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いらした記念に足跡を
どうぞ














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書き殴り作品解説
友松直之
理恵と出会ってぼくは激しく恋に落ちた。一生に一度くらいはこういう事もあるかも知れないと思う程の宿命的に破滅的な恋だった。頭ではそれがどれだけ馬鹿な事か分かっていても止めようのない想い。それはおそらく台風とか地震とか戦争とか、あるいはゴジラのようなものであって逃げようと思って逃げられるものではないのだ。巻き込まれれば命はない。当然ぼくも無傷では済まなかったし、それどころか全部失くした。
理恵はぼくの事を愛してはくれなかった。二年間に渡って何度も思い知らされながらもこの事実を今改めて認めるのは死ぬ程辛い。みぞおちあたりからオウオウと嗚咽が込み上げてくる。サンシャインあたりのアシカショウにまぜてもらえそうな立派な嗚咽だ。でもまあ今のところ水族館に用はない。理恵はぼくの事を愛してなどいなかった。冷静にこの事実を受け止めよう。
恥の多い人生で自分でも嫌になる。創作して人様に作品を観せるというのは恥の上塗り以外の何物でもなく、さらに自分でその解説を書くなど言語道断、読まされる方も災難である。しかしまあ友松直之などという名前も聞いた事もないような監督の特集上映のパンフを手に取る人であれば、そのあたりの覚悟はできているか、あるいはそういうのが好きという変人であると判断してこのまま書く。
初めて観た映画は『ゴジラ対ヘドラ』で、ぼくは五歳だった。大阪は天王寺の近映大劇場だったと思う。強烈な印象でカット割りやセリフ、音楽まで詳しく覚えている。後年LDで再見し、自分の記憶の確かさに驚いた。中でもヘドロの海に浮かぶ肢体をねじ曲げて壊れた全裸のマネキン人形の印象は強烈で、初めての性的勃起の対象は彼女ではなかったか。
その後、東宝チャンピオン祭りと東映マンガ祭りは親に連れられて観ているが、自分の小遣いで行くようになって観たのは、『恐竜・怪鳥の伝説』と大林宣彦監督の『HOUSE』である。『恐竜〜』は富士西湖に現れたプレシオサウルスが人を喰う話で、下半身をちぎられて、上半身だけでゴムボートのヘリにつかまって助けを求める少女の映像は、今でも脳裏に焼き付いている。『HOUSE』は言うまでもなく独特の映像美に彩られ、横溢する性的イメージの中で少女たちが血塗れになる映画で、勃起するなというのが無理だ。手でしごくという形で覚えたばかりのオナニーは当然この映画を夢想して行われた。射精の瞬間に思い描くのは、当時女子高生だった多岐川由美の入浴全裸シーンでもおっぱい露出シーンでもなく、友人の生首にお尻を噛みつかれる大場久美子、だった。学習帳まるまる一冊使って、人を喰う家と恐竜が殺し合う漫画を描いた。ぼくの創作第一号である。小学校の五年生、十歳だった。
このあたりで『スターウォーズ』とか『ジョーズ』が流行するが、ぼくは観ていない。そのかわり、と言うのも変だが、『フラッシュゴードン』と『ピラニア』は観た。『テンタクルズ』も好きだった。そして『ゾンビ』である。『サンゲリア』である。『ゾンゲリア』というのもあったな。決してひとりでは観ないで下さいの『サスペリア』も忘れてはいけない。全寮制の女子高に編入してきた少女が学園のナゾを暴く。実は学長は魔女、というのは、ギャガの『エコエコアザラク』みたいだ。
自分の映画を撮りたいという渇望は、高校入学によってかなえられた。入部した漫画研究会に8ミリカメラがあったのだ。漫研内部に映画制作班、幻想配給社を結成、待望の映画を撮り始めた。初監督作品は『背後霊の実態』、背後からついて歩くものだから、自動ドアにはさまれたり、壁にもたれると押しつぶされたり、電車に駆け込むとホームに取り残されたりするという馬鹿な短編で、予告編に『犬対大畑』という伊福部昭のマーチにのせて、当時ぼくが飼っていた犬と部員の大畑がジャレ合うというものがくっついていた。ぼくは十五歳だった。
世間では大林監督の『時をかける少女』がヒットしていた。原作者の筒井康隆さんの小説は兄の影響で小学生の頃から読んでいたが、この頃に改めて全作品を読んでいる。以後現在に至るまで出版されたものは全部買う、ファンである。
第三回大阪SF大会があったのもこの頃だった。ダイコンフィルムはビデオテープを買った。当時まだ家にビデオデッキがなかったのでアルバイトして買った。ほとんどこれを観る為だった。押井守監督の『うる星やつら』も録画したかったけど。
ダイコンフィルムは衝撃だった。自分とそれ程年の違わない人たちが同じ大阪でプロにせまるクオリティの創作活動をしているという事実に驚愕した。自分もこうしてはいられないなどと奮起したが、何、ダイコンと言えば後のガイナックスである。『ガメラ』の樋口真嗣特技監督である。『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督である。天才集団なのだ。人種が違います。かなう訳がありません。
オタク文化である。ぼくも首までどっぷりつかった。だから、という訳でもないのだろうが高校は三年間通じて彼女はできなかった。桃山学院は男子校だったしな。
ある放課後、ハンドボール部が練習していて、プール女学院の女子高生たちが見学に来ていた。交流会という奴だ。たまたま同じグラウンドで8ミリ映画の撮影中だった我々のところへ、ハンドボール部員が血相を変えて怒鳴り込んで来た。撮影をやめて消えろというのだ。女子高生たちに格好いいところを見せたい彼らにしてみれば、学院の品位に関わると言いたいのだろう。こちらと言えば全員白塗りに血糊のメイクでボロをまとっただけの半裸である(暗黒舞踊が流行っていたのだ)。無理もない。とは言うもののハイそうですかと素直に従ってはオタクがすたる。彼らがクラブ活動なら我々もクラブ活動だ。彼らだけのグラウンドではない。学費は同額払っている(親の金だけど)。インターハイ準優勝が何ボのもんじゃい。おれは未来の映画監督だ。しかも天才。ケンカになり、あわや停学の騒ぎだった。以来ぼくはスポーツとスポーツマンを憎悪している。あの”いい汗“には生理的嫌悪さえ感じる。スキーだテニスだアウトドアだと騒ぐ若者は皆死ねばいいと本気で思っている。死ね。
まァ憎悪の根源をさぐってみると、要するにアイツらはおれより女にモテる、というそれだけなんだけど。
もちろん男子校でオタクだからと言って色っぽい話が全くない訳ではない。文化祭の後、家に泊まりに来たクラスメイトと自室のベットで抱き合った。ファーストキスだった。お互いの身体をまさぐり合った。人の身体と身体はこんなにぴったり合うのかと感動した。彼はフェラチオしてくれた。そう、男子校のクラスメイトだから当然、彼、である。初めての事ですぐに射精してしまったぼくのペニスを尚も舐めてくれた彼の優しさを思うと今でも胸が熱くなる。京都でゲイバーを経営していると噂で聞いたが、元気だろうか。
高校を卒業し大学は三ヶ月で辞めた。コンパだのドライブだの旅行だの、大学生のする遊びに全く興味が持てなかったのだ。というか徹底的に軽蔑してしまったのだ。馬鹿だコイツら、と思ってしまったのだ。まァ実際アイツら馬鹿だけど。
アルバイトをしながら自主映画を撮り、同人漫画を描いた。そしてスプラッタムービーがやって来た。『死霊のはらわた』でサム・ライミが登場したのだ。各名画座でスプラッタ特集が組まれ、普及し始めたレンタルビデオで新旧のB級ホラー、スプラッタがフォローされた。トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ2』、クローネンバーグの『ビデオドローム』、カーペンターの『遊星からの物体X』に熱くなった。『ハロウィン』『13日の金曜日』『エルム街の悪夢』『バタリアン』『死霊のしたたり』『フェノミナ』『マイドク』挙げだすとキリがない。
ぼくは自主上映会で知り合った仲間と『屍の街』という8ミリ映画を作った。ぼくは特技監督として参加し、ゾンビのメイク、殺される人体の造型、それらのシーンの演出を担当した。当時ブームに乗って創刊されたホラー雑誌Vゾーンの特集ページ『自主映画のSFX』にぼくの記事が載った。マスメディアにぼくの顔写真が載り、友松直之という名前が印刷されたのはこれが初めてだった。ぼくは十九歳だった。そして何と、おお。何とぼくのフルカラー一ページ記事の隣のページは。ダイコンフィルムの一本『八岐大蛇の逆襲』の樋口真嗣特技監督だった。どれだけぼくが誇らしかった事か。「自主映画時代に、あの樋口監督と並んで紹介されたんだよ」というのは、今だにぼくの密かな自慢になっている。
この直後、中部日本放送の深夜番組でゾンビのメイクをやってくれ、と仕事の依頼が舞い込んだ。出掛けて行って初めてプロの現場を目の当たりにした。映像の仕事で初めてギャラをもらった。このまま映像業界に潜り込めるか、とも思ったが、それ程世の中は甘くはない。相変わらず自主映画と同人誌、アルバイトの日々が続いた。
迷子の仔猫がクリスマスの魔法で人間の女の子に変身して好きだった男の子と一日だけのデートをする、という『くるくる』。昭和百年の未来世界、盲目車椅子の探偵が鬼面の全身血みどろ殺人鬼と戦う『宵闇探偵』を撮ったのはこの頃だ。
何とかせねば、世に出なければ、そんな思いでぼくは上京を決めた。東京には何のコネも知り合いもいない。アパート捜しもままならない。とりあえず漫画の専門学校に入ってその指定の学生寮に入居することにした。何故映画の専門学校じゃなかったかと言うと、こっちの方が学費が安かったからだ。
