ウルトラセヴンに物思う
昨年、ウルトラセヴンの再放送をテレビで深夜にやっていた。あまりに面白いので録画し、息子に見せたりしていた。最近では、NHKで大人がウルトラシリーズを熱く語る番組もあった。

ウルトラシリーズの好ましいのはまず、テーマ音楽の素晴らしさ(セヴンは作曲:冬木透さん)。そして中身には余計な音楽が流れていないということ。たまに喫茶店のようなところでは、大人っぽいボレロなどのダンス音楽風が流れていたりするけど、ほとんどのシーンで、台詞以外は無音。惹きつけられ、緊張感が高まる。そんな中「きゃー!」という叫び声と共に奇妙な生物が姿を現す。な、なんて、恐い!

私は、5歳上の兄につられてリアルタイムで見ていたのか、再放送で見たのか定かでないし、しかもウルトラQなのかウルトラマンなのか、セヴンなのかもよくわからないのだが、とにかく恐かった印象だけはある。大人になり、ビデオでウルトラQを見たときは、その不気味さ、テーマの真面目さ、映像のシンプルなおもしろさなどに惹きつけられ、何度も見た。子供の時、恐いと思ったのはこのウルトラQだったに違いないと勝手に決め付けていた。セヴンなどはもう、怪獣といつもなぜか同じ大きさにセヴンが変身し格闘する、子供だましのものだと思い込んでいた。ところがどっこい、テーマは環境汚染や核問題など、社会的で超真面目、白黒の画面は暗く、恐い。つまり、とても大人っぽいのだ。失礼しました。

今の子供のためのテレビ番組は、驚くほど稚拙だ。誰が、いったいそうしているかと言うと、もちろん子供ではなく、大人なのだ。もともと子供は向上心に満ち、好奇心旺盛であるから、意外と誠実で前向きなものを好む。見くびっちゃいけない。安易で分かりやすいもの、刺激的なもの、考えなくて良いものは、大人が望んでいる。子供は未熟なのだから自分達以上に分かりやすく単純なものを・・などと一方的に決めつけてはいけない。子供の本質は自堕落な大人より、ずっと思慮深く、バランス感覚に富み、前向きだ。そして知的好奇心と生命力に満ちている。子ども達は骨の在る物を受けとめるくらいの力はあるのだ。ウルトラセヴンはテーマもさることながら、台詞も容赦ない。少々難しい言葉も必要なら使っている。全ての子どもにわかる言葉だけで作るなんて、つまらない。前後から推し量るという、想像力は大切だと思う。
ウルトラシリーズが放映されていた頃は、電波に自分達の作ったものが乗るのだという作り手の「プライド」がはっきりと在ったのではないか? それに、無意味なものを電波に乗せるわけにはいかないという当たり前の「責任感」も。「私たちが作るものを皆が見る、いいものにしなければ!」という意気込みが感じられる。作っている大人は、本気で、しかも楽しんで作っているのがわかる。結果、子ども番組だけど、大人が見ても楽しめるものになっている。それが本当は、メディアの最低のお約束じゃないだろうか。しかし今はどうだろう。作り手の、責任感やプライドはおろか、楽しみも感じられないものが多いように思う。

刺激的で単純でわかりやすい物につい反応してしまうのは人間の性だ。自分から求めなくても、考えなくてもいいから、楽なのだ。ましてや、子ども達は、「本当に面白いこと」の経験が少ない。そんな子ども達に、まる投げで判断させてしまうのはどうかと思う。自主性を育むこととは別の問題だ。
色んなものが便利になり過ぎ、大人の世界ではいつの間にやら、「面白いかどうか」「美しいかどうか」などというそのものの「本質」にすり替わって、自分が「楽かどうか」が大切になっている。むしろ価値基準になっているといえるくらいだ。ぜんぜん違うことなのに。「面白いけど面倒」なことより「面白くないけど楽」って方を選ぶ人がとても多い。めんどうがって、自分なりに判断してみることをしない。えらいことだ。作り手は、空っぽで時に有害なものを作っても、「みんなが見たいものを作っているのさ」、と胸を張って言うのでしょう。恐ろしいことだ。そういった大人の身勝手さ、浅はかさは、すぐさま、子ども達に反映される。そしていずれその子ども達は、未来の世界を作ることになる。

テレビはたくさん見ないにこしたことは無いが、子ども達にとって楽しみのひとつとなっているならば、作り手は、本気でプライドを持って作ってくれないと困る。親もそうでないものは見せないという判断力を持たなければならないと思う。つくづく、そう思う。

高田ひろ子
2008.06.26

このページでは、高田ひろ子からのメッセージを不定期(目標月1回)に掲載しています。

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