はぁ〜とにキュンなはなし13題
高速道路の無料化 地方の足が奪われかねない
たばこ税増税「欧州並みに」・・・長妻厚労相
「マニフェスト詐欺」第1号
日本国がぶっこわれていく?
中西輝政氏の『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書)
敗戦をめぐる記憶
『逝きし世の面影』(渡辺京二/葦書房ほか)
農民兵士の絶筆
『世紀の遺書』
恐れるな、ただ死ねばよい
サムシング・グレート(偉大なる何者か)
80過ぎたら生き仏
昭和天皇の「発言」に私は失望した
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高速道路無料化 地方の足が奪われかねない
[Friday,November6,2009]
高速道路を原則無料化する鳩山内閣の方針に、鉄道、海運、バス業界などが、「利用者が奪われる」と反発している。
自公政権が始めた高速料金の割引でさえ影響は大きく、無料になればさらに客離れが進み、地方交通網が維持できなくなる、という主張だ。
地方公共交通が衰退すれば、車を利用できない「交通弱者」は暮らしの足を失う。政府は「他の交通機関への影響には十分配慮する」としているが、その具体策は示されていない。
そもそも高速道路を無料化すれば、旧道路公団などの巨額の債務返済に税金投入が必要になる上、交通量が増えて地球温暖化対策と矛盾する。
こうした批判を受け、鳩山首相は、無料化は段階的に実施していく考えを表明したが、最終的に年間1・3兆円の税金を使うことに変わりはない。
政府は高速無料化を進める前に、まず、総合的な交通政策の在り方を考えなければならない。その中で、道路の整備方針や料金体系などを見直していくべきだ。
高速道路料金が高すぎるという批判に対しては、割引制度の充実や、地域ごとの料金水準の変更といった手もある。はじめに無料化ありきではなく、柔軟に対応する姿勢が大事だ。
JR各社は、高速道路が無料化されれば、旅客6社であわせて年間750億円の減収になるとみている。高速道路と並行する路線が多いJR北海道、四国の影響は特に深刻で、廃線が相次ぐ可能性が高いという。
春からの高速料金割引の影響で、すでにフェリー業界では倒産や人減らしが相次いでいる。バス業界ではマイカーに客を奪われて高速バスの採算が悪化し、その利益で維持してきた路線バスの減便や廃止が避けられない状況だ。
民主党が強調する経済活性化についても、「地方の買い物客が都市部に流れる『ストロー現象』が進み、かえって地方経済は衰退する」という指摘が多い。
欧米では、高速道路を有料にしたり、高速鉄道の整備を進めたりして車の利用を減らし、二酸化炭素(CO2)の排出を抑える政策を取りつつある。
無料だったドイツのアウトバーンも、大型車の一部は有料になった。米国には、日本の新幹線をモデルにした高速鉄道計画もある。高速無料化はこうした世界の流れに逆行する政策であることを、政府は認識すべきである。
たばこ税増税「欧州並みに」・・・長妻厚労相
[Tuesday,November4,2009]
長妻厚生労働相は1日のフジテレビの番組でたばこ税の増税について、「たばこは健康の問題もある。ヨーロッパ並みの金額にする必要がある」と述べ、2010年度税制改正での実現に意欲を示した。(大賛成・・・引用者)
一方、古川元久内閣府副大臣は1日のNHKの番組で、ガソリン税などの暫定税率について「廃止する」と述べたうえで、地球温暖化対策税(環境税)について検討する考えを示した。(大反対・・・引用者)
(11月2日 読売新聞)
「マニフェスト詐欺」第1号
[unday,October25,2009]
だから言わんこっちゃない。
鳩山政権は、日本郵政の次期社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎氏の起用を決めた。
ご本人は「辞めてもう15年はたっている。私自身の中では、元官僚という意識はない」とおっしゃっているが、社長を務める東京金融取引所の従業員はわずか100人。民間企業の社長としての実績を買われての起用でないことは誰の目にも明らかであり、民主党が蛇蝎(だかつ)のごとく嫌ってきた「天下り」人事そのものである。
