平成疑問かなづかひ−假名遣標準化計劃

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地名字音轉用例

本居宣長著、寛政十二(1800)年

 「國」は國名、「山郡」とは「山城國の郡名」の略。いづれも本文中に注記されてゐる。特に假名遣に關係の深い項目は、吉田東伍『大日本地名辭書』で該當ページを探してみたが、未だ不十分である。

 【う韻か行】


大日本地名辭書

吉田東伍著、明治三十三年初版、昭和十二年再版、冨山房

 全ページを項目だけ斜め讀みして、假名遣に關係しさうな箇所だけ拾ったもの。索引は未だ參照してゐない。これから他の地名資料との對應がわかれば、相當に面白さうである。


地名の研究

柳田國男著、昭和十一年

・10n

小豆島の寒霞溪なども神掛とは云ふ者が少くなったらうと思ふ。

・12n

ドウメキ、ザワメキ、ガラメキなどはもと水の音を形容した地名であるが、瀬の早い川の岸に在る部落または田畑で百目木どうめき澤目鬼さはめきなどゝ云ふ例は幾らもある。

・16n

又谷川の兩岸の山の狹って居る所をホキ・ホケ・ハケと云ふ。是は今中國四國などに殘って居るが大分廣い區域に亙って居る。吉野川の大ボケ小ボケなどは其一例である。

・19n

上總下總で峠と書いてヒヤウと云ふのは標の音である。標はシメである。又澪標のツクシである。是は堺と云ふことを意味する古い言葉である。是がいつの間にか何々ヒヤウと言ふやうな音讀になった。

・71n

中國の各縣と四國の一部ではコウゲと稱し、是に芝または原などの漢字を宛てゝ居る。其字の暗示する如くやゝ高燥な草原であって……
ところが秋田青森の二縣では、ちゃうど中國のコウゲに當る地形を、カヌカと呼んで居ることに私は心付いた。カヌカは……
カノカ(津輕南部)ともカッカ(秋田)とも、又カガと謂って居る地方があり、一方には出雲石見でもコウゲ茶をカッカ茶ともいふから、この兩端の用語はもとは一つであった。さうして是が國の無の加賀や、足利のカガなどを説明するらしい…

・88n

アワラといふ地名は此縣(信濃?)などが大抵西限であって、東は甲信から關東に及び、又北國にも僅かの例がある。水が近くにあって交通は妨げるが、山中で無い限りは開いて田にし易い地形を意味して居る。

・94n

片端かたはといふ地名は一方が城の土居もしくは濠ばたになって居て、片側しか人家の無い道路であることを意味し、是も西國には無くて此邊から東には多い。或は片原町、片平ともいふ處があり、其起因が不明になって、帷子かたびらといふ漢字などを用ゐて居るが、その片側は大抵は武士の大邸宅である。

・95n

能登と越中の境などはクエ、崩れることをクエルと謂ったのである。……
九州から四國殊に土佐にかけてはツエといふのが一般のやうになって居る。

・158n

今日我々が「ハヽソ」と訓む柞の字、「トチ」とい訓む栩の字、杼の字、橡の字「クヌギ」と訓む櫪の字、時としては「イチヒ」と訓む櫟の字等は、凡て其本義は一定の樹種の名では無くて、柴薪などヽ同じく燃料と云ふことであったらしい。

・166n

越前坂井郡に蘆原あわらと云ふ有名な温泉がある。三國の湊の少し上流であって、亦川の積土の上に開かれた新地の村である。美濃、飛騨などには最も多くの阿原がある。

・173n

江角浦は江角郷の浦即ち船着で、江角は即ち倭名鈔郷名の秋鹿郡惠曇の地である。曇の字は安曇あづみのヅミである爲、終にエズミに成ったのを、町村制施行の際に故稱に復したのであるが、出雲風土記に依れば、神龜三年までは文字を惠伴と書き、

・196n

美作には何々高下かうげと云ふ大字小字が多い。……
美作眞庭郡月田村の字に芝と云ふ部落があって、之をカウゲと振假名して居る。大日本地誌中國の卷に依れば、津山の町の二里ばかり東方に、稍廣き原野を日本原と云ひ、土人之をニッポカウゲと稱すとある。……
さればカウゲと云ふ村は何原何野と云ふと同樣に、さういふ草原地を拓いて住んだ村のこと……
青森縣の或地方では芝原をカゞと云ひ、芝原をカゞハラと云ふ方言があるさうである。此は決して偶然ではあるまい。

