読書録 津本陽

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題名

感想

60

群雄譚 項羽と劉邦

津本陽

角川時代小説文庫
文庫版初版
2003年6月18日

 本書は、史記に忠実に書かれていると思いますので、それを前提として読むといいと思います。

59

異形の将軍 田中角栄の生涯(下)

津本陽

幻冬社文庫
文庫版初版
2004年2月20日

■(昭和40年の山一危機)山一證券は、4大証券のうちでもっとも古風な相場師の体質をそなえていた。(40頁)

■(越山会は就職の世話もしていた)越山会によって就職できた者は、のちに1万人をこえたといわれる。(72頁)

■ニクソン・ショックは、日本に事前に通知されたが、それは米中同時発表の3分前であった。(124頁)

■角栄は相手に同意させるためには、地位、名誉、金の3つのいずれか、欲しがるものを与えればよいと、割り切っていた。(136頁)

■再建とは、癌をつきとめて切り取って、薬をやることだ。角栄はこのテクニックでは無類の手腕家であった。逆に世間が繁栄にむかったときの攻めには弱かったという。(139頁)

■昭和20年代、銀行の担保物件の価値は、証券のほうが土地をはるかにうわまわっていた。それがいつのまにか逆転した。土地が庶民にも分かるほど急上昇の傾向をあらわしはじめたのは、33年頃からである。(187頁)

■(昭和47年)角栄は日中国交回復の旅に出れば、生きて帰れないかも知れないと、ひそかに心構えをしていた。右翼が毎日街宣車を連ね、国会、官邸周辺を吼え猛りつつ道路を走りまわる。「国賊・田中角栄」のビラが街じゅうに貼られ、いきなり車の前に飛び出し寝転ぶ男がいた。(222頁)

■(昭和47年ごろ)当時、土地ブームの波に乗り、全国各地でふしぎな動きがあらわれていた。知事、市長などの地方自治体の首長と親しい企業主らが、突然、坪当たりにすれば10円にもならない野原のようなところを買いあさりはじめる。そこに4車線の道路工事が始まり、地価が100倍にも値上がりするという、おどろくべきことがおこり、その結果、地方財閥は肥えふとる。(242頁)

■石油ショックがはじまると、商品の便乗値上げがひろがり、1週間のあいだに卸売物価は1%値上がりし、前年同月比20%に迫った。(257頁)

■国土庁は、昭和49年1月1日現在、地価公示価格の上昇率は年32.4%で史上最高と発表した。それを福田蔵相は、「物価の暴騰は狂乱状態」と語り、たちまち「狂乱物価」の評言が流行語となった。(262頁)

■49年度の春闘で、労働組合は石油危機、インフレによる物価の高騰を理由に30%を超えるベースアップを要求し、各企業の賃金は31%から32%引き上げられ、インフレ昂進に拍車がかかった。(268頁)

■(昭和49年文藝春秋11月号)児玉隆也著「淋しき越山会の女王」とは、秘書佐藤昭子についての暴露記事である。角栄にとっては佐藤との関係を公表されるほうが金脈問題よりもつよい打撃であった。角栄は真紀子たちになじられ火宅の苦しみを味わうことになる。(273頁)

■角栄のカネ作りの体制は、立花レポート以後法律違反をまったくおかしていなかったにもかかわらず、彼が倫理観のない、見苦しい政治家だという印象を、国民に植えつけた。(289頁)

■昭和51年2月4日朝、ワシントン米上院外交委多国籍企業小委公聴会で、ロッキード社のコーチャン氏が、同社の賄賂についての文書を公表した。(296頁)

■三木首相は、ロッキード事件にきわめて強い関心を寄せた。彼にとって、事件の解明は、重大な意味をふくんでいるようであった。(298頁)

■今まで多数の政治家、評論家が、ロッキード事件は、角栄を失脚させるためにアメリカが仕組んだ謀略であると語り、著述してきた。(321頁)

58

異形の将軍 田中角栄の生涯(上)

津本陽

幻冬社文庫
文庫版初版
2004年2月20日

 歴史小説家の津本氏の筆にかかれば、田中角栄の人生も木下藤吉郎の出世物語のようになる。

 昭和史を知る上でも、とても良い本であった。

■角栄のイメージは本来、他の政治家にくらべ、際立って明るかった。金権政治家と言われるが、社会の裏面でうごめく暗い印象がない。それは集まってくる金を片っ端からばらまく陽性の気質に負うところが大きかった。(11頁)

■角栄の生まれた二田(ふただ)村(現西山町)はかつて日本で唯一の石油の産地で、日本石油発祥の地であった。(28頁)

