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神奈川フィルの子供達のための音楽会に参加した。 オーケストラのピアニストとして! 一度はやってみたいと思っていたけれど、横瀬瑞穂さんのおかげで実現した。彼女とは平尾はるな先生に現代音楽奏法を習った時の同窓生。(同窓生とはいってもずっと年下で、まだ少女のような横瀬さんだが、オーケストラのスコアを瞬時にしてピアノで弾く事ができてしまう恐るべき女性なのだ。 何で恐ろしいかというと、スコアというのはキーの違う楽器の段は違う調で書いてある。例えばトランペットの“ド”はピアノの・・というか実音の“B♭”ということは、実音のドをトランペットに吹いて欲しい時は“レ”と書かなくてはならない。他にF、E♭キーなどの楽器があったりする。それに学校で習うト音記号・ヘ音記号ともう一つ、ハ音記号という記号があり、ムカデ状の加線を読まなくて良いように使うのだけど、これがまたハ音(ド)の場所が変わるのだ。どういう事かと言うと“あ”をある時は“い”或いは“う”と読めというようなもの。それらがないまぜになった20段から30段の楽譜をズルッとよんで、しかも5本×2の指に移してしまうのだから、人間業ではない。彼女は「慣れよ,慣れ」と軽く言うけど。)長い説明になってしまったが、そんな恐るべき才能の持ち主だ。もちろんピアニストとしても素晴らしく、技術的にはもちろん、音の説得力や音色の豊富さは流石である。音楽に関してはストイックなのだけれども、naturalで、又、考えが進歩的でおもしろがりな所があって、私を大胆にも誘ってくれた。 いやー、ものすごくおもしろかった。横浜市の全小学5年生の授業の一環としてのコンサートだったので、6日間2公演ずつ計12回、いろんな曲の美味しい所を抜粋しての楽しいプログラムだった。私はそのうちの1曲、サン・サーンスの交響曲第三番“オルガン付”の2楽章の後半の部分で参加させてもらった。みなとみらいホールには立派なパイプオルガンがあるので、オルガンが入る珍しい交響曲を選んのだそうだ。指揮は小松一彦さんという横浜ジャズプロムナードの神奈川フィルとJazzMusicianとのコンサートでもおなじみの、とても素晴らしい方。お話しをする機会が何度かあった。音楽としてどういうところを目指すべきかなどという事はジャズと全く同じで、とてもおもしろかったが、実際に音を出した時にはクラシックの作法が私にはなかなか解らなくて、冷や汗ものだった。指揮棒のとらえ方や、テンポの揺れなど、解らなくて、リハーサルの時は目が点・・。お手上げ。 私が弾くのは時間にすれば一分位だろうか。8小節の堂々と、はっきりしたオーケストラのパッセージ後、パイプオルガンの和音と、弦楽器のゆるやかな旋律の後ろで6連符の連続したアルペジオを横瀬さんと連弾で弾く。ピアノが入る直前の8小節目はオルガンのみの6拍の長音で、1拍休んで、弦と同時にせーので入らなければならない。まず、出るタイミングがとても難しかった。そこまでのオーケストラの“のり”のままその6拍を感じていては合わないのだ。“のり”とか“ビート”というよりも、6拍固まりの“間”として小松さんは振っているように見えた。実際には私が思うよりかなり早い。でも不自然に伸びたり縮んだりしたように聞こえないのは不思議。堂々としたものとゆるやかなものとの狭間の6拍なので、私は“堂々”のまま感じ、指揮者は次はゆるやかな所にいきますよ、という意味も含めての棒なのかもしれない。そういう事が横瀬さんの言う“指揮棒を読む”ということなのだなきっと。又さらに、弦のフレーズの始まりの6連符を心持ち(でも私にとっては大きく)、ゆったりと弾くようにとアドバイスがあった、擦弦楽器である上に大人数なので立ち上がりに時間のかかる弦パートと合わす為に。指揮者はそこをゆっくり振る訳にはいかない、全体が失速してしまう。じゃあ、弦を聴いてタイミングを合わせればいいかと思いきや、それでは遅いのだそうだ。弦の立ち上がりを気にしつつ、お先に失礼しないように、しかも一方タイムを明示する必要があり・・・と、どうして良いやら右往左往。結局私は横瀬さんに頼り切って彼女の呼吸に集中したのであった。 オーケストラは端から端までかなりの距離があるので、その時間差は結構なものらしい。指揮棒(指揮者の意志)を中心に、演奏するものどうしが聞きあって、立ち上がりの遅い楽器早い楽器、遠くに音が届くものそうでないものなど、ものすごく個性の幅のあるものどうしが折り合いをつけながら譜面に書かれた音符を織り成して行くのだ。幅を前提にしているなら皆が指揮棒が最低点に至った時点を拍として感じたらいけないのだろうか。私は指揮棒を見ると、どうしてもそこで弾きたくなった。でもそこで出てみたけど大幅な勇み足。指揮者はテンポを引っ張っている場合も押さえている場合もあり、楽器の立ち上がりの事も慮って振っているのだそうだ。 ジャズの場合、お互いのリズムの芯が聴こえていなければ演奏不可能だ。距離的、音量的に聞こえづらかったらマイクをセットしてモニターに必要な音を返す、或いはどんなにステージが広くてもクチュッと近寄って演奏する。しかし!そういえば澄さんの録音の時スタジオで、(スタジオはブースという小部屋にそれぞれが入ったり、仕切りがなくても残響が極端に少なく音が届かないので、)ヘッドホーンから皆の楽器間近の音を聴く。普段ライヴハウスなどで生音でやる時には、そんなに離れていなくても微妙な時間差込みで皆の音を聴いているらしい事が解った。録音を聴いてみると、私のタイミングが早いのだ。エンジニアの北村さんに聴いたのだけど、その時間差は結構なものなのだそうだ。大きさは違うけどオーケストラも同じことか!それが解っても、やっぱり幅が大きすぎて何をより所にすれば良いのか解らない。 ところが、6日間12公演も重ねると、最後の方は全員の、いわゆる“グルーヴ”が固まって来て、弦の立ち上がりをそれほど意識する必要もなく、スピード感も出て来て、私にとってはやりやすくなって行った。毎公演、“ライヴ”なので、少しずつ違いは当然あり、そうこうしつつだんだんと変容しオーケストラ全体の距離が縮まって行く感じ。その中に入ることがあんなに面白い物だとは知らなかった。またこういう機会があると良いな。 |
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高田ひろ子 2002.11.28 |
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「ジャズの場合、お互いのリズムの芯が聴こえていなければ演奏不可能」、と書いたけど、実はその前にリズムが合わなければ演奏不可能という事実があります。又、語法が違えば通じ合わない場合があり、そして又、好みでなければイメージも沸かず演奏不可能という事も。 そういう音楽的何かと、スケジュール的他事情により、岩瀬立飛氏は1月18日お茶の水NARUのライヴを最後にこのカルテットを去る事になりました。一度既に引き留めているので今度は無理は言えません。彼のドラミングはまさにオーケストレーションでした。確かなリズムの上で、時にティンパニーに、時にストリングスにまた、ホーンセクションにと変幻自在で、私の曲の良き理解者と思っていましたので、なんて残念なことでしょう。かれこれ4年やってくれたことになります。NARUでは最後に素晴らしい演奏してくれると思います。(いつも素晴らしいけどね) |
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高田ひろ子 2002.11.28 |