機関誌36号(抜粋) 2003.10.26発行
2003年 「ミニリデフ IN MIYAGI」を終えて
宮城実行委員会
1)「面白がる自分」−それが古川のパワーである。
宮城の会場をどこにするのかの論議の中で、やっぱり「地域との様々な関係が整っている古川エリア、特に色麻町や加美町がいいのでは」との結論になったことは大変良かったことです。地域の様々な人々と自分から関わりを深めていきつつ、そこでは学びながらも「面白がる自分」を再発見している姿を確認しているからです。3泊4日のプログラムを成立させることのできる事前の地域の関係性がいろいろあったのです。反省では、「子どものヤマ学校」の継続を求めることが話され、食文化研究会との関係を強めるためにも今後追求していくことが確認されました。
2)ダイナミックな出会いがあったのでは
人・物・風景が一体になって、今回の集いは人々に何かしらの感動を残したのではと考えています。そして盛りだくさんな日程を、自然に受け入れるそんな雰囲気が、参加者からの感想で「あまり疲れなかった」「心地よい疲れが残った」と寄せられたと思います。
カリスマ性によるものでなく、一人一人の違いを前提にして、その違いを大切にしながら「学びあうこと」ができたのではないでしょうか。
3)ロングアトリエが必要では
最後の実感では、アトリエの工夫が必要ではないのかと話された。メインというと語弊があるが、全体を通して「私たちの集いは、このような中身のものを求めていますよ」というアピールが弱い感じがしました。最終日にそれぞれの参加者からの感想を述べ合う機会がありました。その中で、「教科に関係したアトリエが少ないようでした」との感想がありましたが、この点もう少しじっくり検討すべき事柄ではないかと考えています。また、その意味では、集いを貫く「ロングアトリエ」を継続的に設定して、参加者による練り上げなんかもできるのではないのかと思います。
4)全体としてのまとめ
「やってよかった」「宮城のアバウトな参加が問題」「学校文化を再考できたのでは」「子どものアトリエの希望者が少し足りなかった」などの感想が寄せられました。2003年夏の記憶として残るものになったことを最後に申し述べます。再会の機会を。
9月14日に出された「意見」をそのまま記録します。
・プログラムを成立させる事前の関係があった。特にバーベキューでは、何回も会を持ちメニューの検討を行った。
・参加者の一人からは、「子どもとの関係で考えさせられた」との感動がよせられた。
・努力した甲斐がったのでは、
・スタッフの参加の工夫が必要だった。
・スタッフが足りなかった。
・宮城の参加者の仕方が、かなりアバウトすぎたかんじ。
・スタッフは「やりたい」「思い込み」の集合体であった。
・不完全燃焼だったが人との出会いで、満足であった。
・地域の生活者との出会い、触れ合いが、オープニングの雰囲気であった。
・宮城のリィーデフメンバーが少なく、宮城のメンバーはフリーであった。
・アトリエの責任者(うどんづくり)がいなかったのは反省事項。
・子どののアトリエは、別枠で考えたほうが良いのでは。ロングアトリエがあった方が良いのでは。
・3泊4日となると、そして日にちを分けて参加する人がいると、一日毎の参加希望集約をすることが必 要になる。参加も申込者にそのことも明記することが大切。
・送迎と必要人数の把握が甘かった。
・エンカウンターの捉え方をもう少し議論したほうが良いのでは。
・「疲れなかった」原因はなんだろうか。目指しているもの、楽しかったこと、忙しかったこと、考える 余裕がなかったことなど。
・遠足は、1日必要だった。
・村田さんの最後のまとめが良かった。「リィーディフの地平、地域に切り結んだ人々との出会いーー ー」
・まず「人ありき」では。知りたい、やりたいそこが原点。
・「面白がる自分」そこが古川のパワーである。
・現場性のある問題についても少し踏み込めたのでは。
・「学校文化」に対極する視点を考えられたのでは。「学校文化」「総合学習」に対する問題点を指摘し えたのでは。
・「疲れない関係」「心地よい良い疲れ」が残った。ダイナミックな出会いがあったのでは。
・終末医療は、今後も考えていくべき課題でなかったか。参加したお医者などからもいろいろ勉強になっ たとの感想が寄せられているとのこと。
アトリエ報告
1.アトリエ「サルとの共生」
伊藤由子
アニメーター 伊藤 由子
参加者11名?
