものになっている。
江口さんはいろいろな本で松下幸之助のことを書いているものだから、重複する内容が多いことが気にかかる。この本を読んでいても、前に読んだことがある内容が結構あった。 |
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高杉晋作 上
池宮彰一郎
講談社 初版1994年11月13日 |
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と伊藤博文が称した、長州藩士高杉晋作。高杉晋作については、司馬遼太郎の『世に棲む日々』をはじめ、『十一番目の志士』などですでに読んでいるが、なにぶん10年前のことなので、記憶もあやふやになっていた。
池宮彰一郎氏は、この『高杉晋作』を書くにあたり、俗説を排除しようと努めておられる。破天荒な生きかたをした高杉晋作の残した逸話には、後の世の創作も結構あるのだそうだ。 例えば、孝明天皇賀茂行幸の際、14代将軍徳川家茂に向かって「いよう、征夷大将軍」と呼びかけたというのは、後の世の創作なのだそうだ。
■加藤有隣 加藤有隣という志士の名前は今まで知らなかった。何かの本で読んだかもしれないが、気にもとめてなかった。さて、この加藤有隣という人物だが、幕末にあって、頼山陽、高野長英、吉田松陰などと親交があり、晩年はその交遊録を飯の種にして、悠々自適の生涯を送ったのだそうだ。幕末の動乱期にも、このようなのんびりした人がいたものかと、けっこう嬉しくなった。
- 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂(吉田松陰の辞世の句 127頁)
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高杉晋作 下
池宮彰一郎
講談社 初版1994年11月13日 |
幕末の志士は大概が短命であったが、多くは兇刃に倒れた者であった。高杉晋作のように、病に倒れた者は希であった。志半ばで世を去ったことには変わりはないのだが、仕事をやり終えて、時代に名を残し、晋作は死んでいった。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」生きた高杉晋作に、あこがれを抱く。あのように自由奔放に生きてみたいものだ。 |
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歴史に学ぶ
津本陽
講談社 初版2000年12月7日 |
『小説現代』1999年6月号2000年9月号まで掲載されてものをまとめたもの。16篇からなる随筆集。
戦国時代の日本は当時世界最強の軍事国家であった。日本のような国がヨーロッパに存在していれば、瞬く間にヨーロッパを征服した事だろう。という津本陽氏の考えには賛成したい。家康が鎖国をしなければ、日本はヨーロッパのどこかの国の植民地になっていた、などという考えをもつ人がいるが、何を根拠にそのようなことを言っているのか。日本は弱いと思い込んでいるにすぎない。
■三段撃ち 長篠の合戦の鉄砲三段撃ちは有名だが、三段撃ちに限って言えば、中国の弩を撃つ際、以前から行われていた。よって、三段撃ちそのものは信長の独創とはいえない、とのことです。
- 家康の祖父清康も父広忠も、村正という刀で殺されたので、徳川家では村正は妖刀ということになっている。(103頁)
- 桶狭間の合戦で義元が討ち取られたことを確認するために、家康は平岩親吉らを桶狭間に派遣した。その平岩親吉とは、作家の平岩弓枝さんや経団連の会長だった平岩外四さんの先祖。(112頁)
- 家康のここがすごいというポイント、それは用心深いのに、大勝負の時はものすごいエネルギーを発揮する点にある。(136頁)
- 「四十九年一酔夢 一期栄華一杯酒」という謙信の辞世の句は、46歳のあたりから毎年、数字ところを書き換えていた。(169頁)
- 西郷隆盛の遺訓では「児孫のために美田を買わず」がよく知られている。(230頁)
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なぜ、Linuxなのか?
