日記2005年
2011年ラグビーワールドカップ招致、日本は1票差で落選という情報もあったが、3票差で落選だったらしい。 ---- 日本、3票差でNZに屈す=11年W杯招致、専門サイト報じる−ラグビー 【ロンドン24日時事】ラグビーの専門サイト、「ラグビーeニューズコム」は24日、2011年ワールドカップ(W杯)開催国をニュージーランドに決めた国際ラグビーボード(IRB)理事会の決選投票の内訳が、日本9票、ニュージーランド12票だったと伝えた。IRBは票数を明らかにしていない。 2011年ラグビーワールドカップ、日本招致、惜しくも落選。ニュージーランドで開催へ。 11/5(金)秩父宮での日本対スペイン戦の折もらったレッドバンドもただの思い出になってしまった。 ドラッカー死去。 一番印象に残っている言葉 ■P・ドラッカー氏が死去 「現代経営学の父」 2005年11月12日 (土) 11:56 【ニューヨーク11日共同】「現代経営学の父」と呼ばれ、変革する世界に対応する戦略を持つ必要性を説いた米経営学者ピーター・ドラッカー氏が11日、米ロサンゼルス近郊クレアモントの自宅で老衰のため死去した。95歳だった。 ■NIKKEI NET 米経営学者ピーター・ドラッカー氏が死去 「経営学の父」と呼ばれ、20世紀の産業・社会に大きな影響を与えた米経営学者ピーター・ドラッカー氏(95)が11日、米ロサンゼルス近郊のカリフォルニア州クレアモントの自宅で老衰のため死去した。同氏が教授を務めていたクレアモント大学大学院が発表した。葬儀の日程は未定。
1909年、オーストリア生まれ。新聞記者として働きながら独フランクフルト大学で博士号を取得後、ナチス・ドイツの反感を買い、英国に逃れた。37年渡米し、ニューヨーク大学教授に就任。「現代の経営」「イノベーションと起業家精神」など約30の著作を著した。71年にクレアモント大教授に就き、90歳を超えても教壇に立った。
ゼネラル・モーターズ(GM)から同社の研究を依頼され「会社という概念」(46年)に結実。ビジネスの最前線を研究する異色の学者として知られた。「従業員はコストでなく資源だ」とするモチベーション理論は半導体大手インテルなど米国のベンチャー企業のぼっ興にも大きな影響を与えた。 (10:40)
■By ALEX VEIGA, Associated Press Writer Fri Nov 11,10:47 PM ET LOS ANGELES - Peter F. Drucker, revered as the father of
modern management for his numerous books and articles stressing
innovation, entrepreneurship and strategies for dealing with a changing
world, died Friday. He was 95. ADVERTISEMENT Drucker died of natural causes at his home in Claremont, east
of Los Angeles, said Bryan Schneider, a spokesman for Claremont Graduate
University, where Drucker taught. "He is purely and simply the most important developer of
effective management and of effective public policy in the 20th century,"
former U.S. House Speaker Newt Gingrich said Friday. "In the more than 30
years that I've studied him, talked with him and learned from him, he has
been invaluable and irreplaceable." Drucker was considered a management visionary for his
recognition that dedicated employees are key to the success of any
corporation, and that marketing and innovation should come before worries
about finances. His ability to explain his principles in plain language
helped them resonate with ordinary managers, said former Intel Corp.
Chairman Andy Grove. "Consequently, simple statements from him have influenced
untold numbers of daily actions. They did mine over decades," Grove
said. Drucker championed concepts such as management by objective
and decentralization, and his motivational techniques have been used by
executives at some of the biggest companies in corporate America,
including Intel and Sears, Roebuck & Co. Business Week magazine hailed him as "the most enduring
management thinker of our time," and Forbes magazine featured him on a
1997 cover under the headline: "Still the Youngest Mind." President Bush
awarded him the Presidential Medal of Freedom in
2002. In the early 1940s, Drucker was invited to study General
Motors' inner workings, an experience that led to his 1946 management
book, "Concept of the Corporation." He went on to write more than 30 books
and start a foundation for non-profit
management. "He's very much an intellectual leader, and that's not
common," said Harvard Business School professor D. Quinn
Mills. Drucker showed a knack for identifying sea changes in
business and economics years in advance. He foresaw the emergence of a new
type of worker whose occupation would be based on knowledge, not physical
labor or management. After the big stock market decline of October 1987, Drucker
said he had expected it, "and not for economic reasons, but for aesthetic
and moral reasons." "The last two years were just too disgusting a spectacle,"
Drucker said. "Pigs gorging themselves at the trough are always a
disgusting spectacle, and you know it won't last
long." Drucker termed Wall Street brokers "a totally non-productive
crowd which is out for a lot of easy money." "When you reach the point where the traders make more money
than investors, you know it's not going to last," he
said. "The average duration of a soap bubble is known. It's about
26 seconds," Drucker said. "Then the surface tension becomes too great and
it begins to burst. "For speculative crazes, it's about 18
months." Drucker was born in Vienna, and educated there and in
England. He received a doctorate in international law while working as a
newspaper reporter in Frankfurt, Germany. He remained in Germany until
1933, when one of his essays was banned by the Nazi regime. For a time, he
worked as an economist for a bank in London, then moved to the United
States in 1937. He taught politics and philosophy at Bennington College in
Vermont and for more than 20 years was a professor of management at New
York University's graduate business school. Beginning in 1971, he taught a course for midcareer
executives at Claremont Graduate School in California, which named its
business school after him. Drucker's management books included: "The Effective
Executive," 1966; "Management: Tasks, Responsibilities, Practices," 1974;
and "Managing in a Time of Great Change," 1995. In 2004, he put out "The
Daily Drucker: 366 Days of Insight and Motivation for Getting the Right
Things Done." He also wrote scores of articles for the academic and popular
press, two novels and a 1979 autobiography, "Adventures of a Bystander."