今回のアトリエではストーリーづくりを楽しむことがメインになっていたが、一力月経った今でも、鮮明に思い出せるのは、田辺さんと志野さん、平田さん等のやりとり。“二本足の生き物の世界に入り込むことは危険です”“ボス、あの川の向こうにはイモ畑があります。今のところ人間は見当たりません”歌舞伎調とも下町の芝居調ともとれるセリフのいくつかが、おもしろく、おかしく全く初対面の参加者同志のコラボレーションができたことは予想以上だった。もしかしたら一番楽しんでいたのは私だったのかも知れない。
さて、「サルとの共生(を考える)」という壮大なテーマを掲げたアトリエ生きているものの刻一刻はドラマである。それを何枚かの写真で想像力を働かせながら再現してみることに意味があるのではないか。サルたちの日常の他愛もない一コマを想像することは、サルの今、おかれている状況の延長線と結び付くはず。そういうことで「ストーリーを創る」という方法にした。
それは時間的には可能だったのかどうか。資料はどうだったのか。
わずか2時間ぐらいだったので@宮城のサルの出没情報Aサルの群れの移動状況Bサルの被容の実態などをダイジェスト判(テレビの録画)で説明するだけで30〜40分の時間をとってしまった。あの数枚の写真だけで、まったく予備情報のない状態では、やはり無理だったのだろうか。もう一つのビデオ(24年間、サルのビデオを撮り続けて来た県内の人の作品)を用意していたが、さすがに情報過多になって写真からのインバクトを感じ取れなくなりそうで止めた。参加者からも写真だけでやろうとの声があった。
5、6人のグループで物語づくりを始める際、山を移動する前夜から5つくらいの場面でという条件をつけたところ、宮良さんから“(この)山から次の山へとしたら?”の発言があった。おおいに気に入ってサブテーマにした。Aグループは、まずは各が3,4枚の写真でストーリーを考えてみることにしたようだ。
Bグループは一人が一枚の写真を手掛かりに場面を考え、それを組み合わせたようだ。サルの群れが電線を渡る写真はインパクトがあり、誰もが興味深く見ていたが、イメージが沸かないのか、方法におもしろさを感じないのか、場面設定に無理があったのか、疲れていたのか、乗り切れない表情の人も2、3人みられた。
グループで考えている途中にも@サルの群れの構成メンバーAサルの習性Bサルによる被害などについての疑間・質間があった。考えてみるとストーリーをつくるのは手立てである。それをきっかけに実際に起きている事件や現象を考えられれば大テーマ「共生」に近づくことになるのではないだろうか。だとすると、サルの群れのメンバーや習性そして被害についての疑問・質間は大事なことだったと後で気づいたりした。後日、「宮城県のニホンザル−色麻町に現れた謎のニホンザル集団の記録」という冊子を宮城のサル調査会より入手したことを付け加えておきたい。また、サルが出没した、まさにその町の田園をつぶさに見てもらえたし、そこで生活している人たちと出会うチャンスをつくれたことが何よりであった。
2.アトリエ 「不登校・登校拒否を考える」
アニメーター伊藤由子
参加者11名(?)