上京の手筈が整った頃、ぼくに初めての彼女ができた。『宵闇探偵』に手伝い兼出演で参加してくれた十七歳の高校三年生で弥生といった。二十歳になる前に経験したいなァでも風俗は嫌だなァと思っていたが、二十歳の誕生日一ヶ月前という滑り込みで初めてセックスをする事ができた。彼女は初めてではなく、行為中はぼくは自分が童貞である事を隠すのに必死だった。幸いバレなかったが、もしかしたら気付かないフリをしてくれたのかもしれない。大和川添いのキャンパスというラブホテルだった。弥生は可愛らしくてエキセントリックでウソつきだった。虚言は主に我が身の性的不幸についてだった。初体験は強姦だった。チンピラたちに輪姦されて誰のか分からない子供を身ごもった。腹を殴って駅の公衆便所で自分で流産した。実は小学生の頃父親からいたずらされ続けた。弥生の話は、あまりにも辻褄の合わないところが多すぎて、ほどんど嘘か、あるいは全部嘘だったと思う。でもまさか面と向かってそう指摘する訳にもいかず、ぼくは黙って聞いてあげて、話がひと段落すると抱きしめて頭を撫でてあげた。ぼくの上京の日が近付くと弥生はどんどん乱調の度合いを高めた。今であれば心療内科への通院を勧めるところだが、そんなものは当時はなかった。今から手首を切るとカミソリを取り出した時は流石に青ざめた。「私の事ホンマに好きやったら東京なんか行かんといて」そうは言っても弥生と知り合った時はすでに上京は決まっていたのだ。自主映画も同人漫画も次への一歩を踏み出さなければ、後はいつやめるかの止め時待ちになってしまう。ぼくはそれが嫌だった。とにかく動いてみたかった。ぼくは弥生のカミソリを奪って一生懸命説明した。三月の弥生の誕生日には指輪を贈った。四月からは遠距離恋愛すればいい。月に一度はどちらかが遊びに行けばいい。きっとうまく行くよ、とぼくは言ったがそうはならなかった。
上京して一ヶ月もしないうちに、ぼくをを罵倒する手紙とともにプレゼントした指輪が送り返されて来た。共通の友人から、弥生が新しい彼氏をつくって、おまえの悪口を言いふらしてるで、と聞かされた。ぼくの何が彼女をそんなに怒らせたのか全く分からなかった。
とりあえず、東京での生活が始まった。漫画の専門学校にはほとんど行かずバイトに明け暮れた。プールバーのウェイターと引っ越し屋だ。まずは生活の基盤を作る必要があった。新しくできた仲間を集めて『東京道化師』を撮った。郷里を捨てて東京に出て来た少年が、彼女に指輪を送り返されて以来、鏡に写る自分の顔がピエロに見える、というまァそんな映画だ。そんな風に一年半ほど経った頃、専門学校の特別講師として内田春菊さんが教壇に立った。『幻想の普通少女』『闇のまにまに』『南くんの恋人』に心酔していたぼくは、春菊さんの「アシスタントは常に募集しているので、やる気のある人はどうぞ」という言葉を真に受けて、帰途にある春菊さんを追いかけた。「使って下さい!」という訳だ。当時ぼくは漫画も映画も同じくらい好きで、組織の中で映画監督という出世コースの頂点を目指すより、個人で勝負できる漫画家を目指す方が表現者として世に出るにはてっとり早いのではないか、と考えたのだ。
甘かった。世間知らずの二十歳そこそこのガキに何ができるものか。ぼくはワク線の一本もまともに引けない最低のアシスタントだった。描いた自作漫画はクソミソにけなされた。徹底的に罵倒されいじめ抜かれる毎日だった。今のぼくになら、この時の春菊さんの思いが良く分かる。助監督、あるいはシナリオライターを目指してぼくの許を訪れる二十代の奴を見ているとイライラするのだ。才能も技術も経験も無いクセにプライドだけはやたら高くて、ギャラの不平不満は言うけど努力はしないという輩は本当に多い。まァそれが若さなのだろうけど。おそらくあの頃のぼくはまさにそうだったのだと思う。
「あんたはまだ何もしていない、これからの人間だ。あんたはゼロだ。あんたはみっともない。あんたは気色悪い。あんたは何も知らないし何もできない。まずはそれを認めてもっと謙虚になりなさい。そしてもっと努力しなさい」。春菊さんがぼくに言い続けた言葉だ。ぼくは今でもこの言葉を独りでつぶやいてみたりする。流石に額にかざったりはしなけど。
ぼくに愛想をつかせた春菊さんは、事務所の車を傷つけたぼくに、坊主にして来い、いやなら辞めろと言った。どうせ逃げ出すだろうと思われているのがシャクで、ぼくは坊主にした。以来、基本的にはずっと坊主頭で通している。それはともかく、でも結局そのすぐ後、ぼくは逃げ出す事になる。ぼくと同じ二十一歳の女性スタッフの誕生日に春菊さんがケーキを買って来たのだ。ぼくはうらやましくて仕方なかった。いじめられ嫌われてるぼくはこんなの買ってもらえないんだろうな。母親に片思いするデキの悪い子供の心境だ。その女性スタッフは喜んで礼を言ったクセに事務所の冷蔵庫にケーキを忘れて帰った。ケーキの箱には本日中にお召し上がり下さいと書いてある。深夜、事務所で仕事しているのはぼくだけだった。気が付いたらぼくはそのケーキをむさぼり食っていた。何という事をしたのだおれは、と慌てても後の祭りだ。オレハ盗ミ食イヲシタ。仕事ができない才能がないといじめられるのは仕方がない。でもケーキを盗み食いしたといじめられるのは、これは辛すぎる。耐えられない。ぼくはお世話になりましたとメモだけ残して大阪に逃げ帰った。
オタク文化の盛り上がりとスプラッタブームは急速に終わりを告げた。宮崎勤の幼女連続殺人事件が起きたのだ。イケニエを見つけた時のマスコミの反応はいつも同じだ。オタク文化とスプラッタに関連するものは全て悪とみなして徹底的に攻撃した。宮崎君の部屋は『ウルトラマン』『仮面ライダー』といった特撮番組やアニメのビデオソフトや、関連フィギュア、グッズで埋め尽くされていた。マスコミはこれを”大人になれない異常性格“と評した。何の事はない宮崎君の部屋とぼくの部屋はそっくりだ(ちなみに石井輝男監督の「地獄」に出て来る宮崎君の部屋に飾られているガメラとウルトラマンのフィギュア、あれはぼくのです。美術スタッフが知り合いで頼まれてお貸ししました)。漫画同人誌の即売会などもその暗部ばかりが報道されコキ降ろされた。自主映画も同じだった。Vゾーンは廃刊になった。やっぱり若者は音楽とスポーツを楽しんで合コンとドライブとファミコンと旅行で遊ばなきゃね、夏はテニスにサーフィン、冬はスキー。それできない人は変態のオタクの殺人者。
何でそんなに画一的なワクにはめるのだ。流行もブランドも知ったこっちゃない。常識にも多少欠けるかもしれない。彼女もいない。でも限定された狭い分野に関しては、その知識も技術も才能も抜きん出ている。通りいっぺんの趣味や仕事にとどめない専門馬鹿。格好いいじゃないか。本当にオタクのどこが悪いんだ。
宮崎君にしたところで、彼はそんなに悪逆非道なのか。あれは彼なりの愛の形ではないか。あるいは近年の新潟少女監禁事件にしても、そこにロマンチックを感じないか。無力な少女を力づくでさらって自分の寝ぐらに閉じ込める。略奪婚とでも言うのか、現代でこそ犯罪だが石器時代であれば最も一般的な恋愛・結婚の形ではないか。もちろん、無力な少年をさらう筋骨たくましい女がいたっていい。現に一戸建てをエサにして、すでに妻のある息子に同居を迫り精神的近親相姦をたくらむ母親などはいくらでもいる。それも愛だ。宮崎君はさらった幼女を殺して喰ってビデオに撮った。そんな愛情表現があってもいいじゃないか。この法治国家において彼らの行為は断固裁かれるべきだが、それでも彼らの愛を否定するのは間違っている。宮崎君は愛しているから喰ったのだ。もちろん殺される側、監禁される側はたまったものではない、被害者の家族の怒り悲しみは相当なものだろう。それでも彼らの愛は否定できない。相手を思いやる気持ち、相手の幸せを願う気持ち、相手の人格を尊重する配慮、などというのは社会性であって愛ではない。愛はもっと純粋で無分別で原始的根源的なものだ。今まさにガゼルに襲いかかろうとするライオンに動物愛護の精神を説いても始まらない。倫理道徳を語る言葉で愛は語れない、語ってはいけない。それは愛に対してあまりに不遜だ。
それはともかく、大阪に帰ったぼくは何をする気にもならず、ただダラダラと緩慢な自滅の道を歩んでいた。負け犬だ。東京が辛くて逃げ帰ってしまった。何もできなかった。もしもう一度二十代を経験できるとしても、あの頃にだけは戻りたくない。だいたい人生というのは生きているだけでツライものだしどうしようもなく切ない。でも特にあの頃は酷かった。以前撮った『くるくる』に出演していた女の子を友人と奪い合って泥沼の末失恋し、みっともなさに死にたくなったのもこの頃だった。とは言うものの”死んだ方がマシ“と実際に死ぬのには、大きな隔たりがある。
ぼくは当時存命だった父親が経営する街工場を手伝い始めていた。休日は、それでも『宵闇探偵・平成版』などの自主映画を撮った。このまま父親の跡を継ぎ、街工場の経営者として生きて行くんだなと諦念にとらわれて何の希望もなかった。それでも、とぼくは思った。漫画を描いて映画を撮るというのがぼくの青春だった。それでいいじゃないか、年を取ったら懐かしく語ろう。でも最後にもう一本だけ撮ろう。それで最後、全部終わりにしよう。春菊さんにクソミソにけなされた自作漫画を原作にして『かくれんぼ』を撮った。あるOLが小学校の同窓会に出掛ける。かつてのクラスメイトたちに幼なじみの所在を訊ねると誰も覚えていない。口をそろえてそんな子知らない、という。彼女は幼なじみと会った最後が、花柄恐竜の石像がある公園でかくれんぼした時だったと思い出す。かくれんぼの最中に母親が迎えに来て途中で帰ったのだ。彼女は深夜の公園に幼なじみを捜しに行く。かくれんぼの続き、だ。
給料の全てをつぎ込んで百万円以上かけた8ミリ映画。公園の花柄恐竜の頭部と、モデルアニメーション用の恐竜の造型は寒河江弘氏で、彼は『STACY』でもCMガールフィギュアを造ってくれている。六十分を越える中編である。これで最後、のつもりの『かくれんぼ』だったが、もちろん最後にはならなかった。映画創作の楽しさを再確認してしまったのだ。
当時レンタルビデオが定着し、ツタヤなどの大型店舗も現れ始めた。それにともなって着実に市場を成長させ続けていたのが、アダルトビデオだった。物語の中でエロティシズムを追求する日活ロマンポルノなどの成人映画や、後に登場するセクシー系Vシネマなどと違い、非常に即物的で、ただヤルだけのジャンルだったが、時代に合ったのだろう。本番、つまりカメラ前で男女が本当にセックスをするという衝撃性が受けたのかもしれない。ともかくAVは続々と作られ、その制作会社も雨後の筍の様にどんどん現れた。高校漫研の先輩がそんな制作会社、ペンジュラムでアルバイトしていると聞いて、紹介してもらい、ぼくは再び上京した。二十三歳だった。
