平成疑問かなづかひ−假名遣標準化計劃

さへのかみ・さいのかみ

解説へ

 『日國』では「道祖神・塞神」の歴史的假名遣を

とする。讀み方によってハ行ア行にわたるのは奇異に感じるが、結果としてこれでよいのだと思ふ。

 まづ「さへのかみ」は『倭名類聚抄』に「道祖 和名佐倍乃加美(さへのかみ)」とあり、これで動かないだらう。「さへ」は「()へ」つまり防ぐ、妨げる意味の言葉から來てゐる。問題は「さいのかみ」でよいかどうかである。ちなみに「遮る」は「障へ切る」と考へられてきたが、近年「先切る」の轉で「さえぎる」が正しいとされてゐる。

 『道祖神――道邊の男女神』京都書院アーツコレクション168(平成10年、森田拾史郎)から拔書きしてみよう。

かうした文字碑にはいろいろな字が當てられてゐる。道祖神が代表的なものだが、土祖神・道陸神・道六神・道祿神といったバリエーションもある。またサイノカミの系統として、塞神・才神・幸神・妻神・歳神・賽神・障神などがあり、久那斗・岐神・大衢神・八衢神・八衢比古・八衢比賣・衢神、といふやうにいかにも神話に據った文字も見受けられる。

異人の使者は都に上ってくる。「蕃客入京二日前」には平安京の四隅で「障神祭」が行はれてゐる。障と塞は同じ意味であるから、これは疫神を鎭壓する儀式であった。

佐比大路は道祖(さい)大路とも書かれる。佐比寺の僧が祭を執り行ったのも、塞のサイとなんらかの關係があったからだらう。

戰鬪に明け暮れてゐた中世にも、道祖神の信仰が相當滲透してゐただらうことは容易に想像がつく。近世初期にはすでに下野に道祖土(さやと)、武藏に道祖土(さえど)、攝津に道祖本(さいのもと)、ほかにも塞土・才の木・船戸・道祖土(ふなど)などの地名が散見されるし、道祖木(さいのき)といふ苗字もあったからだ。

中世から有名だった道祖神といふと、橘南谿も觸れてゐるやうに「京都の今出川の上にある幸の神」、つまり出雲路京極に祭られてゐた出雲路道祖神(いづもぢさへのかみ)がある。はじめ京極一條大路にあったが、のちに相國寺慈照院の北に移された。

そしてもう一つ有名だったのが宮城縣名取市笠島にある道祖神である。正式名は佐倍乃神社(さへのじんじゃ)で、平安時代の歌人である藤原實方(ふぢはらのさねかた)がこの道祖神に敬意を表さず馬上で社前を過ぎたので、怒りをかって馬から落ちて亡くなったといふ話が『平家物語』にも出てくる。

 いろいろ考へてみた。

 「才神・幸神・妻神・歳神・賽神」を宛てたものは「サイノカミ」と讀んだのだらう。「障神」は「サエノカミ」かもしれない。

道祖(さい)大路は平安京の大路で、佐比(さひ)川沿ひ。今の佐井(さゐ)通り、もしくは春日通り。ここから吉祥院まで南下すると、桂川と鴨川の合流で佐比(さひ)河原、佐比(さひ)のあった所といふ。平安時代から(さい)の河原になぞらへられた共葬墓地であった。北へ戻って、阪急西院(さいゐん)驛附近にある高山寺は西院(さいゐん)(淳和院)の跡といひ、また境内は賽の河原に摸してゐる。淳和院は淳和天皇の離宮で、王城から西にあるための名といふ。

 道祖土(さやと)などの地名は、現在でも多い。ほとんどが「サイノカミ」系統である點が興味深い。

 『大日本地名辭書』の各項目は以下のとほり。

さまざまな項目について、きちんと時代考證をしなければ何とも言へないが、おほむね

さへ→さひ→サイ→サヤ

の順番に變化してきたと讀める。「さひのかみ」としてもよいのだらうが、

  1. 文獻の證據に乏しい。
  2. 宛てた漢字は壓倒的に「サイ」系である。

ため、「さいのかみ」が適當であると思ふ。


參考一、日國(第二版)所收の用例など

【道祖神・塞神:さへのかみ】

[語源説]

  1. 道で邪鬼をサヘギル(遮)神の意[大言海]。
    サヘ(塞)は遮斷妨害の義[道の神境の神=折口信夫・神樹篇=柳田國男]。
  2. 行く道のササヘを守に除く神で、ササヘノカミ(碍神)の義[名言通]。

【道祖神・幸神・齋神・塞神:さいのかみ】

[語源説]

  1. 惡靈をさえぎる神の意で、サヘ(塞)の神の轉[道の神境の神=折口信夫]。
    サイはサヘ(道祖)の轉[和訓栞]
  2. サイは幸福を意味するサチ・サキの轉訛[福神信仰の變遷=喜田貞吉]

參考二、郵便番號簿にある道祖神