・235n

教良石教良木は色々の漢字を以て其語音を表すが、凡て「清ら石」「清ら木」であらう。……
肥前東松浦郡嚴木村大字嚴木きうらぎは、地名辭書に名の由って來る所を知らずとあるが、

・255n

成田鐵道の湖北停車場附近に湖北村中峠なかびゃうがある。少年の時此隣村に住んで居て、深く其地名の由來を知ることが出來ないこのを遺憾とした。其後注意して居ると、同種の地名は千葉縣下に限り甚だ多い。……
元の字は標で澪標のツクシ即ち榜示の義であらう。

・281n

垣内は文字の如く垣の内で所謂土豪の圍ひ込んだ地域を意味する。

・320n

岩手・青森・秋田の諸縣に於て、ダイと言ふのは又格別で、文字は台又は代の字も無いではないが、普通岱の字又堆の字を書き、平の字を當てゝゐる例も亦多い。此ダイだけは往々にしてタは清音である。山村に入って見るとタイがサハに對して稱呼なることが判る。

日本歴史地名事典コンパクト版

吉田茂樹著、平成九年、新人物往來社

 地名は古い言葉の寶庫であり、歴史的假名遣と深くかかはってゐる事に氣づいたのは、實に本書のお蔭である。本書なくして『平成疑問假名遣』は充實しなかった。深く感謝する次第である。

・あい、安威

大阪府茨木いばらき市安威(攝津國島下しましも郡)。『和名抄』に「安威郷」、『延喜式』に「阿爲あゐ神社」で見える。初見は『雄略紀』九年の「藍原」の地で、

・あいこうぐん、愛甲郡

神奈川縣中西部(相模國)にある郡。『類聚國史』大同二年(八〇七)に「愛甲郡」で初見し、『類聚三代格』承和二年(八三五)には「鮎河」とも記してゐるので、古くは「あゆかは」と呼んでゐた。

・あいちぐん、愛知郡

愛知縣中西部(尾張國)の郡。『景行紀』五十一年に「年魚市あゆち郡」、『續紀』和銅二年(七〇九)に「愛知郡」で見え、「あゆち」が原音である。地名の初見は『神代上紀』の「吾湯市あゆち村」である。

・あいみぐん、會見郡

鳥取縣西部(伯耆國)にあった郡。…古くは「あうみ」と稱し、近世以降は「あいみ」と呼んでゐる。

・あいらぐん、姶羅郡

鹿兒島縣南西部(大隅國)にあった郡。……
今の鹿屋かのや市・吾平町・串良町の一帶で、……
後に郡名が桑原郡西部に移轉して「姶良郡」となった。

・あおやま、青山

三重縣西部(伊賀國伊賀郡)の町名。『續紀』天平十二年(七四〇)に「阿保頓宮」、『和名抄』に「阿保郷」とある地域で、後に「あぼ」から「あお」に音轉した。萬葉集にも「阿保之山」として歌はれ、

・あがた、縣

宮崎縣延岡市(日向國臼杵うすき郡の古稱。『和名抄』に「英多あがた郷」で初見し、……
慶長十九年(一六一四)有馬氏が(縣藩)藩主となってより、「延岡」と改名し、

・あぐひ、阿久比

愛知縣阿久比町(尾張國知多郡)。『藤原宮木簡』持統八年(六九四)に「阿具比里」、『和名抄』に「英比あぐひ郷」、

・あじう、味原

大阪市天王寺區味原あぢはら町(攝津國東成郡)の地で、上町臺地の東に位置する。『孝徳紀』白雉元年(六五〇)に「味經あぢふ宮」が見え、天皇が當地(別説では攝津市味生あぢふ)に行幸してゐる。

