読書録 城山三郎

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題名

感想

1

硫黄島に死す

新潮文庫

 戦中、戦後に関する小説を集めた短編集。戦車部隊に配属されながら、ついに戦車に乗ることなく戦死した少年兵を主人公とした「草原の敵」。戦況の悪化とともに、戦争のうねりの中に放り込まれた南方の小さな島の出来事を描いた「青春の記念の土地」。終戦間際徴兵され、海軍の厳しい訓練を受けた少年たちの悲しい出来事を描いた「軍艦旗はためく丘に」。終戦後、炭坑夫として生きる事を選んだが、事故で片足を失い、それがきっかけとなり、やがて大きな事件を起こしてしまった死刑囚の心境を描いた「基地はるかなり」。その他「硫黄島に死す」「着陸復興せよ」「断崖」。

2

黄金の日日

新潮文庫

 この大河ドラマは良かったという評判聞いて、手にとってみた。戦国時代を題材にした本当に感動的な話だった。

3

雄気堂々

新潮文庫 上下

 渋沢栄一と幕末、維新、明治初期。

4

野性のひとびと

文春文庫

 明治を引っ張った実業家達。司馬さんの本で、明治の政治家と軍人については、それなりに知ってたが、経済関係の人はあまり知らなかった。この本を読んで、なんの実業家もものすごいことをやっていた、ということが分かった。ただ単に、藩閥の政治家と癒着していただのではなく、一日二十時間働いたり、ごみ捨て場から商品を作り出したりと、馬力と知力に秀でた人ばかりだ。平成の実業家を目指すのであれば、見習わなければならない。ただ、明治の実業家はたいがい女癖が悪かった。これは、現代においては、注意しなければならない。

5

猛烈社員を拝す

文春文庫

 

6

静かなタフネス10の人生

文春文庫

 

7

粗にして野だが卑ではない

文春文庫

 石田禮助が国鉄総裁就任の挨拶で述べた言葉が表題になっている。なんとも言えない、気持ちいのいい言葉であり、こんな言葉を堂々と吐けるようにありたい。

8

ビッグボーイの生涯

講談社文庫

 東急の五島昇の生涯。長年の友として、安部英が登場する。なぜあのようなことをしてしまったのか、この本からは想像できない。

9

文春文庫

 鈴木商店番頭金子直吉。顔が鼠に似ていることから、タイトルが「鼠」となっている。直吉は「初夢や 太閤秀吉 ナポレオン」という句を作っているが、この秀吉も鼠に似ていた。鼠に似ている人は頭がいいのだろうか。
 この金子直吉はとにかく攻撃的な性格であり、一度決めた目標は何が何でもやりとげる、やりとげさせる。他人が何を考えていようが、民衆が何を思っていようが、新聞が何を書いていようが、己にやましいことが無ければ、おかまいなし。完全な自己中心の人だ。

10

本田宗一郎との100時間

講談社文庫

 本田宗一郎の逸話は面白くてしかたがない。堅苦しいことがなく、身近な存在に思えてしまう。

11

友情 力あり

講談社文庫

 戦前の大学生による「日米学生会議」の逸話。宮沢喜一さんも登場する。

12

もう君にはたのまない

 第一生命、東芝の石坂泰三の話。

13

彼も人の子 ナポレオン

講談社文庫

 

14

落日燃ゆ

新潮文庫

 東京裁判で絞首刑となった文官、広田弘毅の話。

15

人生余熱あり

城山三郎

光文社 知恵の森文庫

 さまざま老後の過ごし方について城山三郎さんが描いた作品。

 名古屋の24時間営業銭湯で暮らす老人の話からはじまる。居心地のよい場所を求めて、銭湯に集う老人たち。三食銭湯の食堂で済ませ、睡眠も休憩室でとるその姿には、なんともいえないものがある。

 うつむき加減の話はそこまでで、後の話はすべて熱い老後について書いてある。発展途上国で技術指導にあたる人たち、それも70、80という高齢で。ボランティア活動をしているにも関わらず、現地の人に第2次大戦中の出来事の謝罪を求められたりと苦難は多い。しかしそのような苦難をものともしない熱い老後を送っている人たちがそこに描かれている。

 知識労働者は定年後も労働意欲にあふれている、とドラッカーが言っている。この本に描かれている熱い老後を送っている人たちは、自分自身がその人生で得た知識をより多くの人たちに伝えようとしている知識労働者である。

  • 一度しかない人生。そのまま惰性的な暮らしを延々と続けるより、一家をあげて海外へ打って出て、新しい生活を試みてみよう。(62頁)
  • 人生は挑まなければ、応えてくれない。うつろに叩けば、うつろにしか応えない。(171頁)
  • 一日の中に天国と地獄がある。(171頁)
  • 老後には自由が満ちている。会社からも自由、時間も自由。世評からの自由もあれば、他人の目からも自由もある。(182頁)