■角栄は大河内正敏のもとへ近づき、自分を知ってもらう機会を求めていたのではないだろうか。(108頁)

■内地に生還できないだろうと覚悟していた角栄は、昭和16年2月、2年間を過ごした大陸を離れた。(142頁)

■それまで、はなのために良縁をみつけようと努力した角栄が、8歳年上の彼女と結婚する結果になった。(157頁)

■はなとのあいだには、昭和17年に長男正法(まさのり)、昭和19年1月に長女真紀子が誕生した。(159頁)

■(終戦直後、朝鮮半島からの帰還の際)大田工場建設の手付金800万円の大部分は、おそらくソウルの銀行に預けていたのだろう。それを全部引き出すために、あわただしく動いていたのではなかろうか。(162頁)

■角栄は終戦の報せを聞くと同時に、ソウルへ走り、軍票を日本円に換えた。(166頁)

■いまの貨幣価値でいえば、100兆円にも達したかも知れない軍需物質が、わずか2週間で軍部周辺のごく一部の人の手にわたり、戦後の闇成金が出現したのである。(172頁)

■戦後の猫の目のように変わる経済状況をいちはやくとらえられなかった、臨時軍事費、軍保有物質放出の不正利得で肥えふとった成金たちは、封鎖預金の網にひっかかり、ヤミ商売の利得をすべて吐きだしてしまった。(177頁)

■社会党は、小作解放という社会主義の目的を果たした後、地主となった元小作人たちからやがて見捨てられることになった。(187頁)

■昭和23年10月15日、第2次吉田内閣が成立した。角栄は、吉田に抜群のはたらきを認められ、法務政務次官に抜擢された。1年生議員としては前例がない。だが、まもなく角栄は炭管疑獄事件に問われ、2ヶ月足らずで次官を辞任し、逮捕されるに至った。(206頁)

■昭和32年、角栄は39歳で郵政大臣となった。(273頁)

■昭和35年10月9日、長鉄、中越自動車、栃尾鉄道が合併し、新会社越後交通が発足した。中越の公共交通を独占する企業が発足したのである。(303頁)

57

龍馬 五 流星篇

津本陽

角川書店
初版2003年7月5日

津本『龍馬』の最終巻。

■大洲藩といろは丸
 龍馬と五代才助は、大洲藩に蒸気船いろは丸を高値で買わせた。さらに、そのいろは丸を亀山社中が借受けて運用しようとしたが、購入した大洲藩と揉め事となり、結局、大洲藩士国嶋左衛門が切腹した。

■紀州藩といろは丸
 紀州藩の明光丸と海援隊のいろは丸が、瀬戸内海の備中六島沖で衝突し、いろは丸が沈没した事件は、海援隊側に非があった。しかし、非を認めれば、海援隊が消滅してしまうので、龍馬は、決死の覚悟で紀州藩と交渉し、損害賠償金を払うことを認めさせた。随分悪い事をしています。

■長崎での海援隊と紀州藩の交渉の中、海援隊がはやらせた歌
・船を沈めたそのつぐないは、金をとらずに国を取る(159頁)
・沈められたる償いの 金を首で取るのがよござんしょ(167頁 永国淳哉著『坂本龍馬 その虚像と実像』より)

■おりょう
 おりょうは、寺田屋事件の後、下関に滞在していたようです。龍馬が時々、下関によって、おりょうと会っていた。そのおりょうは、ヒステリー症状を持っており、龍馬は対処に苦労していた。

■龍馬は後日世上に喧伝されたような、風采をかまわないむさくるしい男ではない。佐々木は彼を一見婦人のような華美な風采ではあるが、度量はきわめて大きいといっている。(272頁)

■龍馬の暗殺者
 犯人は、大洲藩士、薩摩藩士、新選組隊士ほか、さまざまの流説があるが、今井信郎がやったと見て、ほぼまちがいないというのが定説になっている。筆者は大洲藩士であったという説も捨てきれない。(397頁)

56

龍馬 四 薩長篇

津本陽

角川書店
初版2002年4月30日

 津本陽が描く坂本龍馬の第4巻。

 新しい史料の発見による細かな記述が、津本流だね、と感じられます。

 伊東祐亨は、神戸海軍操練所の生徒だったんですね。

■ロッシュは、幕府に対し誠意をあらわすために、カノン砲、弾丸などを、それまでイギリス商人らがむさぼっていた暴利の、十分の一という、原価で売り込んでいた。(82頁)

