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2002/02/08 エビフライの憂鬱 Webmasterはエビフライが大好きである 幼少のころはご飯のおかずとして、そして今は冷えたビールの相方として申し分なく頼りになる存在である このエビフライ、外食産業のメニューにも良く顔を見せてくれるのだが、このところの質の低下はひどいものだ 一口目をかじってエビに到達できなかった時の悔しさといったら他に形容のしようがない 忍耐力に自信をお持ちの方でも、思わず地団太踏んでしまうほどの不愉快な出来事だ また、たとい一口目でエビに到達できたとしても、エビの味わいが感じられないことも多々ある 通常フライものを作るときの工程というのはこうだ 小麦粉から玉子、そしてパン粉を経て熱せられた油に入っていくものだが、パン粉を付着させた後、油ではなくまた玉子に戻る場合もあるらしい そして再度パン粉を付着させ油に向かうらしいのだ 場合によっては玉子とパン粉の間を数往復する場合もあるらしい 身の痩せたエビ(ダイエット中のエビか?)に厚い衣を着せて揚げれば、それなりの格好になるのだから困ったものだ Webmasterが食べているのはエビフライなのか、エビも入っている巨大な衣なのか判らなくなってしまう このところ外でエビフライを注文しなくなったのも、このあたりに原因があるとみてよいだろう 過去にひどい実例に見舞われたことがあった 某とんかつ店の品書きに「大エビフライ定食」があり、少々値は張るがたまには大きなエビフライでも食べてみようと思い、注文してみたのが間違いの元だった 運ばれてきたエビフライは確かに大きなものであったが、中身のエビはエビフライの出来上がりサイズにそぐわない大きさであった 勇んで注文した結果にがっくり肩を落としたWebmasterだが、ここで怒ってはいけない、決してメニューにはウソは書いていないからである ここで「大エビフライ」の記載について考えをめぐらすと、二通りの意味がとれることが分かる すなわち、「(大エビ)フライ」と「(大)エビフライ」だ 前者は大きなエビをフライにした(大エビ)フライであり、後者は出来上がったエビフライの物理的サイズが大きな(大)エビフライである どんなに厚い衣を付けて揚げようとも、出来上がりはまぎれもなくエビフライの形態を成している限り、店側の表記にウソはないことが分かる 大きさを表す「大」という文字がエビという素材部分にかかっているか、エビフライという出来上がりの品全体にかかっているかで、これだけの違いが出てしまう 食べる側はほぼ例外なく大きなエビをフライにしたものを期待するが、供する側もまた、例外なく出来上がりサイズが大きなエビフライを出すという、金銭を支払う側から見れば非常に腑に落ちない状況が続いているというのはいかがなものだろうか しかしこの不愉快な状況にもそれなりの実績がある、それも数百年もの永きに渡ってだ 平安時代、ある高名な僧侶が裕福な豪商の法事に招かれたときのことだ 粗末ではあるが洗いざらした衣をまとって豪商宅を訪れた僧侶、法事の場に入ることすら適わず玄関先でにべもなく追い返されたそうだ そこで上等な袈裟と衣に着替えて法事の場へ出直した僧侶、今度は下にもおかないほどのもてなしで、読経の後の宴の場には大層な料理でもてなされた しかし僧侶は目の前の豪華な料理を口に運ぶことはせず、袈裟や衣に詰め込み始めたのだ その奇怪な行動をいぶかった当主に訪ねられた僧侶は、こう答えたそうだ 「先ほど粗末な姿で伺った時は追い返され、上等な袈裟と衣で出直したら大変丁寧に迎えていただいた この豪華な料理は私にではなく私の袈裟と衣に供されたものなのでしょう」 とんち小坊主が主人公のまんがアニメでの話である ハイテク機器の製造に関しては世界に誇れるアジアの某国(仮に大東亜共和国としておこうか)であるが、中身よりも見かけを何より重視するのは払拭できない伝統らしい 外食産業ごときに伝統を壊されてなるものか、という動きがあるのか定かではないが、旨いエビフライを食べたいと思うのはWebmasterだけではないはずだ |