While much of his career was spent studying employees in the
workplace, Drucker also dedicated time to the service sector, founding the
New York-based Peter F. Drucker Foundation for Nonprofit Management, known
since 2003 as the Leader to Leader Institute.
Jack Beatty, a senior editor at Atlantic Monthly magazine who
wrote the book "The World According to Peter Drucker," described the
management guru as "uproariously funny (with) a great rapport. You ask him
a question and it can go on for some time." Drucker is survived by his wife, Doris, and four children.
夏の甲子園、鳥取県大会決勝 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 米子西初出場ならず 蝶野涙の対面、武藤は絶句… 「三銃士興行」も死す 悲しみの対面、小川「バカ野郎」 13ハッスル福岡顔見せ意欲も… セリーグ開幕。 今年の順位予想 巨人 中日 ヤクルト 広島 阪神 横浜 大河ドラマで、木曽義仲が鹿狩りで山をさまよっているうちに、奥州にたどりつき、義経とばったり出逢った場面には驚いた。義経も驚いていたが、見ている僕も驚いた。原作でもこのような破天荒な場面はあるのだろうか。 パリーグ開幕 西武対オリックス インボイス西武ドームへ行ってきました。開幕投手は松阪だから、満員だろうな、と思っていましたが、空席が目立ちました。特に、バックネット裏の年間指定席はガラガラでした。これは西武の不祥事が原因で、得意先企業からの購入が減ったからでしょうか。 試合は、松阪と川越の投手戦で進み、終盤もつれて、最後は、サヨナラ内野安打で西武が勝ちました。 オリックスの応援団は、旧オリックスと旧近鉄の応援団が、一回毎、交互に音頭をとっていました。 F1マレーシアGP トヨタのトゥルーリが2位完走。オーストラリアGPを見る限りでは、全く予想できなかった。 トヨタは、F1参戦以来、信頼性のある車を作り続けてきたが、残念ながら、速さがなかった。おまけにフェラーリに対してのスパイ疑惑が持ち上がったりと、散々であった。 今年は一転して大躍進の年になりそうですね。 群馬県の花粉の飛散量も「非常に多い」になってきた。桐生市では、杉林から出る花粉を煙と間違えて、119番通報した人もいるとのこと。 F1開幕 オーストラリア メルボルン アルバート・パーク・サーキット ・佐藤琢磨 ・トヨタ ・タイヤ交換なし (株)ミルボンから株主優待商品到着 美容室専用品を扱っているミルボンの株を保有しているので、優待商品としてシャンプーその他が送られて来た。 MILBON Hair Care Gift 181系特急いそかぜ廃止の日。最後に残った国鉄色ディーゼル特急(たぶん)。 世は「あさかぜ」と「さくら」の廃止の方に注目が集まっていますが、山陰出身の僕にとっては、「いそかぜ」廃止の方が悲しい報せです。 ラグビー日本選手権決勝の日。いつもなら、秩父宮へ観戦しに行くのだが、今年は風邪のため、自宅でテレビ観戦。 レフェリーのユニフォームに「朝日新聞」の文字があるので、日本選手権の中継では、極力レフェリーのアップを映さないようにしていたNHKだが、今日は一度だけ「朝日新聞」の文字がアップで映っていた。 試合は接戦となり、最後のトヨタ自動車の攻撃をかわしたNECが、17対13で競り勝った。ワントライ5点のラグビーで4点差の攻防は、見ていて痺れますね。 --- 今日のサンデープロジェクトには、堀紘一さん出演されなかった。先週の放送で「ライブドアの株は下がる」と断言していたので、どのような顔をされて出演されるか楽しみにしていたのだが。もっとも堀さんの場合は、顔よりも髪型が注目されている。 20年振りに風邪で病院に行きました。 今年の風邪は、長引きます。それとも30歳過ぎると、治りが遅くなるのかな。 1月1日
