読書録 ホーム
| No. | 題名 |
感想 |
| 1 |
[新訳]GMとともに |
My Year with General Motors by Alfred P. Sloan, Jr 1963 20世紀最高の経営書の新訳版。私としたことが、読み終わるまで足掛け4年もかけてしまった。 永遠の名著『GMとともに』 ピーター・F・ドラッカー ●スローンが『GMとともに』を著したのは主として、氏が好ましくないと考える書物、すなわち、ゼネラルモーターズに関する1946年の拙著『会社という概念』に反論するため、あるいはどう控えめな評言を用いても、その「悪影響」を弱めるためだった。(i頁) ■スローンは極端なまでに人を大切にしたのである。(vi頁) ■プロフェッショナル・マネージャーの仕事は、人々に好意を持つことでも、変えることでもない。強みを引き出して、業務に振り向けさせるのだ。人材の価値や仕事の中身を評価する際には、意味を持つのは実績だけである。(ix頁) イントロダクション ■GMはこの事業部制という組織形態を打ち立てて、方針面では会社の足並みを揃えながら、実行面に関しては各事業部に大きな裁量を与えたのだ。(xxiv頁) 第I部 第1章 大いなる可能性 THE GREAT OPPORTUNITY I ●1908年、ウィリアム・C・デュラント(1861年〜1947年)、ビュイック・モーター・カンパニーを発展させてゼネラルモーターズ・コーポレーション(当時の正式社名は「ゼネラルモーターズ・カンパニー」)を設立。(5頁) ●1910年9月、デュラントはみずから設立したGMの経営権をわずか2年で失った。(11頁) 第2章 大いなる可能性2 THE GREAT OPPORTUNITY II 1916年、スローンの「ハイアット・ローラー・ベアリング・カンパニー」は、デュラントの意向により、他の部品企業と合併し「ユナイテッド・モーターズ」となる。その「ユナイテッド・モーターズ」は、1918年、GMに吸収された。 1920年、一度はGMに復帰していたデュラントだが、景気低迷による業績不振で退任した。 ■20世紀を迎える頃には、自動車市場に小規模な企業が続々と参入するようになっていた。(25頁) ■ウォルター・クライスラーと巡り合ったのも、フリントの地であった。クライスラーは<ビュイック>の工場長として、また後には最高責任者として、ウェストン社から提出される車軸の設計とハイアットの部品を精査していた。(29頁) ●GM屈指の逸材ウォルター・クライスラーは、ゼネラル・エグゼクティブに就任してから、権限の範囲をめぐってデュラントと衝突した。クライスラーは、自分の意見が受け入れられないとわかると、退社を決意した。(35頁) ●私はかなり以前から、社内の動きに胸を痛めていた。(40頁) ●私は、深い悩みに押しつぶされそうだった。GMのマネジメントについて、針路について・・・・・・。1920年8月には、ついに1ヶ月の休暇をとることにした。しばし会社を離れて、見の振り方を考えたかった。私財はすべてGM株式で占められていたが、それでもまず心に浮かんだのは、クライスラーのように退社するという考えだった。(41頁) ●1920年、GMは土台から崩れ落ちる寸前だった。全米を襲った経済不況、経営コントロールの欠如、さらには、デュラントの退任・・・。(50頁) 第3章 事業部制の誕生 CONCEPT OF THE ORGANIZATION ●私にとって、誰が新社長になるべきかは明らかだった。ピエール・S・デュポンである。(52頁) ●望ましい成果を得るには、命令するのではなく、共感を引き出すほうが効果的だが、それでもCEOには大きな権限が欠かせない。(64頁) 第4章 製品ポリシーの構築 PRODUCT POLICY AND ORIGINS ●1921年、GMは、経営の立て直しと併せて、市場戦略を定める必要に迫られていた。(69頁) ●不況は、経営体力の弱さを際立たせる。1920年から21年にかけての不況も同じだった。(74頁) ●私はいまでも、ゴールへの近道はビジネスの基本を押さえることだと信じている。(76頁) ●あの時に定めた製品ポリシーは時代の移り変わりに耐え、今日でもGMの名声を支えている。@すべての価格セグメントに参入する―大衆車から高級車までを生産するが、あくまでも大量生産を貫き、少量生産は行わない。A各セグメントの価格幅を工夫して、規模の利益を最大限に引き出す。BGM車どうしの競合を避ける。(77頁) 第5章 失われた2年半―銅冷式エンジンの教訓 THE ''COPPER-COOLED'' ENGINE ●1923年6月、シボレー事業部は銅冷式モデルのリコールを決めた。 ●銅冷式モデルは、ついに本格的な実用化を迎えず、いつしか消えていった。理由はいまもって定かではない。(108頁) 第6章 繁栄の礎 STABILIZATION ●1923年春、GMの社長職がピエール・S・デュポンから私に引き継がれた。(111頁) ●デュポンの在任期間中、製品開発に遅れが生じはしたが、全体としてGMは何より必要としていたもの、すなわち安定を手に入れた。(111頁) ●経営者の力量は、その企業にどのような人材が集まっているかを見れば推測がつく。1923年にGMで活躍していた人々は、その多くがアメリカ産業史に名前を残すことになる。(113頁) 第7章 新しい挑戦の時期 CO-ORDINATION BY COMMITTEE ●1923年秋、自動車販売が初めて年間400万台を超える見通しとなり、GMの社内も期待でわき返っていた。(115頁) ●続いて私は、社長の権限を強めるべきだと主張した。「マネジメントは集団ではなく個人で行うもの」と表明した後であるから、意外ではないだろう。(117頁) ●部品・資材、ひいては生産を標準化するのは、このうえなく重要である。調達委員会の功績で際立つのは、部品・資材の標準化を成し遂げたことである。その効果は永続するだろう。(121頁) ●このようにしてGMは、研究部門(リサーチ・コーポレーション)と事業部の役割を分けた。(127頁) ●改めて述べるまでもなく、GMは価格帯別に車種を投入する方針を大胆に推し進めていた。(128頁) 第8章 財務コントロールの強化 THE DEVELOPMENT OF FINANCIAL CONTROLS ●GMは、1920年代にさまざまな分野の社内委員会を設けて、全社の足並みを揃えていった。(131頁) ●すでに述べてきたとおり、デュラントは財務について体系的に考えようとはしなかった。体系的に事業を進めるタイプの経営者ではなかった。それでも、デュラントがトップの座にあった間にGMには近代的な財務の考え方がもたらされた。デュラントがデュポン社の人々を財務委員会のメンバーとして迎え、財務事業の遂行を委ねたのである。(132頁) ■1921年1月1日にGMの財務担当バイス・プレジデントに就任したブラウンは、デュポンにいたころ、業務効率を表す指標としてROIの重要性を訴えていた。(132〜133頁) ●ブラッドレーの言葉を引けば、「在庫を削減するには、特に経済環境が厳しい時期には調達を減らすしかない」ということである。(140頁) ●本社に戻ると私は、CEO在任期間でもきわめて異例のことだが、社内に絶対服従を求めた。全事業部長に、直ちに生産を大幅にカットするように厳命したのである。(146頁) ●GMは主としてコスト、価格、台数、ROIに着目して財務コントロールを組み立てていた。(155頁) ●重要なのはその時々の実績ではなく、長期間の平均ROIである。この考え方のもと、GMはROIを単に最大化することよりもむしろ、売上げに見合った範囲でROIを最適化することを目指した。(155頁) ●ROIは事業上のさまざまなファクターに影響されるため、個々のファクターとROIの関係をとらえられれば、事業を深く理解したことになるだろう。この目的に沿ってブラウンは、ROIは利益率と資本回転率から導き出されると定義した(利益率×資本回転率=ROI)。(156頁) ●GMは経営危機を契機に、財務コントロールの必要性に目覚めた。(162頁) 第9章 自動車市場の変貌 TRANSFORMATION OF THE AUTOMOBILE MARKET ■自動車産業の歴史 ●そのようななか、フォードは衝撃的な行動、見方によっては自殺にも等しい行動を取った。1927年5月にかのリバールージュ工場の操業を停止し、設備更改のためにほぼ1年にわたって閉鎖を続けたのである。低価格市場は<シボレー>の独壇場となり、やがてクライスラーの<プリマス>を迎え入れる。(182頁) ●基本的な輸送手段の需要は、新車よりはるかに安価な中古車が満たしていた。新車はそのような需要に応える必要がなくなっていたが、ヘンリー・フォードはその事実を見落としていた。(182頁) 第10章 方針の立案 POLICY CREATION ●変貌を続けた自動車市場も、1929年にほぼ一定の姿に落ち着いた。(189頁) ●無計画あるいは軽率に何かを始めるよりは、たとえ事業チャンスを逃すことになったとしても、動かずにいるほうが安心ではないだろうか。チャンスはいずれまた訪れるに違いない。(195頁) ■景気の冷え込んだ1932年、からくも黒字を保つことができた。これは主に財務コントロールの恩恵だといえるだろう。(198頁) ●1937年、私は「方針の立案と実行は分離すべきである」という長年の信念を、全社委員会の運営に、より忠実に反映させたいと考えるようになった。