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1月10日(月)Todora・・・Marrakech(泊)
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Hotelで朝食を取り、宿の支払いを済ませ、部屋の荷物を担ぎ車の駐車してあるところへ、車
の駐車場には、昨年ここで会ったBerber人のハッサンがいます。彼は昨年、私たちの朝食をと っているCafeに毎朝いて、親しそうに話してきます。彼は私たちに自宅に招待そしてお茶をご 馳走しようと申し出ました。
私たちは、砂漠の帰りに彼に連絡を取り、彼との待ち合わせ場所の彼の村の広場に、彼に案
内され彼の家に、いくつもの部屋を通り、通路で出会う彼の身内に挨拶しながら、通されたの は壁にタペストリーや絨毯がかかり、床にもBerberの絨毯。そして織機が置かれてある部屋で した。
ハッサンは約束どおり、Berberのお茶を立ててくれます。
問題はこれから、彼の本業の絨毯のセールス。
Felixと確かDanielは小さめのタペストリー、私は2m50cmx1m20cmぐらいのタペストリーを2枚買
う羽目になりました。それはそれでよかったのですが、この手のセールスの仕方がこの地方で よくあるので注意。
今回もTodraの宿の前の露天商のようなBerber人の店、早起きをして散歩をしていると目と耳
のよい彼ら、私が散歩している気配を察して目が覚めたようで朝も早いのに私のために走って きて店を開け始めます。
その若者、優しそうに、そしてしつこく勧誘します。
タバコを彼に勧めると彼は吸わないそうで、しかし彼の兄は吸うとのこと。箱の中の残り少ない
タバコを2〜3本彼に差し出すと、目のよいBerber人の若者、私のタバコの残量を見て、残り少 ないから悪いからいらない、と言う。また買うから問題ないと私は答え、商品が並べてある板の 上にタバコを置きます。とても好感の持てる青年でした。
商品の値段は大抵高め、長い間かかって値引き交渉をするのがこうした店での買い物です
が、商い以外の話ではなんだかとても素朴な人たちみたい。
スペイン人達は、今後のスケジュールの打ち合わせ、車周りの点検で忙しく、ハッサンとの会
話役は私。
Daniel達は、最後には絨毯、民芸品の勧誘に変ってしまうだろうハッサンとの付き合いには付
き合えない。
彼の年は38歳(35歳だったかもしれない)、兄弟の一番末っ子なのだそうです。子供は4名。
仕事はまあまあだと言っていました。
垂直に400m立ち上がる岩の谷間にはびりついた私たちのHotelの前には小さな水のとてもき
れいな川が流れています。時々ヤギを連れたBerberの人が通ります。距離的にはかなりあり ます。カメラで撮影してみました。
見つからないだろうと思っていたら、ヤギを追いながら歩いていたBerberの女の人に見つかっ
てしまいました。
そして、彼女は近づいてきてお金を請求します。2ユーロ渡しました。もう一枚とっていいか?と
聞きもう一枚アップで。また請求されました。ともかく目のよい人たちです。うらやましい。
この旅行中、ここの人が撮りたくて仕方がないのにそんな理由で撮影はとても難しい。ズーム
レンズのついたカメラの必要性を旅行中とても感じました。
そして、Marrakechに向けて出発。
私たちのグループは、Marrakechで二手に分かれます。
Danielの車は、Marrakechの町へ。FelixとToledo組みの車はMarrakechを通り過ぎ山へ、彼ら
は4000m級の雪山登山をするのだそうです。山の麓の村まで行きそこで泊まり、そこへ車を置 き、山登りを開始、翌日中腹の山小屋に泊まり、そして4000mの山を登るのだそうです。 Guillermoは、今年の雪の多さを見て、そしてToledo組みがどうも気に入らないようで不参加。と もかくMarrakechの入り口までは一緒に行動しました。 ![]()
途中砂漠の真ん中で大渋滞、警官が道を塞いでいます。車を止めて待っている人たちは随分
長く待っているようで、車を離れ散歩をしていたり、砂漠の中で座り込んでいます。
DanielとGuillermoは情報を集めに行きます。
渋滞の原因は、モロッコの王様が通るのだそうです。
私たちが車を止めてから1時間ぐらい突然、車は動き始めます。通る道沿いにはところどころ
に警官。丘の上には必ず警官が立っています。次の町を過ぎるまでこの状態は続きます。 ![]()
この日のお食事は、持っている食料を食べました。
車の入れそうな、彼らの気に入った場所を探して。
昨日の問題:山道の雪かきのため、食料の入った1m四方の頑丈なアルミの蓋、除雪作業に
大活躍そして壊れてしまいました。
現地のガイドを乗せていたため、Miguelがその上に足を置いていました。
事件は、半分使いのミルクがすべて流出し、そしてCafeの粉もすべて箱の中に散乱。箱の底
はCafe con leche状態。昨日は昼食を取らずに走っていました。暗くなってからDanielが空腹を 訴え、何か食べることになりました。そして発見したのがCafe con lecheに浸った食べ物たち。 食パンも包装してある袋を開けてみるとパンの淵がコーヒー色になっています。食べてみると それはそれで美味しかった。
そして、この日はお昼を食べる前まずはこの箱の中の後片付け、缶詰のカン、ワインのボト
ル、そして生ハム・・・etc。
私が昨日美味しく食べていたCafe con leche味の食パンはゴミ袋の中に捨てられています。
これは美味しかったことを伝え、ゴミ袋から救出して、封を開けてみると美しくない。そしてまた
ゴミ袋の中へ。
(ちなみに昨年は、お砂糖の袋から、お砂糖が流出、箱の底は一面白いお砂糖。砂漠の旅は
過酷です。
振動のせいか、砂埃のせいか、Galicia地方の湿気のせいか、私の持ち歩いているパソコン
は、Windows 98でよく見かける、「不正な操作がどうのこうの・・・強制終了します。」のようなメッ セージがパソコンを操作していると頻繁に出るようになりました。デジタルカメラは、昨年は二 度故障、今年は一度なんとかなだめすかしながら動いていますが、Camino de Santiagoを二 度、砂漠の旅を二度経験した電気機器の寿命?かも知れません。)
この日の昼食は、ムール貝とイカの缶詰。いつものようにChorizo、ヨークハム、チーズ。そして
生ハムを焼いて食べました。パンはやはり直径25cmぐらいの平ぺったいモロッコパン。 ![]()
Marrakechの手前でFelixとToledo組みの車は直進、私たちのDanielの車は右折して昨年泊まっ
たMarrakech郊外のHotelを探します。昨年のHotelは少し改装されていて部屋にうるさい Guillermoが部屋のチェックをします。彼は二人用のダブルベットが気に入らない。一番の問題 はお湯が出ない。
そして、私たちはFelixたちとの待ち合わせ場所のこのHotelを後にしてMarrakechの町の中で
Hotel探しをすることになりました。
Marrakechの町の中で二つ目に当たったHotelがGuillermoが気に入ったよう。
かれは、「Limpio y buena pinta」(清潔で、そして装飾もよい。)
名前は確か、Hotel du Pache、彼の言う通り、ホテルに入るとレセプシオンの品の良いやさし
そうなお姉さんが出迎えてくれます。壁にはアラブ模様のタイルのモザイク。壁の上のほうはモ スクで見るような漆喰の装飾がなされていました。
Marrakech滞在中は、私は一人部屋、DanielとGuillermoがダブル。そして、モロッコ滞在中唯一
バスタブ付。
そして、タクシーで一年ぶりのアフリカで一番有名な広場、死者の広場へ夕食を食べに行きま
した。
広場の大きさはちょっと分からないが一遍2〜300mはあるかもしれない。ひょっとしてもっと
大きいかもしれない。まずは広場の奥のほうに濛々と立ち上る煙が印象的です。無数に立ち 並ぶ食事のための屋台。
そこにたどり着く前には、そこらじゅうで大道芸、芝居のようなもの、占い、蛇使い、物売りetc.