8・30総選挙に臨んで民主党は、「税金のムダづかいと天下りを根絶します」とマニフェスト(政権公約)に高らかに謳(うた)った。鳩山由紀夫首相は「官僚の中の官僚でも(辞めて)10年、20年たっていれば中身は変化する。能力のある方なら認めるべきだとの結論に達した」と言い訳しているが、失礼ながら「マニフェスト詐欺」第1号に認定させていただく。
民主党は野党時代、ことに2年前に参院選で勝利し、政権交代が現実味を帯びだしてから官僚を目の敵にした。象徴的だったのは、日銀総裁人事だ。自民党政権が、財務省出身の武藤敏郎氏を提示したのに対し、民主党は官僚OBであるとの理由だけで、総裁就任を阻んだ。そのほかの国会同意人事でも、武藤氏と同じ理由で数多くの官僚OB起用案を葬り去った。
確かに国家公務員や地方公務員の民間企業への天下りは目に余る。自民党ができなかった独立行政法人や公益法人を隠れ蓑(みの)とした税金の無駄遣いをやめさせようという民主党の基本方針は正しい。
だからといって「官僚OB」というだけで、有為な人材をパージしてはいけないと昨年の日銀総裁騒動で小紙は訴えてきた。
政権を獲得してからようやく気づいていただいたようだが、「天下り」以前の問題として斎藤氏の起用は適材適所とはいい難い。
総従業員数が20万人を超え、経常収益20兆円弱、経常利益8305億円をあげる巨大企業となった日本郵政グループの舵(かじ)取りを企業経験の乏しい73歳の老人に委ねるのは、かなり無理がある。
小生のもとに寄せられる投書も「産経は民主党に厳しすぎる」というご批判が減り、「夫婦でデレデレ手をつないでいるだけで、経済対策をまともにやらない首相を叱責(しっせき)してほしい」といったものが増えてきた。この問題を機に、鳩山政権がマニフェストとは裏腹の「民から官に」舵をきらぬようしっかりと監視していきたい。(政治部長 乾正人)
(10月24日 MSN産経ニュース【fron Editor】より)
日本国がぶっこわれていく?
[Monday,September7,2009]
・・・・・政策抜きで「政権交代」を連呼するだけのどぶ板選挙戦術が成功する国とは、政治文化が恐ろしいほど貧しい国ということでもある。・・・・この選挙、思い返せば返すほどその中味のなさに唖然としてしまう。・・・世界一の財政赤字大国(800兆円に及ぶ長期債務)なのに、それに加えるに補正予算で14兆円ものバラまきをやったばかりの自民党が、民主党のマニフェストを「バラまきばかり」と批判するのもおかしな話で、思わず、笑ってしまった。
だが、笑えないのは国民で、GDPの170%超という世界の財政史上類例がないほどの規模に達してしまったこの長期債務をいったいどうするつもりなのか。この将来の日本にとって最大の難問に、今回の選挙で、両陣営のどちらからも一回も真剣な議論が聞こえてこなっかった。・・・・・800兆円も長期債務を抱えていると、金利が1%動くだけで、8兆円もの支払い増がたちまち生じるからだ。・・長期債務問題がどれだけ大きな話かすぐに分かるだろう。それ抜きでいい話をどんなにならべても民主党の政策などすべてが画餅に帰すおそれがある。
責任政治とはそういう重大問題から眼をそらしたり、問題の先送りをしないことなのだ。
小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、・・・・その一方で、選挙民には、選挙の当座もっともらしいことを並べ立て、あとはテレビを通じてのプロパガンダを繰り返して、選挙民をたぶらかしてしまえば、ランドスライド的大勝を博することが可能ということを05年の小泉郵政選挙は示した。
今回は、すこし違う形ではあるが、国民はまたもや両党派が作った、本質とはずれた争点にたぶらかされて、今の日本が本当に置かれている危機的な状況とは別のところに視点を誘導されている。・・・・・・・
今、最大の心配は、自民党の、「ぶっこわれ過程」にまきこまれる形で、「日本国のぶっこわれ過程」がはじまってしまったのではないかということだ。
この民主党のランドスライド的大勝利とそれがもたらすもの(民主党の甘い未来予測と大衆にばらまいた甘言の数々)が「日本のぶっこわれ過程」をポイント・オブ・ノーリターンまで押し進めてしまうのではないか、という恐れだ。
