読書録 三野正洋  ホーム

 

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感想

1

改善のススメ

三野正洋

新潮OH!文庫
文庫版初版
2000年10月10日

 太平洋戦争の教訓を今に生かそう、という内容だが、戦史そのものに興味を持たされてしまう。

■セイロンの戦い
 1942年4月、セイロン(現スリランカ)周辺のイギリス艦隊を、連合艦隊の機動部隊は撃破したのだが、このとき、イギリス軍の爆撃機が、日本の空母を奇襲するという事態があった。爆弾がはずれてことなきを得たのだが、このときの教訓を生かすことができず、ミッドウェーでは、アメリカ軍の急降下爆撃を空母を受けることになった。

■液体燃料
 枢軸国の三国はみな、石油を産出しなかった。そこで考えられたのは、石炭を加工して液体燃料とする、という計画だった。実験室レベルでは、ある程度成功したが、実用化はされなかった。

■ゼロ戦
 海外で出版されている辞書には、「ZERO・・・軽量で性能の優れた日本製の戦闘機」という単語で乗っている。

■フィリピン沖海戦
 栗田艦隊がレイテ湾に突入しなかった理由は、栗田中将の疲労の末の判断の誤り、ということらしい。三日間、一睡もせずに指揮をとった栗田中将は、肝心のところで正確な状況判断ができなかった。

■航空機の損失
 太平洋戦争中の航空機の損失は、戦闘によるものより、事故によるものの方が多かった。

■スキップ・ボミング(skip boming)
 航空機による爆撃は、水平爆撃と急降下爆撃のふたつであったが、太平洋戦争中に新たに、スキップ・ボミングというのが加わった。これは、爆撃から爆弾を、海面に水平になるように落として、水面を水切り石のようにピョンピョン跳ねさせて、敵艦に命中させる、という方法である。これは、アメリカ軍が実戦で用いたところ、非常に効果的であった。
 しかし、日本軍は採用しなかった。日本海軍が採用したのは、神風攻撃であった。

2

個人・家族・企業を生かす危機管理術

三野正洋

WAC BUNKO
初版2001年11月22日

 1998年9月に出版された『アメリカ海軍に学ぶ危機管理術』に加筆修正し、新書版としたもの。

 太平洋戦争時の日本海軍とアメリカ海軍の違いを例に、危機管理について述べてある。日本敗戦の原因としては、非戦闘時の危機管理の違いも大きいかったようだ。 

■ROE(ルール・オブ・エンゲージメント)
 交戦規則のことであり、世界中の国々で定められている。しかし、日本にはこのROEがないとのこと。(41頁)

■太平洋戦争当時の日本とアメリカの空母の違い
 日本の空母は甲板下の航空機の格納庫は密閉されていたが、アメリカの空母は、右舷と左舷が開放になっていた。格納庫で火災が発生した場合、アメリカの空母は、燃えているものを海に捨てることができた。(49頁)

■巡洋艦の違い
 日本の巡洋艦の機関室は一室にすべての機関が配置されていた。アメリカの巡洋艦は、複数の部屋に分散して配置してあった。日本の巡洋艦は、一室がダメージを受けると、艦の動きがとまってしまった。(52頁)

■ダメージ・コントロール仕官
 アメリカ海軍が導入した制度。戦闘時、攻撃に加わらず、ただ艦と乗組員を守るためだけに存在する仕官。そのため、副長は攻撃だけに専念できた。(56頁)

■救命筏
 アメリカ海軍の救命筏には、魚釣りの道具、聖書なども積まれていた。(62頁)

■ダリト・メソッド(66頁)
 ダメージ・コントロール
 リスク・マネージメント
 トラブル・シューティング

■ミットウェー、トラック島、パラオ島の敗戦の理由(124〜133頁)
 日本の航空機は攻撃機ばかりで索敵機は非常に少なかった。その結果、敵に先に発見されてしまい、敗北を喫する事となった。

3

指揮官の決断 その一瞬が勝敗を分けた

三野正洋

新潮OH!文庫
文庫版初版
2001年9月10日

 主に第二次大戦のときの指揮官の決断について、分析した著書。

■ただ、はっきり言えるのは、いわゆる「民主的な軍隊」の指揮官の方が、独裁的なそれより明らかに誤謬がすくないという事実である。(4頁)

■Uボート(27頁)
 ウンタージー・ボートの頭文字。

■戦艦を温存せずもっとも酷使したのはイギリス海軍で、これに比べると日本海軍でさえ大きく立ち遅れていた。(74頁)

■イタリア(76頁)
 第2次大戦突入のはっきりした原因が見当たらない。強いてあげれば、植民地獲得の延長。1940年6月10日、イギリス、フランスに宣戦布告したが、崩れかかったフランス軍に負けてしまった。エジプトでは、イギリスに負けたりと、本当に負け続けていたようだ。
 イタリア陸海空軍は、信じられないくらい弱かった、とのこと。