(この広場は、国際遺産そして、建築物はたいしてビックリするものではないが、ここの人達、
これは見るに値する。と昨年Guillermoが話していました。広場から聞こえてくる強力な太鼓の リズム、リードでなる笛、時々流れてくるコーランの響き、立ち込める煙、雰囲気は圧巻です。)
そして、私がこの屋台で食べた今日の夕食は、サラダにBronchette、スペイン人の好物ポテト
フライ、そして初めて頼んだクスクス。とっても観光地、最初に勝手に頼みもしないのに出てくる オリーブの実、ケチャップのようなものまで代金を請求されます。一人6〜700円ぐらいなので観 光客にはまあいいかもしれない。ちょっとここで食事をしないと日本へ帰ってから自慢できない という類のものです。
そして、タクシーを拾って帰ってきました。
クスクス:嫁さんはタジンは知らなくてもクスクスは知っていた。有名なモロッコ料理なのだろ
う。
砂粒のようなパスタに具が乗っている。私は、ここでと帰国後、名古屋で唯一のモロッコレスト
ラン、Casablancaでこの料理を注文したが、クスクスよりもタジンを注文したい。知り合いのフ ラメンコダンサーは、クスクスが大変お好きなようです。日本と現地で2度この味を調査してみ ました。
1月11日(火)Marrakech(泊)・・・ Essaouiraへ遠足。
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朝、Guillermoが起きてきてからレセプシオンの横の鏡に二人立ち記念撮影、自分自身の写真
はなかなか撮れない。そして人に撮ってもらうと、さすが絵描きさん構図が気に入らない。
この日はEssaouiraへの遠足。DanielとGuillermoでその日の予定を決めていきます。私はモロッ
コに関しては何も研究していないのですべて彼らにお任せ。ともかく町外れのCafeで朝食を取 ってからDanielの車で町を離れます。そして目的地まで軽快な平らなアスファルトの道が続きま す。 ![]()
どうして車が停車したか覚えていませんが、きっと写真を撮るためにでも停車をしたのでしょ
う。しばらくすると
子供たちがどこからともなく寄ってきます。いったいこんな砂漠の真ん中で何をしているんだろ
う?
Guillermoは、助手席で窓を開けて2L入りのコカコーラを飲んでいます。
子供は、それを飲ませてくれ。というようなジェスチャーをします。
彼は、少し飲んだら返してくれるのだろうとぐらい考え、一人の小さな子供にそのコカコーラの
ペットボトルを渡します。この小さな女の子飲みもせず後ろに隠します。そして独り占め。
Guillermoは、「きっと誰かに今度は、あのコーラを誰かに売るんだ。持って行きやがった。」と
言っています。
道端の子供たち:田舎では、子供たちは観光客の車を見かけると手を振っています。遠くにい
る子供は一目散に手を振りながらかけてきます。私たちから時々いただける小銭、チョコレー ト、キャンディーなどが目的のようです。
または、物売り、石を売っていたり、Todraでよく見たナツメヤシの実、マドローニョの実、土の
団子のようなもの(GuillermoやDanielに聞いても、それが何なのか未だに解らず、なんだろうね え?あの土団子??)、地方地方で売っているものが多少異なります。 ![]()
大西洋の港町、Essanouiraが遠くに白く見えてくるころ、Guillermoからの説明を受けました。
この町に以前、ジミ ヘンドリックスが住んでいた。そしてキャット スチーブンスも住んでいたの
だそうです。
まずは、町の探検、駐車場に車を止め、漁船の留まっている港の探索、人々が魚の商いをし
ています。なんだろうねえこの魚、地面に並べられた50cmほどの長い魚。嫁さんは画像を見 てウツボではないかと言っていました。 ![]()
港を見学した後、門をくぐって町の中へ入って行きます。まずは銀行を探しますちょっと現金が
不足しています。オープン時間を確認してから、町を一回り。お土産屋さんは、もう見慣れたモ ロッコ製品、この町で多く見られるのは木製製品。箱に木の象眼細工、木製おわん、スプーン etc。
空は快晴、町の壁の白色とよく合います。
そして、この町のメインストリート。15mほどの広さの道の左右にはアーチで出来た入り口が広
がり肉屋、果物屋なんでもあります。
町を一周した後、広場のレストランでお食事、この日はコースメニュー。
私は、スープそして鶏肉のTagin。
そして銀行へ、そして問題、オープン時間を確認した銀行は開店時間を待ってもオープンせ
ず。別の銀行へ中から出てきた人が今日はモロッコ中が休日で午後は銀行はお休みというこ とを教えてくれます。
私の残金は、300ディルハムぐらい。
食事の後は、お買い物、Danielがお店で交渉をしている間にGuillermoが行方不明。Danielを道
角に残し私が彼を探しに行きます。店を一軒ずつ覗いていきます。結局見つからず、Danielと どうしよう?
