井伏鱒二

 山椒魚は悲しんだ。
 彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることが できなかったのである。今はもはや、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入口のところがそんなに 狭かった。そして、ほの暗かった。強いて出て行こうとこころみると、彼の頭は出入口を塞ぐコロップの栓と なるにすぎなくて、それはまる二年の間に彼の体が発育した証拠にこそはなったが、彼を狼狽させ且つ 悲しませるには十分であったのだ。
「何たる失策であることか!」
        (以下略)

新潮社『山椒魚』

山椒魚

 ご存知、井伏鱒二の処女作(『幽閉』の改稿作品)『山椒魚』の冒頭です。以下あらすじ。


岩屋から出られなくなった山椒魚は、日々を鬱々として過ごすうちに、紛れ込んできた蛙を自分と同じ状態に してやろうと閉じ込めてしまいます。初めは口論ばかりしていた山椒魚と蛙ですが、2年が過ぎたある夏、 蛙の嘆息をきっかけに和解して終わります。


…なんとなく「身につまされる寓話」という印象を受ける作品。ユーモラスな語り口がそれに拍車をかけて います。ちなみに柳瀬は山椒魚と同じような立場になったら、絶対に「悪党の呪いの言葉」を吐きます。 いや、もう、間違いなく。(おーい)


 で、この作品の一筋縄ではいかないところは、最後の和解部分が昭和60年刊行の自選全集で 削除されてしまったところ。「山椒魚も失敗作サ」と独特の井伏節で末尾がばっさり削除されています。 具体的には


 ところが山椒魚よりも先に、岩の凹みの相手は、不注意にも深い嘆息を
    もらしてしまった。


を含むラストまでの17行。(新潮文庫版)
かなりの論議を引き起こした(らしい)この改稿。作品に対するこだわり・完成への飽くなき執念と言ってしまっても いいのですが、何といっても60年近く読まれ続けてきた作品の結末がガラリと変わってしまうわけで、 …まぁ、難しい問題です。


 「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」


という台詞で終わる『山椒魚』もかなりいろいろな読み方が出来る結末ではあるんですよね。こういうときは 実際に読んでみるのが一番。個々の判断にお任せいたします。



参考文献           新潮社『山椒魚』
浜島書店 『常用国語便覧』
講談社『走れメロス・山椒魚』

勧酒

         勧  酒   于武陵


        勧 君 金 屈 巵
        満 酌 不 須 辞
        花 発 多 風 雨
        人 生 足 別 離


      コノサカヅキヲ受ケテクレ
      ドウゾナミナミツガシテオクレ
      ハナニアラシノタトヘモアルゾ
      「サヨナラ」ダケガ人生ダ

講談社文芸文庫『厄除け詩集』

 あまりにも有名な後半2句。ですが、せっかくなので全文通して読んでいただきたいところ。

     ハナニアラシノタトエモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

だけだと、何やら厭世的な感じを受けるんですが、全文を読むとまた違った印象になりませんか?  そう、旅立つ友への餞の言葉になってるんです。
 井伏調だと更に親しみをもって受け止められます。春3月、赤ちょうちん(のカウンター席)でおっちゃんが、 (バシバシ)肩をたたきながら、「さぁ、飲めや。振り返ってる暇なんざないぞ。前だけ見て行けや。 は、は、は。」と呵呵大笑する姿が目に浮かぶようです。まぁ、読み方次第でしょうけど。
 でも柳瀬は、暗く読むより明るく読むほうがこの詩にはぴったりくるような気がします。


ちなみに于武陵の句を普通に書き下して普通に訳するとこんな感じになります。


     (書下し文)
        酒を勧む
     君に勧む金屈巵
     満酌辞するを須(もち)いず
     花発(ひら)けば風雨多し
     人生別離足る


     (訳)
          酒を勧める
       君に勧める黄金のさかずき
       なみなみと注いだ酒を断ってはならない
       花が開けばとかく嵐の多いもの
       人の一生は別離ばかりだ

 …ま、普通の漢詩、ですよね。(スミマセン。) 名文には違いないんでしょうけど、井伏鱒二の訳文ほど すんなり入ってこないというか。けどこの場合、どちらかというと、井伏訳が日本人の心に響く名訳って 言った方が正解でしょう。心地よく耳に届く七五調ですしね。後半2句なんてモロ都都逸のリズム。


◆ ◆ ◆

ついでに于武陵についても少々。


 于武陵(う ぶりょう)
 晩唐の詩人。杜曲の人で大中年間(847-859)に進士に及第しますが、官界の生活が性に合わず、書物と 琴を携えて各地を放浪します。屈原の故国である洞庭湖付近の風物を愛し、そこに居を構えようとしますが、 果たされず、晩年は嵩山の南に隠棲しました。
 その詩は興趣飄逸。一首ごとに一意があることで名を知られています。


ところで、『厄除け詩集』には「こんこん出やれ――井伏鱒二の詩について」という大岡信氏の解説が 載っています。この中で会津八一と井伏鱒二の「訳詩」についての比較している箇所があるんですが、 …すごく面白い。同じ漢詩の「訳」なのに、これほど受ける印象が違うものかと感動してしまいます。 なのに、原詩のイメージは確かにあって、その上更に、見ただけで井伏調であり八一調であることがはっきりと わかるんです。興味のある方は是非ご一読を。原詩も引っ張り出すと面白さ倍増すること請け合いです。


参考文献      講談社文芸文庫『厄除け詩集』
学習研究社『唐詩選 下』
朝日新聞社『中国古典選28 唐詩選4』