やはりぼくは助監督として有能とは言い難かったが、だからといって精進しようという気にもならなかった。もちろんAVの中にも作品として面白いものもあるが、やはりそれは少数で大抵はヤルだけの映像で、創作とは言えない。ぼくは三ヶ月でアキてしまった。そんな時、社員監督の川村真一氏が、新東宝のピンク映画を撮るけどライターを決めかねている、と聞きつけた。「書かせて下さい」とねじ込んで、返事も待たずに一晩で書き上げた。『ザ・妊婦』という、胎内回帰を願う車椅子作家が妊婦を監禁する話で、これがぼくのシナリオライターとしてのデビューになった。続いてエクセスポルノ『人妻レイプ症候群』というライトコメディ調のシナリオを書いた。その後、大阪に戻る。『かくれんぼ』のスタッフとまた自主映画を作りたくなったのだ。そして一夏かけて撮ったのが『夏色浪漫』だ。ぼくとしては初めて16ミリのフィルムを使った。この作品は後にツタヤが主催するインディーズムービーフェスティバルに入選してソフト化された。今でも物好きなツタヤ(少なくとも新宿店)にはテープがあって、レンタルできます。
十二歳の夏、少年は朝のラジオ体操の帰りに少女に声を掛けられる。少女は少年の事を少年の祖父の名で呼んだ。私の懐中時計を返してと訴える少女と共に少年は時計捜しにつき合う。時計は少年の祖父が持っていた。少女は実は祖父の幼なじみで、空襲で祖父を守って重傷を負い、戦後五十年間植物状態で眠り続ける老婆の生き霊だったのだ。ニュースではPKO法案の可決と自衛隊の海外派遣が報じられていた。
何だか社会派っぽいファンタジィだが、特に深い思想があった訳でもなかった。伊丹市の公共施設や市民劇団に協力をお願いしていたので、まァそういうのもありか、という程度だった。それにしても湾岸戦争のアメリカの暴虐ぶりと日本の対米外交の弱腰はイライラさせられた。クウェート侵攻などと言うが彼らは遊牧民であり、国境は欧米植民地政策の傷跡でしかない。それを越えたのなんだのと何でアメリカが飛行機飛ばしてガンガン爆撃して罪もないイラク市民を虐殺するのだ。何が世界の警察か。有名な油まみれの海鳥だってアメリカ空軍の爆撃の結果じゃないか。BBCから買った映像の音声を消してフセインは上陸阻止の為に環境を破壊している、などと報道して国民の戦意昂揚に利用するなんて無茶苦茶が何で通用するんだろう。真珠湾攻撃が宣戦布告の前に行われたというのは全くのウソで、アメリカ政府が日本政府の宣戦布告を握りつぶしてわざと奇襲させ、国民の戦意昂揚に利用したという説もうなずける。南京大虐殺のでっち上げも、実験と世界に自国の強さを見せる為に広島長崎に原爆を投下して何十万人もの大虐殺をやった事への言い訳だろう。こんな悪いヤツらだから酷い目に合って当然だと言いたかったに違いない。何でそんなヤツらがイラク市民を殺す為に使う金を我々日本国民が援助しなくてはならなかったのか。今思い出しても腹が立つ。戦争は殺人である。人殺しである。しかも動機には国の政策とか都合とかがあって非常に汚らしい。そこには愛のかけらもない。宮崎勤君を少しは見習うべきではないか。
音楽は詳しくないのだがバンドブームはこの頃だったのではないか。少なくともぼくが”筋肉少女帯“にハマッたのはこの頃だったと思う。『かくれんぼ』の自主上映会に来ていた大河原ちさとと仲良くなり、彼女がCDをダビングしてくれたのだ。筋少の唄には、疎外された者の叫びがあった。己を受け入れない世界への呪いと憎しみがあった。少なくともぼくにはそう聞こえた。特撮モノやアニメ、乱歩などオタク系文化への愛もあった。ぼくがハマらない訳がない。確か当時出たばかりの『サーカス団パノラマ島へ帰る』から遡って”空手バカボン“まで全部聴いた。スピーカーにすがりつくように聴きまくった。大槻ケンヂさんが小説を発表するとそれもむさぼりように読んだ。
少し時代が前後するが映画では塚本晋也監督の『鉄男』、林海象監督の『夢見るように眠りたい』、押井守監督の『赤い眼鏡』にハマっていた。ビデオを買って繰り返し観ていた。そう言えば松村監督の『オールナイトロング』もこの頃ではなかったか。松村監督とは二度程酒をご一緒したが、最近はどうしてらっしゃるのだろう。『オールナイトロング4』はあるのかな?
ぼくに”筋少“を教えた大河原は後にシナリオを書くようになり、『コギャル喰い大阪テレクラ篇』から『STACY』に至るまで、ぼくの監督作品はほとんど彼女が書いている。彼女の”面白いモノ“を見つけて来る目端のきかせ方にはいつも感心させられる。ぼくの情報源はたいてい彼女であり、得難いパートナーと言える。
『夏色浪漫』の後、『ザ・妊婦』主演男優の久保新二氏にENKプロモーションの駒田プロデューサーを紹介してもらった。ENKはホモの成人映画を製作配給する会社で、大阪に本社がある。もしかすると撮らせてもられるかも知れない。ぼくはホモの世界を雑誌、ビデオなどで勉強し、シナリオを書き、営業の御百度を踏んだ。元パンクバンドのボーカルだった青年は、バンド時代に自分が運転するバイクの事故でメンバーのひとりで親友だった少年を殺してしまっていた。現在、青年はヤクザが経営する裏ビデオショップで店員をやっていて、そのヤクザ者の玩弄物になっていた。ある時、自分が店で売っているビデオの中にやたらと高い値段の付いた物を見つける。好奇心からビデオを観た青年は驚愕する。それはスナッフビデオであり、少年が男たちに嬲られた末に首を切り落とされる様が映っていた。少年は自分が死なせた少年にそっくりだった。
『バラードに抱かれて』は、ぼくの商業映画監督デビュー作になった。ぼくは二十五歳だった。この作品も最近”男×男“シリーズの一本としてソフト化され、レンタル店に並んでいます。
成人映画は一本数百万円という超低予算で製作されている。余程手慣れた早撮り監督でないと予算内の製作は難しい。ぼくはいつもの自主制作のような製作体制を組みたかったので、自己資金を二百万ほど用意する事にした。もちろん出資したからと言って権利が持てる契約ではないので出し損と言ってしまえばそれまでである。とは言うものの根が自主映画のぼくとしては、自分の作品に自分で金を出すのは当たり前だ。上映を自分でしなくて済むし、より多くの人に観てもらえる。それで充分ではないか。一万円札なんてただの紙だ。
かくしてアルバイトの日々が始まった。昼は警備会社の交通誘導員、夜はミナミのホストクラブで働いた。ホストと言ってもオバさんを口説く気は最初からなく、勤め始めの三ヶ月は指名に関係なく時給制で、皆勤手当が月に十万もあったので、三ヶ月だけ勤めるつもりで働いた。とは言うもののそういう場所だから出会いは転がっている。ソープ嬢の由美と店が終わった後でホテルに行った。由美は五歳年上の三十歳だった。行為を終えてペニスを引き抜くとコンドームが破れていた。流石に慌てたが、まァ一回くらいで妊娠する事はないだろう、と思った。でもちゃんと由美は妊娠した。
バイトを全部辞めて、『バラードに抱かれて』の撮影に集中し、完成させた。青年に片思いする女の子役で出演した当時大阪芸大の演技演劇コースの学生だったみゆきとつき合い始めた。由美から妊娠の報告があったのはそんな時だった。彼女は三十で男と同棲していたが結婚の予定はない。ぼくと結婚したいともさらさら思わない。ただ、今中絶したら一生子供を産む事はないだろう。産んで独りで育てるから援助してくれ、という話だった。ぼくとしても異論はなかった。ソープ嬢で男と同棲しているからと言って本当におれの子か? と疑い出せばキリがないし、由美がそう言うんだからきっとそうなのだろう。タカる気ならもっと金持ちを選ぶ筈だ。異論は無かったが金も無かった。ぼくは『ザ・妊婦』の川村真一監督に連絡し、妊婦モノのAVを撮れないかと相談した。
ビッグモーカルというAVメーカーで、『妊婦という名の許に』を撮った。ぼくの企画演出料を含め出演料を由美に渡して、とりあえずの生活費と出産費用に充ててもらう事にした。後の養育費は産まれてから考えるつもりだった。でも由美は子供が産まれると乳児院に預けて自分は消えた。行方不明になってしまった。大阪府の児童相談所に問い合わせると、二歳までは乳児院で預かれるのでその間に養子縁組先を捜す、という事だった。由美が育てるつもりならそれが一番だし援助もしようと思っていた。でも里子に出すというのは話が違う。子供が可哀想だという考え方もあるが、それよりもせっかくの”子供を持つという喜び“を放棄するなんてもったいない。ぼくはそう考えた。正義というのが由美が赤ん坊に残した名前だった。ぼくは正義を引き取る事にして、みゆきに子育てを手伝って欲しいと頼んだ。ぼくとみゆきは結婚して正義を引き取り三人家族になった。
ぼくはみゆきをヒロインにして自主映画を撮った。風俗でバイトする女子大生が、恋したりフラれたり、いろんな事があるけど今日も元気、という青春モノ『あの娘は自転車にのって』である。正義もホストにハマッた風俗嬢が産んだ赤ん坊、の役で出演させた。以後『STACY』まで正義はぼくの監督作品全作に出演している。ほぼ並行してENKプロモーションでの監督二本目の作品『わがまま旋風(センセーション)』も撮影した。『わがまま〜』は、やはり自己資金を何百万か用意して、一年以上掛けて春夏秋冬を取り入れながら撮影した。
今はサラリーマンで家庭も持っているが、昔は小劇場をやっていてホモの恋人がいたという男が、かつての恋人が事故で死んだと聞かされて、急に今の生活が空々しくなる。出産を控えた妻にカミングアウトして離婚、会社も辞めた彼は再び劇団を始める。メンバーを集める中で男三人の三角関係になり、やがて彼は舞台の上で殺されたいと願うようになる。
撮影の合間をぬってアルバイトに明け暮れた。昼は交通誘導員、夜はパン工場で働いた。みゆきは芸大を中退して昼は喫茶店、夜はミナミのクラブでホステスをやってくれた。ふたりで稼げば収入も倍だ。でも撮っている映画も二本で食い扶持は赤ん坊一人多い。保育園の費用も必要だ。生活は楽ではない、と言うか極貧だが、それでも楽しかった。そうやって何とか『あの娘は〜』と『わがまま〜』を完成させた。ぼくは二十八歳になっていた。
一息ついて改めて職探しを始めた。情報誌に載っていたカラオケ映像の制作会社、TMPに入った。当時はまだ通信カラオケは開発されておらずレーザーカラオケが主流だった。つまり一曲ごとに映像が必要な訳で、撮っても撮っても元がとれたのだ。とりあえずバイトではなく社員である。ローンも組めるぞ、という事で両方の親に頭金を借りて一戸建てに引っ越した。四畳半のアパートは子育てするには狭過ぎたのだ。
親会社から回って来るカラオケ映像だけを撮っているTMPだが、せっかく機材も人員もあるのだからと、ぼくが営業をかけて大蔵映画『コギャル喰い大阪テレクラ篇』と、グランドスラムインターナショナル『電脳大奥』を制作した。