しばらくすると、困り者のGuillermo君、涼しい顔で現れ、彼が隠れていた象眼細工の店まで一
緒に行きます。 ![]()
GuillermoとDanielは、たいそう気に入ってしまいます。値段の交渉を始めます。結局は折り合
いがつかず頭を冷やすためにいったん店を出、他の店を回りますが結局は決心したようで、も う一度店に戻り、Guillermoは、大きな象眼細工の箱Danielは小さめのものとカギ付きの開け方 の複雑な小箱(私もこの小箱をひとつ、嫁さんも少し試してみましたが開けれませんでした)を 二つを購入してしまいました。
問題は支払い。DanielとGuillermoは持っている現金をすべて使い果たしてしまいましたが、彼
らはとても満足そう。 ![]()
私は、もう帰るのだと思っていたら、今から浜辺で泳ぐんだと言い出します。
「冬だし、寒いし、もうすぐ暗くなるし・・・」と言うのですが、Guillermoは、私のために海水パンツ
を二つ持ってきたのだそうです。
結局は、砂浜まで行くと彼らも寒いようで水泳は断念。
海辺の日没を鑑賞してからMarrakechに戻ってきました。
1月12日(水)Marrakech(泊)・・・Oukaimedenへ遠足
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誰よりも早く起きる柴田氏、ホテルのBARでCafe con lecheを頼みサロンで朝飯前のCafe
Time。
そして、サロンの記録撮影。
最初に降りてきたのはGuillermo、つづいてDaniel、昨日使い果たしたディルハムを回復するた
めに朝一番で銀行へ向かいます。ホテルのレセプシオンの娘さんに教えてもらった大通りの銀 行は長い列、GuillermoとDanielはその列を見て、他をあたりたがっている。私は、彼らに「私が 列に並び換金するから、君たちは近くのCafeで朝飯でも食べて待っていろ。」Guillermoから、 彼の換金予定の100ユーロをもらい、列に並びます。
私の200ユーロと合わせて300ユーロ換金後、彼らの待っているCafeへ、そしてGuillermoに彼
の分、1090ディルハム渡し、昨日のそれぞれの貸し借りの清算をします。
Hotelの近くのパン屋さんでアラブのお菓子を1kg買い車に乗って今日の目的地の3000m級
の山へ向かいます。
アラブのお菓子:甘い。お店でDanielがこれは美味しいというので彼が店の店員にフランス語
で頼んでいます。
私は、「queremos comprar poquito a poquito(私たちは少しずついろいろ買いたい)」とDanielの
後ろから、店員に言います。Danielのフランス語より、直接的で、彼のこの国の公用語のフラン ス語より店員によく通じたように思いました。店員たちは、笑顔で私に、「poquito a poquito(少 しずつ)」と復唱しながら、アラブのお菓子の並ぶショーウィンドウから箱にお菓子をひとつずつ 詰めてゆきます。
ひとつ10g〜20gぐらいのものだろうか?小麦粉の皮に包まれた中にモロッコ風のアンコ(小
豆ではない。)、ゴマの乗っている丸いお菓子、ホワイトチョコレートのような味がするもの。10 6kgのDaniel君、彼に頼ませるといつも量が多い。そして1kgのお菓子の代金は、100ディル ハム(1400円ぐらい)。彼は、店から出てから、その値段に不満な様子。私は昨日、他の店で 彼らのためにいろいろなパンを買いました。そのときにもこんなようなお菓子が紙のお皿にき れいに並べられて売っていました。私たちが今回買ったお菓子の半分ぐらいの量で100ディル ハムの金額が付いていました。彼にそのことを説明するのですが?頑固なDanielはなんだか 不服そうでした。
そして、今日の山への遠足での車の中で、3人で食べました。問題は、ホワイトチョコレートのよ
うな味のするお菓子意外はなんだか皆同じような味です。小麦粉にお砂糖がたっぷり混ぜられ た味がします。そして何かアラブ風の隠し味、お菓子の表面には飴のようなものが塗られ、とも かくベタベタしています。
売られているパンは、スペインで食べるものとさほど変りません。そして味もいたって美味し
い。
バケット、私達が旅行中常食していた25cmぐらいの直径の平ぺったいパン。そして、クロワッ
サンなどの菓子パン。 ![]()
私たちのほかの仲間は、今頃苦労して徒歩で雪山登山、私たちは、今日は、3300mぐらい
の雪山。山の麓まで車で行くことができ、そしてそこはスキー場になっていて山の頂上までリフ トで運んでくれます。
DanielとGuillermoは、他の仲間が苦労して雪山登山をしているのに、私たちが楽をして3000
m級の雪山の頂上へ登るのが非常に愉快なようでした。
本日の山の名前、Djebel Oukaimeden、3257m
問題、生まれた初めてリフトというものに載ってみました。なんだか恐ろしいですなあ。そしてこ
のリフト普通のスキーのリフトよりも随分距離が長いそうです。リフトに乗りながら山の記念撮 影をしていたまではとてもよかったのですが、頂上に下りて四方の山をカメラで取ろうと思った ら、カメラのレンズカバーの不調のため、カメラの撮影はできず。山頂でいろいろ試しましたが 復帰せず。そして頂上にも物売りの子供たちが、そして私に何か売りつけようとします。さすが に私のご機嫌はななめ、「Dejame paz!(私に平和を/ほっといてくれ!)」
Danielは、昨年も私のカメラが故障したのを覚えています。
私のカメラとパソコンは、昨年と今年で、随分過酷な旅行をしました。2年間で1800km近くの
Camino de Santiago、雨と寒さ、そして2度の砂漠の旅、仕方がないかな??
そして、またリフトに乗り下山。山の民の私たちへの商品は石の首飾り。そして山道での子供
たちの商品は、マドローニョの実。手作りの草で出来たかごの中にイチゴぐらいの赤いマドロー ニョの実が入っているものを道端で売っています。マドローニョの木と熊さんがマドリッドの象 徴。
マドローニョの名前は、そんなわけでよく知っているのですが実を見るのは生まれて初めて、
DanielとGuillermoにはさして珍しくないもののようで、食べ過ぎるとおなかを壊すんだというコメ ントだけが返ってきます。
またの機会に木の実を一度食べてみようと思います。見た目は、イチゴのような味のしそうな
感じのものですが実際は??
山を下り、Marrakechへ向かう帰り道の道端の店で昼食。
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この日の昼食は、彼らの大好きな1000の蝿の店。レストランとはイメージ的に語弊がありま
す。
Danielは、街道沿いで肉の焼けるモウモウと立ち上がる煙を見るととても食欲が出てくるようで
す。そしてその店の前に車を止め、彼は、店に垂れ下がっている肉の中から食べたいところを 選びます。
議論好きなGuillermoは、Danielにこういう時は、何も言いません。
一言、「お前の好きなように頼め!」と言い残しと言い、トイレを探しに店の中へ。
Danielの好きなように注文させ、料理はしばらくするとテーブルの上に、大きなお皿の小さくトマ
トと玉ねぎの切られたサラダ。そして、炭火で焼かれた山盛りの肉。
Guillermoは、「Daniel、この量の半分で私たち3人前だ!」と呆れています。
結局、残すことなくすべて3人で平らげました。
Busca mil moscas!(1000の蝿を探せ!)