・あじむ、安心院

大分縣安心院町(豐後國宇佐郡)。『延喜式』驛家に「安覆あしぶ驛」で初見し、

・あずみぐん、安曇郡

長野縣北西部(信濃國)にあった郡。……
上代に海士あまを統率した阿曇あづみ氏の一族が來往して郡名となった。

・あたごやま、愛宕山

京都市右京區北西部(山城國葛野郡)にある標高九二四メートルの山。『三代』貞觀二年(八六〇)に「愛當護あたご山」で初見し、……
『今昔物語』その他の古典に多出する

・あのう、賀名生

奈良縣西吉野村賀名生(大和國吉野郡)。『吉水神社文書』建武元年(一三三四)に「西穴生あなふ莊」として初見……
現在では「賀名生梅林」の地として有名。

・あのう、穴太

大津市坂本穴太町(近江國滋賀郡)の地。『記成務』に「志賀高穴穗しがたかあなほ宮」で初見し、この地に景行・成務・仲哀三代の宮都があったといふ。

・あまのかぐやま、天香具山

『記神代』に「天香山あまのかぐやま」で初見し、『萬・二』には「天之香具山」で見える。

・いいしぐん、飯石郡

島根縣北東部(出雲國)にある郡。『出雲風土記』に「飯石郡」で初見

・いいのや、井伊谷

靜岡縣引佐いなさ町井伊谷(遠江國引佐郡)。『和名抄』の「渭伊ゐい郷」の地で……
井伊家は近江彦根藩の大名となった。

・いかぐん、伊香郡

滋賀縣北部(近江國)にある郡。……
古くは「いかこ」と呼んだ。

・いこまやま、生駒山

奈良縣(大和國平群郡)と大阪府(河内國河内郡)の境……
『神武即位前紀』に「膽駒いこま山」で初見し、『伊勢物語』には「生駒山」で」見える。

・いさかわ、率川

奈良縣率川(大和國添上郡)の地で、河川名・地域名で見える。『記開化』に「春日伊邪河かすがいさかは宮」、『開化紀』元年に「春日率川宮」とあり、

・いさはや、諫早

長崎縣中南部(肥前國高來郡)の都市。平安末期の『宇佐大鏡』に「伊佐早いさはや村」で初見

・いさわじょう、膽澤城

岩手縣水澤市佐倉河(陸奧國膽澤郡)にあった古代の城跡。『日紀略』延暦二十一年(八〇二)に、坂上田村麻呂を遣はし、「膽澤城」を築いたとある。

・いずしぐん、出石郡

兵庫縣北部(但馬國)にある郡。『垂仁紀』三年に「出石」が見える。

・いすみぐん、夷隅郡

千葉縣南東部(上總國)にある郡。『安閑紀』元年に「伊甚いじみ國造」が見え、

・いたこ、潮來

茨城縣潮來町(常陸國行方郡)。『常陸風土記』に「板來いたく村・板來驛」で初見し、古代東海道の水驛があり、

・いたみ、伊丹

兵庫縣南東部(攝津國河邊郡)にある都市。『山槐記』治承四年(一一八〇)に「伊多美」で初見し、

・いつくしま、嚴島

廣島縣南西部にある島(安藝國佐伯郡)。『日後記』弘仁二年(八一一)に「伊都伎嶋いtきしま社」、

・いといがわ、絲魚川

新潟縣南西部(越後國頸城くびき郡)の都市。『能因歌枕』に「いとひ川」といふ河川名が見え、『本間市川文書』至徳四年(一三八七)に「絲井川」で初見する。戰國期以降、「絲魚川」と書き、

・いとうづのしょう、到津莊

北九州市小倉北區到津(豐前國企救きく郡)の地。『續記』天平十二年(七四〇)の「板櫃いたびつ」が古名で、『延喜式』西海道の「到津驛」があった。

・いとぐん、怡土郡

福岡縣北西部(筑前國)にあった郡。『平城宮木簡』養老七年(七二三)に「怡土郡」で初見するが、『魏志』倭人傳に「伊都國」、『仲哀紀』八年に「伊覩縣いとのあがた」が見える。……
明治二十九年(一八九六)志摩郡と合併して「絲島いとしま郡」となった。

