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山を登る人はだれでも「遭難」の恐怖を持っていると思います。しかし晴ればれとした天気、さわやかな空気、美しい景色などの間にいると、そんな思いはどこかへ飛んでいってしまいます。しかし、現実に事故は毎年のように発生しています。平成11年に入って静岡の山だけですでに11名の死者が出ています。それは遠い世界の事・・・と言い切れますか?
私も遭難という恐怖を最初は持ちながら、様々な山に行くにつれて忘れてしまった1人です。しかし、1998年11月、山の仲間と2人で登った南アルプス深南部で遭難事故を起こしてしまいました。先輩は滑落死、私は無傷でした。現場は難所とわかっていました。しかし、深南部に関する情報はあまりにも少なく、私たちは知り合いのベテランの方の記録を参考にそこに行こうとしました。 1日目は稜線まで。そこでテントを張り2日目に行くのは深く切り立ったナイフエッジ、それを巻くこと・・・。わずか数百mの距離を私たちは「4時間」と考えた。晴れた天気、そして木曽御岳まで望める展望。やぶをこぎ、いよいよ難所に来た。想像以上に荒れて、荒涼とした場所。そして慎重に低巻に入った。そして、それから10分後、私の後ろ1mのところで仲間は滑落した。声も出さず、そして落ちていく音だけが山に響く。やがて音がしなくなるとさっきまでの静寂が戻ってきた。何も無かったかのように・・・。私はすぐには現状が認識できなかった。「これは夢か・・・」。しかし、現実なのである。すぐに仲間の名前を呼ぶ。返事はない。私はザックを置いて空身で仲間の落ちた方へ向う。100m近く下ると、そこには仲間がいた。ものすごい出血。苦しそうな顔。呼んでも返事はない。応急処置、救助、様々な事が頭をよぎる。時間がない。仲間に止血処置と防寒処置を施して、私は救助を呼びに向かった。ザックを背負って歩き始めるも腰は抜け、腕には力が入らない・・・そんな状況。そして尾根に出るその寸前、今度は自分が滑落した。正直「死」が頭をよぎる。しかし、横になった倒木に、私の体はその下をくぐり抜けたが、ザックが偶然にも引っかかった。その下は急な崖。しばらくは茫然自失の状態。眼鏡は壊れ、血が出る。しかし、仲間の救助を思い出し、慎重に尾根に戻る。 尾根に出て3つ目のピークに人影が見えた。大声で差叫ぶ。聞こえない・・・? そのピークまで急いで登る。3人の人。事情を話す。雪が降り出す。その中の1人がアマチュア無線を持っていた。救助を呼ぶ。反応がない。しかし近くの山にいた方と交信がつながった。中継して浜松市内の方に連絡をとって救助要請をしてくれる。1人の方は下山して警察に事情説明をしてくれた。3時間後、ヘリが見える。手を振る。そばまで来る。見つけてもらえない。悔しい・・・。日帰り装備の方が下山される。家族への連絡を託す。1人の方は宿泊装備持参で私に付き添ってくた。夜7時のNHKラジオで私たちの事が報道される。明日の朝、再度救助隊の方が来ると言うことを知る。 |
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事故から2日目、昨日とはうって変わって雪がうっすらつもっている。6時45分、ヘリが来てくれた。静岡県警山岳警備隊の方が降りてくる。事情を説明し早速現場へ向かう。仲間の死亡が確認されたのはその日の午後1時。そして警備隊の後発の方々が到着し、仲間の遺体の搬出に入る。険しい地形。その日は日没で作業が打ちきりとなる。
(この写真は、山岳警備隊の方が来るまで一緒にいていただいた方が撮影され、下山後いただいたものです)事故から3日目、遺体を稜線まで引き揚げ、ヘリが来る。仲間はヘリで無言の帰宅となる。私もヘリで下界へ降りた。救急車、検査、家族の心配そうな顔、入院。 事故から4日目、無理を言って退院。仲間の通夜は今日であった。実家に戻り、着替えをして夜、先輩の家に行く。残された家族の方に初めて会う。言葉も出ない。仲間の棺の前に行く。事故の時と同じ苦しそうな顔がある。涙が止まらない・・・・・・。 山では遭難・死とつねに隣り合わせでいることを忘れないでください。レベルや経験で防げる事もあるでしょう。しかし、それ以外の様々な事も考えられます。 山に登るときは、そういった気持ちを持って、装備もしっかりと、そして判断をしっかり行って下さい。自分が遭難者になる前に。 | ![]() |