スペイン人たちは、この言葉が好きです。店の軒先に肉に一番蝿のたかっている肉が一番美
味しい。蝿はよく知っている。と彼らは私に教えてくれます。
「ウジが涌いていたらどうするんだ?」と聞き返すと、
「よく焼けば、それも美味しい。」
「????????。」
料金は、肉屋は肉屋で清算。そして、料理は料理で払います。
または、肉の代金と料理料を一緒にウェイターに払う場合もあります。
この日の夜8:00に雪山組みのFelixから連絡が入るようになっています。
問題は、彼らとの待ち合わせ場所のHotelに私たちは泊まっていません。DanielがFelixに電話
をかけるのですが不通、伝言を留守番電話に残します。連絡が付かないのにDanielは心配し ています。そして、彼らは他のメンバーの電話番号を知らない。
私はDavidとJavierの名刺を彼らからいただいているのを思い出しました。Danielにその名刺を
渡し、彼はまた電話をしますがつながりません。ともかく、私たちが滞在している場所をFelixの 留守番電話に入れます。
Hotelの部屋で待っていても仕方がないので、「Cafeをご馳走するから、町に出よう!」と彼らを
誘い、Marrakechの大通り沿いの道沿い席へ。
注:スペインでは、冬以外は、店の外の通りに机と椅子が並べられ、そこで飲み物を飲んだり
食事をします。
彼は、そこに座ってボーとしていたり、お話をするのがたいそう好きなようです。
値段としては、Barのカウンターで飲むCafeが一番安く、そして店の中の席、一番高いのがお
外の席。
観光地、もしくはその町の一等地ではこの3段階の価格設定が存在します。
しかし、そうではない場所、たとえば私がMadridでいつも朝食を取るVilla Verinという店ではカ
ウンターでトーストとCafeの朝食を取っても、テーブル席に腰掛けて同じものを食べても料金は 同じ。そして大体このVilla Verinには、通りには椅子と机が並べれない。街中の普通のCafeで は、この3段階料金は、設定されていないのが普通のようですが請求されても文句は言えない でしょう。
そして、私たちが座った立派なCafeの道沿いの席、モロッコと言えども冬は冬、寒い。どうして
こんなに寒いのにお外でCafeを飲まなければいけないのだろうと不思議に思います。ちなみに 料金は、3人分33ディルハム(400円ぐらい)でした。どうせご馳走するのなら、暖かいところで Cafeを飲みたかった。
でも、8時をしばらく過ぎて、Felixから電話がありました。
予定よりも遅れているとのこと。ようやく、山の中腹の山小屋まで今戻り、とても皆疲れている
のでここで泊まり、今日の予定していたMarrakechでの宿泊は不可能であるとの電話内容でし た。
何人かが、高山病で随分大変だったそうです。彼に、留守番電話に入れたメッセージに
Marrakechの宿の情報が入っていることを伝え、私たちは、予定通り明日移動、14日の日に来 る時に泊まったTetuanのHotel Parisが次の合流地点ということになりました。
ひとまず、他の仲間とも連絡が取れ、DanielとGuillermoはちょっと安心。私たちは、タクシーに
乗り、今年最後の死者の広場へ夕食を探しに行きます。屋台ではなく、昨年食事をした広場の 隅の店を探しそこで夕食。きちんとしたテーブル席のレストラン、そして広場の屋台より、食事 が立派で料金がしかも屋台よりも安い。
屋台は、雰囲気と観光気分、ここは、実践的。そして美味しい。
広場に入り、煙立つ屋台の群れを正面に向かって右側へ歩きます。その広場の奥に隣同士に
2件レストランがあります。過度の右側のレストラン。
そして、タクシーで宿に戻ったのはいつものように深夜の12時近く。
TAXI:夜8時になると、夜料金なのだそうです?Hotelから、死者の広場までこの町に滞在中、
2度往復、計4回タクシーを使用しました。
最初は、ホテル前から乗るときにDanielが料金を聞きます。20ディルハム。
帰りは、15ディルハム。この日の料金は、行きは確か10ディルハム。帰りは、タクシーの運転
手は、30ディルハムを要求してきます。Danielは、とても憤慨し、私に10ディルハム運転手に 払うように言います。
そして、運転手に10ディルハムだけ払い、Danielは運転手に罵声を浴びせながらホテルに戻
りました。
街中のタクシーは小さな車です。私はちょっと車の種類に疎いのですが。カローラ程度の大き
さ。(私の言うカローラはカローラ発売当初の物、35年ぐらい前のカローラ、最近のカローラは 大きい。パブリカという車がありましたが?思い当たりました日産のマーチ、トヨタのコルサ)、 そして、メルセデス。町の中以外はこの随分昔の形のメルセデスベンツ。Guillermoの話で は、30年ぐらい前の車ではないか?モロッコでも使われなくなるとモーリタニアへその車は売 られる。と彼が言っていますが現実はわかりません。
お部屋に戻り、カメラの修復、螺子を取り、ゆっくりカメラを開けてみようとするがなかなかうまく
ゆかない。
4〜5回、螺子を開けたり、締めたり???? カメラに振動を与えたり。この日は回復不可。
カメラはレンズカバーは、開いたまま、レンズカバーは何処へ。
1月13日(木)Marrakech・・・El Jadida・・・Tanger(泊)
朝、目が覚め、何の気なしに、カメラのレンズカバーが出てくる方向へカメラを私の太ももの上
に落とします。(かなり強く。)何度かそのショックをカメラに与えると少しカバーが出てきました。 そしてまた同じ状態に。
そして、この動作を繰り返しついにカメラは復帰。
富士フィルム、finepixcel 450レンズカバーが閉まらなく開いた状態で撮影不能になってしまったら、カメラを逆さにし
て太ももの上にかなり強く叩きつけてみてください。私は、この方法で治しました。私のカメラは幸運にも直りましたが 電気系統など他のところが衝撃で壊れても私のせいにしないでください。寒さで結露した水がカメラの中に止まって 誤作動をするようになったら、電池の蓋を開けそして白熱灯でカメラを暖めて中の水蒸気を飛ばします。これで昨年は カメラを直しました。
朝、宿の清算を済ませ、私たちはMarrakechの町を後にします。
DanielとGuillermoは私にFondoの残高を聞いてきます。そして、彼らの持ち金の残高とあわせ
この旅行に後いくら必要か算段しています。
彼らの金銭感覚:
彼らの目論見では、自分たちの残金ですべてまかなえると思っているようです。そしていつもそ
の目論見は外れます。Marrakechの宿の清算をした時点で彼らの財布のディルハムは底をつ いてしまいました。
そして、私に「お前はいくら残っている??」(足りなくなったらひとまず私から借り、後で清算す
る目論見のようです。私は、帰りに何か買い物をしようと200ユーロ昨日換金し懐は彼らより かなり暖かい)
そして、私が日本を出る前から彼らは何度も集まり、この旅行の話し合いをしてきたはずなの
ですが、結局はほとんど前日の夜、次の日の行動を決めていました。
そして、今日の最初の目的地ひとまず大西洋側の町、有名なCasablancaの南に位置するEl
Jadidaに向けて出発。
El Jadidaの町は、Marrakechからさほど遠くなく、道もアスファルトの快適なものでした。