55

龍馬 三  海軍篇

津本陽

角川書店
初版2001年8月5日

 津本『龍馬』の第三巻。『海軍篇』ということで、龍馬は、勝海舟とずっと行動をともにしている。

■開国論と大政奉還(33頁)
 本書では、大久保一翁が早くから唱えていた、ということになっている。

■岡田以蔵の伝説(77頁)
 狙った男のあとをつけていった以蔵が声をかける。
 「もし」
 いいつつ刀を横一文字に振ると、切られた首がふりかえり、答えたという。
 「何どす」

■岡田以蔵は江戸にいるとき、龍馬に頼まれ、中浜万次郎の身辺を護衛したことがあった。(82頁)

■姉小路公知暗殺(143頁)
 攘夷派公卿の公知は、勝麟太郎から欧米諸国の戦力を聞かされ、開国論に変心した。それを知った尊攘激派の志士たちが、公知を暗殺した。
 その暗殺した場所に、薩摩藩士田中新兵衛の刀が残されていたため、容疑が彼にかかった。田中新兵衛は、自殺したのだが、刀は事件の数日前に、三本木の料亭ですり替えられており、濡れ衣を着せられたといわれた。

■横井小楠(257頁)
 肥後の国許では、小楠は藩士たちに嫌われていた。何事にも多弁で、朋輩の政見がまちがっていると思えば、酒宴の座であっても徹底して批判、論破し、そのため座が白けることが往々あった。

■グラバー(273頁)
 1838年スコットランド生まれ。22歳で開港直後の長崎に来て、日本の小判を上海で売って、大金持ちになった。

■1864年、公武合体派で開国論者の佐久間象山が、危難を覚悟で松代を出立し、京都に向かうときに読んだ歌(303頁)
 時にあはば 散るもめでたし山桜
  めづるは花のさかりのみかは

■池田屋(330頁)
 三条小橋の河原町東入ル北側の旅館池田屋は、土佐藩定宿であった。

54

龍馬 二 脱藩篇

津本陽

角川書店
初版2001年4月20日

 二巻は、吉田元吉(東洋)暗殺、龍馬脱藩など。

 歴史上の人物が何の前触れもなく登場してくるこの小説は、結構高いレベルの予備知識がないと、内容を理解するのは難しい。この点では、島崎藤村の『夜明け前』と似ている。

53 龍馬 一 青雲篇

津本陽

角川書店
初版2001年4月20日

 本書は、東京新聞、中日新聞などに連載されている『奔馬の夢』を『龍馬』と改題し単行本化したもの。
 史料を丹念に調べ、その時代を正確に表そうとするのが津本氏の著書の特長なので、幕末とはどのような時代であったのか、ということを小説を通して知りたい方にとって、本書はうってつけです。

 龍馬を扱った小説といえば司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』が著名であり、私も読みましたが、この津本陽氏の『龍馬』もそれに匹敵するような小説になると思います。

 江戸に赴いた龍馬が、佐久間象山の弟子となり、黒船来航の折、ともに黒船見物に出かけた、という話があったが、これはフィクションかな。

  • 龍馬の父八平と兄権平は砲術に堪能であった。(41頁)
  • 佐久間象山は、入門志願者がくると、面接してみて気に入らない態度をわずかでもあらわす者は、追い帰した。(166頁)
  • (江戸三大道場)力は斎藤、技は千葉、位は桃井(174頁)
  • 吉田寅次郎がはじめて佐久間象山を訪問したのは、嘉永四年(1851)五月であったという。(220頁)
  • これから世間は変わってくる。しばらくは形勢を見ることじゃ。あわてちゃいかん。龍が雲を呼ぶにも、機をはからにゃいかんがじゃ。(381頁)
52

勇のこと

津本陽

講談社文庫
文庫版初版
2002年4月15日

 1998年7月に出版されたものの文庫版

■勇のこと
 柳生石舟斎の『截相口伝書』に「勇のこと」という一節にカタカナで、「キリムスブ カタナノシタコソ ジゴクナレ ミヲステテコソ ウカブセモアレ」と書き記されてある。(12頁)

■アイスクリーム
 幕末、咸臨丸でアメリカに渡った一行が一番好んだ料理は、アイスクリームだった。(72頁)

■龍馬の人生はとにかく見せ場が多い。司馬遼太郎さんが一番先に『龍馬がゆく』を書かれたのはよくわかる。

■鹿児島の人はなかなか人に心を開かないが、いったん開いたら、驚くほどわが身に引き寄せるところがある。自分を非常に引き立ててくれた恩人に対する思い込みはものすごく強い。(109頁)

■隆盛というと、度量が大きく、深謀遠慮の性格だと思われがちだが、熱しやすく感情に突き動かされて行動する面がある。(115頁)

