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健人の“じい”は戦争にも行った。長い戦争の数々の苦しみも味わった。 それは“じい”だけではない。あの頃に生きた 沢山の人々が 或いは 戦闘で死に 或いは 栄養失調で死に 或いは 空襲で死に 或いは 原爆で死んで行った。 自ら望んだのではない その“死”に 何か“意味”が有っただろうか? その“死”が ただその時代の やむなき犠牲にしか過ぎなかったと言う のでは あまりにも 戦争で失われた数多くの“いのち”は救われようが無い。 戦後まで生き残った “じい達”は 数多くの“死”や“犠牲”を どこか で気持ちの“折り合い”を付けなければ 今生きていることにすら“意味” を見失ってしまう。 “じい達”世代の 戦争で死んでいった 沢山の人々の その“死”や “犠牲”によって 日本は“目覚め”健人達のような“若者”が“平和”で 人々が“いのち”ある限り“幸せ”に暮らせる“國”にしなければ と言う “夢”と“希望”を持つようになった。 そうなってくれなければ 生き残った“じい達”も 死んで行った沢山の人々も その“死”や“犠牲”が 決して只の“無駄”ではなかったのだと 気持ちの “折り合い”を付けて行けるのだ。 だが 殺し合いの“戦争”をしなければ 人は目覚めないと言うのでは 余りにも 悲しく 人としての進歩が無い。 戦争を仕掛けるのは 一体誰なのか? 歴史を振り返って その愚を再び繰り 返さない と言うことも 健人達若者に託された仕事だろう。 それがまた “じい達世代”生き残った者達が 気持ちの“折り合い”を付ける 術に繋がる。 “じい達世代”にとって 余りにも長い“過酷な青春”であった。 戦後の今 “じい達世代”が 気持ちの“折り合い”を付けて 健人達 “若い世代”と “生きる道”を共闘し 将来への“バトンタッチ”が キチット出来るだろうか? “健人達若い世代”を信じ そして 健人に送る “じいのメッセージ” 第5章 である。 2008年9月28日
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