民主党を含む日本の野党には、口先だけでもっともらしいことをならべたてた経験はあっても、責任政党として国政を現実に取り仕切った経験がない。・・・・新政権はその無経験さを自戒する気持ちで、これからの一歩一歩を薄氷を踏む思いで歩いていかないと、日本国を本当に破滅させてしまうだろう。
(週刊文春9月10日号 総選挙特大号 立花隆「自民党の“破滅”より)
中西輝政氏の『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書)
[Sunday,August30,2009]
中西輝政氏の『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書)に「大英帝国衰退の光景」という項目がある。20世紀初頭の英国の姿を当時の新聞などからよみがえらせている。その「光景」は10以上に及ぶが、どれもこれも興味深いものばかりだ。
▼例えばこの時代の若者は海外勤務を嫌うのに、海外旅行は大ブームになった。インテリは古典を離れて、軽薄で現代風の芸術に染まる。博覧会やスポーツの試合などのイベントに血眼となった。健康への異常な関心が高まり、美食への過度の傾斜や温泉ブームも起きていた。
▼中西氏は現代日本への警告として、その「光景」を取り上げている。むろんひとつひとつは決して悪いことではない。ただ人々の生活が極めて内向きになり、関心が「国」や「社会」より身の回りに寄せられている。その点で不気味なほど今の日本と似ていると言える。
▼今に始まったことではなく、戦後日本に流れ続けている「光景」かもしれない。だが、今回の選挙戦を見ていて、そのことを確認せざるをえない。今回もまた「身の回り」については論じられても、安全保障など国のあり方はほとんど語られていないのだ。
▼「それだけ日本は平和だということだ」と皮肉る見方もある。しかし今、世界のあちこちでテロや紛争が起き、その火の粉はいつ日本に降りかかるかわからない。何よりも日本海の向こうの北朝鮮は、着々と核開発を進めている。とても皮肉だけでは済まされない情勢だ。
▼少なくとも、北の軍事的脅威に対抗するための集団的自衛権については、各党がこの選挙できちんと考えを示すべきだった。それを避けるような政党に政権を担う権利はない。投票日まであと1日、そのことをもう一度考えてみたい。
(【産経抄】8月29日)
敗戦をめぐる記憶
[Sunday,August9,2009]
毎年、8月が近づくと、新聞の投書欄に、<戦争の記憶を大事にしよう>といった投書が多くなります。・・・ぼくの最大の奇妙な体験は敗戦です。・・・教師は「嘘を教えてごめん」なんて言わない。ラジオ(NHK)、新聞も無言。文字通り、悪夢のような夏休みでした。
それだけではない。新聞は「嘘をついてどうも。ここはひとつ」なんて言わない。晩秋になってから、占領軍総司令部によれば・・・といった書き方で、日本軍がいかに嘘をついていたかを地図入りでのせはじめた。コソクでしょう。
<もし・・・したら>なんて言い方は意味がないとよく言われますが、太平洋戦争は昭和18年(1943年)5月以後、勝つ目安がなくなっていたのですね。・・・ここで日本がギブアップしてしまえば、3月10日の下町大空襲はなく、ぼくの家も焼けなかった。5月25日の山手大空襲もなかった。
ここらの<読み>が甘いですね。鈴木貫太郎首相は、7月28日に、わざわざ戦争継続を表明しています。中一のぼくでさえ、、大丈夫かよ、とひやひやした。とたんに、8月6日、広島に原爆投下、8月9日、長崎に原爆投下と、こうなります。むろんソ連は8月8日に日本に宣戦布告して行動を開始します。
2月から8月の敗戦までの間には、6月の沖縄での悲劇(集団自決)が入ります。
原爆とソ連参戦で、政府は思い腰を上げ、8月10日の午前2時半に御前会議を終了し、ポツダム宣言受諾を決定します。<国体護持>を条件に。
どう見ても、2月から8月までの半年は無意味だった。結果論ではなく、その時代を生きた少年として、はっきり言えます。
8月15日、敗戦。8月18日、内務省は占領軍向き<性的慰安施設>設置を指令。8月27日、大森海岸に「小町園」が開業します。一般人の灯火管制解除は8月20日。