51

千葉周作 下

津本陽

角川文庫
文庫版初版
1998年9月25日

 千葉周作は、江戸に道場に構える前に、高崎に道場を持ったのだが、この小説でも上州人についてはあまりいい書き方がされていない。ばくち好きとか執念深いとか、今の群馬県民もそうなのかいなと、群馬に引っ越して4ヶ月の私は、思い当たる点もあると感じながら読んでいた。

 北辰一刀流千葉道場の特徴は、新人が入門してきたら、道場主の千葉周作自らが竹刀をとって相手をし、さらに指導方法も平易で理解しやすいものであった。ここに入門した人は、他道場に入門した人よりも上達が早かった。

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千葉周作 上

津本陽

角川文庫
文庫版初版
1998年9月25日

 幕末の剣豪、千葉周作を描いた小説。

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宇喜多秀家 備前物語

津本陽

文春文庫
文庫版初版
2001年4月10日

 戦国の奸雄宇喜多直家とその子で豊臣政権で五大老となる秀家を描いた作品。

 娘婿をかたっぱしから葬り去り領土拡大を続ける宇喜多直家。戦国時代というのは、生き残るためには、成長し続けるしかないという時代であったので、家名存続の為に悪逆非道をの限りをつくした。
 それに対し、宇喜多秀家は、早くから秀吉の庇護下に入ったので、苦労も少なく成長した。
 その宇喜多秀家が家名存続をかけて戦ったのは、関ヶ原であった。

■八丈島
 関ヶ原の合戦で西軍の副将として戦い、そして敗れた宇喜多秀家は、薩摩に逃亡の後、幕府に捉えられ、駿河での幽閉を経て、八丈島に流されることとなった。八丈島の生活は、1655年に83歳で死ぬまでの50年間に及んだ。
 1645年のある日、備前の船が八丈島に漂着したとき、備前出身と名乗る秀家らしき翁が、備前の様子を船乗りに尋ねて涙を浮かべたという。

 宇喜多秀家には、望郷の念があったが、その子孫には、八丈島こそ我が故郷となったようで、幕府から特赦が出て帰還が許されても、八丈島に住み続けた。

 宇喜多家が八丈島を出るのは、明治になってからであった。

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下天は夢か

講談社文庫
全四巻

 日経新聞に連載され、人気を博した津本陽の代表作。信長の魅力と魔力をいかんなく表現した作品。

 短気な人間は、気が短いかわりに、カラッとした性格の人が多いが、信長の場合、そんなことはない。気が短くて、執念深い。昔の恨みはとことん覚えている。佐久間信盛、林通勝の追放などは、執念深さの現れである。反面、自分自身が他人に与えた恨み辛みはあまり意に介していなかったようであり、また、他人が自分にはむかう事など考えられなかったようだ。光秀謀反の前に荒木村重の謀反があったにもかかわらず、なにも生かされなかった。

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夢のまた夢

文春文庫
全五巻

 本能寺の変直後の備中高梁城の陣から話が始まる。「下天は夢か」からの続きであり、さらに「乾坤の夢」へと続く。秀吉については、出世物語として山崎の合戦までを詳細に描いたものが多いが、本書では、山崎の合戦、賤ヶ岳、九州征伐、小田原合戦さらには、朝鮮出兵までもが詳細に描かれている。

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乾坤の夢

津本陽

文春文庫 上中下

 信長を描いた「下天は夢か」、秀吉を描いた「夢のまた夢」に続く家康を描いた「乾坤の夢」。新しく発見された史料や研究結果を導入して書き上げられる津本陽の作品は、今の時代の歴史小説の中で最も史実を表していると思う。

 著者は、関ヶ原においての吉川広家のとった行動について、その見通しの甘さを指摘している。西軍の総大将毛利輝元が何もお咎めなし、ということはありえないのに、希望的観測や私情を優先させ、主家を小さくさせてしまった。平和な世に慣れてしまった武将たちの考えの甘さを家康はうまく利用した。

 関ヶ原に臨んで、命をすてる覚悟では石田三成の方が上だったが、ただそれだけでは勝てなかった。自分自身に決死の覚悟があるが故に、まわりの人の意見に耳をかさなくなり、孤立してしまった。

 江戸の町造りについて、内藤昌氏の考えとして、「の」の字型に町を拡張していったことが、世界的規模の大都市に発展していった理由だと本書で紹介されている。丸い形に都市を造っていったことは、現在の東京の渋滞の原因だとしか思っていなかったが、いいこともあったようだ。