午前中にはこの町に到着。
El Jadida:この町はスペイン領のCeutaのようにもともとはポルトガルの支配下にあったようで
す。
旧市街は、長崎の出島のように、当時は海に囲まれていたそうです。今は水のないお堀のよう
になっています。そして、町は堅牢な城壁に囲まれています。城壁のアーチをくぐると壁にRua do Arco(アーチの道)と通りの名前が壁に刻まれています。ポルトガル支配の名残が道の名 前に残っています。
そして、アラブ人がこの地を奪回するときポルトガル人は城壁、家々いたるところに爆薬を仕
掛け、彼らが入城してくると同時に町を爆破して本国へ帰って行ったのだそうです。
Guillermoの話では、その時の死者は7000名を超えていたといっていました。
(Guillermoは、7000名という数字が好きなようで、時々この数字を使います。歴史には精通し
ているGuillermo先生なのでどこかの資料の数字かも知れませんが、正確なところは不明で す。) ![]()
ここで唯一訪れた名所が当時の水の貯水池。地下に作られたこの貯水池はたくさんの柱で支
えられ、中央に丸い天窓があり、そこから差し込む太陽光が中央部分に残る水溜りに反射し てとても美しい。ガイドは壁に付いた水跡を示しもともとはここまで水があったと解説していま す。
以前の水位は私の背丈ぐらいだろうか?(私の身長174cm)
町を一周して、城壁に上り、大西洋を眺め、お茶を飲みながら次の算段。銀行は昼休みだし、
昼食の時間には早いし(スペイン人は国外でも彼らの昼食時間を厳守します。午後2〜4時の 間に適当なところで昼食をとります。)
そして、ともかく出発。
海沿いの快適な道を北上して行きます。左手には空がとっても青い大西洋と広がる海、そして
ナツメヤシ。
昼食は、この日も"Mil Moscas"、Danielは、反対車線側の肉を焼いたもうもうと立ちこめる煙を
発見、車は緊急停車。そして、Danielがお肉の吟味、肉を選びそして私たちはテーブルで待ち ます。 ![]()
昼食の後、車はまた北上して行きます。有料の高速度道路を通り、いくつもの料金所で少しず
つ料金を払い、Tangerへ。車の中でGuillermoが旅行の日程の変更を申し出ます。
Felixとの約束は、14日Tetuanの宿での待ち合わせ。
Guillermoの提案:14日、Ceutaから最後のFerry夜9:30発に乗り、スペインに渡りMalagaに
その日泊まり、翌朝一気にCuencaに戻る。彼の予定ではCuencaには夕方到着。
Danielは、Felix達との約束もあるので随分考えていました。
そうこうしているうちに、この日泊まる予定の町へのインターチェンジを通り過ごしてしまいまし
た。(私は彼らが??という町に泊まろうと言っていたのは覚えていますが忘れてしまいまし た。そして変更先はTanger)
そして、Felix達に変更の電話連絡を入れます。
Tangerの町に入る手前に巨大スーパーマーケットを見つけ、そこで買い物、私はアラブの紅
茶、そしてモロッコのタバコ。Danielは、アラブ風の紅茶のポット。Danielは、モロッコの街中の お土産屋の価格体系にとても不満なようです。店の小品には正札がないのが普通でそして長 い価格交渉。彼は、正札付きの店が大好きです。
Tangerの町に随分遅く到着、宿探し私たちのモロッコ最後の宿は、海岸沿いのMedinaにすぐ
の場所に位置するHotel Valencia。遅い夕食をHotelの前のRestaurantでとってから寝ました。
1月14日(金)Tanger・・・Malaga(泊)
モロッコ最後の日、朝一番で宿の清算、彼らのお金を立て替えているので私のお金だけで支
払い不可。(彼らはとうにディルハム破産)朝食を海岸沿いのCafeで取ってから銀行を探すの ですが見つからず結局泊まったホテルで彼らはユーロをディルハムに変えてもらい支払いを済 ませます。そして、車はHotelのガレージに預けたままTangerのMedina見物。
Tager: スペイン領のCeuta同様、以前はこの町もスペイン領。Medinaの周辺には18世紀?
ぐらいの立派なスペイン様式の建物が建っている。Guillermoは、まだこの町が今でもスペイン 領ならもっときれいな状態だろう。と残念がっていました。旅行の当初、CeutaかこのTangerか どちらへFerryで車を運ぶか彼らは迷っていました。
そして、Guillermoからのコメント:この町はスリが多いことで有名。体に何かが触れたり、誰か
がぶつかってきたりしたときは財布に気を付ける事。 ![]()
Medinaの中を徘徊して偶然見つけたタイル工房。以前常滑のタイルの美術館へ行ったときに
Fesのモザイクタイル工房の映像を見ました。そこでは、素焼き程度に焼かれた色タイルをさま ざまな形に職人が金槌で切り出して生きます。そしてそれぞれの形に切り出されたタイルを下 絵の上に並べて貼り付けて行きます。
私が訪れたこの一人で仕事をしている工房ではFesのように作業をしているかは分かりませ
ん、気のいい職人は私の撮影を気持ちよく受け入れてくれました。そして彼は青いダイルを金 槌で切断しているところでした。
(注:興味のある方は、常滑市のタイル美術館へ足を運ばれること。)
![]()
この町のPalacio(宮殿)見学を見学しました。中は美術館になっていて、アラビア模様の木製
製品、陶器などが展示されていました。
Medina見学の後、コカコーラ休憩を昨夜食事をとったレストランで取り、Hotelから車を出し、ス
ペイン国境へ出発。車に乗り、Guillermoは私の席の前にしまってあるモロッコの資料を請求し ます。
彼にそれを渡し、彼はパラパラそれをめくり、「Hostia!!!(畜生!!)」
Guillermoが思っていたスペインへの最終便のFerry今日はないそうです。最後の便はスペイン
時間午後6:30。
私たちの車は、問題なくこの便に乗ることができるのですが、問題はFelix達のMarrakechから
の車。
GuillermoとDanielは、二人で時間の計算をしています。休憩、食事を取らずにMarrakechから
私たちが通ってきた高速度道路を飛ばしてくれば、ぎりぎりだが可能と判断したようです。
そして、彼らに予定の変更の電話連絡。
私たちの車は問題なくTetuanにたどり着き、その町を左手に見ながら、最初にあった巨大スー
パーマーケットでまた買い物、私は、先日購入した紅茶をまた随分買い込みました。ラクダの 絵の付いたアラブ文字の書かれたCaravanという紅茶。買い物の後、次に見つけたレストラン でMil Moscaの食事をしながらFelix達の車の到着を待ちます。
彼らとの電話では45分ぐらいで私たちの待つレストランに到着する予定です。
Guillermo達の計算では、午後4:00がここを出る最終リミット。
FelixとToledo組みの車からの電話連絡では20分ぐらいでここへ到着予定なのですが、彼らの
到着は4時を随分過ぎていました。手短に挨拶をして、車はモロッコ国境へ向かいます。
誰かが、「Virgenが微笑んでくれるかも?」(Virgen:バージン/マリア様の事、マリア様が助けて
くれる?)
