平成疑問かなづかひ

假名遣標準化計劃

平成11年8月17日開設、平成21年09月01日最新改版

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 『正假名遣』『便覽本文』共に平成20年版へと更新しました。遲々とした歩みではありますが、さまざまな御支持まことにありがたうございます。また、19年10月13日ころ以降にこちらからの返事がとだえた方は、お手數ですがメールください。データの復舊できない部分あり、御迷惑をおかけします。


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『平成疑問假名遣 − 平成十七年版』
四六判・340頁發行 國語問題協議會
ISBN 4-87738-227-5著者 高崎一郎
價格 1575圓(税込)發賣 紀伊國屋書店
の加除訂正をし、歴史的假名遣の標準化を進めてゐます。本書が歴史的假名遣の標準として、社會に廣く受け容れられる事を願ってをります。


 歴史的假名遣とは、古典を參考に現代を秩序づけたものであると、私は考へます。

 契沖以來の定義として、平安時代中期以降の文獻用例に從ふ約束になってゐますので、あたかも客觀的歸納主義をつらぬいた學術研究そのものであるかのやうな印象があります。確かに江戸時代は國語學上の重要な發見がさまざまありました。しかしそれで表記法としての整合性がとれるとはかぎりません。じつは「現代人が容易に理解できる古典用例」だけ恣意的に援用してゐるのではないか、と私は疑ひます。さうでなければ、國語學者が一致して向ける冷い視線の意味が理解できません。

 表記法の役目は語の表記を安定させることにあり、學術研究とは目的が異ります。だから現代の目で過去をみつめても「それでよいではないか」と思ひます。ただし現代の表記法として「具體的にどう書くのか」明確にし、「何を利用し、何を捨ててゐるのか」だけはきっちり把握すべきでせう

 といひますのも、歴史的假名遣は古典研究の世界で發達してきたためか、雅ならざる語を「どう書く」のか、あまり疑問にしてこなかった節があるのです。たとへば江戸の地名「龜戸」「向島」など、意外に身近な言葉が假名遣不明のままで放置されてゐます。ところが「學術志向」のためでせうか、何とか大上段に解決しようとする試みが跡を絶ちません。曰く「漢字に隱れる」。曰く「稀な例は後に囘して」、曰く「自然淘汰される」など、あるいは「漢字音は外國語」と言はれても、具體的にどう書くのかよくわかりません

 日常で「龜戸」「向島」などは漢字で書くのが普通ですから、「かめいど・かめゐど」「むかうじま・むかふじま」どちらかと考へ込まなくて當然です。しかしこれらの住所に振り假名をつけようとすればはたと困るだらうし、また今のところ解決方法がないのは事實です。「地名などどうでもよい」と見過ごすわけにはゆきません。「どうでもよい」言葉など存在しないと私は信じます。それに「むかうじま」の例など「四段活用動詞の音便」であり、國文法の主幹にかかはります。

 私は「この言葉はどう書く」のみ主題とし、「かくあるべし」とは決して考へないやう努めました。具體的には、現行の信頼できる辭書にどう書いてあるかをよりどころとし、さまざま比較することで「我々は心の中でどう判斷を下してゐるのか」探りつつあります。たとへば「學校」は「がくかう」なのに「日本」が「にちほん」でないのは何故か、ぜひ諸賢の教示を給はりたく存じます。


 以下の前提で話を進めてまゐります。

 また用語の定義などは次のとほりとします。

 假名遣についてよくわからない事、記述の誤りなど、高崎一郎(NCA01671@ni●fty.com 御面倒でも「●」は削除してください)まで忌憚ない批評をお願いたします。ただし具體的な語例を伴はない、いはゆる國語問題的な御問合せは殘念ながら無視する場合があります。御諒察ください。


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