 家康については、司馬遼太郎の本を読んでいたので、どこかしら陰険だとか、腹黒いという印象を持っていたが、確かにそういう面は信長、秀吉よりも強いのだが、やはり人間的な魅力は格別なものがある。人を使いこなした家康の人生、学ぶべきことは多い。とくに、不況の時代にはぴったりはまる。山岡荘八の「徳川家康」が、はやったのも不況のときだったそうだ。本田宗一郎さんは、好況は信長、不況になると家康という風潮に批判的だったが。

  • 足ることを知りて足るものは、常に足る。仇をば恩をもて報ずる。
  • 人を使うにも、水清ければ魚住まず、長所を取りて悪しきところは捨て置くべし。
  •  人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常とおもえば不足なし。こころに欲おこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ。勝つことばかり知って、まける事を知らざれば、害その身に至る。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
       慶長八年正月十五日
                          家康 花押
    人はただ身のほどを知れ 草の葉の露も重きは落つるものかは

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武神の階

津本陽

角川文庫

 津本陽が描く上杉謙信。戦に臨んで負け知らずの上杉謙信像が非常にうまく描かれている。また本書では、上杉謙信が生涯独身だった理由を、若い時の失恋が原因、ということにしている。

  • 運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。
    いつも敵を掌に入れて合戦すべし。
    疵つくことなし。
    死なんと戦えば生き、生きんと戦えばかならず死するものなり。
    家を出ずるより、帰らじと思えばまた帰る。
    帰ると思えばこれまた帰らぬものなり。
    不定とのみ思うに違わずといえど、武士たる道は不定と思うべからず。
    かならず一定と思うべし。(謙信の戦訓 157頁)
  • 心に物なき時は、心広く体ゆたかなり。
    心に我侭なときは愛敬失わず。
    心に欲なきときは義理をおこなう。
    心に私なきときは疑うことなし。
    心に驕りなきときは人を救う。
    心に誤りなきときは人をおそれず。
    心に邪見なきときは人を育つる。
    心に貧なきときは人にへつらうことなし。
    心に怒りなきときは言葉和やかなり。
    心に堪忍あるときは事を調う。
    心に曇りなきときは心静かなり。
    心に勇あるときは悔むことなし。(謙信が定めた家法 550頁)

 

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戦国武将に学ぶ情報戦略

津本陽

角川文庫

 「下天は夢か」「夢のまた夢」「乾坤の夢」の津本陽が、信長、秀吉、家康を例にとり戦国時代の情報戦略を紹介した本。また、戦国時代という時代そのもののすさまじさを述べてもある。戦場においての血生臭を詳細に記してある点は、他の人の著書ではあまりみられない。

  • 信長は13歳で元服してから、いっさい勉強しなかった。(41頁)
  • 秀吉が出世した最大の原因は彼の優しさである。(93頁)
  • 家康は、元来、思ったことを口に出さない人であったという。(150頁)

 

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創神織田信長

津本陽

角川文庫

 「下天は夢か」の津本陽が信長について語ったもの。安土城について詳しい内藤昌との対談も収録されている。

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下天は夢か 信長私記

新潮文庫

 

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真田忍侠記

津本陽

講談社文庫 上下

 津本陽の忍者小説。毎日新聞日曜朝刊に1994年11月から1996年9月まで連載されたもの。当時毎日新聞を読んでおり、新聞連載を楽しんでいた。僕にとって、津本陽の小説にはじめて触れたのがこの「真田忍侠記」であった。津本陽がどのような作風の作家なのか知らなかったので、真田幸村が「・・ずら」という言葉遣いをするのに、少なからず衝撃を受けたものだ。

 本書は史実を元にした「下天は夢か」等とは異なり、「柳生兵庫助」のような伝奇小説である。猿飛佐助、霧隠才蔵が忍術を駆使し、家康、服部半蔵に対抗していく。大坂夏の陣のくだりは、虚実を巧みに組み合わせて話が進められ、史実と異なる最後の結果もありそうなことではないか、と思わせる。

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乱世、夢幻の如し

津本陽

講談社文庫 上下

 戦国時代の奸雄、松永久秀の一生を描いたもの。戦国時代の近畿地方を中心に話が進められていく。山口大内家と細川管領家の争い、足利将軍家・細川管領家と阿波三好家の争い、信長と反信長勢力の争いのなかでの松永久秀の立ちまわりが描かれている。

 戦国時代の近畿は、裕福な地域であったため、職業軍人があふれており、金しだいでいくらでも戦ができた。細川と三好の争いは、お互いに徹底的な打撃を与えなかったので、延々と戦争状態が続いていた。そんな時代を、松永久秀がうまく立ちまわり、暗殺なども駆使して、のし上がって行く様は、下克上を如実に表している。

