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拙い英語での会話だが、音楽の話はもとより、ジョークを教えてもらったり―なぜか欧米人はたくさんジョーク・所謂ねたをたくさん持っている―、又、逆にとても真面目なので環境問題や政治の話になったり、とにかくたくさん話した。単語が出てこなくて、もどかしい思いもたくさんしたが、何とか会話できることの喜びを噛み締めていた。ジョークを笑えるのだも。 ・・思えば、初めて彼に会ったときは、私にとってヨーロッパ・2度目の訪問だったけれどドイツ語はおろか、英語もほとんど話せない状態だった。バンツは笑っていた。「Do you want beer?」「Yes, I do」それだけははっきり言えるねって。記憶力なしの私にとって、英語は得意科目ではなかった。発音はサイモンとガーファンクルなどを歌っていたので、ほめられたこともあるが、なんせ、単語が覚えられない。しかし、どうしてもヨーロッパで演奏するには少なくとも英語を話すことが必要と勉強した。友人のイギリス人のハーモニカ奏者、コリンさんに食事につきあってもらって英語で話をすることを試みた。まずは外国人と話すことの恐怖を克服せねばと思った。その頃までは、中学から長年、学校で学んで来た英語は、とても自分の本質から離れた所にあって、教わった大阪弁訛りの英語が使えるとは実感できなかった。きっと先生方もそんなに使ったことが無かったのではないだろうか。(今でも忘れられない。英語の内海先生。「今日で一週間はサッタデエ」とか、「誰やそこでやかんをケットルのは!」・・記憶力がないわけではないね。) 高校でその発音をほめてくれた先生というのは篠田先生という母校池田高校では名物先生で、その頃すでに白髪で、戦争体験を交えての授業で独特だった。授業中先生は良く脱線(話がよそに反れること)をして、戦争中の体験談になった。私達はそれを心待ちにしていた。勉強をしないでいいのもその理由だが、先生のつばを飛ばしての臨場感溢れるしゃべり口はとても引き込まれた。その先生は子音をはっきり意識することが大切という、日本語には無い英語の大事な部分を教えて下さった。 しかし、われながら話が出来るところまで、よくがんばったと思う。ほぼ独学だ。必要だと感じてから、5年くらいは、新聞以外は英語の本を読んでいた。始めは、辞書を引くのにへとへとになりながら読んでいた。さっきこれ調べたのに!と、何度も何度も。紙にも書いた。読んで、辞書を引いた単語はその日のうちに覚えようと、繰り返し文を読み書いた。それでもなかなか頭に入らずいらいらしたが、とにかく続けた。読むときは小さい声でも唇を動かし音読をした。電車で迷惑がられたこともある。覚えようと思うフレーズがあると、そのフレーズがスーッと空で言えるようになるまで繰り返した。2年を過ぎた頃だったか、不思議なほど単語が覚えられた時期があった。いわゆるLeaning Curveが上がったときだ。その体験はすごい快感だ。今まで出来なかったことがすいすい出来るのだから!きっと、英語の仕組みに慣れ、英語的言い回しに抵抗がなくなったときだと思う。「関係代名詞」なんて、「何々であるところの」というふうに訳すように教わったので、なんとなく教科書的な書き言葉で、会話で使うなんて想像できないでいたように思う。それに会話の中で「関係代名詞」は矢印をつけて戻ってくるわけでは無いのだ。戻らずどんどん進む。そんなことに慣れ始めたときだと思う。 第2期Leaning Curveがやってこないかあと心待ちにしているのだが、訪れてくれないなあ。 |
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高田ひろ子 2007.12.11 |