『コギャル喰い〜』は、テレクラのティッシュ配りの青年が、テレクラに掛けて来る女達の恨み話に同調して殺人請負いをするというサイコもの。青年が偶然拾った背中に傷のある少女は、私、天使やねん、コレ羽ちぎった跡、などという。青年は殺人を続け、少女はあくまでも美しい。
この作品は文化通信社の大高宏雄さん、ライターの切通理作さんなどに取り上げていだたき、何とまァ驚いた事にキネマ旬報の九十七年度日本映画ベスト五十二位にランキングされた。嘘みたいな話である。他にも映画芸術、映画秘宝でも取り上げられた。だって、ねぇ、コレすごくない? 天下のキネ旬でおれの映画が五十二位だぜ。ひっくり返ってて大喜びした。ざまァ見ろ。おれはスゴイのだ天才なのだ。
『電脳大奥』は、ネット上に流れるバーチャルゲームに入って行って城を攻略して大奥をモノにするという話。現実とリンクするこのゲームは会社の嫌な上司、街角で自分を殴ったチンピラが敵キャラとして登場する。大奥は片想いしている会社の同僚だ。主人公はやがて現実とゲームの区別がつかなくなってゆく。
前後して結城哲也さんと出会う。カラオケ映像で使う役者の紹介だった。結城さんと言えばチャンバラトリオだが、Vシネマファンにしてみれば『ミナミの帝王』シリーズの沢木組長である。結城さんは、ぼくを萩庭貞明監督に紹介してくれた。ちょうど萩庭監督はKSSで劇場用映画を企画中で、まだライターも決まっていなかった。「書かせて下さい!」ぼくのいつもの得意技だ。しかしヤクザものの忠臣蔵、という企画である。ぼくはこの時までヤクザ映画というものを観た事がなかった。確かに思春期の頃『仁義なき戦い』が大ヒットしていた気もするが全く興味が無かった。時代劇も同様で、恥ずかしい話だが『忠臣蔵』って何なのか知らなかった。ぼくの興味はあくまでも幻想映画であり、怪獣も宇宙人も幽霊も呪いもサイコ殺人鬼も出て来ない映画は、ほとんど素通りだったのだ。しかし書くと宣言したからには書かねばならない。不眠不休の猛勉強をした。とりあえず『仁義なき戦い』を始めレンタル屋にあるヤクザ映画は全部見た。つまらないものは早送りでそれでも一応観た。『忠臣蔵』は吉川英治を読み、年末テレビドラマのビデオ化されたものを何本か観た。別冊宝島や三才ムックあたりのヤクザ関係書籍を読み漁った。人づてで実際のヤクザの方にも会って取材した。そのようにしてヤクザもののシナリオライターの一丁あがりだ。第一稿は一週間で書き上げたが、それからが長かった。殆ど一年掛かりで改稿を重ねた。しかしまァこちらも二十九歳になっており、それなりの人生経験を積んでいる。春菊事務所を逃げ出した頃のおれではない。打たれ強さも培ってきた。負けるものか。
かくして製作費一億三千万の劇場用映画『なにわ忠臣蔵』は完成し、ぼくはシナリオライターとしてメジャーに一歩近付いた。以後石川一郎監督の『ナニワの用心棒』、和泉聖治監督の『ドンを撃った男』『惚れたらアカン〜代紋の掟』などを書いた。パート12からは『ミナミの帝王』シリーズも年に二本のペースで書かせてもらっている。
三十歳になった時にみゆきとの間に子供ができた。正義の弟、勝利である。そしてぼくはTMPをクビになった。何だかスポンサー筋主催の演歌歌手のディナーショウの収録だったのだが、あまりのツマらなさにぼくは居眠りした。まァクビにもなるわな。何とかしのいでいる内に『なにわ忠臣蔵』がビデオ化された。またこのビデオが売れたのよ、アナタ。劇場用映画でありビデオ化に際しては印税契約していたので、ぼくの手許には三百五十万円が転がり込んだ。そんな大金を手にしたのはもちろん初めてでぼくは有頂天になった。それを資本金にして幻想配給社を有限会社に登記した。会社を興したのだ。桃山学院のグラウンドで白塗りメイクで踊るおれたちに撮影を止めてどこかに失せろと抜かしやがったハンドボール部員アホのスポーツマンどもに言ってやりたかった。インターハイ準優勝がナンボのもんじゃ。おれはキネ旬五十二位だ。しかも社長だ。誰にもおれは止められないのだ。おれは撮るのだ。文句あるか。
新宿百人町にマンションを借りて事務所にした。三度目の上京である。営業先は『夏色浪漫』を入選させたツタヤインディーズムービーフェスティバルの協賛映画会社である。評価したんだから責任取ってね、という訳だ。すなわちギャガ・コミュニケーションズ、松下エージェンシー(アートポート)、オンリーハーツだ。オンリーハーツの出資会社、カレス・コミュニケーションズでは年に何本か、コンスタンスにセクシーVシネマを請け負わせてもらえるようになった。最初の二本をぼくが撮り、以後はペンジュラムを辞めてぼくと組むようになった新里猛作に監督してもらっている。
アートポートでは『死びとの恋わずらい』の脚本を書かせてもらった。『死びと〜』は『富江』などで知られる人気ホラー漫画家で、ノスタルジックな絵柄と設定で、独特の世界を持つ、伊藤潤二さんの原作である。一歩間違えば笑ってしまうきわどい線を、迫力の描写で狂気の世界に持って行くのが伊藤作品の魅力でもあり、『死びと〜』もそういう作品だった。だが映画は松田龍平と後藤理沙の出演で、アイドル映画の側面も持っていた。その他諸条件の中で、どこまで原作の迫力と狂気を脚本化できたか不安の残るところではある。渋谷和行監督とのディスカッションの中で、どんどんぼく自身の精神暗部に入って行ってしまい、自作の『かくれんぼ』に似てしまった気もしないではない。原作『死びとの恋わずらい』に、恋する屍少女たちが大挙して美少年に群がる名場面がある。映画版では残念ながらオミットされたが、今回『STACY』の中で、やっとぼくなりの映像化ができたと思っている。
そしてギャガ・コミュニケーションズは、言うまでもなく『STACY』である。でもこの営業には四年掛かる。
ぼくは月のうち一週間だけ上京して営業に歩き、事務所に寝泊まりした。撮影のある時は終わるまでそうした。残りは大阪の自宅で家族と過ごしながら持ち込み用の企画書やプロット、シナリオを書いた。未亡人のメロドラマ、カレスコミュニケーションズ『喪服白書』、美容整形外科医のレイプ事件を元にした、同じくカレス『疑惑の診察室』は、この頃の作品だ。『ザ・妊婦』の新東宝も重要な営業先のひとつで、ドメスティックバイオレンスに悩む主婦がハケ口として痴女行為に走る新東宝『痴女電車』、もこの頃撮った。後の、BOBAこと田中要次さん主演の『暴行タクシー』(監督・新里猛作/脚本・大河原ちさと、ぼくはプロデュースだけ)も新東宝だ。
新里はすでに『黒と黒』『デッドライン』、二本のENK作品で監督は経験済みだったし、ぼくがプロデュースするカレスのセクシー系Vシネも何本か撮っていたがピンク映画はまだだった。何とかピンクも撮らせようと企画したのが『暴行タクシー』で、アクション好きの新里の為に『タクシー・ドライバー』みたいな作品をと、新東宝の衣川プロデューサーと頭を悩ませた。会社をリストラされ、同時に女にもフラれた男が、タクシー会社に再就職する。やる気のない毎日だったが、ある時、乗せた極道者が座席に拳銃を忘れてゆく。男は援交する家出少女と出会い、そのヒモと称するチンピラに、その拳銃を向ける。
こう書くとまんま『タクシー・ドライバー』だが、新里の手堅い演出と田中要次さんの好演技で面白く仕上がっている。
新宿に事務所をかまえて三ヶ月も経った頃だろうか。突然一人の女が訪ねて来た。…弥生だった。正直言ってぼくは無茶苦茶びっくりした。ぼくより二歳下の弥生は、もう二十八になる筈だが、どう見てもぼくとつき合っていた十七の頃のままだった。弥生。ぼくの童貞喪失(と言うのかね、やっぱり)の相手。別れてから一度も会っていなかった。彼女に送り返された指輪は何かの折りに失してしまった。弥生は差し障りのない世間話をして「頑張りや、応援してるで」と帰って行った。ぼくは混乱した。何なのだ一体。何故ここが分かったんだ。何しに来たんだ。これは現実か。ぼくは幻でも見たのではないか。でもやっぱり弥生は現実の弥生だった。何となく甘い感傷がぼくの胸に甦った。二十歳の頃にいつも感じていた切ない胸のうずきだ。やり場のないリビドーのうねり、と言い換えてもいいかも知れない。これは何の前触れだろう。別にぼくは運命論者でも縁起をかつぐ方でもないが、そんな風に思わずにいられなかった。そしてやっぱり事件は起きた。
会社を経営するというのは、常に何か仕事のある状態にしておかなくてはならないという事だ。事務所経費もあればスタッフの食い扶持も確保しなくてはならない。本意ではなかったが、会社でAVの仕事を受けた。流石に自分で監督する気にはなれなかったので、新里に監督させるつもりだった。でもスケジュールが合わず仕方なく現場だけは自分でやる事になった。そこでぼくは水野理恵に出会った。そして宿命的に破滅的な恋に落ちてしまったのだ。ストンと。
AV女優・水野理恵は、二十歳になったばかりの本当にセックスが好きな女の子で、男優のペニスを貪り、快感にのたうちまわり、スタジオの外にも響くぐらいの獣じみた雄叫びを上げて、何度も何度も絶頂に達した。男優もスタッフも、もちろんぼくも圧倒された。ニンフォマニア、色情狂というのはこういう女を言うのか。淫靡という言葉の体現。理恵は神々しいまでに美しく、スタジオは彼女の為の祝祭空間になった。
もちろん整った顔のAV女優なら他にいくらでもいるだろう。チワワのようにいびつに大きな理恵の目は、可愛いというより妖怪じみているかもしれない。スタイルだって胸は大きくもいい形をしている訳でもなく、尻は身体バランスを崩して大きすぎるかも知れない。パブNGだからという事もあるが、理恵はあくまでも企画モノAVの女、である。それでもぼくは激しく恋してしまった。ぼくは予定していた男優カメラによるフェラチオシーンの撮影を、男優を押しのけて自分で撮る事にした。理恵に触れたい触れて欲しいという衝動を押さえられなかったのだ。でも理恵の唇がぼくのペニスに触れた瞬間に、ぼくは射精してしまった。あまりのあっけなさにそのシーンは使えなかった。別に見栄を張る訳でもないが、どちらかと言えばぼくは遅漏気味でフェラチオで達するという事はない。ぼくは訳が分からなかった。気が付くとぼくは、つき合って欲しいと理恵に懇願していた。
あっさり断られた。彼氏がいるという事だった。それでももう一度会いたくて、企画していたTMCの『レイプ・ハンター連続暴行』でキャスティングした。これは『コギャル喰い大阪テレクラ篇』みたいな作品を、というオーダーで撮った作品で、当時マスコミで騒がれていた伝言ダイヤル殺人をネタにした。東京伝言ダイヤル篇、という訳だ。