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武田信玄

講談社文庫
上中下

 勝頼が好きだったので、信玄亡き後の武田家滅亡まで書いてあるこの本を読んでみた。信玄亡き後の勝頼について、せいぜい長篠と天目山ぐらいしか注目してなかったが、偉大な父をもった二代目勝頼の苦悩が本書を通じて読み取れた。信玄亡き後、勝頼が祖父信虎と合っていた事実には驚いた。
 1582年、木曾路と伊那路から侵攻してきた織田軍に対して、ほとんどの武将に寝返られ、上原城を落ちて行く勝頼。そのとき、小山田信茂を頼ろうとしたのだが、この信茂にも裏切られた。何故、このように簡単に裏切るような輩を頼ろうとしたのか不思議に思ったが、大月駅から信茂の居城、岩殿山城を見たら少しばかり謎が解けた。堅固な城だった。

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椿と花水木

新潮文庫
上下

 ジョン万次郎のことはこの本を読むまで、ただ漂流してアメリカに行った人、という印象しかなかったが、実は勇気と知恵に富んだ人物であった。

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柳生兵庫助

文春文庫
全八巻

 柳生新陰流二代目柳生兵庫助の物語。
 剣豪小説を読もうと思いこの本を手に取ったのだが、実際は剣豪小説と忍者小説を併せたような内容だった。兵庫助の初めの妻千代の活躍にすっかり惚れ込んだ。

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独眼龍政宗

 24才で奥州の半ばを制圧した伊達政宗の小説を25才で読んだ。24までの人生は戦いの連続であり、24を過ぎた後は、戦いはあるにはあったのだが、命令されるがままの戦いだった。24を境に政宗の人生は大きく変わってしまった。

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鉄砲無頼伝

津本陽

角川文庫

 種子島に鉄砲が伝来してすぐにその威力に気付き、いち早く実戦で使用した紀伊根来寺の津田監物の痛快な半生を描いたもの。

 物語は紀伊根来寺の津田監物が種子島に鉄砲を買いに行くところから始まる。種子島で鉄砲を買いつけ、それを元にして根来寺で鉄砲の量産が始まった。そして、鉄砲で武装した根来寺の僧兵は、最強の傭兵集団となり、近畿地方で暴れまくることになる。誰かの配下になるのではなく、あくまで傭兵として金のために戦う津田監物。戦国時代はこのような、自由な生き方が許される時代であった。

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秀吉私記

津本陽

講談社文庫

 「夢のまた夢」で秀吉を描いた津本陽が秀吉の人生について解説した本。「下天は夢か」は信長を、「夢のまた夢」は本能寺の変後の秀吉を描いた作品なので、秀吉が信長のもとで出世していく過程はあまり詳しく描かれていない。この「秀吉私記」はそこを補い、どのように立身出世していったかが述べられている。

 秀吉出世の一番の要因は、決して誰かを追い落とすような真似をしたのではなく、ひたすら主人のために働き、進んで死地に赴いたことによる。

  • 秀吉が出世している過程を見てみると、主人の望んでいることを、先へ先へを気ばたらきしていく鋭敏さが大きな力となっている。(18頁)
  • 秀吉の戦略、戦術の特色は、信長が大量虐殺をおこなって絶滅させたり、平然と斬殺したのとは対照的に、流血を避けて兵糧攻め、水攻めなどによって、相手を降伏させるようにつとめたことである。(61頁)
  • 現代の日本がチップを必要としない社会であるのは、世界でも希な例だが、その根源は秀吉の庶役召しあげにゆきつく。(83頁)
  • 信長がもし70歳位まで長生きしていれば、呂宋、アメリカ大陸まで進出していたことが考えられる。(138頁)

 

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暗殺の城 上下

津本陽

幻冬舎
初版
上 1998年3月15日
下 1998年3月15日

 静岡新聞に「風雲の城」という題名で連載されていたものを、「暗殺の城」と改題し単行本化したもの。

 遠近江の高天神城を舞台に、武田家と徳川家の争いを描いた作品。武田信玄の駿河侵攻からはじまり、三方ヶ原の合戦、信玄の死、高天神城の攻防、長篠の合戦、そして長篠合戦後の高天神城をめぐる武田と徳川の攻防が詳しく描いてある。また、源次郎、うのといった家康の命を狙う忍も登場する。静岡新聞連載ということで、遠近江駿河での出来事が物語の中心となっている。