・いなさぐん、引佐郡

靜岡縣西部(遠江國)の郡。『萬・三四二九』に「引佐郡」で初見し、

・いなばのくに、因幡國

『記神代』に「稻羽國」で初見し、

・いなべぐん、員辨郡

三重縣北部(伊勢國)にある郡。……
『延喜式』に「猪名部ゐなべ神社」があり、

・いなみの、印南野

兵庫縣南部の加古川市南部(播磨國加古郡)より明石市西部(明石郡)にかけて分布する洪積臺地の原野であった所。萬葉集に「稻日野・印南野・印南國原」で多出し、

・いびのしょう、揖斐莊

岐阜縣揖斐川町揖斐(美濃國大野郡)が遺稱地。『和名抄』に「楢斐郷」とある地域で、『東大寺文書』天暦四年(九五〇)には「伊備郷」とある。

・いぶすきぐん、指宿郡

鹿兒島縣南西部(薩摩國)の郡で、『和名抄』に「揖宿郡」で初見する。

・うじ、宇治

京都府南東部(山城國宇治郡・久世郡)の都市。『神功攝政』元年に「菟道うぢ」で初見

・うすいとうげ、碓氷峠

群馬縣松井田町と長野縣輕井澤町の間にある峠。『景行紀』四十年に「碓日坂うすひのさか」で初見し、『萬・四四〇七』にも「宇須比の坂」で見える。

・うずまさ、太秦

京都市右京區太秦(山城國葛野かどの郡)。『雄略紀』十五年に、渡來人はた氏が蠶養こかひと絹織の功により「禹豆麻佐うづまさ」の姓を賜ったとある。

・うなて、雲梯

奈良縣橿原市雲梯(大和國高市郡)。『萬・一三四四』に「卯名手うなての社」が見え、

・うべ、宇部

山口縣南西部(長戸國厚狹あさ郡の都市。十一世紀末の『散木奇歌集』に「むべ」で初見。

・うんぜんだけ、雲仙岳

長崎縣島原半島の中央(肥前國高來たかく郡)にある……
古くは「温泉山」と記し、明治以後「雲仙岳」を用ゐる。

・えいぐん、頴娃群

鹿兒島縣南西部(薩摩國)にあった郡。『續紀』文武四年(七〇〇)に「衣評えのこほり」で初見し、

・えが、惠我

大阪府中東部(河内國志紀郡・丹北郡)にあった古代地名。『記仲哀』に「惠賀」で初見し、一帶には仲哀・應神・允恭の御陵がある。『顯宗即位前紀』には「餌香市ゑがのいち」(今の藤井寺市附近)があって、奈良時代を代表する市場であった。平安期には「會賀ゑが莊」(羽曳野市附近)が見え、

・おいそのもり、老蘇の森

滋賀縣安土町老蘇(近江國蒲生郡)。……
『延喜式』の「奧石おいそ神社」が鎭坐する。

・おうぐん、意宇郡

島根縣北東部(出雲國)にあった郡。『齊明紀』五年(六五九)に「於友おう郡で初見し、

・おうみぐん、邑美郡

鳥取縣東部(因幡國)にあった郡。『正倉院文書』神龜三年(七二六)の「海郡」が古稱とみられ、

・おえぐん、麻植郡

徳島縣中央部(阿波國)にある郡。『正倉院御物』天平四年(七三二)に「麻殖をゑ郡」で初見し、

・おお、多

奈良縣田原本町多(大和國十市郡)。『記神武』の「意富おふ臣」、『天武紀』元年(六七二)の「多臣」の本據地で

・おおいがわ、大堰川

京都市右京區から南區を流れる川で、上流を保津川、下流は桂川と稱して淀川に合流する。『日後記』延暦十八年(七九九)に「大堰川」で初見し、『古今集』は「大井河」と記す。

・おおいぐん、大飯郡

福井縣南西部(若狹國)にある郡。

・おおえやま、大江山

京都市西京區(山城國乙訓おとくに郡)と龜岡市(丹波國桑田郡)の境にあるおいの坂(大江の坂)一帶の名。……
『延喜式』の「大枝おほえ驛があった。

・おおちぐん、大内郡

香川縣東部(讚岐國)にあった郡。……
『和名抄』には「おふち」の訓注が見える。

・おおみわじんじゃ、大神神社

奈良縣櫻井市三輪みわ……
『記崇神』に「意富美和おふみわ之大神」で初見し、

・おかのみなと、岡水門

福岡縣蘆屋町蘆屋(筑前國遠賀をんが郡の遠賀川河口付近にあった古代の港。『神武即位前記』に「崗水門」で初見し、神武天皇が東征の途上、この港に立ち寄ったと記される。『筑前國風土記逸文』には「塢舸をか水門」とあり、

