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題名 |
感想 |
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玉人
宮城谷昌光
新潮文庫 |
6つの短編集。時代小説というより推理小説に近い内容だった。 |
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2 |
長城のかげ
宮城谷昌光 |
楚漢攻防戦を題材にした五つの小説を集めた短編集。 |
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3 |
重耳 上・中・下
宮城谷昌光 |
流浪の公子重耳。流浪中にさまざまな辛酸をなめながらも、見事に晋の公の座を得た。さらに、公になった後、流浪中に受けた恨みをはらし、また、恩も相応にお返しした。 |
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4 |
孟嘗君 全四巻
宮城谷昌光 |
食客三千人で有名な孟嘗君を、その出生から描く。登場人物に、合従論の蘇秦、連衡論の張儀、法家の商鞅、兵法家の孫子など当時の偉人がことごとく登場してくる。 |
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5 |
介子推
宮城谷昌光 |
重耳の流浪中の危機を陰から救った介子推。 |
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6 |
夏姫春秋 上・下
宮城谷昌光 |
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侠骨記
宮城谷昌光 |
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8 |
孟夏の太陽
宮城谷昌光 |
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9 |
晏子 全四巻
宮城谷昌光 |
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奇貨居くべし 春風篇
宮城谷昌光
中央公論新社 初版1997年6月10日 |
秦の始皇帝の実の父ではないかと言い伝えられている呂不韋(りょふい)を主人公とした小説の第1巻。
長らく続いた中国の戦国時代も終盤を迎え、大小数多く存在した国々も淘汰され戦国の七雄と呼ばれる秦・燕・斉・趙・韓・魏・楚を残すのみになっていた。M&A(Mergers
&
Acquisition)の邦訳となっている合従連衡の時代である。蘇秦が合従論を説き反秦六カ国同盟に奔走すれば、張儀は連衡論を説き秦に敵対する国を各個撃破することを目論んでいた。やがて、弱者連合の蘇秦の合従論は失敗に終わり、蘇秦は殺され、反秦同盟も壊れ、弱い者同士が秦のご機嫌を伺いながら争い合うという張儀の思い通りになった。
中国がこのようになっているとき、韓の商人の次男として生まれた呂不韋15歳が店の従者鮮乙と旅に出るところから物語は始まる。呂不韋の少年時代などは正史には残ってないだろうから、後の出来事と矛盾しない程度に著者の想像力によって話は展開されてゆく。そこがなかなか面白い。趙から秦に使いに行き勇名を轟かせた藺相如(りんそうじょ)、後の楚の春申君黄歇(こうけつ)など歴史に名を残している人たちと若い呂不韋が懇意となり、時代の真っ只中を衝き抜けて行く。
楚と趙の離間を謀る秦の魏冉の陰謀を知ってしまった呂不韋少年が、楚と趙の同盟締結に重要な役割を持つとともに莫大な謝礼も手にする。楚と趙の同盟を快く思わない秦は趙に対して無理難題をしかけてくる。ここにも呂不韋が脇役として活躍し趙と藺相如の危機を救うことになる。
- 恢々たる気をそなえている者は、幸運をひき寄せると同時に苦難もひき寄せてしまう。(101頁)
- 王室だけが富んで国が貧しい、ということはあっても、国が富んで王室だけが貧しい、ということはありえない。(267頁)
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奇貨居くべし 火雲篇
宮城谷昌光
中央公論社 初版1998年2月28日 |
「奇貨居くべし 春風篇」に続く第2巻。