当地域の「自分の届場所から不登校を考える会」の記録や資料を配布したが、そこから話し合いをスタートさせないで、アトリエの参加者の発言から始めたことは、やはり正解だったと思っている。他人事としてではなく、まずは自分はどう思っているのか、日頃、特別に考えたこともないとしたら今、「この場で考えてみようよ」ぐらいの思いがあった。
参加者一人一人の「不登校」「登校拒否」についての思い・感想を話してもらうことから始めた。
◆不登校とは言っても、それぞれ違うのでひとくくりにはできないと思う。登校刺激は良くないとか言われ ると全てダメとか・…。おかしい。
◆毎日、迎えに行くように言われたりしたが、あれは本人のためというより、どうも学校の体面だったよう な・・。そこは職員にとっても居心地の悪い場所だったかも知れない。
◆学校には休まず行っているが心は登校拒否状態の場合がある。
◆あんなところ(学校)に普通に行けているほうが不思議だった。実は不登校の体験がある。
◆いじめられていた体験がある。その時代の印象は今でもあまリ良くない。
◆子どもにとって「学校に行くのは当たり前」の価値観から抜け出るのは難しい。何十ものバリヤーがある 。身近な親が最も堅いバリヤーだったりする。
などの発言があった。今までずっと話したこともなかったのに、なぜか自然に言えたと不思議そうに話していた参加者の表情が印象的であった。また、ある宮城の県立高校の実態が報告された。毎日、学級毎の出席率が貼リ出されるなどなど、聞けぱ聞くほど尋常では事ない状況に誰もが驚き呆れること度々であった。最近は特に不景気のあおりを受けて家庭の経済事情などから不登校どころか退学に追い込まれるケースが増えているがなかなか力になれない。一人一人の悩みどころか事情にさえ向き合えない。など、発言者の苦しい胸のうちを明かされ、子どもを巡る状況は益々悪化していると参加者の誰もが感じるところとなったようだ。
“出席者の登校拒否体験や宮城の教室の話を興味深く聞けた。子どもが「学校ヤンダ」と言わないように授業や楽しい居場所を作っていくべきなのだと、やっぱり考える”とか“不登校の間題は子どもの間題ではなくこちら側の間題や周囲の関係性の間題であると感じた”これらの感想から、今アトリエのネライになんとか添うことができたのではないかと嬉しく思っている。特別な手立てもなかったと思うにつけ、参加者がお互いに醸し出していた「やわらかさ」や「気取りのなさ」そして、話す相手に心を傾けるという当たり前の姿勢があったからだと考えている。
3. 「対話劇づくり」のアトリエを開いて
山 口 洋 一
「対話劇づくり」は,現代学校運動JAPANの学習会で2回ほど試みました。その経験をふまえて,ミニリデフのアトリエとして今回開催させてもらいました。場の設定をして,そこから話し合いで劇をつくるアトリエでした。「青年座」を主宰している平田オリザさんの手法をかりたものです。
今回の場の設定は次のようなものでした。
★仲の良い3人が新幹線で旅をしています。目的地は,一人の人の田舎。
4人がけのボックスシートでおしゃべりを楽しんでいるところへ,一人
の人が「ここあいてますか」とやってきます。その人は,普段着,手に
は何も荷物を持っていませんでした。
この場面からグループで話し合って劇を創ってもらいました。劇を創るに当たって次のことを要望しました。
・グループの中の人の意見を良く聞いた上で劇の展開を考える。
・おもしろい内容にする。
・ストーリーが続くような感じで終わる。
・ 3分ほどの劇をつくって演じる。
アトリエのアニメーターとして,この劇作りの話し合いのなかで「討論」や「会話」ではなく「対話」が行われることを期待していました。新幹線のボックスシートで一人の見知らぬ人と同席することになったとき,そこでどのような会話が生まれるか,また,「その人は,普段着,手に何も荷物を持っていない」ということからどんなことが考えられるかなど,それぞれのメンバーの考えや思いを出し合いながら,一つのストーリーにまとめていかなければなりません。そのためには,お互いの思いや考えをすりあわせていくことが必要になってきます。論理で詰めていく討論ではない,かといって当たり障りのない会話とも違う,そのすりあわせを「対話」と考えています。
今回のアトリエでは,2つのグループで行いました。話し合いは活発でしたし,演じてもらった劇も楽しいものでした。しかし,その話し合いのなかで「対話」が成立していたかと振り返ってみますと,今一歩だったように思います。
「対話」をめざした「劇作り」は今回で3回目ですが,なかなか思うようにいきません。「対話」の難しさを,今回も感じました。「場の設定」やアニメーターの「指示」,展開の仕方等,まだまだ工夫しなければならないことが多いようです。
4.アトリエ『共同で創ろう』をふりかえって
井上 純
アトリエ「共同で創る」で皆さんに提示したいとおもっていたことは、力や心をあわせて一事にあたこと(協同)ではなく、等しく力をだしあって同等にかかわること(共同)です。
猪狩さんと話し合って3つの内容を用意して臨みました。