理恵は物語冒頭で殺されてゴミ捨て場に投棄される援交ギャルの役で出演している。その死に顔の美しさに惚れ直した。何とか電話番号を聞き出して撮影後、完成作品を観て欲しいからなどと見え透いた理由をでっち上げて新宿の事務所に呼んだ。たぶん理恵も最初からそのつもりだったんだと思う。チワワの瞳は潤んでいたし、抱きしめても抵抗しなかった。ソファの上でぼくたちはセックスした。ぼくは十九歳の時に弥生とした初めてのセックスの事を思い出していた。童貞だとバレないようにとひたすら願ったあのぎこちなくも愛すべきセックス。人生とは何て素晴らしいんだ世界はおれのものだ、などと思える瞬間が一生のうちに何度あるだろうか。赤ん坊の正義を初めて抱き上げた時もそうだったが、理恵がぼくの腕の中で絶頂を迎えた時、確かに世界はおれのものだった。
でも理恵にとっては、あくまでぼくはその他大勢の一人でしかなかった。理恵は現場で声を掛けてきた男優やスタッフと平気でホテルに行ったし、何よりも理恵には彼氏がいた。その後、理恵は彼氏と別れ、親にAVがバレて引退して、ぼくとだけつき合ってくれるようになったが、それでもぼくの片想いである事に変わりはなかった。
理恵は某四年制女子大の学生で、ヨシムラ君(というのが彼氏の名前だ)とは大学のテニスサークルで出会ってお互い一目惚れした。足掛け二年のつき合いで、途中から理恵は内緒でAV女優を始めたがバレる事もなくつき合いは続いた。でも最近つまらないケンカが続き、彼が司法試験の準備で忙しくなった事もあって、別れたのだという。サークル、コンパ、テニス合宿、冬はスキー。ぼくが嫌悪し、どうしてもなじめなくて逃げ出した大学生活だ。
ぼくとデートする時、理恵が話題にするのは本当にヨシムラ君の事ばかりだった。ヨシムラ君がいかに優しくてさわやかで優秀でスポーツマンで筋肉のしまった身体をしていて。頼むからもう止めてくれと、ぼくは叫び出したくなるのを必死にこらえなくてはならなかった。只の嫉妬と言うだけでなく、ぼくが嫌悪し憎悪するスポーツマンと大学生を理恵が礼賛するというのは、ぼくのアイデンティティに関わる事だったのだろう。理恵はカラオケに行くと「ひともうらやむ仲が、いつも自慢のふたりだった」と唄った。これは私とヨシムラ君の唄なの。でね、ヨシムラ君はね。ヨシムラ君がね、ヨシムラ君のね、ヨシムラ君とね。いいよ、別に。話したいなら聞いてあげよう。君の気が済むまで。
でも理恵はぼくが家族の事を口にするのを許さなかった。大阪に帰る度に嫌味を言った。もちろんぼくから家族の事を話題にする事はなかったが、誘導尋問で家族と遊園地に行った話をしてしまった時などは、一体私はあなたの何なの? と泣きじゃくった。そんな事はぼくが聞きたかった。おれは一体、君の何なのだろう。理恵は、ぼくが貸した、ぼくの脚本や監督作品のビデオは、いつまで経っても、忙しくて、と観てくれなかったが、ヨシムラ君といっしょに観に行く約束をしたという『エピソード1』の予習の為にレンタルしたスターウォーズの三部作は、徹夜して観ていた。別れたと言っても理恵はヨシムラ君と、週に一度のペースでデートを続けていた。二十一歳の誕生日に理恵が一緒に過ごしたのは、ぼくではなくてヨシムラ君だった。ぼくは、理恵が欲しいと言ったティファニーの指輪を買ったが、理恵が本当に喜んだのはヨシムラ君にプレゼントされたひまわりの花束だった。私が好きな花を覚えてくれたのよ、と理恵は嬉しそうにぼくに報告した。何と答えればいいのだ。良かったね、と言うしかないじゃないか。それでも理恵は自分が淋しい時だけは、いつもぼくが側にいる事を求めた。ぼくはほとんど大阪に帰らなくなっていった。
それでもやっぱり理恵が好きなのはあくまでもヨシムラ君で、ぼくとつき合い始めて半年以上が経っても理恵の手帳にはヨシムラ君の写真が挟んであったし、プリクラがたくさん貼ってあった。ぼくはそれを見せられる度に身を切るような苦しみを味わった。月に一度くらいのペースで、理恵は、やっぱりヨシムラ君がもう一度振り返ってくれるのを待ちたいからアナタとは別れる、と言った。私ってけなげでしょ? と。その度にぼくは頼むからぼくの前からいなくならないでと懇願した。ヨシムラ君のノロケ話も、プリクラの説明もいくらでも聞く。週一でヨシムラ君とデートしてもかまわない。嫉妬で気が狂いそうになるけどそれは我慢する。でもぼくを捨てるのだけはやめて。アホである。三十過ぎの男の台詞ではない。これじゃただの奴隷だ。でも止められない。愛しさは募るばかりだった。
だって理恵は最高なのだ。チワワの瞳は、エジプト猫のようでもあり、くるくると良く動き、豊かな表情はぼくの平常心を奪った。迷子の仔猫みたいに上目遣いで見つめられると、それだけでぼくの心臓は早鐘を打ち、息苦しくなる程だった。理恵は頭が良くて、勘が鋭くて、努力家で、泣き虫で、情熱的で、可愛くて、エッチだった。好みのタイプなどという言葉があり、これがぼくは良く分からなかった。好きになったらそれがタイプだろう、などと思ったりもしていた。でも理恵と出会って、ああこの宿命的な感じがタイプ、という奴なのかと知った。理恵は、ぼくの心の奥の方にある何だかぼくの魂のような塊(?)、その欠落した部分に、まるでジグゾーパズルのワンピースのようにすっぽりとはまったのだ。欠落した一片を得て初めて生を得る魔人のようなものだ。理恵を抱いてぼくは初めて世界を知った。要するに初恋だったのだ。
そんな関係が一年ほど続いた頃、理恵がヨシムラ君とのデートでホテルへ行ってセックスした。理恵は本気でヨシムラ君とヨリを戻すつもりで行動を始めたようだった。ぼくは置いてけぼりにされた。ぼくは奈落の底に突き落とされた。ぼくは深く傷ついて、再起不能なまでに損なわれた。
でもヨシムラ君は、すでに理恵にそれ程気持ちを残していなかったようで結局ふたりはうまくいかなかった。そのうちヨシムラ君に新しい彼女が出来た。理恵はぼくのところへ帰ってきてくれた。ぼくは、今度こそ理恵がぼくを本当に愛してくれるかも知れないと期待に胸を膨らませたが、もちろんそうはならなかった。
理恵は男漁りを始めた。新しい相手捜しだ。いかにおめでたいぼくも、いいかげん気付かない訳にはいかなかった。結局の所ぼくは理恵の眼中になかったのだ。理恵はEメールの出会い系サイトで相手を捜して何人かとカラオケに行ったり、呑みに行ったりしてお見合いした。自動車免許取得の合宿に行き、ナンパしてきた大学生と合宿所のベッドでセックスした。結局その彼とつき合う事にしたからと、電話でぼくは別れを告げられた。ぼくはまた奈落の底へ突き落とされた。暗い、冷たい闇の中だ。一筋の光明もない。まるでイタコの口寄せに出て来そうな場所だ。ぼくはそんな場所に独りで取り残された子供の心境だった。要するに、とぼくは思った。理恵にとってぼくは、ヨシムラ君と別れてナカタ君(というのがその大学生の名前だ)とつき合い始めるまでの、間継ぎの淋しさ紛らわせ、でしかなかったのだ。そんな考え方はぼくをひどく傷つけたが、でもそういうことなのだ。でも理恵とナカタ君は、たいていのインスタントカップルがそうであるように長続きはしなかった。理恵はナカタ君が他の女ともだちとのメール交換をやめないのが気に喰わなくて、また別の大学生と合宿所のベットに入った。でもセックスする気にはならなかったのでフェラチオだけにした、と、そんな話を理恵は電話でぼくに聞かせた。
合宿を終えて東京に戻る理恵が、ぼくに東京駅まで迎えに来てもいいと言ってくれた。ぼくは大喜びして一時間も前から東京駅の改札で待っていた。まるで忠犬ハチ公だ。ぼくは理恵の恋人でも彼氏でも友達ですらなかった。ただの犬だ。家畜人ヤプーだ。それでもいい。いつかは理恵もぼくを人間として認めてくれるかも知れない。愛してくれるかも知れない。合宿の仲間達とはしゃぐ理恵は、ぼくの姿を見つけて露骨に嫌な顔をした。そこで感付いて物陰にでも身を隠せば良かったのだろうが一ヶ月ぶりに見る理恵がうれしくて「おかえり」と声を掛けてしまった。合宿の大学生たちと手を振って別れると、理恵はクルリとぼくに向き直って睨み付けた。そしてぼくを罵倒した。「私の友達の前に顔出さないでよ。アンタみたいなオヤジと付き合ってると思われたらカッコ悪いじゃない!」。
こういうのはどこかで読んだぞ。そうかナボコフの『ロリータ』か。普段自分の年齢なんて気にした事もかなったが、ぼくは三十三歳になっていた。理恵は二十一歳。十二も違えばそりゃオヤジなんだろうな。みっともなくて友達に見せられないんだろうな。天才キューブリックもいいけどリメイク版もいいね。
自分が奴隷犬だと思い知らされ傷つかない男はいない。ぼくはプライドの最後のひとかけらを踏みにじられて途方に暮れた。一年に渡って絶え間なく理恵に傷付けられて、ぼくの心は本当にもう傷だらけだった。傷の上から傷、その上からまた傷。だらだらと流れ続けた血はもう最後の一滴まで流れつくしていた。でもぼくは理恵から離れる事ができなかった。ズタズタに切り刻まれたぼくの心からは、理恵への恋慕の情が、まるで宿命的に汚らしい膿のようにごぼりごぼりと沸き続けていたのだ。ぼくはそれを止める事ができなかった。
『パチプロ爆裂伝・無敗伝説飛鳥翔』を撮った。ぼくの脚本作品で和泉聖治監督の『ドンを撃った男』を観た大映の増田プロデューサーが声を掛けてくれたのだ。何本かのプロットを書かせてもらった後、「パチンコものを」と言う事で企画がまとまった。それまでぼくはパチンコを打った事がなかった。というかギャンブルに興味がないのだ。射幸心は理解できるが、たかだか何万円の儲けの為に何時間もの時間を費やすという馬鹿馬鹿しさにはどうもなじめない。そのヒマがあるなら本を読むか映画を観る方がいい。どうしても金が必要ならバイトでもすればいい。麻雀も競馬もTOTOもぼくには理解できない。しかし自分が監督するというなら別だ。例によってパチンコ雑誌を買い漁って読みふけり、ホールに行って打ちまくった。『パチプロ〜』を観たという人に「きっと監督はパチンコお好きなんでしょうね」と言われた。内心ニヤリである。おれの勝ち、だ。現在この『パチプロ〜』の継承企画『サラリーマンパチンカー』が撮影中だ。監督は新里猛作で、ぼくはプロデュースのみ。セクシー系Vシネマ同様、自分より若手の監督を育ててその上がりをカスめる。会社経営はこうでなくては。