■第二次大戦中のヨーロッパ・アフリカ地域で、
 イギリス軍とフランス軍
 アメリカ軍とフランス軍
が激しい戦闘を交えた事実はあまり知られていない。(87頁)

■ゲーリングの最悪の決断(110頁)
 1940年8月25日から10日間、イギリス空軍が少数の爆撃機でフランクフルトやブレーメンなどのドイツ地方都市を空襲したところ、ドイツのゲーリングは、ドイツ空軍に、イギリス年の爆撃を命令した。それまで、ドイツ空軍の攻撃を受けていたイギリスの飛行場、レーダー基地、戦闘機修理工場は安全になり、態勢を立て直すことができた。

■ミッドウェー海戦のときの山口多聞少将(125頁〜)
 空母飛龍に乗艦していた山口司令官は、不利な状況下で信じられないほどの采配を振るったが、飛龍沈没のとき、退艦を拒否し、一緒に沈んで行った。

■キスカ島(157頁〜)
 アッツ島玉砕とは裏腹に、キスカ島は、見事な撤退作戦が行われた。

■樋口季一郎中将(172頁〜)
 昭和12年の秋、ドイツの迫害から逃れてきた1万人のポーランド在住のユダヤ人が、ソ連・満州国の国境をさまよっていた。ドイツは、彼らの本国への送還をソ連と満州国政府に要請していた。しかし、満州国、ハルビン特務機関長だった樋口氏は、ユダヤ人に通貨査証を発行するよう指示し、これにより、ユダヤ人は、満州、中国経由でアメリカに脱出できた。
 終戦後、ソ連が樋口を戦犯として樋口を逮捕しようとしたとき、アメリカ・ユダヤ人協会がアメリカ政府を動かし、樋口を救った。
 このエピソードは、日本国内よりもアメリカ、イスラエルで知られている。

4

日本軍の小失敗の研究 現代に生かせる太平洋戦争の教訓

三野正洋

光人社NF文庫
文庫版初版
2000年2月15日

 太平洋戦争で日本が負けたのは、物量の違いといってしまえばそれまでなのだが、本書ではその物量の違いをあえて考慮せずに、日本の敗因について分析がしてある。

■一部の勢力からの非難を覚悟で言えば、鶴をいくら折ろうが、そのようなことでは戦争は防げない。それだけの労力を「過去の歴史の研究」に当てるべきではないだろうか。(4頁)

■太平洋戦争中の日本政府と軍部(8頁)
 民間人の労力のみを利用することに力を注ぎ、頭脳の活用を完全に怠った。

■ノモンハン事変 昭和14年5月(20頁)
 空軍・機甲部隊まで参加する大軍事衝突に発展した。
 三コ師団が投入され、戦いは一ヶ月続き、一コ師団がほぼ全滅、死者行方不明は一万名を大きく上回り、負傷者は二万人に達した。

■戦争の全期間を通じて、零戦は10380機、隼は5750機製造されている。(54頁)

■日本陸軍の戦闘機(56頁)
 ある機種はスロットルレバーを押すと出力が上昇、ある機種はレバーを引くと出力が上昇した。

■風船爆弾(66頁)
 数万人の労力を費やして実施された「フ号作戦」であったが、戦果は雀の涙といった程度しかなかった。

■国内の大規模航空機製造工場(154頁)
 三菱航空機名古屋製作所(愛知県)
 中島飛行機太田製作所(群馬県)
 愛知航空機名古屋製作所(愛知県)
 川西航空機姫路製作所(兵庫県)

■太平洋戦争開始当初、航空機工場と飛行場の距離(155頁)
 名古屋→各務原 40キロ
 太田→熊谷 30キロ
 姫路→相生 35キロ
 これらの距離を牛車でノロノロと運んだそうです。

■ある日本軍基地で連合軍捕虜300名に、滑走路整備の労役を命じたところ、捕虜は飛行場一角に放置されていたアメリカ製ブルドーザを修理して、3名が3日働いただけで作業を終えた。(165頁)

■航空機用エンジン(190頁)
 ドイツ戦闘機ルフトバッフェBf109のエンジンDB601のライセンス購入を日本陸軍と海軍がそれぞれ独立して行ったため、費用が倍かかった。

■アメリカやイギリスでは、戦争中に基幹産業のストライキがたびたび発生している。(260頁)

5

続・日本軍の小失敗の研究 未来を見すえる太平洋戦争文化人類学

三野正洋

光人社NF文庫
文庫版初版
2000年5月11日

 『日本軍の小失敗の研究』の続編。

■もし我々が昭和10年代の青年期をすごしていたと仮定して徴兵されるとなったら、もっとも配属されたくない兵科は、間違いなく日本陸軍の歩兵部隊であろう。(25頁)

