
『兵法太祖武州玄信公伝来(写本のコピー)』立花峰均著
弁之助十九歳、巌流との試闘の事。 巌流は流義之称号也。津田小次郎と云、長府の者也とかや。小次郎、無二に試闘を望む。無二達而断に及ぶ。是巌流に仕込剣の木刀あり。これに怖れて無二辞退に及ぶ由、専ら沙汰あり。弁之助伝聞、「不及是非事也。罷下可決勝負」とて長門ゑ下る。小次郎は国人、弁之助は旅人ゆへ何とぞ小次郎手前より試闘を望むやうにいたし度、小次郎が門弟の前をも不憚、「われ小次郎と試闘せば、まことに蛙のかしらをひしぐやうに只一ひしぎに可致」と申さる。小次郎是を伝聞いて、「若輩成弁之助が過言千万、其分にては措きがたし」とて試闘を望む。弁之助、一応は断を申す。小次郎しいて望むゆへ、「さらば、可任望」とて、下ノ関にて勝負を決せんとす。されども所の者ゆるさず。依之、「あの嶌へ可渡」と約諾し、長門と豊前の堺、舟嶌へ押渡る。弁之助は小次郎よりさきに渡海せり。ころは十月の事にて下には小袖を著し、上に袷をきてカルサンを著し、舟の櫂を長四尺に切り、刃の方に二寸釘をあきまなく打込、握の所にのこめを入れて持(是青木条右衛門製と云伝ふ)。小太刀には皮被り手ころの木を握の所は皮をゝし削りてもてり。舟嶌の浜辺岩に腰掛、小太刀をひざの上に横たへ、舟の櫂は右之方横に捨てゝ持さし、うつぶいて小次郎を待居らる。往来の舟、碇をゝろし、貴となく賎となく見物群集す。豊州門司の城主何某(細川越中守殿家臣失姓名)、弁之助入魂の者ゆへ家頼大勢召連れ大身の鑓を持せ挟箱に腰をかけ浜辺に居て見物す。小次郎は小舟に乗、家頼壹人、水主一人にて漕渡る。これもカルサンを著し、仕込剣の木刀を杖について立てり。舟嶌を見掛、しりへを顧て家頼に何事か申聞け、彼仕篭剣を取直し、四つ五つ打振りて海底ゑ抛げ、刀を鞘ともに脱出し、スルスルとぬき放ち、さやを切折て海ゑ抛捨、刀を引そばめて舟之つくを待つ。是はたとひ弁之助に打勝たりとも大身之鑓をもたせたる士、其分にてはのがす間敷と心にかゝりしにや。既磯近くなると舷を踏て飛揚る。飛損じて両膝をつく。見物の群集一同に笑ふ。小次郎、刀を引そばめて城主何某が前に行き、「いかなる人なれば此所には居らるゝぞ」とゝがむ。何某が云、「我等は弁之助と親き者也。今日其方との勝負を見物之為渡海す。かつて其方に搆なき者なり。血に酔たるか、うろたへ者」と散々に悪口す。夫までも弁之助は岩に腰かけ指うつむいて居られしが、問答の内に立あがり、櫂を以て白砂を二つ三つ左右に打払ひ、「小次郎、弁之助是にあるか」と言葉をかけらる。小次郎、取てかへし、二尺七寸の青江の刀を左右にかけ水車に打振り面もふらず、切かゝる。巌流が秘傳の太刀に水車に振ことを専とす。仕込剣も水車に振て敵間あたる度に至つて剣をふり出、手裡剣の如く飛ばし附入て木刀にて打つくることといへり。弁之助も舟之櫂を右脇の位に搆ゑ相かゝりにかゝり双方あたる度に、弁之助、櫂を下より振上て打込み、小次郎も刀を水車より直に切込む。互にあたる。されども小次郎が刀、手の裡まはりて平を以て弁之助が左の平首をうつ。弁之助が木刀は小次郎が頭へにあたり、たじたじと二三間しさりて尻居にどうとふす。弁之助二の目を打んと立よる処を小次郎ふつと起あがり、両膝をつきながら横に払ふ。弁之助がカルサンの前をはらりと切放てカルサン前へ垂る。弁之助、二の目を又したゝかに打つ。大力、しかも舟の櫂のしたゝかなるを以て同じつぼを二つ迄打たるゆゑ頭くだけてひれ臥せり。弁之助カルサンのボタンを外し、カルサンかなぐり捨て、尻をみついまで高くかゝげ、小次郎が刀をも取り舟の柱に打またがりて漕戻る。はじめカルサンを切らせたることは諸人見及ゆへ高くかゝげ、平首にあたりたるはけはしき場ゆへ見届たる者なし。太刀が平打ながらしたゝかに打たるにより、血も少は流しを下着の襟を出し疵を隠されたりとかや。さて見物の貴賎、小次郎が死骸に近き見るに、はや息も絶々なり。見物の内より、「弁之助はゝや立のくか、小次郎もはや是迄か」と詞をかけしに両眼をくはつと見ひらき、ふつと立揚り、「水一つくれよ、やることではなき」と一声さけんで前ゑかつはと転て息絶たり。古今の英雄と云つべし。可惜、可憐。これ下の関辺にて語伝る処なり。夫よりして舟嶌を巌流島と呼ぶ。小次郎が帯する所の刀、今尚、宮本伊織が家に有とかや。
※仮名の部分はカタカナをひらがなになおした。また句読点、かぎかっこ、濁点は任意で施した。旧字体を新字体に改めた部分もある。
写本