『國語國字(182)』16.11.20
京都府龜岡市に「穴太寺」といふ名刹がある。由緒は古く、『今昔物語』の説話の舞臺になってゐるほどである。また、西國三十三ヶ所の第二十一番札所としても有名である。
「穴太」の地名は滋賀にもあり、成務天皇はこの地に都を定められた。「
さて滋賀や吉野の地名は「あなふ」であり、「アノー」と讀む。ところが「穴太寺」は樣々な書き方があり、表記が安定しない。手許にある西國三十三ヶ所の案内書をいくつか調べてみた。
| 元文四年(1744) | あなう |
| 大正十五年 | あなう |
| 昭和十年 | あのう |
| 昭和十四年 | あのう |
| 昭和初期 | あなふ |
| 昭和四十二年 | あなお |
| 昭和四十五年 | あのお |
| 昭和四十七年 | あなお |
| 昭和五十四年 | あのう |
| 昭和五十五年 | あなお |
| 昭和六十一年 | あなおう |
| 平成七年 | あなお |
| 平成九年 | あなお |
これを見ると、「あなう」「あのう」「あなふ」「あのお」「あなお」「あなおう」合計五種類あり、戰前に限っても「あなう」「あのう」「あなふ」三種類となる。假名による書き方がこのやうに多彩な地名は他に例を見ない。研究家の間では「地名は漢字よりも發音が重要」といふのが常識ださうだが、これでは異る寺が六ヶ所あると誤解されるのではないか。
そのそもこれらの讀み方が果して一種類なのか、それとも別々の讀み方を反映したものか、定かではない。著者や出版社の所在地ごとに分けてみたが、地方ごとの傾向は發見できなかった。昔は「アノー」だったものが、最近では「アナオ」になりつつある、と見えなくもない。平泉の「
三十三ヶ所の巡禮寺院には必ず「御詠歌」といふ和歌型式の和讚がある。江戸時代の成立と思はれる。穴太寺は
「かかる世に生れあふ身のあなうやと思はで頼め十聲一聲」
とあり、「あな憂や」が掛け詞となってゐる。つまり江戸時代には「アナウ」または「アノー」であったのだらう。
「穴太寺」の假名遣は「あなふ」で問題ないものと思はれる。またさうであれば「アノー」「アナオ」どちらで讀んでも別にお構ひなしといふことになる。地名人名は歴史の寶庫といはれながら、正しい假名遣を確かめる手段に至って乏しい。大阪の「道修町」、東京の「龜戸」などなど、いくら調べてもわからない。
歴史的假名遣の復活を望むのであれば、少なくとも身近な語で書けないものがあってはならない。わからぬものは分らぬのだから「今のところこれが正しい」と誰かが宣言する必要がある。それができるのは國語問題協議會しかない。來歴の穿鑿に多大な時間をかけるのはもう止めようではないか。