理恵とは小康状態が続いていた。彼女にしてみれば、他にいい相手が見当たらないからとりあえず仕方なく、というところだったのだろう。理恵は二十二歳になった。大学は卒業したが就職はせずデザインの専門学校に通っていた。親の敷いたレールの上を行くのが嫌になった、と言う。その心境はよく分かる。時折行き詰まると、アンタが奥さんと別れてくれたらデザイナー目指すのやめて、全部捨ててアンタと結婚してあげる、などと冗談を言った。きっと本気じゃないんだろうなと思いながらもぼくは嬉しかった。
妻のみゆきがぼくに離婚を言い渡したのはそんな頃だった。当たり前である。返す言葉もない。大阪にはほとんど帰らず、仕事に明け暮れ、それ以外はずっと理恵を追い掛けている。そんな生活が二年近くも続いたのだ。離婚を考えない方がどうかしている。我ながらてめぇ勝手な言い草だとは思うが、みゆきと離婚して家族を失うというのは、ぼくにとってやはりそれなりの辛さを伴うことだった。とりあえず大阪に帰ってみゆきと話した。ぼくの浮気が原因ではない、と彼女は言った。アナタの人生に付き合うのが嫌になった。自分ひとりで生きたいのだ、と。そういう事なら仕方がない。したい事をしたいようにする、でもその為に起こる嫌な事は全部受け止めて戦う。そういうのが人生だと思う。子供の為とか生活がとかで離婚したいのを我慢するのは正しくない。ぼくは離婚に同意した。正義はぼくが引き取る。勝利はみゆきと大阪の家に住む。ローンと光熱費は今まで通りぼくが払う。勝利が二十歳になったら名義を勝利にする。ぼくが示した条件だ。収入は安定していないのでそれ以上の月々の養育費は払えないが、勝利の事でまとまった金が必要になったり、こちらに臨時収入があった時は分配する。そんな事してもらわなくてもいいとみゆきは言った。したいんやとぼくは言った。幻想配給社の立ち上げにみゆきの助力は不可欠だった。世間的評価を受けたぼくの唯一の作品『コギャル喰い大阪テレクラ篇』の制作の時もぼくは自己資金を二百万円つぎ込んだが、それはガンで亡くなったみゆきの母親がみゆきの為に残した遺産だった。勝利を妊娠中にぼくがTMPをクビになった時八ヶ月まで喫茶店でウェイトレスをやり、その後は破水して入院するまでかざぐるまを作る内職をやってくれた。もともと正義を引き取るために大学を中退してぼくと結婚してくれたのだ。正義のオムツがとれてひとりでトイレに行けるようになったのも、正義がぼくより箸を使うのが上手いのもみゆきが面倒を見てくれたからなのだ。離婚したいならそれでもいい。でも協力させて欲しい。
ぼくのそんな考え方にいちばん拒否反応を示したのは理恵だった。理恵はみゆきの悪口を言い募った。「よくあんなブスと結婚したわね」とも言った。理恵は大阪の家に電話を掛けてみゆきに「よくそんな身勝手ができますね。正義君が可哀想じゃないですか」と言ったりもした。理恵はぼくにもみゆきの悪口を言うように求めたが、ぼくにみゆきの悪口が言える訳がない。やっぱり奥さんの事が好きなのね、私の事愛してるんじゃなかったの、と言われても、昔の恋愛相手の悪口を言って今の恋人への愛の証とするって何か格好悪くないか。ぼくがヨシムラ君の悪口を君に言った事はないし、君にヨシムラ君の悪口を言わせようとした事もなかった筈だよ。だってそんなのフェアじゃないからだ。アンタと結婚してもいいと思ったけど、奥さんの生活の面倒見て悪口も言えないなら絶対イヤ、と理恵は言った。でもたぶん違うんだろうなとぼくは思った。他人のモノだからちょっと奪ってみたいと思ったけどいざ自分が背負うとなるとやっぱり重い。こんな子連れのオヤジと結婚するなんて絶対イヤ、という事なのだろう。
四年越しのギャガへの営業が実り、『STACY』の製作が決定した。ぼくが持ち込んでいたスプラッタ純愛モノのオリジナル企画が今一歩のところで通らず、途方に暮れたぼくが、ギャガへ向かう途中のキオスクで偶然文庫になっているのを見つけた『ステーシー・少女ゾンビ再殺談』を買って持って行ったのだ。同じスプラッタ純愛モノでも、パンクロックという要素が加わると企画も様変わりする。ギャガとしては前年の『ワイルド・ゼロ』の成功もある。大槻さんの小説はもちろん単行本で読んでいたし、映画化したら面白いだろうなと思っていたので、ぼくとしても渡りに船だ。何でもっと早くこれに気付かなかったのかというくらいだった。
大槻さんの「自由に変えてもらっていいです」との言葉を受けて『STACY』のシナリオ化が大河原との共同作業で始まった。予算は決して潤沢とは言えないが、ぼくの監督作品としては最高額だ。観客数もきっとハネ上がるだろう。燃えない訳にはいかない。幻想配給社で制作を請け負う方向にぼくはこだわった。ギャガとしてはもっと大手の制作会社に制作を委託したいところだろうが、監督としてギャラ仕事するのでは制作体制のイニシアチブが取れない。予算が仕切れない。それではツマラない。帝国データバンクの審査を受けて何とか請負いでできる事になった。第一関門突破だ。幻想配給社はこの時の為に有限会社にしたのだ。通常制作会社は間接経費として総制作費の10%前後を取るが、ウチはいらない。監督料もゼロでいい。事故があると大変だが、何、かまうものか。全額現場につぎ込んでやる。ハンドボール部員どもに目にモノ見せてやる。白塗り半裸で踊り狂ってやる。おれの叫びを聞け。今度の舞台は桃高のグラウンドよりちょっとデカイぞ。
シナリオ作業と並行してキャスティング作業も始めた。ラインプロデューサーをお願いした伊藤さんも交えてギャガの板谷プロデューサーと何度もディスカッションした。ぼくは春菊さんに出演していただきたかった。漫画家、作家としては相変わらずの御活躍だが、最近は役者としても活動していて、塚本監督の『双生児』や矢口監督の『ウォーターボーイズ』三池監督の『ビジターQ』などサブカル系話題作にも多数出演している。ギャガとしてはもちろん文句はないだろう。春菊さんとしても、エッセイなどで大槻さんとの交流もかいま見えるし、『STACY』なら出演依頼しても失礼にはならないのではないか。ぼくは原作の隊長を女隊長に書き換えて、伊藤さんにオファーをお願いした。ただ監督が友松だという事は伏せてもらった。これはぼくの片想いであり、春菊さんにしてみれば『今月の困ったちゃん』にあるようにぼくなどは通り過ぎて行ったデキの悪いアシスタントたちのひとりに過ぎない。きっと名前も覚えていないだろう。でも何かの間違いで覚えていたら、あんなデキの悪い奴の監督作品など出ませんと出演を断られるかもしれない。そう考えたのだ。一緒に仕事ができたらいいな。成長したぼくの姿を見て欲しい。見たくないかもしれないけれど、ぼくは見せたい。春菊さんに認めてもらわなければ、ぼくは次の一歩を踏み出せない。何じゃそら。何だか変だがぼくは妙に思い詰めてしまったのだ。
原作のリルカ女学園の礼拝堂では、有田約使がステーシーを切り刻んでいる。でもぼくはロメロの『死霊のえじき』みたいに、マッドな科学者がいた方が映画としては面白いのではないかと考えた。すぐ思いついたのが筒井康隆さんだった。役者としての筒井さんの活躍は誰もが知るところだろう。『死者の学園祭』では狂気の学園長も演じていらっしゃる。元演劇青年で、エッセイでも”東の仲代達也、西の筒井康隆“と演劇雑誌に書かれたり日活ニューフェイスに身長が足りなくて落とされたエピソードなどをお書きになっている。ぼくは小説のファンなので舞台は拝見した事がないが筒井康隆大一座で全国公演されたりもしている。小説に大槻さんの名前が登場したりもしているので親交があるのかもしれない。『STACY』なら出演していただけるのではないか。マッドな科学者と言えば犬神博士だ。犬神博士と言えば『スタア』であり、これは筒井さんの戯曲だが御自身が出資もされて映画になっている。『文学賞殺人事件』のエスエフ作家や『男たちのかいた絵』の組長などのカメオ出演ではなく『スタア』の犬神博士は筒井さんが御自身で演じる事を前提に夢野久作の『犬神博士』とキューブリックの『博士の異常な愛情』を元に創出したキャラクターだ。『STACY』に筒井さんに出演していただく、というのではなく、『スタア』の犬神博士が虚構の枠を飛び越えて『STACY』に殴り込む。これは筒井さんの小説テーマのひとつである超虚構性とも通じるのではないか。これ以上書くと「彼はぼくの読者らしいが一体どんな読み方をしているのか」と声が聞こえてきそうだが、とにかくぼくにはとてもいい思いつきに思えたのだ。実はぼくは映画の『スタア』を大阪梅田の映画館の初日オールナイト上映で観ている。筒井さんの舞台挨拶も最前列のかぶりつきで見た。整理券による抽選会でぼくは筒井さんのサイン入りシナリオをいただいた。当時十九歳だったぼくが初めて手にしたプロの映画のシナリオだった。ぼくのシナリオは完全に独学であり、師匠をあげるなら、『ザ・妊婦』の川村真一監督であり、近年では『なにわ忠臣蔵』『ミナミの帝王』の萩庭貞明監督という事になるが、萩庭監督に拾っていただくのはもっと後の事だ。十九、二十歳の頃のぼくのシナリオ作法の重要なテキストは、この時いただいた『スタア』のサイン入りシナリオだった。犬神博士のキャラクターは、もうぼくの脳髄に染みついている。『STACY』に犬神博士を殴り込ませるのはぼくにとって何の苦労もなく、それどころか大変心躍る作業だった。後日撮影の折、筒井さんに「これは俺だなァ」と言っていただいた時は、天にも昇る気持ちだった。
詠子役は板谷プロデューサー推薦の加藤夏希さんに決まり、大槻さんの口利きもあって佐伯日菜子さんの特別出演の話もまとまった。新旧エコエコのヒロイン共演である。春日役にはぼくのヤクザもの脚本作品でおつき合いのある土平ドンペイさんにお願いした。『パチプロ〜』に続いて二度目の出演となる螢雪次朗さん、田中要次さん他、FMWの大矢剛功さん、稲葉君、内山君、三沢君、野上正義さんなど友松映画の常連で脇を固めた。当然息子の正義も冒頭の子供役で出演させる。