・おきなが、息長

滋賀縣近江市東部(近江國坂田郡)を中心とした古代・中世の地域名。……
『仲哀紀』の「氣長足姫おきながたらしひめ尊(神功皇后)」

・おきなわ、沖繩

『唐大和上東征傳』天平勝寶五年(七五三)に「阿兒奈波嶋」で初見

・おぐらのいけ、巨椋池

京都盆地南部の宇治川下流の低濕地(山城國久世郡・宇治郡・紀伊郡)にあった湖沼で

・おこうじょう、岡豐城

高知縣南國市岡豐(土佐國長岡郡)の岡豐山にあった長曾我部ちゃぅそかべ氏の居城。

・おさか、忍坂

奈良縣櫻井市忍坂(大和國城上郡)。『隅田すだ八幡宮銘文』癸未(五〇三)に「意紫沙加おしさか宮」で初見し、『神武即位前記』には「忍坂」で見える。……
用明二年に「押坂部おさかべ」が見える。

・おたぎぐん、愛宕郡

京都市北部(山城國)にあった郡。

・おにゅうぐん、遠敷郡

福井縣南西部(若狹國)にある郡。『藤原宮木簡』文武元年(六九七)に「小丹生評をにふのこほり」で初見し、

・おびはん、飫肥藩

日向國宮崎郡の飫肥(日南市)を藩廳とした藩。『和名抄』の「飯(飫か)肥郷」の地で、

・おんがぐん、遠賀郡

福岡縣北部(筑前國)にある郡。『續紀』天平十二年(七四〇)に「遠珂をか郡」で初見し、……
『神武即位前紀』には「崗水門をかのみなと」が見える。

・かいで、鷄冠井

京都府向日むかう市鷄冠井(山城國乙訓おとくに郡。長岡京大内裏跡。

・かがと、香登

岡山縣備前市香登(備前國和氣郡)。……
『和名抄』に「香止郷」がある。

・かなさなじんじゃ、金讚神社

埼玉縣神川村二宮(武藏國兒玉郡)に鎭坐。『三代』貞觀四年(八六二)に「金佐奈神」で初見し

・かみぐん、香美郡

高知縣東部(土佐國)にある郡。『日後記』延暦二十四年(八〇五)に「香美郡」で初見し、明治の初めまでは「かがみぐん」と呼んでゐた。

・かめいど、龜戸

東京都江東區龜戸(下總國葛飾郡)。『田園簿』慶安二年(一六四九)に「龜戸村」で初見し、

・かわしぐん、合志郡

熊本縣北部(肥後國)にあった郡。『持統紀』十年(六九六)に「皮石かはし郡」で初見し、『和名抄』には「合志郡」とある。「こうしぐん」ともいふ。

・きいのくに、紀伊國

古事記には「木國きのくに紀國きのくに」で見え、

・きいれぐん、給黎郡

鹿兒島縣南西部(薩摩國)にあった郡。……
明治三十年(一八九七)喜入きいれ村は揖宿いぶすき郡、

・きこうぐん、城飼郡

靜岡縣中南部(遠江國)にあった郡。『藤原宮木簡』に「紀甲きかふ郡」で初見し、

・きさいはん、私市藩

武藏國埼玉郡の騎西きさい(埼玉縣)を藩廳とした藩。……
「騎西じま」の綿織物で知られた。

・きぬがわ、鬼怒川

『常陸風土記』筑波郡の條に「毛野けの川」で初見し、平安時代には「きぬ川」となり、江戸時代に至って「鬼怒川」と表記された。

・くさつおんせん、草津温泉

群馬縣草津町草津(上野國吾妻郡)。硫黄泉で臭氣が漂ひ、臭水くさうづが草津になったといはれ、『北國紀行』文明十八年(一四八六)に「草津」で初見する。

・くずは、楠葉

大阪府枚方市楠葉(河内國交野かたの郡)。『記崇神』に「久須婆くすばわたり」で初見し、

・くずりゅうがわ、九頭龍川

福井縣北東部の越美ゑつみ山地に發し、三國町より日本海に注ぐ川で、……
室町期に「崩川くづれがは」で初見し、

・くまそのくに、熊襲國

『筑前國風土記逸文』は「球磨囎唹くまそ」で表現し、これは肥後國球磨郡の地と大隅國囎唹郡の地を示してゐる。