(206頁) 第11章 財務面での成長 FINANCIAL GROWTH ●GMは高い成長力を持った企業である。これまで述べてきた内容は、この一点に集約されるだろう。(211頁) ●GMの株主は、事業の成功によって多大な金銭的利益を得てきた。GMの利益はおよそ三分の二が配当金として分配されている。(212頁) ●1930年代をとおしては、純利益の91%に当たる額を配当に充てた。(220頁) ●売上高は1929年から32年にかけて、15億400万ドルから4億3200万ドルへと71%も減少しているが、在庫も60%、額にして1億1300万ドル抑制されている。(221頁) 第U部 第12章 自動車の進化 EVOLUTION OF THE AUTOMOBILE ●自動車産業の黎明期、エンジニアや発明家たちは何よりもまず信頼性の向上を目指していた。(241頁) ●研究開発に長い歳月を費やした結果、GMは<ハイドラマティック>と流体トルク・コンバーターという2種類のフルATを一般市場向けに提供できるようになった。(253頁) 第13章 年次モデルチェンジ THE ANNUAL MODEL CHENGE ■年次モデルチェンジが実現するまでには大きな経営努力があった。(263頁) 第14章 技術スタッフ THE TECHNICAL STAFFS ●GMはエンジニアリングを柱とする会社である。金属を切断して付加価値を生み出すのだ。(275頁) 第15章 スタイリング STYLING ●スタイリング機能を本社組織に持たせるという試みに先鞭をつけたのはGMである。1920年代末のことだ。(293頁) ■消費者が重んじるのは第一にスタイリング、次いでオートマチック・トランスミッション、高圧縮のエンジンの順だと判断した。(309頁) 第16章 流通問題とディーラー制度 DISTRIBUTION AND DEALERS ■1920年代の経験から、この業界で安定した業績を上げ、繁栄を築き上げるためには、健全なディーラー組織の育成が欠かせないと学んでいた。(313頁) 第17章 GMAC ●自動車産業の歴史になじみの薄い人々は、なぜGMがアメリカ屈指の金融サービスを傘下に持ち、コンシューマー・ファイナンスの分野に進出したのか、いぶかしく思うかもしれない。(341頁) 第18章 海外事業 THE CORPORATION OVERSEAS 主にオペルについて述べた章 第19章 多角化:非自動車分野への進出 NONAUTOMOTIVE:DIESEL ELECTRIC LOCOMOTIVES, APPLIANCES, AVIATION 第20章 国防への貢献 CONTRIBUTIONS TO NATIONAL DEFENSE ●左翼思想の持ち主は、戦争は「ビッグビジネス」に大きな利益をもたらす、と強く信じているようだ。だがGMに関するかぎり、これは真実とほど遠い。(433頁) 第21章 人事・労務 PERSONNEL AND LABOR RELATIONS ●今日では、北米の給与労働者に向けて従業員持ち株会を運用しており、各従業員に基本給の最大10%までの積み立てを認めている。(442頁) ●私自身、企業家として、組合運動というものについて少しも理解していなかった。(457頁) 第22章 ボーナス制度 INCENTIVE COMPENSATION ●ボーナス制度は1918年以来、GMの経営哲学にとって、また組織にとって、なくてはならない役割を果たしてきた。(459頁) ■現行の制度ではボーナスは5年間に分割して支払われ、その間に自己都合で退社すると残額を受け取れない。貴重な人材の離職率を比較的低く抑えている。(480頁) 第23章 経営とは何か THE MANAGEMENT:HOW IT WORKS ●もとより、一度決めればそれが永遠に有効であり続けるわけでもない。状況が変われば最適なバランスもまた変わる。(484頁) ●本社スタッフは事業部よりも長期的な視点から、応用範囲の広い課題を扱うのだ。では、事業部の役割は何かというと、すでに決まった方針や計画を実行に移すことが中心となる。(485頁) ●大胆な提案を社内に売り込むというのは、GMの経営の大きな特徴だといえる。(487頁) ●GMのような組織では、意思決定のために適切な枠組みを用意することが、何にも増して重要なのである。(489頁) 第24章 変化と進歩 CHANGE AND PROGRESS ●GMはいずれの製品分野でも、他社を買収してのし上がった経験はない。(499頁) ●私はまた、組織は放っておいても動いていく、との印象を皆さんに残していないことも、願っている。(499頁) |