渋川役だけが最後まで決まらなかった。塚本晋也さん、田口トモロヲさんといった名前をぼくは挙げたが、皆さんスケジュールが合わなかった。暗礁に乗り上げた頃、ぼくは大槻さんのCDを買おうとショップへ行った。と、棚に『さびしんぼう』のサントラを見つけて衝動買いしてしまった。事務所に帰りショパンの別れの唄を懐かしく聞いた。大槻さんとのディスカッションの折、「詠子って『さびしんぼう』の頃の富田靖子が演じるとハマるんでしょうねぇ」というぼくのつぶやきに、「おお、なるほど」などと大槻さんの反応が悪くなかった事を思い出した。電話が鳴ったのはぼくが詠子の演出についてぼんやり思いをめぐらせていた時だった。電話は板谷プロデューサーだった。「尾美としのりさんはどうですか?」。尾美さんと言えば『さびしんぼう』のヒロキだし『時かけ』のゴロちゃんだ。運命的なものを感じ即答した。「尾美さんに決めましょう」。
キャスティングも決まり、『STACY』の制作が本格的にスタートした。筒井康隆、内田春菊、大槻ケンヂ。我が青春期のカリスマが一堂に介するのだ。一ファンとしても飛びつきたくなる映画だ。しかも、おお、何と。監督は、カントクは、誰あろう、このおれなのだ。友松直之監督作品なのだ。こんな夢みたいな事が現実なのだ。世界はおれのものだ。
ぼくとみゆきの離婚が成立し、理恵が風俗店でアルバイトを始めた。歌舞伎町にあるその店は名目上はキャバクラだが、女の子が客の上に乗り、裸になって接客する。ディープキス乳もみしゃぶり放題という風俗店だ。どんな風にスカウトされ、どんなサービスで、どんなに自分が店で人気があるか、理恵は喜々としてぼくに語った。理恵が何を考えているのか、ぼくには全く分からなかった。ぼくと理恵との結婚は、理恵が絶対イヤ、と言ったのでぼくもそれ以上は突っ込まなかった。でも理恵はぼくに愛していると言ってくれたしぼくはそれを信じた。ならどうしてぼくに何の相談もなく風俗店でバイトなんかするんだ。ぼくは別に風俗嬢に対して偏見を持っている訳ではない。そんな事を言えば正義の産みの母親の由美だってソープ嬢だった。でも自分の恋人が何の相談もなく風俗で働く事を喜ぶ男はいない。ぼくの心にまたひとつ特大の傷が追加された。血も涙もすっかり涸れ果てていたが、それでも嫉妬にのたうちまわった。過剰にサービスするんじゃなくて、恋人みたいに甘えてあげれば男は喜ぶのよ。その気になるのよ。みんな馬鹿だから。じゃあ君がぼくに甘えるのを喜んでその気になっているぼくも馬鹿なのか。どうしてぼくのプライドをそこまで踏みにじるのか。ぼくを傷つけて、ぼくが苦しみのたうち回る様を見るのがそんなに楽しいのか。こんなに愛しているのに、どうしてそんなにぼくを酷い目に合わせてばかりいるんだ。そして理恵は客にもらったクラジミアをぼくにうつした。
理恵がどういう状況で客から感染したのかは分からない。医者によればディープキスでも口内炎や歯槽膿漏があれば感染する可能性は充分ある、という事だ。店でのサービスで感染する事もあるし、あるいは店がハネた後で客とホテルに行って店外サービスをしたのかもしれない。全く別の浮気相手がいたのかもしれない。疑い出せばキリがないし、無意味な妄想は本当に無意味だ。病気にしたところでそれ程嫌悪することもない。治療すればいいだけの事だ。ただひとつぼくが自覚しなければいけなかったのは、理恵はぼくの事を愛してなんかいないし、この先ぼくがどれだけ尽くしても愛してくれる事はない、という事だけだった。それでもいいのかという問いに対しては、いいと答えるしかない。たとえ愛してもらえないのが分かっていてもぼくが理恵を愛しく思う気持ちは止めようがないのだ。
だが今ぼくは『STACY』を監督しなければならない。愛情乞食や奴隷犬に監督は務まらない。役者もスタッフもみんな自分のペースで仕事をしようと手ぐすね引いている。弱気なところを見せたら負けなのだ。自分が目立つように、得意な芝居が出来るように。ハイOKではイカンのだ。こちらのペースに持ち込まねばならない。楽しようとたくらむスタッフを許してはいけない。120%の仕事をしてもらおうと思ったら、こちらは200%の意気込みとこだわりを見せなければナメられて終わりなのだ。ぼくは理恵に『STACY』が終わるまで少し距離を置きたい、と言った。
もちろん理恵は納得なんかしてくれなかった。理恵はぼくに全てを抛って自分の為に尽くすことを要求した。結婚でも何でもしてあげるから側にいて、私を抱きしめて、頭を撫でて、セックスして私をイカせて、独りにしないで。理恵は百円ショップが大好きで、よく買い物にも付き合わされたが、理恵にとっては恋愛もディスカウントなのだ。今簡単に手に入るもの、でなくては納得できないのだ。少し時間が欲しいというのは理恵の理解の範疇にないのだ。コンビニエンスでなくては意味がないのだ。
撮影が済んだら奴隷犬でも愛情乞食でも何でも演じてあげる。一日十回くらいセックスして三十回くらいイカせてあげる。ずっと側にいてあげる、でも今はちょっと待って欲しい。ぼくは何度も説明したが無駄だった。ああそうかよ、とぼくは思った。君はぼくを踏みにじってぼくから全てを奪って、今度は映画まで奪おうというのか。分かったよ、おれがそんなに気に入らんのやったら、どこへでも行ったらええやないか。『STACY』を成功させんかったらおれのこれまでの人生は全部チャラになってしまうんや。根性入れなアカンのや。今君のわがままに付き合ってるヒマはない! もちろんぼくはそんな事を言うべきではなかった。
ロケハンも進み、何稿も重ねたシナリオも、やっと決定稿が完成した。原作の渋川は作家だが、人形師に設定を変えた。机と原稿用紙だけではなく、アトリエや人形劇などビジュアルイメージを広げたかったのだ。ラストのブロンズ像にも繋げられる。ひとみ座は『ひょっこりひょうたん島』や『プリンプリン物語』で知っている人もいるだろう。ぼくの実兄の友松正人がここで役者をやっている。演出や台本を担当したりもしているようだ。幼年時代、二段ベットの上と下で飽きる事もなくお互いのオリジナルストーリーを順番に語り合った事を思い出す。あれは五、六歳の頃だったか。伏線がうまく張れずに三歳上の正人にそれを指摘され、ずいぶん悔しい思いをしたものだ。あの時の恨みだ。コキ使ってやる。
正義が上京し四月になった。ぼくは中野に2LDKのマンションを借りて自宅とし、そこから正義を小学校に通わせた。ぼくは理恵に何度か電話を掛けたが、先日のケンカ以来理恵の反応は鈍く、時間作れそうだから会おうと誘っても「私だって忙しいのよ」と取り合わなかった。分かった『STACY』が終わったらちゃんと話合おう、とぼくは電話を切った。
ぼくと一緒に暮らせる事を正義は喜んだが、それでも母親と弟をいっぺんに失した淋しさは隠せないようだった。夜ベットでぐずぐず泣いた。無理もない。お父さんには好きな人がおってな、今はケンカしてるけど撮影終わったらちゃんと仲直りして、結婚してもらえるように頼んでみるから。そしたら君のお母さんになってくれるかもしれへんから。ぼくは正義に理恵の写真を渡した。
春菊さんとの再会は衣装合わせの時だった。ぼくは緊張のあまり前夜眠れず、かなり睡眠不足だった。「どうも友松です。ごぶさたしております。以前春菊事務所でお世話になった事があります。この度は出演を快諾いただいてありがとうございます。ぼくごときが監督では不安でしょうが、今回は最初から坊主頭で来ましたので、何卒至らない点は御容赦下さい」そんな事を口走っただろうか。春菊さんはぼくの事を覚えていてくれた。「あの友松が」などとひとしきり驚いた後、「やっぱり人生って面白いわ」と感心しておられた。その目にうっすらと涙が浮かんでいたのはぼくの見間違いか。そして、春菊さんは、ニッといたずらっぽく笑顔を浮かべると言った。「今でも甘い物好きなの?」…何の事はない。ケーキの盗み食いはバレていたのだ。「いやあ感動的な再会場面だったね」。後で伊藤プロデューサーがぼくに耳打ちした。「お陰でギャラ交渉もうまく行ったよ」…恐縮です。
撮影は狂躁的なドタバタで始まり、収拾のつかない混乱と感動的な奇跡の連続の内に終わった。ぼくは全力を尽くした。何の言い訳もない。やりたい事、やるべき事は全部やった。これが今のぼくにできる100%だ。そして理恵は二度と戻って来なかった。
アンタと話す事なんて何もない、と理恵は言った。連絡が途絶えたのはたった一ヶ月半だったが、理恵はとっくに新しい彼氏を作って楽しくやっているようだった。ぼくとやり直すなんてとても考えられないようだった。でもぼくは君のために家族を捨てて、正義が可哀想で…「はン!」と理恵は言った。用意していた台詞なのだろう。洋画の吹き替えのように見事な「はン!」だった。「アンタが勝手に家庭潰したんでしょ。私のせいにする気? 最低ねアンタ。言っとくけどね、私の知ったこっちゃないわよ!」
確かに理恵は正しい。全部ぼくの責任だ。正義のランドセルに理恵の写真を見つけた。訊ねると友達に母親の事を訊かれて見せる為に持って行ったのだと言う。「みんな、可愛いって言うてくれたで」どこかでタイミングを見計らって写真を回収しなくては。正義のリクエストで上野公園に行った。家族連れを見て新しいお母さんはどうなったのと正義は訊く。ごめんな、お父さん嫌われてしもたみたい。傷つくかな、と心配したが正義は言った。「ぼくがその人にのりうつったらええんや。そしたらぼくお父さん好きやから、お父さんと結婚したるのに」どうやら慰めてくれているらしい。ウルトラマン的発想に思わず笑ってしまう。
ぼくはと言えばドン底だった。理恵を失くした喪失感の大きさに押し潰されて、何も手につかなくなった。今度こそ本当に一条の光明もない奈落の底だった。理恵の事を考えると手が震えた。人間の手ってこんなに震えるのか、と驚くくらいぶるぶると震えた。高所恐怖症の発作にも似た足許すくみ感が断続的に襲って来た。タマ袋の裏がヒヤリと冷えた。吐き気と下痢は薬を呑んでもおさまらず、一週間で3キロもやせた。もちろん死んだ方がマシと実際死ぬ事には隔たりがある。ぼくは生きていた。このまま狂えたらどんなにいいかと思ったが狂えなかった。ぼくは自殺の衝動を押さえるのに苦労した。残弾数ゼロだ。それでも生きて行かなくてはならない、のか。これが保障システムか。ぼくの不幸は誰の幸せに繋がっている? 理恵の目の前で『童夢』のようにカッターナイフで首を斬るのだ。何というロマンチック。救い難い幼稚さだ。弥生の事は笑えない。心療内科が必要なのはぼくの方だ。きっと安易な診断と投薬でも気休めくらいにはなるんだろうな。弥生、今どうしてる? おれは相変わらずアホやで。今のおれになら君がおれの悪口を言っていた理由が何となく分かるよ。おれは君を傷つけてしまったんやね。ごめんよ。おれは君が言うように優しくなんかない。でもおれは君の事好きやったで。指輪送り返された時は悲しかったで。弥生、今どうしてる? あの時新宿の事務所に君は何しに来たんやろう。何で場所が分かったんやろう。君が残して行ったメモの電話番号は現在使われておりませんやて。何かの小説か映画みたいやな。弥生、今おれ住んでる中野のマンション、住所は弥生町って言うんやで。ウソみたいやけど。3分悩んで電話帳を開き、下井草の心療内科へ行った。抗うつ剤と精神安定剤を処方されたが、これが全く効かない。早鐘の鼓動も手足の震えもおさまらなかった。理恵が彼氏と楽しくデートしたり激しくセックスしたりする妄想は追い払えなかった。大量に呑んで死ねるという程の劇薬でもなく、ただ眠くなるだけだ。酒でも呑めれば少しは楽になるのだろうか。でもぼくには飲酒の習慣はない。というかほとんど呑めない。万事休すだ。