一つは、現代学校運動JAPANの学習会で紹介された、昨夏のRIDEFでドイツの小学校教師Renateがアニメートしたショートアトリエ「ポールクレーとハイク」の手法です。各自がもった画用紙に指示に従って点をうったり、線をかいたり、色をつけますが、一つ作業をするごとに紙は隣の人にまわされます。出来上がった絵にタイトルをつける。5・7・5を作るのも次々に用紙をまわしてつくります。
この方法はバリエーションを加えて、何人かが追試中です。絵の具をつかったり、クレヨンやパスを使うことで、絵の仕上がりがかわってくる。なにより、作業する人によって、絵の雰囲気がまるで異なってくるのがとてもおもしろいワークです。
参加者の感想は・・・。
・ 自分のものというこだわりがあった。自分のものをいじくられるのは・・・。
人のものをいじくる快感があった。子どもによっては自分のものにこだわるかも。
・ 自分だけでやっていると、パターンから抜け出せない。この方法はそれがなかった。
・まわってくるのを生かしたいと思った。自分のものにしたいという力も働いた。
・ 気に入ったもの、好きなものがあった。
・ 回すことで自分をふっきっることができた。既成概念を切るってこと。
などなど。
二つ目は、元になる文章「彼は走る」に書き足して、長い一文をつくるワークです。
順番をきめて、カードに言葉を書き足し、元の分に付け加えたり、挿入したりしていきます。付け加えるたびに文章として完結するようにするのが、条件です。形容詞だけでなく、形容詞句や副詞句を差し込むことも可能なので、自分の前の人が作業することで、まったく違った文章になる可能性があります。
二つのグループで作業しました。できあがったものは、
・ 長い髪の彼とつきあっていたかわいい彼女は、失恋の痛みにたえてこらえていたけれど、涙と汗を ふきふき、走っていた大きな馬にとびついてから車にのったけれど、くるまによった、というばか ばかしい話だ。
・ 夕立が上がった海辺に立ちながら、山へむかって、夕陽を背に、スパイダーマンにも見えるスーパ ーマンのように、彼は彼女と笑いながら走っていたように見えたのだが、実は朝陽に向かってい たと思われる不可解な行動の理由は、本当は泣いていた。 (二文とも句読点は井 上記す。)
作業をする中で、自分のイメージをもつのだけれど、自分の番が来る前にまったく違った文章になってしまう。その変化を楽しむ人、悔しがる人など反応はさまざまでした。
「順番を変わってほしい」という声まで聞かれました。
最後に行ったワークはグループのメンバーが各自で音をだし、セッションするというものです。リズムも音も点でばらばらでかまわず、いっせいに音を出してもよいし、流れを作ってもよいというものでした。自分以外のメンバーの音を聞きながら、自分が音を出したり、音を出すのをやめたり、ボリュームを上げたり下げたり、テンポを変えたりして、場にあふれる音を楽しもうという試みでした。
二つのグループで試みましたが、こちらのねらいとは少し違ったものになってしまいました。どんなふうに音を出していくか相談する時間が長かったのかもしれません。自分の気に入った音とその音の出し方を決めたら、後は即興性を重視して音を出してみたほうがよかったかもしれないと思いました。条件のつけ方などに工夫の必要を感じました。
参加者の感想
・
他者を意識しながらもいかに自分創りが出来るかが問われておもしろかった。自己の着こんだ観 念論をいかに脱ぎすてられるかだと思う。がんじがらめの生活の周りに目を向けた時、無限の拡 がりがある事に気づかされた。音であり、言葉であり、色彩であり、等々・・・。よかった!!
・ みんなで作る絵・文・音。意外性があって面白かった。バリエーションも工夫次第で拡がりそう だし、とても参考になった。
・ 今までの共同で作るというイメージとは全くちがったもので、ひとりひとりが同じ立場で手を加 えていくというのがよかった。共同制作というと、どうしてもそのグループの能力的に優れた人 の力が表に出てしまうが、きょうのは作品制作にはそれが全くなかった。自分には美術的センス が無いからとしりごみすることなく、積極的に取り組むことができてよかった。
・
とても楽しかったです。
皆で創りながら、一人一人が主人公になれるのが、よかったです。とっても素直になれました。
・ 絵と文と音楽の3種類の共同創作を行ったが、絵の創作が一番私には、楽しかった。一人での制 作だと、どうしても作品のできぐあいに対する評価を気にしてしまいがちだが、このようなやり 方だとより自由に自分をだすことができた。
・
「そういえば、ここのところ共同制作ってやっていないな」と思った。やらせる場面は多いけれ ど・・・。
共同して作る・・・ときに、おもしろいのは、人が自分とまったく違った感じ方・見方をしているこ とに気づくとき。「へぇー」というのがいい。「リズム」を作るときは、自分の出している音と 仲間の音を合わせることがおもしろい。ジャズのセッションをしているみたいだ。子どもたちと も試みてみたいな。
・ みんなで、一つの物を作り上げるというよりは、一人一人の個性が集まって、一つの物語(作品) が作りあがった、という感じがすごくしました。他人と自分の視点や感じ方の違いに気づかされ ました。自分の事も知り、相手の事も知れるアトリエだったのではないかと思います。とても、 たのしかったです!