モロッコの国境:これはなかなかの難物です。簡単には通してくれない。
国境で係りの指示通り車を止め、小さな紙に名前、住所、国籍など記載事項を埋める。それを
それぞれのパスポートに挟み、代表が窓口までもって行きます。そして彼が車まで戻ってきた ら車に乗ってその窓口まで窓口で係りの者が一人ずつ名前を読み上げ私たちに帰してくれま す。そこを過ぎると今度は車の検査、運転手は緑(青だったかなあ?)の紙となんだかいろい ろ持ってどこかの窓口へ。別の係員は私たちの荷物を調べます。
どこかで何かを彼らに渡さないとうまくいきません。お金だったり、アルコールだったり、一本の
タバコだったり。
国境通過は、スペイン人たちはいつも神経質。
そして、スペイン側の検問、係員は窓越しに「スペイン人か?」、Danielは、「そうだ!Cuenca人
だ!後ろのはCuenca人の日本人だ!」それだけでOK。そして3台の車は、Ferry乗り場へ直 行します。
私たちのFerryはやっぱり出航してしまっていました。
入り口で聞いてみると、30分ぐらいすると別のFerryが出るそうです。
これは別の会社のFerryで会社同士の約束で乗り損ねた場合、別の会社のFerryのチケットで
も差額なしで乗れるようです。(マリア様は、微笑んでくれました。)
そして、乗船待ちようのプールに車を止め、Cafe休憩。Fondoに残っていた300ディルハムを
店の人がユーロに変えてくれました。しめて25ユーロ。
スペイン人達は、スペイン領に無事たどり着けた事と、Ferryに今日乗れること、それぞれのグ
ループでの旅のことを話しながら楽しそう。
車をFerryに載せ、私たちはGibrartar海峡を渡り、スペイン本国へ、そして来た道をMalagaに
向けて戻って行きます。私たちのこの日の宿泊先はMalagaの町の手前のPalomaというHotel。
ここで問題、Toledo組みがMalagaで宿泊したいと言い出します。
Cuenca組みは、Malagaでは車の荷物が心配であり、この意見に100%否定的。Danielは車に
乗り、「俺はCuencaに今から戻る。」と言い出します。Hotelの人もこの揉め事に心配していま す。
結局、このHotelに泊まることになりました。
1月15日(土)Malaga・・・Cuenca(泊)
朝食をHotelのCafeteriaで取り、清算をしてから、Cuencaへ向けて出発。
先頭はFelix、その次にToledo組み、最後が私の乗ったDanielの車。途中で給油をして帰路に
つきます。
私たちは、一番最後を走っていたのですが、Danielがどんなに飛ばしても前の車に追いつけな
い。随分たってからFelixとToledo組みから電話が入り、道を間違えたそうです。そして、それぞ れが別々。
私たちは、昨年遅い昼食をしたレストランまで行き、彼らに私たちの居場所を教え、彼らの到
着をビールを飲みながら待ちます。おなかの空いて待ちきれないGuillermoの提案で、先に食 事を注文することになりました。
そして、食事をし始めたころFelixの車が到着。しばらくしてToledo組み、Toledo組みは私たちと
食事をせずに別れの挨拶をして帰って行きました。
Felixは、今年Taginを料理するための大きな土鍋を購入し喜んでいました。そして料理のため
のスパイスも。
Cuencaに入る手前で最後の給油とFondoの清算。そして、彼らの町へ。
![]()
スペインの景色は、モロッコと同じだ!とDanielとGuillermoに言うと彼らは猛反発する。
特にラマンチャの風景は似ている。これにはもっと猛反発が帰ってくる。
帰りの道中、この話題を彼らとしていました。
有名な言葉で、ナポレオンだったかなあ?彼らに「ピレネーを越えるとアフリカだ!」この言葉
を知っているだろう??
今日の私の宿は、今年始めたFelixの民宿。彼は息子が二人いるそうです。それは人間ではな
く90kgの犬。そしてもう少しだけ軽い(一緒ぐらいの大きさのメス)ワンワン。そして無数の猫。
Cuencaに着くと、Guillermoの家で荷物を降ろし、私は日本の嫁さんに彼のパソコンから、まだ
生きているメールを打ちました。Felixが、Javierを家まで送り、そして私を迎えに来たことを Guillermoが知らせに来てくれました。
そして、彼の家に、彼の民宿はCuenca中心から7〜8km。広い庭があり、両親の家を彼と父
親とですべて改装して宿泊施設にしたのだそうです。1階は広いサロンに台所。2階が6室の 寝室、12人泊まれるそうです。
問題:水が出ない。彼がいろいろやっていました。Cuencaの町に住む父親に電話をして尋ね
てみると3日前から水が出なくなったそうです。彼の家の水は井戸を使っています。ここ何日か の冷え込みでどうも凍ってしまったようです。シャワーは隣接する彼の家で浴びることになり、ト イレの水は彼が玄関先までバケツを運んでくれることになりました。
荷物の整理をして、彼の家に案内されます。???とても面白い家です。友達3人で20年ぐら
い前に自分たちで立てたそうです。音楽家と絵描き、そしてFelix。音楽家は結婚して出て行き、 そして絵描きとは、ちょっと問題があったそうです。お金を無心したり・・・結局、彼は嫁さんの Aliciaがここへ来るまで十数年一人で住んでいたそうです。彼女が来るまでは台所もシャワー 室トイレもこの家にはなかったのだそうです。
夕食は、Aliciaが帰るのを待ち、一緒にこのFelixの家でご馳走になりました。
彼女は、体育の先生。そして中距離ランナー。Felixの家に飾られている無数のトロフィーは、
彼女の物なのだそうです。そして、今、この小屋の裏に石の家を彼の手で増築中。
Felixの話では、Guillermoの奥さんのCristinaは強力な性格だ。との事。Aliciaは、それよりも随
分温和だとも言っていました。私の受ける印象の一緒です。
そして、Felixは、付け加え、Guillermoは、Cristinaに遅くとも13日にはCuencaに戻ってくると言
い残して旅行に出かけたのだそうです。そして、この日、Cristinaは、とても怒っていたそうで す。
私は、会っていませんので知りませんが。
1月16日(日)Cuenca・・・Madrid(泊)
Madridに帰る日です。前日Jose Mariaに電話をするとバスのターミナルに迎えに来てくれる段
取りになっています。 ![]()
Aliciaは、Campo de Criptanaで開かれる陸上の大会に参加するために車で出かけて行きまし
た。別れ際に次は嫁さんを連れてくるようにというメッセージを残して。
私は、彼女の入れてくれたCafeを飲み机の上に準備された朝食を取ります。
庭を散歩して、ワンワンに挨拶をして時間をすごしていると、Felixの両親が到着、モロッコから
のFelix電話で中国人を泊めるというように父親は理解していました。
彼は、モロッコで中国人と知り合い、Cuencaまで連れて来たと理解していたようです。そして、
彼は、民宿の出なくなった水道の解決策について私に話しかけます。そして、家の仕事を始め ます。犬と猫たちの食事、そして鶏。
