緑の地球ネットワーク

緑の地球ネットワーク(GEN)は、中国山西省大同市の黄土高原で緑化協力をつづけているNGOです。
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・・*地球環境林

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・・*小学校附属果樹園

・・*環境林センター

・・*霊丘自然植物園

・・*カササギの森

・・*白登苗圃

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緑の地球ネットワーク

あゆみ

できごと 受賞歴(GENもしくは高見邦雄事務局長)
1992年 1月 緑の地球ネットワーク準備会(任意団体)が発足
山西省大同市(当時雁北地区)渾源県にて緑化協力開始。マツの苗木代を提供
1993年 4月 緑の地球ネットワーク(任意団体)が正式発足  
   
1994年 4月 小学校付属果樹園プロジェクト開始
7月 緑色地球網絡大同事務所開設
8月 第1回専門家調査団派遣
12月 ナショナルトラスト・チコロナイ開始
ビデオ『黄土高原に緑を!』制作
1995年 1月 阪神淡路大震災。救援活動に取組む  
  4月 環境林センター建設開始  
  大同で大水害。24万人が被災  
  10〜11月 大同から訪日団を迎える。神戸、大阪で活動  
1996年 5月 GEN関東ブランチスタート
6月 ホームページ開設
10月 絵はがき『中国・黄土高原の四季』(写真:橋本紘二)発行
1997年 4月 菌根菌をつかったマツの育苗実験開始。98年春の実用化につなげる  
   
  9月 ビデオ『森よ、よみがえれ!』制作  
1998年 1月 河北省張家口市で地震。支援金をおくる
  3月 ブックレット『黄砂の村をゆく』(上田信著)発行
10月 大同から訪日団を迎える。関西、東京で活動
霊丘自然植物園用地決定、建設へ
1999年 3月 霊丘自然植物園育苗等開始  
  6月 特定非営利活動法人になる。ナショナルトラスト・チコロナイ独立  
     
  10月 黄土高原緑化支援コンサート“黄河の響き”開催  
     
  10〜11月 大同から訪日研修団を迎える。関西各地で研修  
  11月 大同県と陽高県の県境地域で“大陽地震”発生。支援金をおくる  
     
2000年 3月 環境林センターを20haに拡大
橋本紘二写真集『中国黄土高原〜砂漠化する大地と人びと』刊行
一連の写真展開始
12月 カササギの森募金開始
2001年 3月 カササギの森本格植栽開始  
  9月   国家友誼奨(中国政府)
2002年 3月 ビデオ『よみがえる森』制作
4月 “母なる河を守る行動国際合作奨”(中華全国青年連合会)
6月 おおさか環境賞・大賞(豊かな環境づくり大阪府民会議)
9月 環境緑化奨(大同市人民政府)
10〜11月 大同から訪日団を迎える。関西、北海道、東京で活動。
2003年 4月   明日への環境賞(朝日新聞社)
  5月 環境林センターで土壌浄化による汚水処理施設稼働開始(現在原水の不足のため運転休止中)  
     
    『ぼくらの村にアンズが実った』(高見邦雄著・日本経済新聞社)刊行  
2004年 7月 大同県、陽高県で水害。カササギの森が被害にあう
11月 会報『緑の地球』100号
2005年 3月 白登苗圃で育苗開始  
  6月 認定特定非営利活動法人になる  
  9月   毎日国際交流賞(毎日新聞社)
2006年 15周年記念黄土高原写真コンクール開催
8月 大同市栄誉市民(大同市人民政府)
9月 15周年記念・加藤登紀子ランチタイムコンサート開催
2007年 3月 かけはしの森で植栽開始  
    みみずく基金開始  
  10月 大同から訪日団を迎える。関西・東京で活動  
     