一般人に灯火をつけさせる前に、<性的慰安施設>を準備する。これが日本政府の姿です。
(週刊文春8月13日・20日号、小林信彦「本音を申せば」より抜粋)
『逝きし世の面影』(渡辺京二/葦書房ほか)
[Monday,February9,2009]
一度は読みたい名著というとどうも目が海外に向いてしまいがちだ。ブローデルの『地中海』やウォーラーステインの『近代世界システム』等はたしかに名著だが、日本、しかも、近世・近代以降の日本に関する名著はとなると、なかなか定番はない。
最近、筆者に強いインパクトを与えたという意味で、こゝでは渡辺京二の『逝きし世の面影』を掲げてみたい。ここ十〜二十年はいわゆる江戸ブームだが、渡辺ほど、外国人の目を通すことによってこの時代のユニークさを明確に浮き彫りにした著者はいない。江戸文明というユニークな文明の「扼殺と葬送」の上に日本の近代が成立したのだと渡辺が述べる時、筆者は不可避であったとはいえ明治以来の近代化・産業化が何だったかという思いに沈まざるをえない。
しかし、今や、近代産業資本主義は終わりつつある。これからの世界が、そして、日本がどこに向っていくのかを予測することは難しい。しかし、少なくとも部分的なには、日本的なるもの、江戸的なるものへの回帰が必要だということだけは筆者にはっきりしているように思える。滅びた江戸文明をもう一度、思い起こすべき時なのだろう。
(文藝春秋12月号、「死ぬまでに絶対読みたい本」から榊原 英資(早稲田大学教授)より)
農民兵士の絶筆
[Tuesday,January13,2009]
こんな絶筆を残した農民兵士もいる。
<グンイドノハヤクアゴヲ
ツケテクダサイ、ミンナト一ッシ
ョウニゴハンヲタベラレル
ヨウニシテ下サイ
グンイドノフネハイツ
クルデス
ゴハンガタベタイナ
タンヲトッテ下サイ
ダン(まま)ヲトッテ下サイ
クチノナカノチヲフイテ下サイ
モウネリ(まま)タクナイ
ヒトリデ小便マリマス デ
ベンキヲカシテ下サイ
スマナイカ角ザトウヲ一ツ二ツモラッテクレナイカネ>(『戦没農民兵士の手紙』岩手県農村文化懇談会編 岩波新書より)
負傷した兵士の、軍医への訴えである。岩手県和賀郡藤根村出身の衛生兵が戦地から持ち帰ったもので、筆者はわかっていない。
場所は中国大陸なのか、‘中華興記製瓷有限公司’という文字のある用箋に書かれている。
力を込めて書いたと思われる、くっきりとした大きな字、重傷を負いながらも懸命に生きようとする意志が、一文字一文字に刻まれているようだ。
(文藝春秋新年特別号 梯 久美子「昭和の遺書」より)
『世紀の遺書』
[Saturday,Dcember6,2008]
わたしは「わが人生の名著」として、『世紀の遺書』を挙げたい。本書は去る第二次世界大戦後、東京裁判で戦争犯罪(戦犯)人と判決され死刑に処せられたり、獄中死した人々の中の七百一人の遺書が編集されている。初版は昭和二十八(1953)年十二月一日で、東京新宿の白菊遺族会から出版された。私が所持するのは同二十九(1954)年の第四版である。
私は、戦犯者のいる東京巣鴨拘置所へ、当時臨済宗大本山京都妙心寺の管長だった古川大航老師の戦犯者慰問講演に随行したり、あるいは私個人で慰問講演に赴いた。アメリカ軍憲兵MPの臨席で、恐怖と緊張のなか十五分間の制約時間内で話をした思い出はいまもはっきりと胸奥に残っている。
上掲の『世紀の遺書』は、用紙類はもとより衣服の上にも墨書されてあるのが、写真で紹介されてある。いずれも祖国日本を思い、家族に心を馳せているので、読む度に胸に迫ってくる。
いま、この書をあらためて紹介するのは、第二次世界大戦も風化しつつあり、日本人で戦争を記憶する者も、日に日に減少しつつあるからだ。しかし戦争の悲劇を忘れてはならない。
最後に刑死者の一人上野千里さん(栃木県出身元海軍々医中佐)の遺書の部分を同書から左に紹介する。
醜い世の中に思わず立ちあぐんでも
/見てごらんほらあんなに青い空を
/人の世の苦しみに泣いたおかげで
/人の世の悲しみにも心から笑える
/打たれ踏まれ/唇をかんだお影で
/生まれて来たことの尊さがしみじみわかる
(文藝春秋12月号、「死ぬまでに絶対読みたい本」から松原泰道(臨済宗龍源寺前住職))
恐れるな、ただ死ねばよい
[Sunday,July13,2008]