鶏小屋の雛から育てている20羽ぐらいの鶏は、まだオスメスが分からず、雌雄が判明した時
点でオスはつぶして食料にするそうです。今このニワトリたちは最後の審判を待っています。 ![]()
そして、Guillermoの登場、彼は自分の建設中の自宅を見るために、そして私の忘れ物を届け
に寄ってくれました。
Cristinaのことを聞くと彼女は車の中に娘と待っているとの事です。
彼は、車に戻りCristina を呼びに行きます。
彼女は大変上機嫌にスキップをしながら近づいて来ます。
「昨日は随分起こっていたそうだねえ?今日は??まだ怒っている???」
彼女は、「今日は、ご機嫌は随分直ったの。だって昨日は・・・・」
ともかく上機嫌の彼女に会えて良かった。昨夜は、Guillermoの家で出てこなかったし、事情も
知らなかったし、私たちも忙しかったし・・・・・
ひとまず、見た感じ彼女上機嫌。
Felixは、12時過ぎにお目覚め、私に「今日はお米を食べよう。」と彼が昼食の準備をしてくれま
す。
Tres Delicias:三つのおいしさ。スペインで中華レストランへ入ると必ずこのメニューがありま
す。
物はピラフ。インスタントのものが最近はあるようでフライパンでFelixがいためてくれました。
午後2時出発のバスターミナルにFelixに送ってもらいましたが、ターミナルに着いたのは出発5
分前。ともかくMadridまで戻ってきました。Madrid到着午後4:30。
バス停には約束どおりJose Mariaが迎えに来ていました。彼は自分の家に泊まるように勧める
のですが、Solの宿も電話が入れてあり、ひとまずSolの宿に荷物だけ運ぶことにしました。
荷物を運んだ後、Jose Mariaの車でConchaの実家へ???しかし、彼の悪い癖の寄り道、彼
は電話をかけ始め友人とCafeを飲む約束を取り付けます。Madridの北の自分の自宅の近くで 昨年一度会ったことのあるモロッコ人を車に乗せます。そして彼の自宅前のBarで一緒に Coffee break。私はCafeですが彼らはchupita。
Chupita:Chupar/すする。きっとこの動詞がこの単語の語源だと思います。
Barでこれを頼むと、小さなガラスのコップが出てきます。たいていはこのガラスのコップに40度
以上のアルコールを注いでもらい飲みます。今回は、ハーブの入ったaguardiente(葡萄を蒸留 した強い酒、直訳:燃える水)。
そこにいた、Jose Mariaの隣人、Angelも加わります。彼らは結局、一人4〜5杯この酒を飲ん
でいました。
Angel:彼のしゃべり方は特徴があります。これはアンダルシア人のしゃべり方です。聞いてみる
とMalaga出身。パソコンのメモリーのチップの会社に勤務。Jose Mariaの悪癖(博打)をズーと 諭していました。
Conchaとの約束もあるので、Barを後にします。彼女の実家へ彼女と娘のAngelaを迎えに行
き、そして彼らの家に。エレベーターの中でConchaの顔色が悪い。
後で、Jose Mariaに聞いてみると、彼が飲んだChupitaのせいかなあ?と言っていました。4杯
ぐらいしか飲んでいないけどアルコールの匂いがしたのだろうか?と言うコメント付き。
この日は、Solに帰ることができず、夕食にエビをご馳走になって彼の家で寝ました。
1月17日(月)Madrid(泊)
朝、8時半にConchaの仕事は始まります。
彼女が起きてきます。私も彼女と一緒に家を出ようと重い準備をします。
彼女は私の横に座り、
「どうしたの?」
Concha、「1時間時間を間違えたの。」
なんだか疲れた顔の彼女に時間まで寝るようにアドヴァイスをし、私が目覚まし時計役。
そして、隣で目を閉じている彼女を起こし、一緒に地下鉄に乗って私はSolの宿へ、彼女は職
場の病院へ。
久しぶりに、Villa VerinでいつものCafe con lecheとバターとマーマレードのいっぱい塗ったトー
スト定食を食べ、アメリカンエクスプレスのオフィースへ残りの500ユーロのトラベラーチェックを 換金に行きました。それから、Solの宿に戻り、宿のセニョーラに朝の挨拶と部屋番号を聞きま す。前日は荷物を部屋に放り込み鍵をもらいそそくさと出てきてしまいました。問題は何号室だ っけ?部屋の掃除は外で泊まったので必要がないことを告げ私の部屋に。最初にシャワー。 そして、Caminoへ出発してから見ていない航空券をトランクの中から探し出します。
1月18日?????帰国の日を一日間違えていました。私は19日の飛行機だと思い込
んでいましたが、この日は日本到着日。
ともかく、忙しい日になりました。
宿のセニョーラにそのことを告げ、そしてJavier、Jose Mariaその他帰国前に会わなければい
けない友達にメールを送り、別送品の荷造り。2ヶ月間持ち歩いたリュックサックに何でも詰め てゆきます。何でもかんでも・・・
そして、Cibeles広場の中央郵便局の裏にあるエニェの門から、階下へ降り例年通り船便でリュ
ックごと日本へ郵送。
そして、お買い物。
一番最初のお買い物:中古CD屋さん。10枚ほど購入。
二番目:El Corte Ingles(スペインで一番大きなデパートチェーン)でDVDを購入。
購入したDVD:千と千尋の神隠し、Animematrix、クレヨンしんちゃん、Estopa(バルセロナのア
ンダルシア若者風のバンド)
二番目:El Corte Inglesの食品売り場。Datiles 500gのパッケージ4箱(モロッコで買いそびれ
たナツメヤシの実、2kg)、豆/Lenteja(レンズマメ)、Garbanzo(ヒヨコマメ)それぞれ麻の袋に 入ったもの2袋、計4kg。Turron(クリスマスのお菓子)適当な種類9箱(結構重い)、Perejil(ス ペインのパセリ)5箱。 ![]()
そして、握り寿司、今年初めてお寿司をこのマーケットで見つけました。見た目はおいしそう。
サラダ巻き、おしんこ巻きなど何種類か並べてありました。部屋で今日の昼食はお寿司と思い 購入。
そして、お味:ご飯が乾燥している。ワサビは、握りとは別になっています。そしてあまり辛くな
いワサビ。なんだかがっかり。しかし、気分はお寿司はお寿司。そしてあられ、3袋。(このあら れ、以前嫁さんと旅行しているときにバルセロナで見つけたものと同じようでした。味は100% 日本風、今日会うかも知れないスペインの友人にあげる予定)
メールを見たJavierから電話が入ります。
「お前がスペインへ来たと思ったら、明日帰る???心配するじゃないか?」
Madridに戻ってきたら、彼の家でMorcilla de Burgosの食事をご馳走になる段取りになっていま
した。
Jose Maria
「Koichiどうしたんだ?今日は家に泊まれ。明日は休みだから空港まで送っていってやろう!」
Monicaのメール
"バレーの教室が終わったらお茶を一緒に飲もう。午後8:30、Colon広場のモニュメントの下
で待ち合わせるのはどう?」
Nachoのメール
"仕事が終わったら電話をする。"
Monicaには、了解のメール、Nachoからの電話には彼にもColon広場でCaminoの仲間に会う
ので一緒に会おうという約束。