趙から秦への使者の一員という大役を果たした呂不韋だが、今度は秦と趙の争いに巻き込まれ、秦の捕虜となってしまう。このとき、筍子と出会い、その教えを請うことになった。秦の捕虜となった呂不韋は秦軍の兵站を担う兵として秦と楚の合戦に参加することになった。秦と楚の合戦は楚の勝利となり、呂不韋は楚に囚われてしまった。しかし、楚の王族黄歇と懇意となっている呂不韋は自由の身となり、趙を目指すことになる。
趙のへの旅は舞子の小環を道連れに行くことになった。旅の途中、孟嘗君などの大人物と懇意となる。 |
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奇貨居くべし 黄河篇
宮城谷昌光
中央公論社 初版1999年3月31日 |
「奇貨居くべし」の第3巻。中国の戦国時代末期を呂不韋を主人公に描くこの小説だが、3巻に至っても呂不韋はまだ21歳である。宮城谷昌光にとって最も長い小説になるのは間違いないだろう。
孟嘗君の死後、彼の所領は魏と斉に切り取られてしまう。呂不韋はかつての敵、秦の魏冉と陀方に助けを求める。秦は農本主義なので呂不韋と彼の仲間で農学者の黄外等は、魏冉の所領陶で厚遇されることになる。この陶で呂不韋は、鮮乙と再会を果たし、商人になることを誓い合う。 |
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奇貨居くべし 飛翔篇
宮城谷昌光
中央公論社 初版2000年7月10日 |
中国の春秋戦国時代の末期を描いている作品の第4巻。いままでの3巻は歴史の表舞台とはあまり関係ない話が多かったのだが、この第4巻でいよいよ、秦の始皇帝の父子楚が登場してくる。
第3巻までの話は、長い長い前置きだという感じがする。史料に登場する以前の呂不韋を著者の宮城谷さんが、個人の創造で自由に描くものだから、歴史を知りたいと思う読者としては、なかなかついていけなかった。 |
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奇貨居くべし 天命篇
宮城谷昌光
中央公論社 初版2001年6月1日 |
『奇貨居くべし』の第5巻であり、これで完結となる。
1巻〜4巻までは、ゆっくりと話が進んでいったので、もっと長い作品になると思っていたが、5巻は駆け足で話が進んで行った。
「天下は一人の天下にあらざるなり。天下の天下なり。」という言葉は、呂不韋の『呂氏春秋』のものであったと初めて知った。
本書を読むまでの呂不韋の印象は非常に権力欲の強い人で、それで秦王政と対立した、というものであった。しかし、本書では、聖人君子のように記してあった。どちらが実像に近かったのだろうか。
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春秋の名君
宮城谷昌光
講談社文庫 |
さまざまな雑誌や新聞に掲載されたエッセイを一冊にまとめたもの。
春秋戦国時代の小説を書いておられる宮城谷さんだが、史料がなくて大変だそうだ。書き手が大変なら読み手も大変で、国の名を言われても、地図が思い浮かばないし、春秋戦国時代といっても数百年続いた時代なので、この出来事はいったいいつのことを書いているのかも分からない。とにかくいろいろな本を読むことにしよう。
司馬遼太郎さんとの想い出についても語ってあった。宮城谷さんから見れば、司馬さんは雲の上の人だそうだ。
- 小説はなるほど虚構ではあるが、その時代の真実と人間の実像をもとめている。(71頁)
- (伊藤肇の言葉)人格がかわるほどおこなって、はじめて学問といえる。(97頁)
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楽毅 第一巻
宮城谷昌光
新潮社 初版1997年9月25日 |
中国の戦国時代の名将楽毅(がっき)を主人公とした小説。紀元前300年頃の話。
春秋戦国時代の出来事を描いた宮城谷さんの作品は、陳舜臣の『小説十八史略』で全体の流れを掴んで後に読むとよいと思う。まずは、全体像を掴み、後に個別の人物や出来事を掘り下げていくと、より小説の内容がわかり楽しめる。
三国志に詳しい人なら知っている事だが、諸葛孔明が司馬徽水鏡の門下生だった若かりしころ「自らの才能は管仲、楽毅に比肩する」と言ったそうだ。
