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主に第二次大戦のときの指揮官の決断について、分析した著書。
■ただ、はっきり言えるのは、いわゆる「民主的な軍隊」の指揮官の方が、独裁的なそれより明らかに誤謬がすくないという事実である。(4頁)
■Uボート(27頁) ウンタージー・ボートの頭文字。
■戦艦を温存せずもっとも酷使したのはイギリス海軍で、これに比べると日本海軍でさえ大きく立ち遅れていた。(74頁)
■イタリア(76頁) 第2次大戦突入のはっきりした原因が見当たらない。強いてあげれば、植民地獲得の延長。1940年6月10日、イギリス、フランスに宣戦布告したが、崩れかかったフランス軍に負けてしまった。エジプトでは、イギリスに負けたりと、本当に負け続けていたようだ。 イタリア陸海空軍は、信じられないくらい弱かった、とのこと。
■第二次大戦中のヨーロッパ・アフリカ地域で、 イギリス軍とフランス軍 アメリカ軍とフランス軍 が激しい戦闘を交えた事実はあまり知られていない。(87頁)
■ゲーリングの最悪の決断(110頁) 1940年8月25日から10日間、イギリス空軍が少数の爆撃機でフランクフルトやブレーメンなどのドイツ地方都市を空襲したところ、ドイツのゲーリングは、ドイツ空軍に、イギリス年の爆撃を命令した。それまで、ドイツ空軍の攻撃を受けていたイギリスの飛行場、レーダー基地、戦闘機修理工場は安全になり、態勢を立て直すことができた。
■ミッドウェー海戦のときの山口多聞少将(125頁〜) 空母飛龍に乗艦していた山口司令官は、不利な状況下で信じられないほどの采配を振るったが、飛龍沈没のとき、退艦を拒否し、一緒に沈んで行った。
■キスカ島(157頁〜) アッツ島玉砕とは裏腹に、キスカ島は、見事な撤退作戦が行われた。
■樋口季一郎中将(172頁〜) 昭和12年の秋、ドイツの迫害から逃れてきた1万人のポーランド在住のユダヤ人が、ソ連・満州国の国境をさまよっていた。ドイツは、彼らの本国への送還をソ連と満州国政府に要請していた。しかし、満州国、ハルビン特務機関長だった樋口氏は、ユダヤ人に通貨査証を発行するよう指示し、これにより、ユダヤ人は、満州、中国経由でアメリカに脱出できた。 終戦後、ソ連が樋口を戦犯として樋口を逮捕しようとしたとき、アメリカ・ユダヤ人協会がアメリカ政府を動かし、樋口を救った。 このエピソードは、日本国内よりもアメリカ、イスラエルで知られている。 |