ピーター・ウェイナー 星睦訳
アスキー 初版2001年4月10日 |
Linuxの本かと思わせるタイトルだが、フリーソフトの話であった。"FREE FOR
ALL"というのが英語版でのタイトルである。Linuxのリーナス・トーバルズではなく、GNUのリチャード・ストールマンが主人公であった。
MITのコンピュータ研究所に勤務していたリチャード・ストールマンが、1984年「GNU宣言」によりソースコード開放を提唱した。昔のように、何もかもみなで共有しよう、というのが目的であった。リーナス・トーバルズはその考えに従った。
■BSDとAT&T フリーBSDを巡ってAT&Tがバークレー校を訴えたことなど知らなかった。そのようなことがあった結果、BSDがLinuxに遅れをとることになってしまったようだ。
■リーナス・トーバルズ リーナス・トーバルズは、性格も非常にいい人で、いばったりせず、自分を卑下するユーモアに溢れ、他人に敬意を払うこと忘れなかったそうだ。そういう性格も、Linuxに関しての彼の影響力を高めることになったのだそうだ。
- 今日では、コンピュータとソフトウェアの両方が、カスタマイズと丁寧なアフターケアを唯一の利益源とする格安の商品となりつつある。真の価値は「サービス」にある。(47頁)
- バークレーはTCP/IPというソフトウェアを記述した。(71頁)
- ストールマン「サンのJavaソフトウェアに修正を加えて再配布することは許されていない。これはフリーソフトウェアではない」(214頁)
- 結局のところ、フリーソフトウェアは、現金ではなく、富を生み出す。(331頁)
- ソフトウェアはジョークやアイディアやゴシップに近い。いったい誰がそんなものを制御できると言うのか?(332頁)
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最後のストライク
津田晃代
幻冬舎文庫 文庫版初版 1998年6月25日 |
広島カープの抑えのエース津田恒美の闘病記。著者は、夫恒美とともに病と闘った妻晃代(てるよ)さん。
津田恒美と晃代さんの出会いについて初めに述べられている。ここは笑えた。川端順を使って津田は晃代さんと懇意になっていった。野球ファンなら知っていることだが、この川端順はジャワ原人のような顔をしている。
明るい話は、初めの少しだけで、後は悲しい話の連続となる。津田がどういう投手であったかを知る野球ファンなら、涙が止まらなくなるような話が続いていく。
脳に悪性の腫瘍ができ、あと数ヶ月の命と医者に宣告され、話すこともままならなかったのだが、妻晃代さんの食餌療法のもと、みるみる快復してゆく夫恒美。プロ復帰に向けて激しいトレーニングを行うも、再び病状が悪化。そして再入院。そして死。
津田恒美の死は平成5年7月20日。その死はオールスター戦のテレビ中継の中で全国の野球ファンに知らされた。
病と闘う津田恒美の姿よりも、必死に介護する妻晃代さんの姿が印象に残りました。すばらしい方です。ご本人はそのように周りから言われる事を嫌がっておられるようですが。 |
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全力投球
大野豊
宝島社文庫 文庫版初版 2001年3月10日 |
大野さんが引退セレモニーの中で言った「我が選んだ道に悔いはなし」というのが副題につけられている。
大野豊のプロデビューは悲惨なものであった。投げても投げても打たれ、アウト一つとる間に5点もとられた。しかもその日は、故郷から大野の応援団がスタンドで観戦していた、というおまけもついて、ショックでベンチ裏で泣きまくったそうだ。
若いころの大野は、江夏と比較され、「江夏に代われー」という野次を浴びせられていたそうだ。晩年からは考えられない。晩年の大野はスタンドから「大野代えるなー」という声や、大野を野次ったファンに対しては、「大野さんの悪口言うなー」という人の声も聞かれた。2年ほど広島に住んでいたとき、よく広島市民球場で野球を観戦したが、大野に対する声援は別格のものを感じた。 |
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怒りのブレイクスルー
中村修二
集英社 初版2001年4月10日 |
青色LEDの開発で有名な中村修二氏の2冊目の著書。本書では、青色LEDの開発手法について、前著の『考える力、やりぬく力、私の方法』よりも詳細に説明されている。また、かつて勤めていた日亜化学の社長との対立なども少しだけ書いてあった。日亜化学からは退職金を受け取っていないそうだ。
■理論物理学
中村修二氏は本書の中で何度か、「本当は理論物理学をやりたかった」と述べられている。理論物理学を断念したのは高校の進路指導で「物理なんかやっても就職できない」と言われた事にあるそうだが、そのときのことを悔んでおられる。徳島大学工学部時代も朝永振一郎先生の本や、欧米の研究者の本を原著で読んだりしていたそうだ。
- 成功のパターン「孤独と集中」(139頁)
- メモをとらず、頭の中だけで考える。従って実験ノートもあまりないが、特許が実験ノートの代わりになっている。(150頁)
- 明治維新後、日本はずっと先進諸国の「下請け」をしてきました。(217頁)
