平成疑問かなづかひ−假名遣標準化計劃

假名遣の定義

解説へ

 「假名遣」の定義は從來から複數あり、しばしば誤解の元となってゐます。ここでは二種三類にわけてみませう。

定義性質
ある文獻の假名がどのやうな状態で使はれてゐるか學術的客觀的な實態の觀察結果上代特殊假名遣、あめつち假名遣
同音の假名を語によって使ひ分ける規則實務的人工的な社會の規範定家假名遣、歴史的假名遣、現代かなづかい(昭和21)
假名によって語を表記するときのきまり現代假名遣い(昭和61)

 それぞれについての解説は、築島裕『歴史的假名遣い(昭和61年 中央公論社 中公新書810)』に任せませう。同書の6ページに
「假名遣」の二つの意味
といふ項目があり、要領のよい説明があります。(原文新字新假名)

 まづ第一に、ある文獻の假名が、どのやうな状態で使はれてゐるか、といふ「實態」を示すことばとしての意味である。「江戸時代の假名遣は、社會的に統一が無かった」とか「上代(奈良時代、西暦八世紀)には、後世には見られないやうな、特殊な假名遣があった」といふ場合がそれである。
 (第二) これに對して … 實態ではなくて、假名でことばを書き表すに當ってのきまり、規則をさしてゐる。どこかで、この規則が作られ、それに合ふやうに、假名を用ゐるやうに定められてゐるものである。
 現代のわれわれの言語生活では、この第二の場合に限られてしまってゐる。
 第一の意味の「假名遣」の場合には、「正しい」も「誤り」もない。ただその「状態」があるだけである。これに對して、第二の意味の「假名遣」の場合には、それを「正しく」守ってゐるか、「誤った」用法であるか、二つのうちのどちらかであって、それ以外のケースはあり得ない。

 また昭和60年2月20日國語審議會假名遣い委員會試案の『改定現代假名遣い(案)』には

 前文 [假名遣についての認識]
2 「假名遣い」といふ語の示す内容
 今囘の審議に當っては、假名によって語を表記するときのきまりを「假名遣」と考へた。これは、從來一般に、同音の假名を語によって使ひ分けることが假名遣であると考へられてゐたのに比べると、廣い見方である。

とあります。説明はこれで十分でせう。


 二つだけ付け加へておきませう。

 『改定現代假名遣い(案)』にありますとほり、定家卿や契沖宣長以來、傳統的な「假名遣」の定義は

同音の假名を語によって使ひ分けること

であります。

假名によって語を表記するときのきまり

といふ考へ方もあるにはありましたが、具體的な形で示されたのは昭和61年『改定現代假名遣い(案)』が最初であり、他に類似文獻はありません。

 次に「假名遣」が文字表記の規範、すなはち實務的人工的な規則である以上、「正しい」「誤り」の判斷が最優先であり、學術的な意義や合理性などはこれを補強する材料として、時に都合よく使はれるだけであると心得ておいた方がよいでせう。「くぢら」「げぢげぢ」などの語は歴史的假名遣を決定しがたいものとして有名ですが、とりあへず現實世界の要求として、假にもどちらかに決定せざるを得ません。しかしこれは學術的な態度ではないでせう。「現代假名遣いはよく定着している」の一言は勝利宣言に等しく、反論として歴史的假名遣の正統性を持出してもほとんど意味がないでせう。


 私共、電腦文字研究會のまとめた『正假名遣』では傳統に基き、

 假名遣とは、同音の假名を語によって使ひ分ける規則である。

と定義しました。これを改めて敷衍いたします。

(一)「假名」とは何か。通常は「いろは四十七文字」に「ん」を加へ、さらに濁點半濁點のついたものも含めます。長音符號「ー」ならびに小書き假名「ゃ、ゅ、ょ、っ」などが問題になりますが、これについては後述します。
(二)次に「同音の假名」とは何か。『正假名遣』の第一章で九項目にわけて示しました。今囘、「あかほ(赤穗)」「あをめ(青梅)」などの語を説明するため、あへて項目を増やしました。「同音」の感じ方は時代や地域によって異り、また解釋によっても増減します。
(三)「語」とは何か。じつはこれは言語學上の大問題ださうです。しかしここでは「假名遣とは言葉を書くための規則なのだ、發音符號のやうなつもりではいけないのだ」と理解するだけでよろしいでせう。
(四)「使ひ分ける」ための判斷方法が『正假名遣』の第二章です。「發音が合流する以前の文獻用例に從ふ」のが基本になります。たとへば「じ」と「ぢ」は室町時代には區別が薄れてしまったから、鎌倉時代以前なら間違へないだらう、と考へます。平安中期以前、特に「延喜天暦以前」の用例を最も尊重するのが、契沖の『和字正濫抄』以來、基本になってをります。ただしよく誤解されるのですが、「昔の實態まるごとそのまま」再現するのではなく、あくまで現代において同音の假名を使ひ分けるための「判斷材料」として扱ふのです。
(五)「規則」とわざわざ斷ったのは、「歴史的假名遣は古典のための假名遣」といった誤解を避けるためです。たとへば平安時代には「い」と「ゐ」の發音は全く違ってゐましたから、人工的な規則に從って意識的に書き分ける必要などなく、從って「假名遣」といふ考へ方は存在しませんでした。假名遣とは表記を安定させるための社會的な規範であることに御留意ください。
(六)よく考へておくべき箇所は、(二)「同音の假名」、(四)「使ひ分ける」ための判斷方法、の二つです。此處さへきちんと押へれば齟齬は生じません。『正假名遣』ではそれぞれ、第一章と第二章に區分して説明してゐます。