アトリエのコンセプトが伝わったようで力づけられる感想でした。さらにさまざまな「共同でつくろう」を考えていこうと思っています。参加された方がアニメーターとなって、さまざまなバリエーションを試し、それを共有していきたいと思っています。
5. からだとコミュニケーション、
からだでコミュニケーション
アニメーター: 渡辺、荻原
参加者 12人
★パンフに載せた前口上
「コミュニケーションというと、とかく今はやりの「話す」「聞く」にあるように、ことばに頼りがちな私たちの生活。もう少し、自分のからだの動きを意識して、相手のからだの動きにも注目してみませんか?ひょっとすると今までとは違った何かが…
昨年のブルガリア・リデフでのアトリエ「ティーチャーズ・ボディ」のワークショップをいくつか取り入れながら、みなさんと一緒にからだを使ってのコミュニケーションを考えていきたいと思っています。」
★はじめに
コミュニケーションをするには、ことばでのやりとりは、もちろん、とっても便利だし、重要な役割を果たしています。でも、ことばも行動の一部としてとらえることができるなら、たまには、ことば以外の行動に注目してみるのもいいという思いがありました。
昨年ブルガリアのリデフのロングアトリエ「ティーチャーズ・ボディ・ワークショップ」に参加したこと、ぼく自身が以前から身体表現に少し関心があったこともあり、今回のミニリデフでのアトリエを設定してみました。
アトリエの構成や要素は、「ティーチャーズ・ボディ・ワークショップ」でやっていたものを取り入れました。また、一つ一つのワークについては、演教連(日本演劇教育連盟)のワークショップでやっていたものや演劇関係の本から取り入れてみました。
「ティーチャーズ・ボディ・ワークショップ」では、体を意識し解放していくプロセスを次の三段階に分けていました。
@ Myself(個人の体への意識、リラックス)
A Ourselves(相手・グループとの関わりを意識して、協同)
B Themselves(他者に伝えることを意識して)
また、「リラックス」、「ゲーム」、「クリエイティブドラマ」、「プレゼンテーション(表現・上演)」、「クールダウン」といった流れでアトリエを組み立てていました。
最近の身体表現のワークショップでも、こういった体をリラックスさせるウォーミングアップから始まり、お互いのコミュニケーションを図るゲームを取り入れ、いくつかのワークショップをし、簡単な劇を創作し、そして、発表、といった流し方はポピュラーなようです。
しかし、問題は時間でした。「ティーチャーズ・ボディ・ワークショップ」では、一週間という長い時間がありました。毎日のリラックスタイムで少しずつ自分の体がリラックスしていくのを参加者が感じていくことができました。ぼくが経験したことのあるワークショップも身体の変化を感じるのは三日間くらいあります。一日だと「ふーん」といった感じです。3時間というのはなかなかイメージできませんでした。
こちらが用意したプログラムをただ一方的にこなしていくといったワークショップにはしたくないという思いがあり、そう意味で一つの試みでもありました。
1.アトリエの流れ
(1)ウォーミングアップ(リラックス)
ここでは、ダンスを取り入れました。身体表現のワークショップでもウォーミングアップにダン スを取り入れたことも試みの一つでした。
@ ダンス…スローテンポで、ステップを覚える(前前・後ろ後ろ・右右・左右)
スローテンポで、輪になり手をつないで目をつぶる ステップを意識しない
ディスコテンポで、同じステップでテンポをあげる
(アップテンポで同じステップ時間があれば)
A創作ダンス…ディスコテンポで即興
設定:前に進む・その場にとまる・ターンしながら・後ろ向きでもどるを各16拍で作る。
グループでアレンジ :3〜4人のグループになり、個人で作ったものをつなげて一つものを作 っていく。
これをグループごとにプレゼンテーションする
(2)ゲーム…自己紹介的なゲームを考えていましたが、リデフ二日目ということで顔見知りになったと いうこともあり、時間の関係もあって省略しました。
(3)相手の感じるワーク
@ワンタッチ・オブジェ