・くらきぐん、久良郡

神奈川縣南東部(武藏國)にあった郡。『續記』神護景雲二年(七六八)に「久良郡」で初見

・ぐんまぐん、群馬郡

群馬縣中南部(上野かうづけ國)にある郡。『藤原宮木簡』に「車評くるまのこほり」で初見し、

・こうかぐん、甲賀郡

滋賀縣南部(近江國)にある郡。……
『敏達紀』十三年(五八四)に、この地域の豪族「鹿深かふか臣」が見える。

・こうのす、鴻巣

埼玉縣中東部(武藏國足立郡)の都市。『武州古文書』應永二十二年(一四一五)に「かうのす」で初見し、

・こしぐん、古志郡

新潟縣中央部(越後國)にある郡。『舊事本紀』に「高志國造」が見え、古志・三島兩郡を含む地域であったとみられる。

・こやのいけ、崑陽池

兵庫縣伊丹市(攝津國川邊郡)にある池で、現在は昆陽池と書く。……
天平三年に昆陽院こやゐん(後の昆陽こんやう寺)を建立し、

・ころも、擧母

愛知縣豐田市(三河國賀茂郡)の舊名。『和名抄』の「擧母郷」の地で、中世には「ころも郷・衣の里」で見える。

・さいか、雜賀

和歌山市雜賀および雜賀崎(紀伊國海部あま郡の地。『萬・九一七』に「左日鹿野さひかの」で初見し、

・さいき、佐伯

大分縣南東部(豐後國海部あま郡)の都市。

・さえき、佐伯郡

廣島縣南西部(安藝國)にある郡。

・さがみのくに、相模國

神奈川縣の大半を占めた東海道の一國。『記景行』に「相武さがむ國」とあるが、

・さがらはん、相良藩

遠江國榛原はいばら郡の相良(靜岡縣)を藩廳とした藩。

・さよ、佐用

兵庫縣佐用さよう佐用さよ(播磨國佐用郡)。『播磨國風土記』に「讚容さよ里」で初見し、……
昭和三十年(一九五五)より、町名を「さよ」から「さよう」と變更した。

・さよぐん、佐用郡

兵庫縣西部(播磨國)にある郡。『天智即位前紀』の「狹夜さよ郡」が初見と見られ、

・さららぐん、讚良郡

大阪府北東部(河内國)にあった郡。『欽明紀』二十三年に「更荒さらら郡」で初見し、

・さわらぐん、早良郡

福岡縣北西部(筑前國)にあった郡。

・しがらきのみや、紫香樂宮

滋賀縣信樂しがらき町(近江國甲賀郡)にあった聖武天皇の皇宮

・しそうぐん、宍粟郡

兵庫縣中西部(播磨國)にある郡。『藤原宮木簡』に「宍粟評しさはのこほり」で初見し、

・しどりじんじゃ、倭文神社

鳥取縣東郷町宮内(伯耆國河村郡)に鎭坐。

・しのぶぐん、信夫郡

福島縣北部(陸奧國)にあった郡。

・すえぐん、周淮郡

千葉縣南西部(上總國)にあった郡。『舊事本紀』に「須惠國造」が見え、

・すくも、宿毛

高知縣南西部(土佐國幡多はた郡)の都市。

・すわこ、諏訪湖

『記神代』に「洲羽海すはのうみ」で初見し、

・せんじゅ、千住

東京都足立區千住(武藏國足立郡)。『足立區史』弘安二年(一二七九)に「千住せんじゅで初見し、江戸初期には「千住村」で見える。

・そうさぐん、匝瑳郡

千葉縣北東部(下總國)にある。

・そうまぐん、相馬郡

茨城縣南西部から千葉縣北西部(下總國)にあった郡。『正倉院文書』養老五年(七二一)戸籍に「倉麻さうま郡」で初見し、

・そおぐん、囎唹郡

『續紀』和銅六年(七一三)に日向國四郡を割いて大隅國を置くとあり、この中で「贈於そお郡」として初見する。『景行紀』十二年で「襲國そのくに熊襲くまそ」と呼ばれた地域で、……
明治三十年には南諸縣郡と東囎唹郡が合併して、全く新しい別の「囎唹郡」が成立してゐる。