 僕個人の好みで言えば、悲運の将武田勝頼が好きなので、本書のように武田勝頼のことを詳細に描いてあると嬉しい。信玄亡き後の勝頼は連戦連勝であったのだが、生まれて初めての敗戦である長篠合戦が致命的となってしまった。信玄も若い頃上田原で敗戦を経験したのだが、勝頼の場合、相手が信長だったため、合戦において戦死者一万を超えるといわれるほど完膚なきまでに叩き潰された。

 長篠合戦後の武田勝頼は、一時は意気消沈していたが、翌年には再び軍事行動を開始する。その後、毎年のように駿河遠近江に出兵するも、勝頼が来ると家康は逃げるため、軍費を浪費するだけに終わり、やがて、兵糧攻めにあっていた高天神城は落城する。遠近江の高天神城が徳川の手に渡った1年後に武田家は滅亡するのだが、本書は高天神城の落城の場面で物語は終わる。

9

生を踏んで恐れず
高橋是清の生涯

津本陽

幻冬舎
初版1998年12月20日

 2.26事件で青年将校に射殺された高橋是清大蔵大臣の生涯を津本陽が小説化した。

 この本では、何よりも日露戦争の戦費調達のための公債発行での活躍が詳しく描かれている。戦争遂行に戦費の面で尽くした是清だが、後年、大蔵大臣として軍事費削減を推進したことにより陸軍将校に射殺されることになるとは。

 高橋是清が大正・昭和の不況期に大蔵大臣としてモラトリアムやケインズ政策などの不況対策を行ったことは、この平成不況のおかげでよく知っているが、日露戦争当時の活躍までは知らなかった。

 是清が若い頃、ふとしたきっかけで芸者遊びにはまってしまったことにも好感がもてた。

  • 大正9年(1920)以降の不景気つづきで、国民のゆとりは乏しかった。当時、「俺は河原の枯れ薄」の歌詞で有名な『船頭小唄』の買え歌『貧乏小唄』が市井ではやっていた。
     
    ♪俺はいつでも金がない 同じお前も金がない (9頁)
  • 是清は徒党を組むことを嫌い、他人に興味を持たないが、他人は彼を必要とした。(332頁)

 

8

新陰流 小笠原長治

津本陽

新潮文庫

 上泉信綱にはじまる新陰流だが、上泉信綱から柳生に伝わった柳生新陰流のほかに、上泉信綱から奥山休賀斎を通じて小笠原長治に伝わった新陰流もある。この無名な新陰流の使い手を主人公にした小説。

 物語の舞台は、武田と徳川が取り合う高天神城、秀吉の小田原攻め、そして琉球へと続く。小笠原長治は「さても浮世は、うらめしや」というのが晩年の口癖になったそうだ。

7

人斬り剣奥義

津本陽

新潮文庫

 本書は、戦国時代から明治までの剣豪について、10の短編小説を集めたもの。その中で歴史に名を残しているのは中村半次郎程度で、その他の人物は、本書で初めて名を知るような人ばかりであった。

 戦国時代の剣術の構えは、実戦向きの低い姿勢だった。それが現在の剣道のように突っ立って構えるようになったのは、江戸時代になってからであり、それを始めたのは、柳生新陰流二代目柳生兵庫介だそうだ。

 この短編集の最後に収録されている「ボンベン小僧」の話は衝撃的だった。明治時代の三池炭坑の労働条件などことこまかく知ることが出来た。囚人を酷使し、看視員が殴り殺すことも頻繁にあったようだ。

  • 古来の剣客、兵法者は、死の前日まで一日も欠かさずに稽古鍛錬をつづけ、工夫をかさねてきた。(73頁)
  • (千葉周作が中西道場の白井亨を表して)中庸に人一度すれば、己れ之を百度す。人十度すれば己れ之を千度すということなり。(77頁)
  • 赤穂浪士が吉良屋敷へ討ち入りの噂が鹿児島に伝わったとき、兵児二才(へこにせ)たちは嘲笑したといわれている。「上方侍は臆病者ぞろいじゃ。なぜ主君が腹を切ればその場で討ち入り、すぐに腹を切いやらんのか」(114頁)

 

6

旋風陣信長

津本陽

講談社文庫

 津本陽が信長を描いた「下天は夢か」は日経新聞に連載されていたこともあって、ビジネスマンに多くの読者がいる。本書は、東洋経済新報社の月刊「ベンチャークラブ」に連載されていたものを一冊にまとめたものなので、ビジネスマン向けに書かれている。