2008年

発足

 1992年1月、緑の地球ネットワーク準備会がスタートしました。中国との民間交流活動にたずさわっていた人や、環境問題に関心がある人などがあつまり、中国の環境問題はこれから大変なことになる、なにか協力ができないだろうかと動き出したのです。
 意欲はあっても知識も技術もお金もありません。緑化ならなんとかなるのではないかと考えました。北京や上海などの大都市から1日以内で行ける場所にしたい。こちらは緑化の素人ばかりだから、現地にある程度経験がないと困る。私たちの協力が現地の環境や生活の改善に役立つと目にみえてわかるような場所がいい。近所に観光スポットがあればもっといい。……そんなわがままな条件をだして、北京の知人に候補地をあげてもらったのが、山西省大同市(当時は雁北地区)渾源県でした。
 このころは、「どうしてアスファルト砂漠、コンクリートジャングルの日本から自然が豊かな中国に木を植えに行くんだ」といわれ、緑化協力団のメンバーを集めるのも一苦労でした。まだ中国の環境破壊の状況は知られていなかったのです。けれど現地を訪ねてみると、1本の木もない山やま、黄土が浸食されてできた深い谷、耕して天に至る段々畑……。緑化の必要性は疑問の余地がないと思われました。さっそく、渾源県で協力を開始しました。
 1993年4月には、緑の地球ネットワークとして正式に発足しました。

専門家の参加

 しかし、最初のプロジェクトは失敗でした。いま考えると、土と水の条件がもっとも困難な黄土丘陵で、植樹方法も適切ではなかった、畑だった場所に植えた、など失敗の原因は明らかなのですが、当時はそんなことはわかりません。壊滅状態の植林地をまえに、途方にくれました。植物の専門家に指導をしてもらうしかありません。
 せっぱつまったSOSに、助けの手が差し伸べられました。大阪市立大学理学部附属植物園をはじめ、4つの植物園づくりにたずさわったプラントハンターの立花吉茂さん、東北大学理学部附属植物園園長(当時)の遠田宏さんでした。これに力づけられ、94年8月、専門家の視察団を計画。立花さん、遠田さん、前中久行さん(当時名城大学・現大阪府立大学大学院教授)の参加をえて実施しました。立花さん、遠田さんはその後も、それぞれGEN代表、GEN顧問として大同の緑化に取り組みつづけておられます。07年には前中さんにも顧問にくわわっていただきました。

緑色地球網絡大同事務所の設立

 国際協力で重要なのが、現地のカウンターパートです。GENのカウンターパートは大同市青年連合会でした。共産主義青年団(共青団)を中心にした青年組織です。人事異動がはげしく、担当者がかわっても引き継ぎがなされません。これではたまらないと、GENの協力活動を専門にする事務所の設立を要請し、94年7月、緑色地球網絡大同事務所が設置されました。
 毎年の新規プロジェクトの策定、既存プロジェクトの指導管理、緑化資金の管理、日本からのツアーや内外の訪問者の受け入れ、環境林センターやカササギの森の運営。祁学峰初代所長が築いた基礎を、武春珍現所長がしっかりと固めて、日本からの訪問者が感心するほどの仕事ぶりです。GENの自慢のカウンターパートです。
 2003年から緑色地球網絡大同事務所は大同市青年連合会の管轄をはなれ、大同市総工会の管轄に入りました。

ナショナルトラスト・チコナイの開始

 94年12月、北海道二風谷で、アイヌの人たちと協力して、二風谷周辺の山林を買い取り、自然の林にもどそうと、ナショナルトラスト・チコナイをはじめました。チコナイとは、アイヌ語で「私たちの沢」という意味。北海道の本来の自然を取り戻し、伝統的なアイヌの自然と調和した暮らしぶりに学ぼうとワーキングツアーなどもおこないました。

阪神淡路大震災

 95年1月17日の阪神淡路大震災の後、大同事務所から、「村の人たちが心配して、救援物資が必要なら送ると言っている」というファックスがとどきました。水道・ガスの復旧は阪神間の広い範囲で遅れていましたが、電気は早くから通じていました。考えてみれば、もともと水道もガスもない大同の農村と同じ状態です。いいえ、水を汲むのに天秤棒でバケツをかついで1時間も2時間も歩く村とくらべればまだましなぐらいです。「大丈夫だから心配しないで」そう答えながら、村人たちの気遣いに胸が熱くなりました。
 2月の会員総会、春のワーキングツアーを2組というハードなスケジュールをあえて予定どおり実施したこの年、GENは大きな試練をのりこえたといえるでしょう。

環境林センターの設立

 95年は、大同市南郊区で「環境林センター」の建設をはじめた年でもあります。大阪府、京都府、兵庫県をあわせた面積にも匹敵する大同市全域に点在する協力地を統括し、苗木生産、見本園、実験研修施設など重要な役割をもつ「環境林センター」は、この緑化協力活動の拠点となりました。
 当初は村の好意で土地を借用していたのですが、2度の拡張を経て現在は20haとなり、20年間の土地使用権を村から購入しました。井戸や汚水浄化槽などの設備もそなえ、スタッフは「自己養活自己」を合言葉にがんばっています。