・たいま、當麻

奈良縣當麻町當麻(大和國葛下郡)。『記開化』に「當麻勾君たぎまのまがりのきみ」で初見し、……
『記履中』に「當岐麻たぎま道」があって、

・たけふ、武生

福井縣中央部(越前國敦賀郡)の都市。

・たじひぐん、丹比郡

大阪府中西部(河内國)にあった郡。

・たじまのくに、但馬國

兵庫縣北部にあった山陰道の一國。『記垂仁』に「多遲麻たぢま國」

・ちりゅう、知立

愛知縣中南部(三河國碧海郡)の都市。……
平安末期には「池鯉付ちりふ社」と書かれ、近世には東海道の宿場として「池鯉鮒」の地名が一般化した。

・つうぐん、都宇郡

岡山縣南部(備中國)にあった郡。『正倉院文書』天平十一年(七三九)に「都宇郡」で初見し、

・とうがね、東金

千葉縣中東部(上總國山邊郡)の都市。……
酒井氏が「ときみね」に城を築いて東金城としたのに始まる。

・とうしぐん、答志郡

三重縣南東部(志摩國)にあった郡。

・とうのみね、多武峰

『齊明紀』二年(六五六)に「田身嶺たむのみね」で初見し、

・とめぐん、登米郡

宮城縣北東部(陸奧むつ國)にある郡。『續紀』寶龜五年(七七四)に「遠山村」で初見し、……
この遠山とほやま村が登米とよま郡として成立してゐる。

・にいぐん、新居郡

愛媛縣東部(伊豫國)にあった郡。『日紀略』大同四年(八〇九)に「神野郡を新居にひゐ郡に改める」とある。

・ねいぐん、婦負郡

富山縣中央部(越中國)にある郡。『萬・四〇二二』天平二十年(七四八)に「婦負郡」で初見し、

・ねずがせき、念珠關

山形縣温海あつみ鼠ヶ關ねずがせき(出羽國田川郡)にあった古代以來の關所。『吾妻鏡』文治五年(一一八九)には「念種關」とあり、

・のうがた、直方

福岡縣北東部(筑前國鞍手郡)の都市。延寶三年(一六七五)「直方」と改名。

・のせぐん、能勢郡

大阪府北部(攝津國)にあった郡。『續紀』和銅六年(七一三)に「河邊郡玖左佐くささ村をいて能勢郡を置く」とある。

・のとのくに、能登國

石川縣の北部を占めてゐた北陸道の一國。『續記』養老二年(七一八)越前國四郡を割いて能登國が建置され、

・はいばらぐん、榛原郡

靜岡縣中央部(遠江國)にある郡。『續紀』天平五年(七三三)に「蓁原はいばら郡」で初見し、

・はがぐん、芳賀郡

栃木縣南東部(下野國)にある郡。『藤原宮木簡』に「芳宜評はがのこほり」で初見し、

・ははそのもり、柞ノ杜

京都府精華町祝園はふその(山城國相樂そうらくぐん郡)の祝園神社境内の森をいふ。『崇神紀』十年に武埴安彦たけはにやすひこが謀反し、彦國葺ひこくにふくが迎撃した地で、「羽振苑はふりその」と呼んだといふ。これが「ははそ」と轉化し、古來、木津川を通航する船から、この森が際立ってよく見え、秋の紅葉でも名所となっゐた。

・はんざわぐん、榛澤郡

埼玉縣北部(武藏國)にあった郡。

・ひえぬきぐん、稗貫郡

岩手縣中央部(陸奧むつ國)にある郡。……
『吾妻鏡』文治五年(一一八九)には「部貫へぬき郡」と記したが、

・ひこさん、英彦山

福岡縣添田そへだ町(豐前國田河郡)と大分縣山國町(同國下毛しもげ郡)の境にある安山岩の山で……
平安初期の『長寛勘文』に「日子山」で初見し、……
享保十四年(一七二九)「英彦山」と稱し、

・ふげしぐん、鳳至郡

石川縣北部(能登國)にある郡。『續記』養老二年(七一八)に「鳳至郡」で初見し、

・ふさのくに、總國

千葉縣と茨城縣の一部を占めてゐた國郡制施行以前の國。『記・紀』には國名が見えないが、『古語拾遺』大同二年(八〇七)に「總國」とあり、

・ふじさん、富士山

靜岡(駿河國)・山梨(甲斐國)縣境にそびえる成層火山の代表で……
『常陸風土記』筑波郡の條に「福慈岳ふじのたけ」で初見し、萬葉集には「不盡能高嶺ふじのたかね・不盡山」で多出する。『竹取物語』には「ふじの山」とあって、山頂でかぐや姫が殘した不死の靈藥を燒いたので、今でも煙が絶えないと語ってゐる。