・ みんなで丸い輪を作り、1,2,1,2…と繰り返し番号をかけていく。
・順に輪の中に一人ずつ出ていき好きなポーズをとる。
・二番目の人からは誰かにワンタッチしたままポーズをとる。
・つながり合っていくことで「一つのオブジェ」になっていく。
A手裏剣
・ 二人一組で、無対象の手裏剣を投げ合う
(慣れれば一対多でもできるが今回は割愛)
このバリエーションとしては、架空のボールをイメージして、野球やバレーボールなどもある。
・手裏剣は、なるべく頭で考える余裕を与えないで「さっ」やるのがポイント。
Bイエスマン・ノーマン
・二人一組、座って向き合う
・イエスマン・ノーマンの役割を決める
・イエスマンはノーマンに「イエス」といって声をかけ、ノーマンは「ノー」と応える。この繰り返 し。(役割交代)
・「イエス」「ノー」でのコミュニケーション。目を見るのがポイント。
・二回目、イエスマンは具体的な場面をイメージしてイエスと声をかける。
(役割交代)
・最後に、ノーマンに、「イエス」の場面をあててもらう。・時間があれば、遠近の位置を変えての バリエーションも。
C通りすがり
・二人一組 4〜5メートルくらい離れて正面を向き合う。
・呼吸を合わせて同時に歩き始める。
・すれ違ってから、ゆっくり振り返り、相手の目を見る。
・その時の反応によって動く(めちゃ語もあり)
(4)クリエイティブドラマ:即興(3〜5分程度)
・グルーピング(4〜5人)
・設定…@場所AキャラクターB事件(出来事)を決める
・キャラクターの入り方、誰が事件を起こすのかなどは確認はするが、練習はしない
・常にお互いの目を見て反応し行動するのが約束事
・プレゼンテーション
(5)クールダウン・リラックスストレッチ
2.参加者の感想
*踊りはからだを解放する。心も開いて新しい動きが自然に生まれる。デタラメ語がぶつかり合 うと思いもかけぬ関係が生まれる。「目」を見て役割を動くとそこに初めて出会った人で創る 劇空間が、みーんな面白かった。 (田辺まさえ)
*単純な動き、しぐさから無限の拡がりを感じる身体感覚を体験するものだった。他者との関係 性の基本は常に自己身体感であると言うことを認識するものである。 (鈴木静子)
*こんなに自然に笑えるなんて久しぶり、一挙に体も気持ちも開いてしまうものなんだネ。自分 をいつも包み隠していることはできないけれど、ほんとは「私らしさ」をずいぶんしまってい たんだなと気がつきました。夫ともこのゲームをやってみようかななんて思ったり…(伊藤)
*気恥ずかしさが最初はあったのに、次第に楽しめるようになっていったのは、アニメーターの誘導のマジック?それとも、それぞれの一つ一つのパーツ(メソッド)の持つ力?窓から見える山々、草木の色、様々なロケーションと相まって「体」がほぐれていく経過を体感した。あ、そうそう、音楽は欠かせないですネ。 (伊藤由子)
*自分だけでやるのではなく、人とかかわり合いながら体を動かしていくのは楽しいですね。とっさの動きやアイデアというのが自分でも何が出るのか自分に期待してしまいました。 (佐藤久美子)
*いくつかのエチュードの中でとても気にいったのは、みんなでオブジェを作って見合ったもの (1,2に分かれて)自分の体も、人の体(体にふれることによって)も意識して、表現するのがおもしろかった。一人の表現とみんなの表現が合わさったとき偶然ができあがる形…衣装を付けて暗い中、照明をあてたらいいかも…と思いました。「ふり返る」…そこから始まる…のは目と目との合った瞬間がポイントかな? (星島真理子)
*自分がどんな状態の時に何を感じるかを自分でいろいろ確かめ?られて、いろいろ考えられま した。身体で表現することへの抵抗が少なくなるようによく工夫された気がします。どこに、何にウエイトをおくか…というあたりは難しいですね…。 (猪狩みき)
3.やってみて思うこと
*「こちらが用意したプログラムただ一方的にこなしていくといったワークショップにはしたくないという思いがあり、そう意味で一つの試みでもありました。」
