平成疑問かなづかひ−假名遣標準化計劃

山氏の造った「やうめい門」

『國語國字(185)』17.11.11

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 『拾芥抄しふがいせう』といふ書物がある。鎌倉中期に成立した有職故實の小事典で、後世までひろく流通したらしい。その中卷最後のあたり、「宮城部第十九」には、平安宮の大内裏十二門の由來が書いてある。たとへば「陽明やうめい門」は、備前國の「やま」氏一族が建てたためこの名がついたといふ。優美な記念名がついた門は十におよぶ。

陽明やうめい やま
待賢たいけん 建部たけべ
郁芳いくはう いくは
美福びふく 壬生みぶ
談天だむてん 玉手たまて
藻壁さうへき 佐伯さへき
殷富いんぷ 伊福部いふきべ
安嘉あんか 海犬養あまのいぬかひ
偉鑒ゐかむ 猪養ゐかひ
達智たつち 丹治比たぢひ

 氣づいたことを記しておかう。

 陽明門は今では一般に「やうめい」であるが、呉音讀みの「やうみやう」の方がより「やま」に近いだらう。また美福門も「みふく」の方がわかりやすい。平安京奠都は延暦十三年だが、呉音をやめて漢音を學ぶやう獎勵されたのがちやうどこの頃だった。しかし一旦習ひ覺えた呉音は決して亡びなかつたとは、常に國語史で強調されるところである。何のことはない。現代人が想像するやうな社會的強制力をともなった「漢字音統一」には程遠かったのではないか。

 明治以降の漢和字典は「あん」と「あむ」の區別をしない。これは本居宣長『字音假字用格』の説を蹈襲したものである。しかしおほよそ院政時代までは明らかな使ひ分けがあった。さうでなければ談天だむてん門と玉手たまて氏は結びつかない。奈良縣櫻井市の「談山だむざん神社」とは、「多武峰たふのみね」の言ひ換へである。呉音の「多武たむ」が「だむ」、「峰」が「山」に相當する。

 「偉鑒ゐかむ門」と「猪養ゐかひ」氏の對應もこれを裏づけるものである。上代のハ行は今の「パピプペポ」に近く、「猪養」は「ウィカピ」であったと思はれる。自分で何度も發音してみればわかるが、「ウィカム」は「ウィカン」よりはるかに近い音なのである。

 それでは「安嘉あんか門」と「海犬養あまのいぬかひ」氏では、「あん」と「あむ」の對應がつかないではないかとのお叱りもあらうか。さういふ鋭い指摘には素直に脱帽するしかない。當時の感覺として、それでよかつたのだらうとしか言ひやうがない。古典をひもとけば歴史的假名遣に違背する語例など山のやうにある。歴史的假名遣とはあくまで「大きな流れ」であると承知すべきである。

 「殷富いんぷ門」に對應する「伊福部いふきべ」氏には、いささかの違和感を覺えるのではないか。もともとこの一族は製鐵にたづさはり、それゆゑふいごにちなんだ「息吹いぶき」の名を持つのである。滋賀岐阜縣境の「伊吹山」は彼らの本據地であった。

 中世には次第に「伊興部」や「五百旗頭」と書き、「イオキベ」と讀むやうになる。政治學者の五百旗頭まこと氏も末裔の一人なのだらう。ここで問題になるのが假名遣である。すべての家系が語源をたどれるわけではなし、固有名詞はどうしても漢字に引きずられる。すなはち「伊興部いおきべ」「五百旗頭いほきべ」とせざるを得ない。

 百人一首第二十九番の作者「凡河内躬恆おほしかふちのみつね」も、後世の假名遣と一致しない。いま、「河内(コーチ)」さんは「かうち」と書き、一般には「かはち」のウ音便だと説明されてゐる。しかしひょっとすると「かふち」のウ音便ではならかうか。かういふ素朴な疑問は意外に難しい。そしてまた協議會理事の市川さんに指摘されるまで、「かふち」に全く氣づかなかった自分を恥ぢる次第である。

(再追記) 國語國字第百八十二號「生の假名遣」で「園生そのふ」の例を出し、人名にもちゐる場合は「」の意識した「そのを」さんでよいやうな説明をした。男性ならこれで問題ないのだが、作家の「桐野夏生(ナツオ)」さんは女性である。さりとて「なつふ」の假名遣は如何なものであらうか。