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血と骨 上
梁石日
幻冬舎文庫 文庫版初版 2001年4月25日 |
梁石日(ヤン・ソギル)が彼の父の生き様を描いた作品。文庫化されたら読んでみようと前から思っていた作品である。
戦前、戦中、戦後の在日朝鮮人の立場について考えさせられた、というようなことはなかった。そんな話を超越した内容であった。 |
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血と骨 下
梁石日
幻冬舎文庫 文庫版初版 2001年4月25日 |
どうしようもない悪人の金俊平にも、どこかに人情はあるに違いないと期待して読み続けていたが、相変わらず子どもを虐待し、妻の死にも無関心、ただ金と女にのみ執着する日々を過ごしていた。
その金俊平もある日突然、足が不自由となり、今までと打って変わって悲惨な人生を歩む事となる。
著者の父を主人公にした小説であるが、父に対する愛情を感じるには無理のある内容であった。ただ恐ろしい存在として描かれていた。 |
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ADSL/光ファイバ /CATV常時接続どれにする?
鳥山隆一
ソフトバンク 初版2001年4月10日 |
本書はブロードバンドと呼ばれる通信技術について、常時接続を念頭にして解説したもの。入門書なので、少し説明がくどいと感じるところもあったが、全体的に分かり易く書いてあり、特にADSLについて勉強になった。
基本料金を考えれば、デジタル回線のISDNとアナログ回線のADSLでは、すでにADSLの方が料金は安くなっているのですね。
自分自身の仕事柄、電話回線を利用したADSLサービスがもっと普及する事を祈る毎日です。 |
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人間失格
太宰治
新潮文庫 文庫版初版 1952年10月30日 |
27歳でようやく『人間失格』を読んだ。生きていくことの無常感を文章で表現すると、本書の如きものとなるのであろう。遅れ馳せながらも読んでよかった。
- 恥の多い生涯を送って来ました。(9頁)
- 弱虫は、幸福をさえおそれるものです。(58頁)
- 人間は決して人間に服従しない (95頁)
- 果して、無垢の信頼心は、罪の源泉なりや。(118頁)
- 人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。(132頁)
- いま自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。(134頁)
- 自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。(135頁)
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斜陽
太宰治
新潮文庫 文庫版初版 1950年11月20日 |
『斜陽族』という言葉を生んだ本。直治の遺書が最も印象に残った。絶望的な気持ちとささやかな幸福が見事に表されていた。
太宰治の本を真剣に読むと、変な人と思われやしないかと不安になる。
- 死んで行くひとは美しい。生きるという事。生きる残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。(126頁)
- いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です。(172頁)
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晩年
太宰治
新潮文庫 文庫版初版 1947年12月10日 |
太宰初期の作品集。『人間失格』と『斜陽』を先に読んでしまうと、本書には何か物足りなさを感じてしまう。 |
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二十世紀旗手
太宰治
新潮文庫 文庫版初版 1972年11月30日 |
- 最も苦悩の大いなる場合、人は、だまって微笑んでいるものである。(27頁)
- 愛ハ惜シミナク奪ウ。(119頁)
- ごぞんじでしょうか。憤怒こそ愛の極点。(124頁)
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ヴィヨンの妻
太宰治
新潮文庫 文庫版初版 1950年12月20日 |
- 人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ。(52頁)
- 真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。(53頁)
- 女には、幸福も不幸も無いものです。(116頁)
- 男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです。(116頁)
- 曰く、家庭の幸福は諸悪の本。(158頁)
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