 以上、「使ひ分ける」のが假名遣の根本原理であることがおわかりいただけましたでせうか。ではなぜ「使ひ分ける」必要があるのか。それはひとへに(一)で「假名」の種類が決ってゐるからです。じつは(一)がすべての出發點なのですね。それなら假名文字が誕生した時代の状況が一番大切です。(四)で「延喜天暦以前」となってゐるのもそのためです。

 また日本語にとって模範となるやうな文獻が、

  1. 記紀萬葉
  2. 平安文學
  3. 明治大正の文學
に多いため、歴史的假名遣こそ表記の基準となるのです。古典の原文をよく讀むと、必ずしも法則どほりでもないのですが、おほむねの傾向はさうです。この點からも「延喜天暦以前」が尊重されることになります。

 しかし「延喜天暦以前」の表記を忠實になぞるのは現實的ではありません。何よりこの頃には未だ「ヤ行のエ」が存在してゐたことが確實視されてゐるからです。原則に從って「ヤ行のエ」を復活させようといふ試みもありますが、今のところまとまった考へ方にまで成熟してゐません。特定の時代だけ絶對視しようとしても無理なのです。『正假名遣』では「判斷材料」として「平安中期以前の文獻に基礎を求める」と表現してゐます。

 以上のやうに考へますと、いろいろな問題がすっきり整理できてまゐります。いくつか例をあげてみます。

・小書き假名「ゃ、ゅ、ょ、っ」を使ふことの是非。
 これは(一)「假名」の種類にかかはる問題であって、假名遣と關係ありません。なぜなら「しよつちゆう」と「しょっちゅう」は同じ言葉であって、何ら「使ひ分け」をしてゐないからです。同樣に濁音や半濁音を使はうが使はまいが、假名遣とは別個の問題といへます。
・「梅」は「うめ」「むめ」のいづれが正しいか。
 もし「うめ」と「むめ」が異る言葉であり、しかも現代音が同じであれば、假名遣として使ひ分けるべきでせう。「う」と「む」を混同するのは「馬」「鰻」「孫(むまご)」など少なくはありません。しかしどれも同じ言葉なのですから、單なる「表記の搖れ」であって假名遣とは言へません。
・「バレー」と「バレエ」はどうか。
 これはかなりきはどいところです。「ばれい(馬齡)を重ねる」といふ言葉もありますし、今後は假名遣の一つに數へるべきかもしれません。今のところ長音符號「ー」は符號であって「假名」ではないといふ解釋です。「一ヶ月」と「一か月」も、「ヶ」が假名文字でないために假名遣とは看做されません。
・「學校」は「がくかう」ではないのか。
 「がくかう」とするためには、先づ「がく」と「がっ」が「同音の假名」であると宣言する必要があります。しかしそのやうな説明はどこにもありません。またたとへば「日本」が「にちほん」とならないなど一貫性に缺けるため、私は「がっかう」の方がよいのではないかと思ひます。これは今後の重要な檢討課題です。

 さて、今囘の『平成疑問假名遣』では「くゐ」「くゑ」「-む」などの使ひ分けを明記しました。いづれも字音假名遣の研究分野では常識となってゐるものばかりですが、これまであまり注目されてこなかった項目です。しかし平成七年『日本漢字音史論輯』(汲古書院)に「論理の一貫性を求めて…直ちに改訂されるべき」とあるやうに、近年の潮流として急速に認められつつあります。その使用實態は『和漢朗詠集』などをみれば一目瞭然でせう。

 明治以來の實態として、「くゐ」「くゑ」「-む」などを「使ひ分けるべき同音の假名」に入れてこなかったのは事實ですし、今後もさうありたいと衆議一決するならば、私は從ひます。しかし假名遣の原理からは大きく外れることになります。そもそも昭和二十一年以前に使はれてゐた假名遣に、じつは大きな忘れ物があったのだといふ事實そのものがよく知られてゐないので、あへて提言した次第です。