読書録 島崎藤村

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題名

感想

1

夜明け前 第一部(上)

島崎藤村

新潮文庫

文庫版初版
1954年12月25日

 「木曽路はすべて山の中である。」に始まる『夜明け前』。島崎藤村が昭和4年(1929年)から昭和10年(1935年)にかけて「中央公論」に連載していた作品。明治5年(1972年)生まれで昭和18年(1943年)没の島崎藤村にとって、「夜明け前」を連載していた時期は晩年にあたる。

 一通り、幕末維新史を知ってないと本書の内容を理解しにくい。昭和初期の「明治は遠くなりにけり」といわれていたころの作品だが、それでも幕末維新史の知識を持っていることが読者に求められている。

 物語の舞台は、幕末から明治にかけての木曾地方。主人公は、木曾十一宿のひとつ、馬籠宿の本陣の家系に生まれた青山半蔵。島崎藤村の父がモデルとなっている。
 本陣とは諸大名が参勤交代の途上、宿泊する公認の宿のことなので、青山半蔵の家系は結構いい身分であり、従者をつれて江戸に出向いたりもしている。

 中山道の宿場町となっていた木曾地方は、源平の頃に西行上人が詠ったような野蛮な地域ではなく、中央の情報がいち早く伝わる文化的な地域となっていた。ペリー来航により江戸は大騒ぎとなっていたのだが、木曾地方も例外でなく、中山道を行ったり来たりする人たちであふれていた。このような時代のうねりを直に感じることができる地域に身を置いていた半蔵は、尊皇攘夷の志を持つようになり、国学者平田篤胤の門下生の末席に名を連ねることになる。

  • もし当時の所謂黒船、あるいは唐人船が、二本の白旗を海岸に残して置いて行くような人を乗せて来なかったなら。もしその黒船が力に訴えても開国を促そうとするような人でなしに、真に平和修好の使節を乗せてきたなら。古来この国に住むものは、そう異邦から渡って来た人達を毛嫌いする民族でもなかった。(151頁)
  • 当時、国内に流通する小判、一分判などの異常に良質なことは、米国領事のハリスですら幕府に注意したくらいで、それらの古い金貨を輸出するものは法外な利を得た。(197頁)

 

2

夜明け前 第一部(下)

島崎藤村

新潮文庫

文庫版初版
1954年12月25日

 武田耕雲斎率いる水戸浪士天狗党が、水戸から京を目指して上ってゆくが、結局は大方が捕らえられ斬られてしまった、という出来事は、幕末維新史においては、さして重要なことでないととらえがちだが、浪士が通過して行った地域はそうはいかない。幕命により、水戸浪士と戦闘におよんだ諏訪藩、戦闘をさけて家老が切腹させられた飯田藩。信濃においては、幕末最大の事件であった。

 第二次長州征伐の失敗をきっかけに、幕府の力が急激に弱まって行く様が、そのときを生きた人の視点で描写されていた。

  • どんな英雄でもその起る時は、民意の尊重を約束しないものはないが、一旦権力をその掌中に収めたとなると、かつて民意を尊重したためしがない。(183頁)
  • 王政の古に復することは、建武中興の昔に帰ることであってはならない。神武の創業にまで帰って行くことであらねばならない。(292頁)

 

3

夜明け前 第二部(上)

島崎藤村

新潮文庫

文庫版初版
1955年2月5日

 幕末の外国人殺傷事件といえば、生麦事件が有名だが、他にも同様の事件はあった。慶応四年(1868年)、三宮で備前藩士によるイギリス人殺害。そして堺港内を測量中のフランス人を岸から狙撃し11人を殺害した土佐藩士。こちらの事件の方は11人も殺害したため、フランス人立会のもと、土佐藩士20人が腹を切ることになったのだが、次々腹を切っていくなか、11人目になったとき、フランスの立会人から「もうやめてくれ」という話がでたが、「是非切る」と言い土佐藩士は腹を切って行った。最後には切腹禁止の命令により、9人だけは流罪になった。「ハラキリ」という言葉が、外国語になっているということは、こういう事実に所以するのだろうと納得した。

 徳川慶喜のとった行動、とくに鳥羽伏見の戦いの折り、部下を置いてさっさと江戸に逃げ帰ったことについて、本書では、内戦を避けるための英断という解釈がなされている。

  • ハリスは相応に日本を知り、日本の国情というものを認め、異国人ながらに信頼すべき人物と思われた。(28頁)

4

夜明け前 第二部(下)

島崎藤村

新潮文庫

文庫版初版
1955年3月15日

 尊皇攘夷をひたすらに願ってきた人達にとって、明治維新とは、攘夷という点では失望させられる結果となった。だからといっていまさら自ら攘夷運動もできないという葛藤のなかに青山半蔵もいた。当時筑摩県の管轄にあった飛騨高山の水無神社の神官に任命された半蔵は、任地に赴く。明治の頃は、大きな神社の神官は国から任命されていたのか、と初めて知る事実であった。

 志を貫徹せんがため奇行が目立つようになり、やがて狂人となってしまった青山半蔵。自らの父のそのような姿をも小説とした島崎藤村という人はどういう人なのだろうかと思い巡らす。

  • 人は短所よりむしろ長所で身を誤る、西郷老人もまた長ずるところを以て一朝の憤りに迷い末路を誤るのは実に残念千万であると言ったという。(199頁)
  • 然らば則ち、吾が好むところのものに従わんか(282頁)

5

破戒

島崎藤村

新潮文庫
文庫版初版
1954年12月25日

 小中高のころ、同和教育をよく受けた。しかし、私の身近に部落差別というものがなかったので、教える先生の真剣さがそらぞらしいものに思えていた。「米子市にも部落はあります」「私が以前住んでいた近くに部落がありました」という話を聞いて、少しずつ身近な問題として感じるようにはなった。「自分は何をすればいいのだろうか」と考えた…といったことを、この『破戒』を読みながら思い出した。

 『破戒』を読んで、部落差別のこと以上に、人間が内面に持っている人に知られたくない秘密、弱みについて考えさせされる。

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