でんでらりゅうば

でんでらりゅうば
でてくるばってん
でんでられんけん
でてこんけん
こんこられんけん
こられられんけん
こん こん

   もしかしないでも九州圏内にお住まいでない方にはさっぱりかもしれないこの歌。 (映画「解夏」をご覧になった方はかろうじて…? さだまさしさんの「がんばらんば」にも登場しますので を是非一度御視聴下さい。名曲です!)  わらべ歌の起源としては、まだ調べてないのですが、 多分標準語に訳すとこんな感じになるはずです。


でん出らりゅうば
出てくるばってん
でん出られんけん
出て来んけん
こん来られんけん
来られられんけん
来ん 来ん
 (出て行けるのならば)
 (出て行きますけど)
 (出て行かれないので)
 (出て行きません)
 (行かれないので)
 (行かれないから)
 (行かないよ、行かないよ)


 要するに「行けない」ということを言葉遊び風に歌った歌なんですが、 丸山の遊女の境遇を歌った歌だとか、出島の外国人のことを歌った歌だとか、聞いた覚えがあります。

 「にほんご」内で指遊び歌としても歌われていましたが、柳瀬が子供のころにやっていた指遊びは最初の グーがなく、親指→人差し指+中指→人差し指+小指の順番で机にタッチ、歌にあわせてどれだけ早く出来るかを 競ってたような気がします。両手でやるときはそれぞれの開始のタイミングをずらしたりとか。 まぁ、往年の満点体操みたいなものですね

 文字だけでは分かりづらいと思いますのでイラストにしてみました。(06.10.21追加)
基本の指使いは4つ。「にほんご」の中では「グウ」「親指」「お寿司」「狐」と説明されていましたが、 この4種類を歌詞の2字ごと(「でん」→「でら」→「りゅう」→「ばー」)に繰り返していくだけ。

でんでらりゅうば   →   でんでらりゅうば   →   でんでらりゅうば   →   でんでらりゅうば
 でん   →    でら   →   りゅう   →    ばー

で、最終形態としてこのようになります。

でんでらりゅうば
でんでら歌詞
←「にほんご」バージョン

グーなしバージョン→



でんでらりゅうば
でんでら歌詞

柳瀬がちっちゃいころやっていたのは右側のグーなしバージョン。それも実際は左手にするのではなく 机に向かってやってました。まぁ、地域差ってやつなんでしょうね。両手バージョンは予想よりかなり うざかったので、おまけの小部屋にこっそりUPしております。

 この歌を聞いて真っ先に思い出すのが、某カステラのCM。…なのですが、 このCMがカステラの本家福○屋だったか、カステラ1番電話は2番の文○堂だったかがイマイチ曖昧で。 自信を持って断定できる方は是非、教えてあげてください。

 ちなみに長崎人にとって「来る」という言い回しは「行く」という意味で使いますので、「今から来る(来っけん)。」と 言われたら、お家で待っていてあげてください。すれ違いになります(笑) 
 もひとつおまけで、「とっとっと?」「とっとっと。」で会話が成立することは有名ですが、「こん?」「こん。」でも 会話は成立します。鶏だったり狐だったり。いやあ、方言っていいものですね。ではまた。

◆ ◆ ◆

おまけ:柳瀬が「龍」を想像できないわけ。(2006.11.4追加)

 えーと、「にほんご」で一気にこの歌の知名度が上がった所為か、結構たくさんの方が 「でんでらりゅうば」を「龍」の歌、と思われているようです。EDでは「龍踊(じゃおどり)」が登場しているし、 それも仕方ないなぁと思いつつ、長崎出身の柳瀬としては、やっぱり「龍」とは結びつかないなぁと 密かに思ってたりするわけです。(別に批判しているわけではないですよ。)

 それは何故か? ずばり、助詞「ば」の使い方です。長崎の方言では「ば」を格助詞として使う場合、 「〜が」という意味では使いません。「〜を」という意味で使います。(例:「にほんごであそぼ見る。」 →「にほんごであそぼ見る。」) なので、「りゅう」と言う語は 「龍」という意味では使用しますが、「龍」という意味には使わないのです。
 だったら「でんでらりゅう」ではどうか? 確かにこれだと意味的には問題ないのですが、 残念ながら長崎の方言では主語を示す用法の際、共通語でいう「〜が」は、一般的に「〜の」という言葉で あらわされます。つまり「龍が出てくる」という意味で使われる場合、元の歌詞は「りゅうのでてくる」で なければ、方言として違和感があるわけです。(ただ、この格助詞「が」の用法、自分の意見を 主張(強調)するときは方言でも使ったりします。例:「おいがすっけん」→「俺がやるから」  ここに挙げないのは、説明不足になりそうなので書いておきます。)

 以上が、「でんでらりゅうば」を聞いて「龍」が想像できないのは何でかなぁ、とぼんやりと思い続けた 柳瀬の結論。ちょっと結論ありき、感覚先行になってしまった気もしますが、九州の方ならある程度 ご賛同いただけるのではないかなぁ、と。
 ですが、この歌が言葉遊びの歌である以上、「にほんご」でイメージするような「龍」の歌として捉えるのも、 方言→標準語に置き換える過程で生まれた言葉遊びであるのだから、それはそれで至極当然のことだと 思います。ただ、方言の歌と考えると「行けない」の言葉あそび歌、と解釈するのが自然な感想なんですよね。 というわけで、思った事をつらつらと書いてみたんですが、…いや、予想以上に長くなってしまいました。