2005年12月28日(水)
一年間お世話になりました。
2005年11月30日
特急出雲廃止検討。繁忙期以外はガラガラの状況では仕方ないですかね。寂しいですが。
2005年11月24日(木)
2005年11月24日(木) 19時0分 時事通信
同サイトによると、第1回投票(19票)ではニュージーランドが8票、日本は7票で、落選した南アフリカは4票だけ。イングランド、オーストラリア(2票ずつ)、カナダ、アジア協会に、イタリアか欧州協会のどちらかが日本に投票したという。
落選した南アフリカの2票が加わった決選投票(21票)では、南アと1回目で南アに投票したアルゼンチンとアフリカ協会の計4票がニュージーランドに流れた。対して、日本が上乗せできたのはフランスとみられる2票だけだったとしている。
[ 11月24日 19時0分 更新 ]
2005年11月18日(金)
2005年11月12日(土)
「外部の世界における真に重要な事象は、
傾向ではない。変化である。」
新訳・経営者の条件 22ページ
代表的著作「断絶の時代」では、社会の根源的な変化を警告するとともにグローバル化や知識社会の到来を指摘、世界的ベストセラーとなった。
オーストリアのウィーン生まれ。英国などで教育を受けた後、新聞記者として働きながらフランクフルト大学で国際法の博士号取得。ドイツ時代に発表した評論は当時のナチスドイツによって発禁処分となった。
ロンドンの銀行でエコノミストに就任後、1937年に米国に移住。ニューヨーク大学大学院の経営学教授、クレアモント大学大学院教授を歴任。2002年には米政府が市民に与える最も名誉ある勲章である「大統領自由勲章」を受章した。
2005年10月9日(日)
F1日本グランプリ、佐藤琢磨完走するも残念ながら記録抹消。
シケインでの接触だったが、セナ・プロ対決を彷彿とさせるものはなかった。
---
スポルトのF1コーナーも2分くらいで終わってしまった。
2005年7月24日(日)
鳥取西 1 5 0 1 0 0
0 1 0 8
米子西 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
2005年7月12日(火)
2005年7月12日(火)
13時10分 スポーツ報知
1984年4月に新日本に入門し、闘魂三銃士として橋本さんと競い合った蝶野正洋(41)=新日本=と武藤敬司(42)=全日本=は、盟友の死に衝撃を受けた。橋本さんがゼロワン、武藤が全日本と進む道は分かれたが、きずなは固かっただけに、ショックは計り知れない。
蝶野は新日本の坂口征二相談役(63)とともに、横浜市内の病院に駆けつけた。遺体が一時安置された同市内の葬祭場で対面し「心臓が悪いとは聞いていた。先週には調子が悪いと聞いていたからまさかとは思った。真っすぐな人間で、妥協をしないプロレスラー。本人は太く短く生きたいと言っていたけど」と沈痛な表情を浮かべた。
3人は、昨年9月にデビュー20周年を飾る三銃士興行を計画していたが、中止に。蝶野は4月に橋本さんに、5月の新日本・東京ドーム大会への参戦を要請するなど、常に気にかけていた。「体調が悪いと言っていた。(復帰への)意欲は持っていた。常にこの業界をデカくしようと話し合っていた。(三銃士興行は)プロレス界の起爆剤になる可能性があったので非常に残念」と惜しんだ。
武藤は、都内の全日本事務所で仕事をこなしたが、ノーコメントを貫いた。関係者は「気持ちの整理もついていないようですが、それよりも驚いていて、受け入れたくないようです」と代弁した。12日に会見し、橋本さんへの思いを語る。
2005年7月12日(火)
13時10分 スポーツ報知
橋本さんと共にハッスルを作り上げた小川直也(37)は11日夜、都内のDSE事務所で緊急会見。その後、葬祭場で橋本さんと悲しみの対面を果たした。
約3時間も橋本さんの遺体に付き添った小川は「同じ子どもを持つ身としてバカ野郎だね。子どもの事を考えると本当に涙が出てくる」と口にすると、後は言葉にならなかった。
会見では「この目で確かめない限り、信じられない。一刻も早く、事実を確かめないと言葉も出ません」と話していた。信じたくない現実だが、盟友は天国に旅立ってしまった。橋本さんと最後に直接会話をしたのは5月。復帰への意欲を持っていたという。その後、留守番電話に7月13日のハッスル福岡大会でファンの前に姿を見せたいとのメッセージがあったという。突然の報に「本人の携帯に電話して、(呼び出し音が)鳴ったんですけど…」と声を落とした。