・・・・
石原 先生でも死ぬのは嫌ですか。
松原 ええ、もちろん。
先ほど話にでた仙高ウん(江戸末期に、九州博多の聖福寺にいた名僧)は、死に際に弟子たちから「何か最後にお言葉を」と言われて、「死にとうない」と言ったそうです。「冗談は困ります。本当のことを言ってください」と弟子がたずねたら、「ほんまに、ほんまに」と言ったという話があります。(笑)だから別に改まったことをする必要はないんですよ。南禅寺の柴山全慶老師や、円覚寺の朝比奈宗源師といった名僧、高僧といわれる人たちも、普通にありのままに死んでいったらいいと言っておられます。苦しかったら叫んでいいし、悲しかったら泣いたらいい。それが死にお任せすることだと。
石原 それはよくわかります。
松原 やはり江戸時代末期に、曹洞宗の物外という気性の荒い坊さんがいました。九州中津の奥平という殿様が、その物外に参禅していたのですが、いよいよ臨終というとき、「花は根に帰ると聞けば我もまた生まれぬ先の里に帰らん」というちょっとひねった辞世を詠んだ。ところが物外は褒めるどころか「死ぬ間際に余計なことうをゴタゴタ言うな」と一喝したそうです。するとそれまで苦しんでいた殿様がにっこり笑って息を引き取ったといいます。最期に何かいい言葉を残して逝こうなんていう執着があると、素直に死んでいけません。
石原 死ぬ間際に気取る必要はないということですね。つまり自分の死を自分で作ったりするな、と。
・・・・
(文藝春秋1月号 松原泰道/石原慎太郎対談 百歳の名僧に問う「恐れるな、ただ死ねばよい」より)
サムシング・グレート(偉大なる何者か)
[Sunday,May3,2008]
・・・
コンピュータの発達で遺伝子の暗号解読が容易になり、いま世界中でヒトの遺伝子の暗号解読が進められ、21世紀の早い時期にその全容が明らかになると思われますが、それとは別に、私たち科学者が知りたいと思っていることが1つあります。
それは、いったいだれがこんなすごい遺伝子の暗号を書いたのか、ということです。また先に述べたDNAの構造一つとっても、化学文字がそれぞれ対になってきちんと並んでいる。ちょっとふつうには信じられない不思議でもあるのです。遺伝子の暗号は、人間自身に書けるはずがないのははじめからわかっています。では自然にできあがったものでしょうか。生命のもとになる素材は自然界にはいくらでも存在しています。しかし材料がいくらあっても自然に生命ができたとはとても思えません。
もし、そんなことができるのなら、車の部品を一式揃えておけば、自然に自動車が組み立てられることになる。そんなことは起きるはずがありません。ここはどうしても、人間を越えた何か大きな存在を意識せざるをえなくなってきます。
私自身は人間を越えた存在をのことを、ここ十数年来「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」と呼んでいます。それがどんな存在なのか具体的なことは私にもわかりませんが、そういう存在やはたらきを想定しないと、小さな細胞のなかに膨大な生命の設計図をもち、これだけ精妙なはたらきをする生命の世界を当然のこととして受け入れにくいのです。
・・・
(村上和雄「生命の暗号」より)
80過ぎたら生き仏
[Thursday,November8,2007]
『実用介護事典』(講談社)には、老いにまつわることわざをたくさん載せたが、介護現場で作られたことわざや格言も取り上げている。
子どもにかかわる人たちの間には「7歳までは神のうち」というコトバがあるそうだ。子どもは、7歳までは神様みたいなものだ、しかったり抑え付けたりしないで育てようという意味だ。子どもは人間とは違った、神様や天使がいるような別の価値観の世界にいるんだという意味もあるのだろう。いいコトバである。
高齢者にかかわる私たちもこんなコトバが欲しい。じゃあ作ろうじゃないか。まず「7歳までは」は「80過ぎたら」にしよう。「神」の代わりに「仏」ではどうか。でも「80過ぎたら仏様」ではもうこの世からいなくなっているみたいではないか。
そこでできたのが「80過ぎたら生き仏」というコトバだ。事典には「80歳を過ぎたような高齢者は生き仏のようなものだから、いまさら教育したり適応させようとせず、あるがままでいいじゃないか、という意味をこめたもの」という説明をつけた。
