| おとうさんの介護日誌(5) 今日は どんよりとした曇り空で かなり冷える。かあさんも 今日は しばらく目を開けていたが すぐに眠ってしまった。 かあさんが入院してから 私自身の日常にも 少し変化が起きている。 今まで神や仏にはあまり関心がなかった・・と言うより 神や仏の存在は 信じていなかった と言う方が正しいかもしれない。目に見えないもの・・ 自分の五感で具体的に感知できないものは その存在を信じることが出来 ないと言うことだろう。従って宗教などというものには 全く無縁であった と思う。それが かあさんの入院以来 小さな仏壇に手を合わせ 花も三日 に一度は差替え ささやかなお供え物を供え “かあさんを守って下さい”と 心の中で祈るようになっていた。 困った時の神頼みと言うのか 勝手なものだと思うが・・考えてみれば 自分の意思ではどうにもならない現実に直面して・・言はば過酷な運命の成り 行きに直面した時・・・人は運命を操る何かを感じるのだろう。それが空想の 中の 神か 仏か 悪魔か・・或いは現実の中にひそむ 不条理なのか。 そして 人はそれを見極める術も無く 人は見えない物に ひたすら すがって行く。・・そして更なる過酷な運命に遭遇したとしても それが自ら に与えられた試練だと納得して 恨むこともなくただひたすらに祈るしかない。 それが現実にひそむ不条理から来るものだと感じても自らの微力な行動力では なんともし難いと諦めてしまうのだろう。 歴史上には そのような現実の不条理に 武器を取って勇敢に戦った人々も たくさんいる。だがその戦いは 何時の時代も 巨大な現実の社会構造の前に 力尽きていた。 それは 自らが生きる現実の世界・・そのとてつもない巨岩と戦うのは・・ つまりは自らに戦いを挑むということだと言う矛盾を克服出来なかったから だろう。 革命闘争は 常にそういう矛盾を内包している。 話が飛んでしまったが・・・仏壇に手を合わせるという私の変化は今も続い ている。私は余り難しく考えないで・・これは私の かあさんへの“愛”だと 確信することにした。従って 決して私が信仰に目覚めたというわけではない。 宗教自体は 今も私には無縁であり 今後も宗教に熱中することは先ず無い だろう。 人は何故“神”を信じるのか? この問題は私にとって余りにも大きな問題だから・ かあさんが眠っている間 こんな事を思いながら これをしたため そっと 病室を後にした。 |