小川は1997年4月の新日本・東京ドーム大会で橋本さんを相手にプロレスデビュー。2000年4月の対決で必殺技STO6発で撃沈し、引退させた。復帰した橋本さんとゼロワンでOH砲を結成し、固い結束を誇った。今後は橋本さんの遺志を受け継ぎ戦う。
6月29日(水)
「魁!!クロマティ高校」映画公開ダメ…クロマティ氏
講談社の週刊少年マガジンで連載中の漫画「魁(さきがけ)!!クロマティ高校」の実写版映画について、元巨人軍選手のウォーレン・クロマティ氏(51)が29日、「無断で名前を使用された」として、映画制作・配給会社「メディア・スーツ」(東京都渋谷区)に映画の公開禁止を求める仮処分を東京地裁に申請した。
申立書などによると、漫画は2000年から連載され、「悪の巣くつ」とされる「クロマティ高校」を舞台に、不良少年らが登場する。映画「魁!!クロマティ高校 THE☆MOVIE」は、7月下旬から公開される予定。
メディア・スーツの話「映画はクロマティ氏の名誉を傷つけるものではなく、誠実に対応する」
4月3日(日)
ここ2,3日花粉症が治まっていたが、再び復活した。僕はヒノキの花粉には平気な人間に違いないと思っていた矢先、見事に覆された。とすると、あと1ヶ月、苦しみ続けなければならないのか。
4月1日(金)
3月27日(日)
3月26日(土)
3月24日(木)
ライブドア対フジテレビにソフトバンクも参戦。興味深いですね、勉強になりますね。やはり、チャンスがくるのをじっと待ち続ける方が勝利を手にするんでしょうか。
3月20日(日)
3月19日(土)
この一週間は、とにかく花粉に悩まされた。まだまだ続くんだろうね。
3月13日(日)
3月6日(日)
予選では、車を壊してしまった佐藤琢磨だが、決勝では、スタートでミハエル・シューマッハをパスするという離れ業をやってくれた。しかし、その後は、あまりいいところがなく、結局14位に終わった。
トゥルーリが運良く予選2位になったが、決勝では、9位まで落ちてしまい、ポイント獲得はならなかった。今年もポイント圏外で着実に完走するトヨタ自動車らしいレーススタイルになるのだろうか。
僕がF1を見始めたときは、タイヤ交換あり、給油なしだったのが、今年から、タイヤ交換なし、給油ありに変更になった。やっぱり違和感がありますね。
3月5日(土)
DEESS'S SHAMPOO \1400
DEESSE'S TREATMENT
\2800
NIGELLE ESTQUAL SOFT \2600
NIGELLE ESTQUAL SLEEK
\2600
あわせて\9400
2月28日(月)
2月27日(日)
2月20日(日)
堀江対堀の対決がサンデープロジェクトで見られた。元ボストンコンサルティンググループ日本法人社長の堀紘一氏は、ちょいと堀江をからかってやろうくらいのつもりだったと思うが、堀江氏が真っ向から反論するものだから、衝突になってしまった。株が上がる下がるの議論で堀氏が明らかに圧されていた。堀江氏より「2月24日にリーマンから株を返してもらう」との発言があったので、株は上がるだろう。転換価格の最低値157円を目指して株は下がり続けることも現時点ではなくなりそうだ。
2月16日(水)
看護婦さん「どんな症状ですか?」
僕「咳が止まらなくて、悪寒がし、関節も痛いです」
看護婦さん「熱はありますか?」
僕「体温計持ってないので分かりません」
というやりとりをして、その後診察してもらった結果、普通の風邪だったようです。もしかして生まれて初めてインフルエンザに罹ったのではないかと思ってましたが、普通の風邪で何よりでした。
2月15日(火)
2月12日(土)
11,12,13日の三連休は、2年ぶりに引いた風邪の療養でつぶれそうです。風邪引いてなかったら、秩父宮ラグビー場へ行って「トヨタ対早稲田」を観戦したかったんですが、テレビ観戦で我慢します。レフェリーのユニフォームに「朝日新聞」の文字があるからNHKが生中継を中止して、深夜の録画放送に変えると言う話もありましたが、無事生中継に戻りましたのでラグビーファンとして一安心しました。
あけまして おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。