 

16

花失せては面白からず

城山三郎

角川書店
初版1996年2月29日

 城山三郎の本にはその題名に惹かれることが多い。「粗にして野だが卑ではない」「もう君にはたのまない」そしてこの「花失せては面白からず」。本書の題名は世阿弥の「花伝書」の中の言葉「花なくば面白き所あるまじ」を間違って記憶していたことによる。

 本書は城山三郎さんの恩師であり、一橋卒業後も親交のある山田雄三氏について書いたものである。城山三郎さんの自伝という趣きも多少ある。大学を卒業して50年たってなお親交のある恩師がいるとは。

 城山さんの思い入れが強い作品のようなので、内容が噛み砕いてなく難解であった。

  • 自分の信念を正当化するための「理論」がイデオロギーと呼ばれるものです。(26頁)
  • イデオロギーや力に色目をつかう科学には自由はありません。真の科学は客観的な事実認識をどこまでも探求して無限の歩みをつづけるものです。(36頁)
  • 「この芸はその風を継ぐといえども、自力より出ずる振舞いあるべし」
    「人の悪き所を見るだにも我が手本なり。いわんや善き所をや」
    「上手は目利かずの眼にもおもしろしとする能をすべし」
    「力なき因果にて万一廃ることありとも、道絶えずば又天下(全盛)の時に逢うことあり」(世阿弥「花伝書」より 203頁)

 

17 秀吉と武吉 目を上げれば海

城山三郎

新潮文庫

文庫版初版
1990年12月20日

 瀬戸内海の村上水軍の村上武吉を描いた作品。

 秀吉の天下統一に、小さいながらも逆らい続けた村上武吉。蟷螂の斧のような存在でも、秀吉のご機嫌を伺う他の水軍を横目に、ひたすら我が道を行こうとする武吉の姿は立派だとは思うが、部下の大勢いる大将としては、どうだろうかとも思う。

18

男子の本懐

城山三郎

新潮文庫
文庫版初版
1983年11月25日

 昭和初期、金解禁にかけた浜口雄幸と井上準之助を主人公にした小説。

 題名の『男子の本懐』とは、浜口雄幸が右翼に撃たれた際、駆けつけた医師に述べた言葉。

 大正の終わりから昭和初期の日本の不況については、平成不況と似ている点が多い。デフレであることが一番似ているのだが、浜口首相のニックネームが「ライオン」であったことや、財政において、機密費削減の話が登場するなど、不思議な一致も見られる。

 本書のテーマとなっている金解禁とは、金本位制への移行のことであり、当時はこの金本位制がグローバルスタンダードであった。この政策をとらなければ、国際社会の一員として認めてもらえない可能性があった。国際取引に支障をきたす可能性があった。
 金解禁を実施すると、円と金は交換可能となる。そうなると、金の価値に裏打ちされた円の価値は上がることになる。円の価値が上がると、日本の輸出業の国際競争力がなくなる。また、円の価値が上がると、物の値段が下がり、デフレとなる。
 そこで、あらかじめ、緊縮財政を敷いて、価格競争力を持てるレベルまでデフレ政策をとり、その後に金解禁、という政策を浜口首相と井上蔵相はとった。何事も日本の将来を考えてのことであった。
 緊縮財政をしくことは、軍部の影響力の強かった時代では、命がけであった。浜口の井上の両名は、銃で撃たれることになる。

  • 「人は常に態度に気をつけ、堂々たる容姿を以て人に接しなければいかぬ。自分の気持ちを人から悟られるようでは何事もできぬ」(井上準之助の言葉 169頁)
  • 「常識を養うに読書の必要はないかもしれぬ。そして日常の事務を処理して行くのにも読書の必要はない。しかし、人をリードして行くには、どうしても読書しなければならぬ」(井上準之助の言葉 217頁)
  • 「明日起こってくる問題を知るためには、どうしても読書しなくてはならぬ」(井上準之助の言葉 218頁)
  • (昭和4年)不況は深刻化していた。
    求人数は激減し、翌年の大学卒業予定者には、長く暗い冬となった。
    見込まれる就職率は、一橋の約8割は例外として、東京帝大で6割から7割、他の大学では、5割から3割見当といわれ、学生たちは伝手をたよって、就職運動にかけ回っていた。(264頁)
  • 昭和5年1月11日、予告どおり金輸出解禁が実施された。(267頁)
  • (昭和6年3月10日)体内に弾丸の入ったままの(浜口)宰相を迎え、議員たちは総立ちで、はげしい拍手を送った。(330頁)
  • そして、これ以後(金輸出再禁止の後)の日本経済は井上の予言どおり、果てしないインフレへところげこんだ。(382頁)
19