Felisaおばさんは、電話をかけると不在、留守電にメッセージを残します。
部屋で休憩した後、最後の夜、Colon広場まで歩いて行くことにしました。
![]()
宿の前の道を100mぐらい下ったところがSolの入り口、そこに冬の名物、焼き栗売り、ついで
にサツマイモの焼き芋も売っています。久しぶりに焼き栗を買ってみました。12粒2ユーロ。そ れを食べながらCibeles広場へ向かいます。 ![]()
きっと今年最後のイルミネートされた中央郵便局を記念撮影してから、Paseo del Pradoを北上
します。そしてColon広場に到着。
Colon広場:地下は劇場。嫁さんと以前Zarzuela(スペイン風オペレッタ)を2度見に来たことが
あります。
滝のような噴水がありますが、冬のためか水は今年は止められていました。
地上は大きな広場で、コロンブスの新大陸発見の大きなモニュメントがあります。
以前は、この地下にBarajas空港行きのバスのターミナルがありましたがもう何年も使ったこと
がないので不明。
10分ほど約束の時間より早く到着したので私はCafeを探します。この半地下にCafe de los
artistas(芸術家のカフェ)という店を見つけ、そこで待つことにしました。
MonicaとNachoに「Ya estoy aqui, Colon, tomando Cafe en "Cafe de los artistas", y os
espero.(Colonにいる、芸術家のカフェで君たちを待つ)」というメールを送ります。
最初に、MonicaそしてNachoとCielo。
みんな、Caminoの経験者そしてモロッコを旅行したことがあります。
彼らとその話をしながら過ごします。
そして、夕食を一緒に食べることになりました。ともかくバスでMadridの中心へ向かいます。
今日の夕食は、私のご用達のReinaどおりの花友という店の予定でしたが、月曜定休のため、
そのすぐ左隣の日本レストラン炉端???という店。(名前が漢字二文字でしたが忘れまし た。)
夕食のメニュー:
冷奴、揚げ出し豆腐:店のスペイン人のウェイトレスと相談しながら選びました。
冷奴は、スペイン人には不評との事でしたが頼んでみました。冷奴、揚げ出し豆腐とも評判は
とてもよろしい。
てんぷら盛り合わせ:この料理はスペイン人にはいたって好評。日本食の面白いのは、冷
奴、てんぷらとも汁につけて食べます。冷奴の場合は、漬け汁の別に、ねぎのみじん切り、お ろし生姜、そして鰹節、てんぷらの液は、卸大根の小さな山の上におろし生姜が乗っていま す。日本では普通の光景ですが、彼らの前でこれはこちらへ、これはあちらの汁へ、そして食 べ方を教えます。これが結構面白い。毎年何度かスペイン人を日本レストランへ連れて来るの で私はこの手説明のプロです。
太巻き寿司、かっぱ巻き:太巻きはCieloの先回のお気に入り。
海草の酢の物(海草サラダ):これも問題がありませんでした。
ナスの田楽:これもCieloのリクエスト。
デザートは、羊羹にイチゴ味の生クリームの入った雪見大福。雪見大福にスプーンをいれ、口
に入れたCieloは、「これはおいしい。」と言って食べていました。
Monicaは、初めてのただいまスペインのハイソサエティーの間で人気の日本料理を始めて食
べてとても満足。
余っていたユーロでご馳走してあげようと思ったら、彼らからのカンパ60ユーロ。私の負担は
40ユーロでした。 ![]()
帰りは、みんなでSolまで、Monicaは今日は山の中の自宅に帰らず、Madridの父親の家に地下
鉄で帰って行きました。NachoとCieloは私を宿の門の入り口まで送って、Lavapiesの彼らの家 へ帰っていきました。
私は、この夜、徹夜、荷物の整理、パソコンの中の整理。この寝れば明日は寝坊して飛行機
に乗り遅れます。
1月18日(火)10:00Madrid発
朝7時ごろ、忘れ物をチェックして、部屋の鍵をドアにさし、宿を後にします。空港まで珍しく地
下鉄で行くことにしました。Solから乗り、Barajas空港まで約1時間の地下鉄の旅。
空港のドイツ航空のカウンターに到着したのは8時。カウンターの人は私の航空券を見て、
Terminal2が私のターミナルだといいます。航空券を見るとSpanierが私の飛行機。
よくチェックをしておくべきでした。Terminal1からTerminal2のSpanierのカウンターへ。
問題:フランクフルトまでのチケットは問題がなかったのですが、フランクフルト、名古屋間の座
席がない?カウンターのお姉さんが、飛行機の券は何も問題がないことを私に伝え、彼女はド イツ航空の空港内のオフィースに電話を入れます。しかし通じない。私に10分待つように、そし て、彼女は電話をかけてくれます。通じない。
何度か試してくれましたが、電話が通じない。彼女は、「このまま何度か電話をしてみるか、も
しくはTerminal1のドイツ航空の窓口まで行って直接聞いてくる。」そして、彼女にはそれ以上私 にしてあげることはできない。と言っていました。仕方がないので、またTerminal1へ、ドイツ航 空のオフィースには客が一人いて、カウンターのセニョリータはその応対をしています。結局こ の客のトラブルで彼女はズーと電話をしていたようです。
この客の問題が終わって、私の番、彼女は私の航空券を見て、いろいろパソコン上を操作して
いました、結果は先ほどと同じ席がない。彼女はフランクフルトの空港へテレックスを打ち、私 に、確かA-38(??)番ゲートまで直接行き手続きをするようにと処理してくれました。
余裕を持って出てきたのに、結局搭乗口に着いたのは、搭乗手続き時間。しかし私のフライト
は飛行機の整備のため25分遅れます。
ひとまず、Madridで飛行機には乗れました。そして熟睡。最初に出されるオレンジジュースだけ
は覚えています。目が覚めるとフランクフルトへ飛行機は降下しています。乗り継ぎのある客 は、飛行機の遅れを心配しています。アナウンスでも飛行機が遅れてごめんなさい。と放送し ています。
私は、きっと乗れないなあ?日本到着は明日かなあ?と思いながらあきらめています。
Virgenはほほえむ?(マリア様が助けてくれるかも?)
ひとまず努力してみました、Madridで教えていただいた私の飛行機の出発ゲートへ。
パスポートコントロールを通り、この出発ゲートへ私の飛行機はまだいました。そして最後のお
客が飛行機の中へ入っていくところでした。カウンターで私の航空券の手続き。
そして、名古屋まで私を運んでくれる飛行機に。
出発が遅れること機内のアナウンスが言っています。内容は、乗り継ぎ客のフライトが遅れて
いるそうです。
以前、Madridからの私の飛行機が遅れたときは待っててくれませんでした。
そして、離陸、11時間30分の名古屋までのフライトの間、8時間以上は寝ていたかな?食事
を運ぶカートの音で目が覚めます。
1月19日(水)午前9時過ぎ 名古屋空港着
今年も無事日本に到着。
そして、24日ようやくこの文章をすべて書き終わりました。あ〜〜疲れた。
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