読書録 池宮彰一郎

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題名

感想

1

本能寺 上

池宮彰一郎

毎日新聞社
初版2000年5月15日

 信長と光秀を描いた作品。

 物語は、信長と光秀の出会いから始まる。ときに織田信長は美濃攻略を終えたばかりで歳は34歳、明智光秀は、朝倉家に身を寄せている40前後の中年であった。
 光秀を信長に推挙したのは、当時、足利義昭の家臣として義昭とともに朝倉家に厄介になっていた細川藤孝であった。
 信長、光秀、義昭、藤孝の4人を中心に『本能寺』の話は進んでゆく。

2

本能寺 下

池宮彰一郎

毎日新聞社
初版2000年5月15日

 『本能寺』という題名が付けられている以上、物語の核心は「なぜ本能寺の変が起きたのか」ということになる。

 この小説で述べられている「本能寺の変」の理由は、今まで私が聞いた事がない説であった。
 世襲制を否定し大統領制を導入しようとした信長。それを阻止しようとする有力な家臣たち。謀反を煽動する細川藤孝。藤孝の予想を越えて素早く行動を起こしてしまった光秀。本能寺の変の従来の説とはまるっきり違うので、新鮮であり、楽しめる小説であった。

3

遁げろ家康 上

池宮彰一郎

朝日新聞社
初版1999年11月5日

 

 『遁げろ家康』という題名から分かるように、家康の遁走の人生を描いた作品。

 上巻での家康は、同盟者信長にいいように利用され、武田信玄からは執拗に攻撃されている非常にか弱い存在である。内においても、姉さん女房で気位の高い築山殿に悩まされたりと、後の天下人とは思えないような書かれ方がしてある。

■学ぶは真似ぶ
 家康は幼少のころ、今川家の太源雪斎から、「学ぶとは真似ぶことだ」という教えを受けていたそうだ。創意工夫、独創などいったものは長続きしない。古今東西のよき例を真似なければならない。他人の知恵を素直を受け入れなければならない。という話だが、池宮さんの創作かな。

4

遁げろ家康 下

池宮彰一郎

朝日新聞社
初版1999年11月5日

 下巻は本能寺の変後の話となる。

 下巻の家康は堂々としていることだろうと思いきや、やはり普通の人のような書かれ方がしてある。家康は風流などとは無縁の三河の田舎者という設定であり、才気走ってもおらず、裏表のない素直な人物というように描かれている。信長、秀吉、家康の三人の中で、仕えたいのは家康だなぁと思わせる一冊であった。

■不況対策
 秀吉の天下統一後、応仁の以来長らく続いた戦争好況は終わり、武士あまりの大不況がやってくるに違いない。そう考えた石田三成は、不況対策で朝鮮出兵を秀吉に実行させた。
 しかし、家康は、天下分け目の決戦を行い、大名の数を半分に減らし、さらに参勤交代や公共事業、また質素倹約を奨励して、不況を迎え撃った。

・小人閑居して不善を為す(99頁)

5

島津奔る 上

池宮彰一郎

新潮社
初版1998年12月25日

 島津義弘を主人公に「関ヶ原」を描いた作品。『島津奔る』とは、関ヶ原の合戦に際して、島津の家臣ひとりひとりが薩摩から走って関ヶ原に駆けつけたことを表した言葉。

 物語は、1998年、日本軍が朝鮮から撤退する場面から始まる。異国からの撤退戦における、島津の活躍が描かれている。

6

島津奔る 下

池宮彰一郎

新潮社
初版1998年12月25日

 下巻は関ヶ原の合戦の話となる。
 日本最強の島津軍団だが、天下分け目の決戦に臨んで1500しか兵が集まらなかったため、石田三成らに軽んじられることになる。
 歴戦の勇者島津義弘の進言は石田三成に取り上げられることなく、しぶしぶ三成の命令に従い続けるも、関ヶ原の戦場においては島津独自の戦い方をした。東軍敗戦決定後は、あの有名な敵中突破による撤退戦を繰り広げることとなる。

7 高杉晋作 上

池宮彰一郎

講談社
初版1994年11月13日

  「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と伊藤博文が称した、長州藩士高杉晋作。高杉晋作については、司馬遼太郎の『世に棲む日々』をはじめ、『十一番目の志士』などですでに読んでいるが、なにぶん10年前のことなので、記憶もあやふやになっていた。

 池宮彰一郎氏は、この『高杉晋作』を書くにあたり、俗説を排除しようと努めておられる。破天荒な生きかたをした高杉晋作の残した逸話には、後の世の創作も結構あるのだそうだ。
 例えば、孝明天皇賀茂行幸の際、14代将軍徳川家茂に向かって「いよう、征夷大将軍」と呼びかけたというのは、後の世の創作なのだそうだ。

■加藤有隣
 加藤有隣という志士の名前は今まで知らなかった。何かの本で読んだかもしれないが、気にもとめてなかった。さて、この加藤有隣という人物だが、幕末にあって、頼山陽、高野長英、吉田松陰などと親交があり、晩年はその交遊録を飯の種にして、悠々自適の生涯を送ったのだそうだ。幕末の動乱期にも、このようなのんびりした人がいたものかと、けっこう嬉しくなった。

  • 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂(吉田松陰の辞世の句 127頁)

8

高杉晋作 下

池宮彰一郎

講談社
初版1994年11月13日

  幕末の志士は大概が短命であったが、多くは兇刃に倒れた者であった。高杉晋作のように、病に倒れた者は希であった。志半ばで世を去ったことには変わりはないのだが、仕事をやり終えて、時代に名を残し、晋作は死んでいった。

 「おもしろき こともなき世を おもしろく」生きた高杉晋作に、あこがれを抱く。あのように自由奔放に生きてみたいものだ。

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