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関西において、銀行、鉄道、紡績で名をはせた松本重太郎を主人公とした小説。
関西の経済史を知るには、うってつけの一冊。
■松本重太郎の出身地 丹後国間人(たいざ)村出身。間人という名の由来は、用命天皇の妃の間人(はしうど)皇后が、蘇我と物部の争いを避けるために、村へ訪れた。乱が終わり、御退座されるときに、皇后から自分の名を村の名にしてよい、と言われ、そこで、少し遠慮して、字を間人と書いて「たいざ」と読むようにした。
■松本重太郎が、丹後国間人村から京に向かった1854年、安田善次郎は越中から、江戸へ向かった。しかし、安田は分けあって途中で引き返すことになった。
■松本重太郎は、もともと松岡姓であったが、松岡の本という意味で、「松本」と名乗るようになった。
■国立銀行創設の理由 士族たちに交付されていた秩禄公債が金禄公債へ代わり、士族は、その運用を考え、主として金禄公債を資本金とする国立銀行を各地につくるようになった。(64頁)
■「非常の勉強」と「得意先ノ便利ヲ謀ラザル可カラズ」の基本を守ることで、第百三十国立銀行は活気に包まれていた。(77頁)
■安田は第三国立銀行だけでなく、安田銀行も設立。加えて、共済五百社という日本における保険会社の草分け的なものも、つくっていた。(81頁)
■サントリーは、明治にビール業界に参入していた? 堺の酒造家鳥井駒吉もビール進出への意欲があり、酒の味もわからぬ重太郎はこの鳥井と組む形で、明治20年には大阪麦酒を設立、鳥井が社長になった。(88頁)
■安田善次郎が田安家の屋敷を買ったときの落首(92頁) 何事もひっくり返る世の中や 田安の屋敷 安田めが買う
■日清戦争の際、大本営が広島に設けられ、天皇が広島へ移動されるお召列車に、山陽鉄道創設者の松本重太郎は、御陪乗の栄を与えられ、天皇から慰労の言葉も頂いた。(115頁)
■渋沢栄一 利根川中流沿いの平野で、豊かな農家の子として育った渋沢は、笑顔がよく、親しみやすい人柄であった。(156頁)
■鉄道国有法について(166頁) 賛成派が主張する、鉄道国有化によって、利用者は全国均一のサービスが受けられるなどの利点に対し、渋沢は、競争があってこそ、よいサービスがある。国鉄一本になればかえってサービスは低下し、巨大化した組織は官僚化が強まるだけ、と反対していた。
■中国貿易の比重が大きいというのに、繊維製品では中国での国産化が進むなどして、それまでの市場が失われ、先年来の不況の原因となっていた。(194頁)
■安田善次郎が松本重太郎の第百三十銀行を整理するときに、債権を次の三分類にまとめた(222頁) 第一号 回収確実なもの 439万円 第二号 回収見込みはあるが、抵当の処分や訴訟など、かなりの手数を要するもの 243万円 第三号 回収できず、欠損として処理するほかないもの 458万円
■安田善次郎が浅野総一郎に送った狂歌(266頁) 五十六十はなたれ小僧 男盛りは八九十
■同盟通信社→戦後に通信部門が共同通信、広告部門が電通になった。(270頁) |