この試みについてはどうだったでしょうか。はやり、前半はこちらが一方的に進めてしまったという思いがあります。時間を気にするぼく自身にゆとりがなかったのでしょう。途中、休憩を挟んだ後に、ミーティングを開いて参加者からの思いや質問を聞けたことで漸く気持ちが落ち着いてきたという有様です。もう少し一つ一つのプログラムの意図などや思いを説明していけば良かったと思います。
今回、ぼくと荻原さんは二度ほど長めの打ち合わせをしました。
構成や要素は「ティーチャーズ・ボディ・ワークショップ」を取り入れ、一つ一つのパーツの部分は他のワークショップでやっているものから選んだものです。いわばどちらも借り物です。ここでは、それらの一つ一つのものをどう配列するかにポイントを置きました。
その一つには、例えば、ウォーミングアップのダンスのように、なるべく一つのワークのなかにも「my/our/them・プレゼンテエーション」の段階を取り入れてみたということもあります。
ダンスでもそうなのですが、身体表現のワークでは、「えっ、こんなことやるの?」と、なかなか「あともう一歩」が出ないことが多いです。そういった意味では、参加者の感想を読むと、比較的楽に「あと一歩」が踏み出せた方がそろっていたようですが、「身体で表現することへの抵抗が少なくなるようによく工夫された気がします。」といった感想を読むと素直に良かったなと思います。
ウォーミングアップにダンスを持ってきたことは、僕にとっては新しい試みだったのですがまずまずだったと思っています。アトリエのはじめの段階で、グループでのダンスのプレゼンテーションができてしまいました。
しかし、相手を感じるワークの「イエスマン・ノーマン」や「通りすがり」あたりから、少しずつ「あと一歩」を感じ始めてきた参加者もいたようです。この辺をもう少し丁寧にやれば良かったのかとも思います。このへんが、僕がこのアトリエでねらうマトが絞れていなかったことの現れだと思います。
課題は、いろいろとありますが、今回のアトリエをやってみたことはとてもよかったです。当たり前ですが、やってみて初めて見えてくるものがあります。
今回ではできなかった、空間的、時間的「間」、「待つ」「沈黙」などにもこだわりたかったし、今度は、もっと「表現の道具としての体」にしぼってみようかなどの思いが出てきました。
以上、渡辺 記す
以前から「からだ」に関心があったぼくは、昨年のブルガリア・リデフの「ボディ・ワークショップ」に渡辺さんと参加し、宿舎が同部屋だったこともあって、お互いの問題意識についていろいろ語り合いました。その延長に、今回のアトリエがありました。一口に「からだ」といっても、人それぞれに関心の在処が違うと思います。ぼくが、関心を持っているのは、どちらかと言えば「表現する」からだではなく、「感じる」からだです。頭で考える前に、「感じ」、「応答する」からだ。そして、からだを通した他者とのコミュニケーションを通じて、未知の自分を発見する。
そうした渡辺さんやぼくの問題意識を、アトリエの中でどのように具体化していくかを二人で話し合い、今回のような形になりました。一つひとつのワークは、いろいろなところから借りてきたもので、オリジナルではありません。しかし、それらをどのような考えのもとに、どのように組み合わせていくかというところに、ぼくたちの主眼はありました。アトリエ具体化の過程で、時間の関係もあってMyself(自分のからだへの意識)よりもOurselvesとThemselvesに重点を置いたのですが、参加者の感想を読むと最後はMyselfに帰るのかなあと思い、それは嬉しい誤算でした。
それから、アニメーターが参加者とともにアトリエを創るということも大切にしたいと思っていました。参加者から異論が出てアトリエの方向が変わるくらいでもいいね、と二人で話していたのです。実際には、渡辺さんも書いているように、前半やや一方的に進めてしまったかなとぼくも感じたので、後半の最初に少しディスカッションの時間を取りました。「通りすがり」ワークの時に、いろいろな バージョンを試すことができたのは、こうした時間を取ったからだと思います。
今回、初めて「からだのアトリエ」に取り組んだわけですが、ぼくたちがイメージしていたことを手探りで形にしたと言えると思います。ここで見えてきたことを手がかりに、機会があれば第2弾に挑戦してみたいと思います。
以上、荻原記す