戦国時代の大国、斉と趙に挟まれた小国、中山国の宰相の嫡男として生まれた楽毅が、斉に留学している場面から物語は始まる。中山国は斉とも趙とも敵対関係にあったので、外交上、微妙な立場に立たされていた。楽毅の斉留学もお忍びで行われたものであった。
一巻では、中山国の楽毅が寡兵でもって大国趙と戦い、それを打ち負かす、という胸のすくような話もあり、楽しめる。この本は本当に面白い。
- 人の偉さというのは、孤独の深さにかかわりがある。(54頁)
- 用兵のうまい者は恒山に棲む蛇のようなもので、頭を撃たれれば尾が襲い、尾を撃たれれば頭が襲う、胴を撃たれれば頭と尾が同時に襲う。(173頁)
- かつて斉の桓公も晋の文公も、自国に道なしとおもい、他国へのがれて雌伏していたときがある。(177頁)
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楽毅 第二巻
宮城谷昌光
新潮社 初版1997年9月25日 |
できの悪い主君を持ち、さらにその主君から信頼されていない楽毅だが、祖国中山を守るために趙と戦い続ける。しかし、奮戦及ばず中山国は趙に降伏することとなり、その降伏の使者として楽毅は趙の首都邯鄲へ行くこととなる。 邯鄲で死地を脱出し帰国した楽毅は、再び趙と戦うが、衆寡敵せずで中山国は風前の灯火となる。
- 勇気とは人より半歩すすみでること。(161頁)
- 王必ず士を致さんと欲せば、先ず隗より始めよ。(312頁)
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楽毅 第三巻
宮城谷昌光
新潮社 初版1998年10月20日 |
燕に中山国の助けを求めた楽毅だが、色よい返事はもらえなかった。それでも軍資金の提供という形でささやかな協力を得る事はできた。 趙に攻められ続けた中山国はとうとう抗し難く、滅亡してしまった。
中山国を滅ぼした後、趙では武霊王の後継者問題が浮上する。武霊王ははじめ、長男に継がせようとしていたのだが、それを廃嫡し次男に継がせるように仕向けたのだが、また気が変わり、やはり三男に継いで欲しいと思うようになった。 結局、次男であり既に王となっている恵文王が、長男安陽君を討ち、さらに、隠居して主父と名乗っていた武霊王には、直接手を下さずに、建物に追い込んで餓死させるということを行い、自らの地位を安泰にした。
中国関係の本を読んでいると、やたらと後継者問題が目に付く。有能な主君で国が栄えれば、必ずといっていいほど後継者を巡って内乱が起こり、またもとの木阿弥に戻る。現在の中国にもそういう風土が残っているような気がする。 |
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楽毅 第四巻
宮城谷昌光
新潮社 初版1999年10月30日 |
斉の罠王打倒を目指す燕の昭王は、何よりも楽毅を欲していた。中山国滅亡後、趙、魏と渡り歩いていた楽毅は魏王の使いで燕を訪れた際、燕の昭王に哀願され、とうとう燕に客という立場で仕える事となった。
燕という国は、中国の北方に位置し、斉、趙、秦などと比べると小国であった。そのため燕単独では斉に抗し難く、他国との同盟が必要であった。そんな中、楽毅は、軍事だけでなく、計略の面でもその才能の発揮することとなる。
燕趙魏秦の連合軍の実質的総大将として、斉を攻め圧勝し昭王の宿願を果たした楽毅だが、昭王の死により、燕での立場を失ってしまう事になる。大功を立てながらも、富貴を得る事のなかった楽毅は、没年も明らかではないらしい。
楽毅の生きた時代は、蘇秦と張儀が合従論と連衡論を説いて回った時代から少し後にあたり、孟嘗君の時代と重なる。宮城谷昌光の小説『孟嘗君』には楽毅のことは、あまり触れてなかったが、『楽毅』の中では、孟嘗君が頻繁に登場した。『奇貨居くべし』にも孟嘗君は頻繁に登場する。宮城谷昌光は、春秋戦国時代の小説を書く上で、孟嘗君を重要にしているようだ。
- 祖先を神として祀ることは、商(殷)の時代からはじまり、この信仰は人々の精神に深く根をおろした。(126頁)
- 雲のうえに頂きをもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏みださねば、山頂は近づいてこない。(132頁)
- 毀(コワ)そうとするのであれば、積み重ねさせればよく、倒そうとするのであれば、高々と挙げさせればよい。(183頁)
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