■日露戦争のとき、日本政府はロシア人捕虜を優遇した。(56頁)

■完全な植民地でなかったフィリピンの場合でも、1880年代から1940年までの間、アメリカの駐留軍8ないし9万人は100万人の現地人の殺害したと言われる。(64頁)

■日本の防空戦闘機が軽量化のため防弾板はもちろん、塗装まで剥ぎとって追撃しても、B29はより高空をゆうゆうと飛翔し、それらを寄せつけようとしなかった。(129頁)

■国家総動員法、昭和13年5月施行について(161頁)
 国民の負担を増すばかりであり、いっこうに国力の増大につながらなかった。(161頁)

■土光敏夫が戦時中、工場長やっていたときの言葉として伝えられているもの(173頁)
「我々の闘っている相手はまずアメリカ、次に頑強きわまりない陸軍である」

■最悪の戦場・ニューギニア(202頁〜)
 総派遣兵員数(海軍、船舶関係者含む)、約20万人
 うち戦死者15万人
  陸軍(第18軍)派遣兵員数9万6944人
 うち生還者8827人(死亡率91%…ほとんどが餓死と病死)

6

ドイツ軍の小失敗の研究

三野正洋

光人社NF文庫
文庫版初版
2000年10月16日

 『日本軍の小失敗の研究』『続・日本軍の小失敗の研究』の続編。

 よく独ソ戦がドイツの失敗と言われること多いが、その当時は、ドイツが圧勝すると思われていた。スターリンの血の粛清の後のソ連は、きっと弱いだろうと思われていたが、緒戦に敗れたものの実際のソ連は強かった。

■第一次大戦でのドイツ軍の死傷者は全人口のじつに8%に達し、第二次大戦では、ドイツの人的被害は国民の13%に達した。(21頁)

■戦後しばらくして、ドイツを訪れた日本人がかけられた言葉:「次はイタリア抜きでやろう、な」(53頁)

■政党を次々と倒し、また党内抗争に打ち勝ち、あまつさえ仲間を殺害(長いナイフの夜事件、1934年)までして作られたヒトラーの政権には、根本的に国民を信じていないところがあった。(61頁)

■戦車と機械化された歩兵、そして急降下爆撃機による機動戦術は、電撃戦(ブリッツ・クリーグ Blitz Krieg)という新しい軍事用語さえ誕生させた。(113頁)

■試作した役に立たない兵器(138頁)
 日本陸軍 殺人光線(大出力の電磁波発生装置)
 イギリス陸軍 航空機撃墜用の超大型火炎放射器
 ドイツ陸軍 超重量級グスタフ(列車砲)

■メッサーシュミットBf109(157頁、211頁)
 設計者がメッセーシュミットで製造がバイエルン社というメーカーだった。後にバイエルン社はメッサーシュミット社となった。

■ドイツ本土が受けた爆撃は、日本本土に対するものの10倍に達する。(219頁)

■兵員数、保有する兵器が同じとするならば、ドイツ人が世界最強の兵士であることに異論はないと思われる。(257頁)

■ドイツは感度の高い咽喉マイクを早くから取り入れ、戦車、装甲車内の騒音に対処していた。(267頁)

7

連合軍の小失敗の研究

三野正洋

光人社NF文庫
文庫版初版
2001年2月9日

 第2次大戦の小失敗の研究の第4弾。

 勝者側の失敗について述べてある。

■イギリスは、当時、食糧の20%、石油の95%を輸入に頼っていた。(18頁)

■イギリスの戦車MkVカベンナーには、敵国であるイタリアのフィアット・メドース12気筒水平対向ガソリンエンジンが搭載されていた。(44頁)

■第2次大戦の名戦闘機(70頁)
 大戦前半
  三菱零式艦上戦闘機 日本
  メッサーシュミットBf109 ドイツ
  スーパーマリン・スピットファイア イギリス
 大戦後半
  フォッケウルフFw109 ドイツ
  ノースアメリカンP51ムスタング アメリカ

■第二次大戦に参加した国々の中で、民間人を含めた死傷者の数が最も多かったのは中国とソ連であり、共に2000万人にのぼるとされている。(121頁)

■ヒトラーが独ソ戦を開始した原因のひとつ(130頁)
 スターリンは政敵、そしてその部下、反共産主義者とその家族を対象に、史上最大規模の粛清を実施した。その結果、軍の高級将校の7割までが、処刑あるいは強制収容所に送られる。またこれらを合わせて1000万人を超す犠牲者がでた。

■アメリカの兵器で14型魚雷だけは欠陥品だった。(198頁)

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