霊丘自然植物園の設立

 植物園の建設は、立花代表からの宿題でした。98年、太行山中で気候と土壌の条件が比較的いい霊丘県で調べてみると、落葉広葉樹の自然林があちこちで見つかったのです。山奥の村からさらに歩いて2〜3時間もかかる、放牧もはいれない山のなかに、リョウトウナラ、シナノキ、カエデ、トネリコ、ハシバミなどの自然林がある。このことは、GENの緑化協力に大きな影響をあたえました。かねてからの課題だった樹種の多様化に、大きな可能性がひらけたのです。
 自然林からそう遠くなく、国道に近くて交通便利な南庄村に、植物園をつくることにしました。86haの土地の100年間の使用権を買い、刺のある植物で囲いをつくって放牧を排除したら、次の年から灌木や草がどんどんしげってきました。あらためて、放牧の圧力を痛感させられたのです。
 900〜1,300mと高低差があり、地形の変化が大きいのも魅力です。いろいろな条件で、いろいろな植物を試すことができるからです。高いところにまばらに生えていたリョウトウナラは、年に直径で2cm太り、これまではヒツジやヤギに食べられていた芽生えもたくさん育っています。2003年春には、シラカンバの苗がたくさん育っているのがみつかりました。
 低いところには苗畑や温室をつくり、落葉広葉樹の苗などを育てて、園内や環境林センター、カササギの森に植えています。スタッフは山を歩いて大量の種を採取し、みんなで少しずつ分けて、さまざまな方法で育てています。智恵と工夫でがんばっています。

チコナイ独立、GEN特定非営利活動法人になる

 98年12月、特定非営利活動促進法が施行され、GENも特定非営利活動法人(以下NPO法人)になる準備をはじめました。同時に、資産登録の事情などもあって、山林を買い取るナショナルトラスト運動に取り組むチコナイは独立を決めました。99年6月には大阪府の認証がでて、GENはNPO法人となりました。

カササギの森の設立

 落葉広葉樹の自然林を発見したり、訪日研修で見聞をひろめたりするうち、大同の技術者に、「自分たちの裁量で自由にいろいろ試せる林場がほしい」という意欲がでてきました。「ツアーのたびに訪れて自分が植えた木がどうなっているか見たい」「大同には行けないけれど、漠然と緑化基金でなく、ここに協力しているという実感がもてる森がほしい」そんな会員の希望をあわせてかなえることができる、実験林場「カササギの森」の建設を決め、2000年の末から1haあたりの5年間の経費5万円を一口にした募金をはじめました。01年春から植えはじめ、順調にひろがっています。

カウンターパートの交替

 2003年、カウンターパートを大同市青年連合会から大同市総工会に交替しました。それにともない、緑色地球網絡大同事務所は大同市総工会の管轄下にはいり、環境林センター、霊丘自然植物園、カササギの森もすべて移管しました。

白登苗圃の設立

 植樹につかうマツ苗は従来大同県にある国営苗圃の一画を借りて生産していました。環境林センターの苗畑ではアンズなど広葉樹の苗をつくっていますが、土壌の性質があわず、針葉樹はうまく育たないのです。
 自前の苗畑で針葉樹苗を育てるのがかねてからの課題でしたが、2004年秋、ようやく大同県で7haの土地の使用権を取得することができました。冬になる前に急いで整地をおこない、2005年春から本格的に針葉樹(マツ、トウヒ、イブキなど)の育苗をはじめています。

認定特定非営利活動法人に

 2005年6月、国税庁の認定をうけて寄附控除をうけられる認定特定非営利活動法人になりました。

かけはしの森の設立

 環境林センターや白登苗圃でつくる苗木や花卉、野菜などを売って得られる収入では、環境林センターや霊丘自然植物園、カササギの森などの運営維持費はまかなえません。これまで50カ所ほどの小学校付属果樹園をつくってきましたが、そのノウハウを生かし、また新しい品種や技術などを試してみることもできる自前の果樹園をつくることにしました。やがて収入が得られるようになれば、他施設の運営維持に役立てることもできます。
 白登苗圃の隣接地8haで、06年から整地をはじめました。思ったより石が多く、作業は難航しましたが、07年春からアンズ、スモモ、ブドウなどを植えています。


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