運を天に任すなんて  ―人間・中山素平―

城山三郎

新潮文庫
文庫版初版
2003年4月1日

 日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ:第一勧銀、富士銀行と合併)の頭取をつとめた中山素平について書かれた本。中島飛行機を富士重工として再生、八幡製鉄と富士製鉄の合併、アラビア石油設立、長崎ハウステンボス設立、など多くの事業に尽力した方。「調査・審査の興銀」と呼ばれる時代をつくった(?)。

 題名の『運を天に任すなんて』の由来は、城山三郎氏が中山素平氏に「運天」と呼ばれていることについて質問したとき「とんでもない。運を天に任す、なんて! そんな情けないことを、ぼくは・・・」と中山氏が答えたことに依る。

■会社更生法についての中山素平氏の考え(127頁)
 「更正会社にしますと、金利を払わんでいいんですから、刑務所で物をつくるようなもんで、コストが非常に安くなり、他のまともな会社が競争しにくくなる」

■尾上縫(おのうえぬい)事件 1991年
 大阪の料亭の女将、尾上縫に、興銀がピーク時に2000億円以上を貸し込み、回収不可能となった事件。

20

気張る男

城山三郎

文春文庫
文庫版初版
2003年2月10日

 関西において、銀行、鉄道、紡績で名をはせた松本重太郎を主人公とした小説。

 関西の経済史を知るには、うってつけの一冊。

■松本重太郎の出身地
 丹後国間人(たいざ)村出身。間人という名の由来は、用命天皇の妃の間人(はしうど)皇后が、蘇我と物部の争いを避けるために、村へ訪れた。乱が終わり、御退座されるときに、皇后から自分の名を村の名にしてよい、と言われ、そこで、少し遠慮して、字を間人と書いて「たいざ」と読むようにした。

■松本重太郎が、丹後国間人村から京に向かった1854年、安田善次郎は越中から、江戸へ向かった。しかし、安田は分けあって途中で引き返すことになった。

■松本重太郎は、もともと松岡姓であったが、松岡の本という意味で、「松本」と名乗るようになった。

■国立銀行創設の理由
 士族たちに交付されていた秩禄公債が金禄公債へ代わり、士族は、その運用を考え、主として金禄公債を資本金とする国立銀行を各地につくるようになった。(64頁)

■「非常の勉強」と「得意先ノ便利ヲ謀ラザル可カラズ」の基本を守ることで、第百三十国立銀行は活気に包まれていた。(77頁)

■安田は第三国立銀行だけでなく、安田銀行も設立。加えて、共済五百社という日本における保険会社の草分け的なものも、つくっていた。(81頁)

■サントリーは、明治にビール業界に参入していた?
 堺の酒造家鳥井駒吉もビール進出への意欲があり、酒の味もわからぬ重太郎はこの鳥井と組む形で、明治20年には大阪麦酒を設立、鳥井が社長になった。(88頁)

■安田善次郎が田安家の屋敷を買ったときの落首(92頁)
 何事もひっくり返る世の中や
 田安の屋敷 安田めが買う

■日清戦争の際、大本営が広島に設けられ、天皇が広島へ移動されるお召列車に、山陽鉄道創設者の松本重太郎は、御陪乗の栄を与えられ、天皇から慰労の言葉も頂いた。(115頁)

■渋沢栄一
 利根川中流沿いの平野で、豊かな農家の子として育った渋沢は、笑顔がよく、親しみやすい人柄であった。(156頁)

■鉄道国有法について(166頁)
 賛成派が主張する、鉄道国有化によって、利用者は全国均一のサービスが受けられるなどの利点に対し、渋沢は、競争があってこそ、よいサービスがある。国鉄一本になればかえってサービスは低下し、巨大化した組織は官僚化が強まるだけ、と反対していた。

■中国貿易の比重が大きいというのに、繊維製品では中国での国産化が進むなどして、それまでの市場が失われ、先年来の不況の原因となっていた。(194頁)

■安田善次郎が松本重太郎の第百三十銀行を整理するときに、債権を次の三分類にまとめた(222頁)
第一号 回収確実なもの 439万円
第二号 回収見込みはあるが、抵当の処分や訴訟など、かなりの手数を要するもの 243万円
第三号 回収できず、欠損として処理するほかないもの 458万円

■安田善次郎が浅野総一郎に送った狂歌(266頁)
 五十六十はなたれ小僧 男盛りは八九十

■同盟通信社→戦後に通信部門が共同通信、広告部門が電通になった。(270頁)

21

辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件

城山三郎

角川文庫
文庫版初版
1979年5月30日

 足尾銅山鉱毒事件について、田中正造の最晩年とその死後の出来事を描いた作品。

 すべて谷中村村民の視点で描かれているので、古河市兵衛は、名前が一度出てきただけであった。

22

忘れえぬ翼

城山三郎

角川文庫
文庫版初版
2001年7月25日

 1977年に文春文庫から刊行されている。

 第2次対戦の出来事の中で、航空機にまつわる話を集めた短編集。城山氏の描く戦争作品は、非常に感動的になる。

 

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