「個性の煮つまり」というコトバもある。高齢者の特徴を表現したものだ。まじめな人はますますまじめになるし、頑固な人はますます頑固になる。
「受容より相性」は、苦手な高齢者を無理して受け入れようとするよりも、相性のいい人と交代するほうが互いに幸せだ、というもの。介護という分野はこれまでに経験したことのない世界だ。だからコトバも新しい表現を求めているのだ。
(11月6日 読売新聞 三好 春樹「介護の心」)
昭和天皇の「発言に」私は失望した
[Thursday,May3,2007]
・・(前略)・・・・
7月20日の夕刊各紙の一面をかざった昭和天皇の「靖国A級戦犯合祀」に対する「不快感」スクープ記事を目にして私は驚き失望した。この記事を目にして失望した人は、私の他にもたくさんいたかもしれないが、私の失望は、それらの人の失望よりも、もっと微妙で複雑なものだ。その前に一つ注意しておきたい。
それはこのメモに残された昭和天皇の言葉を、どこまで信用すべきかという問題だ。・・(中略)・・昭和天皇は「記憶の人」として知られた。同じように強い記憶力を持った人に民俗学者の柳田国男がいた。・・(中略)・・が、その最晩年、かなり混濁した記憶の人となってしまったことは、フランス文学者のの桑原武夫らが書き残している。87歳の昭和天皇の「記憶」はどのような状態だったのだろう。一つ言えることは、たとえ混濁した記憶の人となって、過去の様々な出来事を忘れてしまったとしても、いや、なればこそ、自分の執着を持つことに対しての記憶は、よけい強力ななものになって行ったはずだ。・・(中略)・・昭和天皇はA級戦犯の人たちにそのような強い執着を持ち続けていたのだろう。だとしても、このメモに書き残された昭和天皇の発言には、記憶の修正がある。その修正を私は見逃すことができない。
昭和天皇は言った。「或る時に、A級が合祀され」、「私(は)、あれ以来参拝していない、それが私の心だ」、と。
東条英機をはじめとするA級戦犯が靖国神社に合祀されたのは昭和53年10月のことである。そして翌54年4月19日に新聞各紙が一斉に報道し、一般に明らかになった。以来、ということなら、その昭和53年あるいは54年「以来参拝していない」ことになるはずだ。実際それはそうだが、昭和天皇は、それ以前から靖国神社への参拝(御親拝)を行っていない。昭和天皇が最後に靖国神社を訪れたのは昭和50年11月21日。振り返って見ると、この日付けには微妙な意味、というか昭和天皇の作戦が透かし見える。・・(中略)・・なぜ、この時に、昭和天皇は6年振りで靖国神社を訪れたのだろうか。今回のメモが明らかになったあとで、振り返ると、私には、それが、駆け込み参拝であったように思える。
要人の靖国神社参拝を、「靖国問題」としてややこしくしたのは、周知のように、昭和50年8月15日の三木武夫首相(当時)の靖国神社参拝だった。・・(中略)・・その時から靖国神社はこの前の戦争との関連でのみ語られる事になる。カンの良い昭和天皇はその事を察知していた。だから駆け込みのように、同年の11月に最後の靖国参拝をすませ、「以来参拝していない」。それが彼の「心だ」。確認しておきたいのは、これが、A級戦犯たちの合祀以前の出来事だということだ。この段階で昭和天皇は、靖国神社を媒介に、自らと、この前の戦争との関係と、さらに言えば自身の戦争責任の距離を取ろうとした。何という人間らしい行いなのだろう。・・(中略)・・参拝を取りやめた3年後、A級戦犯の合祀を知って、昭和天皇は、これでいよいよ自分は太平洋戦争の被害者であると思ったことだろう。そしてそのことに記憶を執着させただろう。
だからこそ、その10年後、あのような言葉を口にしてしまったのだろう。
しかし、A級戦犯と言われる彼らは、天皇の名のもとに、日本を戦争へと導き、あのような結果を招いてしまったのだ。そういう臣下たちを昭和天皇は突き放した。このメモの出現を機に今こそ改めて昭和天皇の戦争責任が問われるべきだ。
(文芸春秋 2006年9月号 坪内祐三「人声天語「昭和天皇の「発言」に私は失望した」より)
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