 リーダーシップ、決断力、さらには引き際のようなことまで信長を例えにして解説してある。

 それにしても、津本陽は「下天は夢か」の他に、信長解説本を何冊出していることだろうか。

  • (ルイス・フロイスが信長を評して)名誉心にとみ、正義において厳格で、みずからに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった」(38頁)
  • 信長にはリーダーにとって不可欠だといわれる茫洋さ、つまり細事にこだわらない鷹揚で磊落な性格に欠ける面があったが、それを補ってあまりある勇敢さがあった。(48頁)
  • 信長は「梢をわたる猿こう」と呼ばれた。(74頁)

 

5

不況もまた良し

津本陽

幻冬舎
初版2000年11月20日

 歴史小説家の津本陽が描いた松下幸之助の生涯。津本陽も松下幸之助と同じ和歌山県出身なので、紀州人の気質などが合い通じているいるようだ。

 幼年時代の裕福から貧困への転落、丁稚奉公に旅立つときの母との別れなど、劇的に描かれている。

 松下幸之助は、父からは「男は出世せないかん」、五代音吉からは「商売は真剣勝負」、五代五兵衛からは「商人は時世に遅れたらいかん」などの薫陶を幼少から受けていた。そしてその生涯でそれらの薫陶を見事に活かした。幸之助の人生は幼少の頃の薫陶そのものではないかと思う。

 昭和24年、経営が行き詰まったとき、幸之助は労働組合に闘争資金の借用を申し入れ、組合もそれに応じた。

  • 日本人の血のなかには、乱世になると猛者のようにはやりたつ闘争心がひそんでいる。(11頁)
  • 松下幸之助は、ある企業が失敗したのは不景気であったためだなどといわれるが、よく観察してみると、経営者の考えかたが地についていなかった場合が、非常に多いという。(41頁)
  • 売る前のお世辞より売ったあとの奉仕、これこそ永久の客をつくる。(305頁)
4 龍馬残影

津本陽

文春文庫
文庫版初版
2000年12月20日

  海援隊が運航していた「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」が衝突し、いろは丸が沈没し、その賠償金を海援隊が紀州藩に払わせた、という史実は有名なのだが、今までは、海援隊の立場から書かれた本しか読んだことがなかった。本書は、紀州藩の立場から書かれたものである。また、いろは丸の船主の大洲藩の立場からも海援隊について書かれている。

 紀州藩、大洲藩から見れば、海援隊などというものは、金を奪うだけ奪ったとんでもない集団であるのだが、激動の時代にあっては、保守的な組織はただいいように利用され、食いつぶされていくだけであった。

3 歴史に学ぶ

津本陽

講談社
初版2000年12月7日

  『小説現代』1999年6月号2000年9月号まで掲載されてものをまとめたもの。16篇からなる随筆集。

 戦国時代の日本は当時世界最強の軍事国家であった。日本のような国がヨーロッパに存在していれば、瞬く間にヨーロッパを征服した事だろう。という津本陽氏の考えには賛成したい。家康が鎖国をしなければ、日本はヨーロッパのどこかの国の植民地になっていた、などという考えをもつ人がいるが、何を根拠にそのようなことを言っているのか。日本は弱いと思い込んでいるにすぎない。

■三段撃ち
 長篠の合戦の鉄砲三段撃ちは有名だが、三段撃ちに限って言えば、中国の弩を撃つ際、以前から行われていた。よって、三段撃ちそのものは信長の独創とはいえない、とのことです。

  • 家康の祖父清康も父広忠も、村正という刀で殺されたので、徳川家では村正は妖刀ということになっている。(103頁)
  • 桶狭間の合戦で義元が討ち取られたことを確認するために、家康は平岩親吉らを桶狭間に派遣した。その平岩親吉とは、作家の平岩弓枝さんや経団連の会長だった平岩外四さんの先祖。(112頁)
  • 家康のここがすごいというポイント、それは用心深いのに、大勝負の時はものすごいエネルギーを発揮する点にある。(136頁)
  • 「四十九年一酔夢 一期栄華一杯酒」という謙信の辞世の句は、46歳のあたりから毎年、数字ところを書き換えていた。(169頁)
  • 西郷隆盛の遺訓では「児孫のために美田を買わず」がよく知られている。(230頁)
2

信長と信玄

津本陽

角川文庫
文庫版初版
2001年11月25日

 1999年7月、東洋経済新報社から刊行されたものの文庫版。初出は東洋経済新報社の月刊「ベンチャークラブ」。

 信長と信玄の生涯を追った本。

1

雑賀六字の城

津本陽

文春文庫
文庫版初版
1987年7月10日

 本書は、石山合戦の際、信長が足に銃弾を受けた、という史実を基に、撃った人物を主人公とし、信長と雑賀衆の争いを小説化したもの。

 六字とは一向宗が唱えていた「南無阿弥陀仏」のこと。

 

 

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