理恵にとって恋愛はディスカウントだとさっき書いた。でもそれは違う。ヨシムラ君を一年近く待った「けなげな」理恵にとってたったの一ヵ月半が待てない訳がない。ぼくはまた間違いを犯している。ぼくは自分が理恵の恋人だったという前提で物を考えている。だから違うんだってば。理恵は最初からぼくの事を愛してなどいなかった。まずこの事実を認めなくては。どんなにつらくても身を切られる痛みを味わってもこの事実を受け入れなくては一歩も進めない。何も見えてこない。傷を負う事を恐れて、自分勝手な物語をでっち上げるのは、もうやめよう。ちゃんと事実と向き合おう。つまりこういう事だ。理恵にしてみれば、すがりついてくるから仕方なく付き合っていた相手が背を向けた、何てラッキー。ぼくとのケンカは、理恵にとって、トモマツの呪縛から逃れる最高の機会だったのだ。待つという発想が生まれる筈もないではないか。
『STACY』の編集作業が始まった。作業に集中してる時だけが、ぼくがまともでいられる時間だった。ぼくは作業に没頭した。苦しさから逃れる為に仕事に集中した。並行して『ミナミの帝王』の新作のシナリオを書いた。今は百円を笑うモンが百円に泣かされる時代なんや。映画館、骨董アクセサリー店、昔ながらの職人の店を乗っ取って百円ショップ、百円パーキングにしてしまう不動産業者。借金まみれの彼らに夜逃げ資金のハシタ金をエサに所有権を移転。第三取得者になった彼らの武器は滌除だ。物件の抵当権を無効にしてしまう(民法三八三条)彼らは、賃貸借契約で物件をヤクザに貸して増価競売を阻止、地上げならぬ地下げ、を行う。銀次郎が彼らといかに戦うか、はビデオをレンタルしていただくとして。ホストにハマる女社長に銀次郎のキメ台詞「ディスカウントな恋愛しとったらそのうち火傷するで!」できたやないか。流石おれ。頑張れおれ。Vシネマ部門売り上げ一位を誇る『ミナミの帝王』シリーズ、その脚本を書いているのがこのおれだ。いや違うな。ストーリーや内容は取材によるオリジナルだがキャラクターは原作モノだ。しかも作品世界が完成してからのシリーズ途中参加だ。脚本を書かせていただいている、というのが正しい。謙虚にならなくては。そしてもっと努力しなくては。そうですよね?『STACY』の撮影が終わる時、春菊さんは「楽しかった。また呼んで下さい」とおっしゃって下さった。今のぼくになら春菊さんは、誕生日にケーキを買ってくれるだろうか。
世界と繋がる回路を持つんだ。世の中に自分の言葉で叫ぶんだ。彼女の綺麗な魂を伝えるんだ。でも駄目だ。24時間仕事に集中することは出来ない。少しでも時間が開くともう駄目だった。ぼくは理恵にメールを打つのを止められなかった。愛してる。愛してる。愛してる。何ヲヤッテイルノダ。これでは春菊さんの作品に繰り返し登場するハタ迷惑なストーカー野郎と同じではないか。まともじゃない。もうケーキはあきらめよう。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる…。大阪には愛してるという言葉を使う文化がない。大阪弁の愛してる、はギャグか記号としての結婚サギ師が使う言葉だ。ぼくもシナリオ以外で使った事はなかった。理恵とつき合い始めた頃、理恵にその事で責められた。好きやでじゃなくて愛してるって言って。ぼくは理恵に初めてこの言葉を使った。ぼくが「愛してる」のは理恵だけだ。
理恵は一貫してぼくのメールを無視したがそのうちとうとう電話を掛けて来た。いつまで嫌がらせを続けるつもりなの? もううんざりなのよいいかげんにして我慢の限界。バイト中も授業中も迷惑なの。家族と食事中も友達と遊んでる時も迷惑なの。アンタみたいなオヤジとまだ付き合ってると思われたらカッコ悪いでしょうが。夜中も早朝も24時間全部迷惑なのよ。今夜は彼の部屋へ泊まりに行って夜通し朝までヤリまくるのよ。イキまくってる最中にメールがあったら邪魔でしょうが、集中できないでしょうが、セックスに没頭できないでしょうが。そんな事も分からないの? 迷惑だって事にまだ気付かないの? アンタ嫌がらせしてんでしょう。もううんざりなのよ我慢の限界なのよ。アンタが私を振ったんでしょ。「おれが気に入らんのならどっか行け」でしょ。それなりの覚悟があって言ったんだろうが。自分の言葉に責任持てば。アンタとなんか二度と会いたくないの。うっとうしいから電話も掛けないで、メールもやめて。アンタが何言ったって私の心にはちっとも届かないの。クソ蠅の羽音と同じなの。愛してる? 今さらアンタにそんな事言われてもキショク悪いだけなの。まだ分からないの? アンタ、キショク悪いのよ。いいわ。携帯変えるから。そんなに嫌わせたいの? 大人しくどっか行ってよ。アンタは私を傷つけたのよ。分かってる? 私は傷ついたの。アンタだけは絶対許さない。私はいいのよ。私はアンタをいくら傷つけてもいいの許されるの。でもアンタが私を傷つけるのは絶対許さない。だってアンタ犬なんだもん。ヤプーなのよアンタは。ヨシムラ君はいいの。ナカタ君も私を傷つけていいの。人間同士ならケンカしても仲直りできるの。でも犬はダメ。一度飼い主に噛み付いたら犬はガス室送りなの。更生のチャンスも言い訳も許されないの。チャンスの神には前髪しかないの。私が結婚してあげてもいいって言った時にアンタは待てって言ったのよ。待ては飼い主が犬に言う言葉でしょ。犬が言っていいと思ってんの? 映画?『STACY』? 何よそれ。私の知った事じゃないわよ。ハゲで腹のたるんだオヤジのクセに。ヨシムラ君は優しくて優秀でスポーツマンで締まった筋肉質の身体で、さわやかで、ナカタ君も今の彼氏もそうなの。人もうらやむよな仲がいつも自慢のふたりなの。インターハイ準優勝なのハンドボール部員なの。やめろよオマエら何アホやっとんねん。今日はプールのコが見学来とんねん。気狂いかオマエら、何ちうカッコしとんねん。暗黒舞踊? 撮影? 知るかそんなもん邪魔やからどっか行けや。そんなんしとるから女にモテんのじゃ。合コンだよ、ドライブだよ。夏はテニスで冬はスキーだね、やっぱ。スポーツでいい汗流そうよ。そしてビールイッキしてホテルでセックスだお持ち帰りだ。いい汗流そうよ。冷蔵庫に閉じ込められて死んだ子供。大和川の川原で迷子の仔猫を拾った。ぼくの事見んねん。抱いてあげたらにゃあって鳴くねん。きっとぼくの事好きやねん。捨てて来なさいどうせ最後まで面倒見れないクセに。途方に暮れて堤防をどこまでも歩いた。ぼくは八歳くらいだったろうか。ぼくが家出したらお母さんは捜してくれるかな迎えに来てくれるかな。コップを忘れたからクリスマス会にまぜてもらえないの? 電柱に貼られた尋ね人のチラシ。手書きの子供の顔はぼくにそっくりだ。神隠しって何? 誘拐されてまうの? 木曜日の雨に当たると髪の毛が抜けるんやて。ぼくは自分の映画が撮りたいんだ。やはりこれは原作者と主演女優でイベントを組んで誰も知らない監督の特集上映はやめましょう労力の無駄です。死ね。シルバースマイルが。何なんだこの過剰な感受性は。肥大した顕示欲は。まるで二十歳の頃に逆戻りじゃないか。ぼくは十四年かけて社会性と戦略と傷つかない為の鎧を身につけて来たのではなかったのか。限界だ。社会性が保てない。世界と繋がれない。誰か助けて。理恵、愛してる。ぼくを捨てないで。独りにしないで。死体のお腹からはたんぽぽの花が出てきたそうです。今日もぼくが撮った理恵のAVを観て25回もオナニーしたよ。すりむけて血が出たよ。理恵、愛してる会いたいよ電話に出てよメールに答えてよ嫌味でも罵倒でもいいからぼくと繋がっていてよ。新宿東口のロータリーに『STACY』の看板を出すよ。君に見てもらう為だけに出すんだ。もちろん死んだ方が世の為人の為と実際に死ぬのは違う。別にぼくは世の為人の為に生きてる訳じゃない。死ぬ義理はない。でもぼくは死にたい。もうこれ以上苦しいのも傷つくのも嫌だ。生きるというのは無理をする事でしかない。切なさに潰れそうだ。子どもは欲しいけどアンタと結婚する気はないから。ひとりで育てるからと言って施設に預けるなんて。ぼくが引き取るよ。アナタの人生に付き合うのが嫌になったの。養育費も慰謝料もいらない。アナタとは関係ないところで自分の人生を生きたいの。自業自得なのか。ぼくはこんなに苦しまなけれないけないのか。愛して欲しかっただけなのに。愛したかっただけなのに。理恵、愛してる。理恵、愛してる。こんなに愛してるのにどうして愛してくれないの。ぼくは君の不幸を願う。愛した相手の幸せを願うのは社会性だ。愛とは関係ない。一日も早く君が彼氏と別れて不幸になる事をぼくは願う。だって、そしたら君はまた、次の彼氏が見つかるまでの少しの間、ぼくの相手をしてくれるかも知れないじゃないか。君の言う通りだよ理恵。君との関係を犠牲にしてまでしなきゃいけない仕事なんて無かった。撮らなきゃいけない映画なんて無かったんだ。愛してるよ理恵。愛してる。理恵、ぼくを愛して。宮崎勤君は獄中で、自分が殺した女の子たちがお花畑で手を振る白日夢を見たという。少女たちはみんな口々に言った。「ありがとう」「ありがとう」と。十九歳で救出された監禁少女は今でも現実になじめず監禁されていた部屋に帰りたがるという。社会化、か。クソ喰らえだ。限界だ。ぼくはもう生きていたくない。この地獄をもう終わりにしたいんだ。ピンポン。呼び鈴だ。ドアを開けるとセーラー服の少女が立っていた。それは弥生のようでもあり、理恵のようでもあり、見知らぬ少女のようでもあった。その手の風鈴がちりんと鳴った。
そして『STACY』は完成した。もう思い残す事は何もない。 |
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