・へいぐん、閉伊郡

岩手縣中東部(陸奧國)にあった郡。『續紀』靈龜元年(七一五)に「村」と見える地域で、

・へきかいぐん、碧海郡

愛知縣中南部(三河國)にあった郡。『正倉院文書』天平勝寶五年(七五三)頃に「碧海郡」で初見し、當初は「あをみ」と讀んだ。

・へぐりぐん、平群郡

奈良縣北西部(大和國)にあった郡。『正倉院文書』天平二年(七三〇)に「平群郡」で初見するが、『景行紀』十七年に「へぐりの山」が見える。

・ほいぐん、寶飯郡

愛知縣南東部(三河國)にある郡。『平城京木簡』天平十八年(七四六)に「寶飫ほい郡」で初見するが、『舊事くじ本紀』には「穗國造ほのくにのみやつこ」が見え、大化前代は「」と呼ばれてゐた。

・まんだぐん、茨田郡

大阪府北部(河内國)にあった郡。『宣化紀』元年及び『播磨國風土記』揖保いぼ郡の條に「茨田郡」で初見し、」古くは「まむた」といひ、

・まんのういけ、滿濃池

香川縣滿濃町南西部(讚岐國那珂郡)にある池。……
少くとも八世紀には造營された日本最古の灌漑用溜池の一つで、……
「萬農池」とも書き、古くは「まのいけ」といった。

・みずまぐん、三瀦郡

福岡縣南西部(筑後國)にある郡。『延喜式』」に「三瀦郡」で初見するが、『景行紀』十八年に「水沼縣主あがたぬし」が見え、古くは「みぬま」と稱した。

・みつかいどう、水海道

茨城縣南西部(下總國豐田郡)の都市。中世に「水かへと」、『相馬日記』に「御津海道」、『元祿郷帳』に「水海道」で見える。

・みぬまのしょう、水沼莊

滋賀縣多賀町敏滿寺びんまんし(近江國犬上郡)付近にあった莊園。

・みのうぐん、美嚢郡

兵庫縣中東部(播磨國)にある郡。『播磨風土記』に「美嚢郡」で初見し、古くは「みなぎ」と讀み、中世以降、「三木郡」と記し、

・みのお、箕面

大阪府北部(攝津せっつ豐島てしま郡)の都市。『扶桑略記』應和二年(九六二)に「蓑尾みのを山」で初見し、……
『今昔物語』には「箕面瀧」が見え、

・むこう、向日

京都府南部(山城國乙訓おとくに郡)の都市。『三代』貞觀じゃうぐわん元年(八五九)に「向神」、

・むこうじま、向島

東京都墨田區向島(下總國葛飾かつしか郡)。隅田川東岸の地域で、

・むろぐん、牟婁郡

和歌山縣南部と三重縣南部(紀伊國)にあった郡。『持統紀』六年(六九二)に「牟婁郡」で初見し、……
『齊明紀』三年(六五七)に「牟婁温泉」で初見し、

・もうだぐん、望陀郡

千葉縣西部(上總國)にあった郡。『萬・四三五一』天平勝寶七年(七五五)に「望陀郡」で初見するが、『舊事くじ本紀』の「馬來田うまくた國造」の地とみられる。

・もうつうじ、毛越寺

岩手縣平泉町平泉(陸奧國磐井郡)にある天台宗別格本山。『吾妻鏡』文治五年(一一八九)に「毛越寺」で初見し、

・もおか、眞岡

栃木縣南東部(下野しもつけ國芳賀郡)の都市。『專修寺文書』文和四年(一三五五)に「まほか」で初見し、

・やぎゅう、柳生

奈良市柳生(大和國添上そへかみ郡)。『文徳』嘉祥三年(八五〇)の「夜岐布やぎふ山口神」の神名が初見で、『和名抄』に「楊生郷」とある。

・よろきぐん、餘綾郡

神奈川縣中南部(相模國)にあった郡。『正倉院文書』天平七年(七三五)に「餘綾よろき郡」で初見し、

・りゅうきゅう、琉球

沖繩の古稱で、中國の史書による呼稱であった。『隋書』東夷傳に「流求國」で初見し、以後、唐・宋・元の時代に「流求・琉球・瑠求」」で見える。

地名の語源

鏡味完二・鏡味明克著、昭和52年、角川書店、角川小辭典13

 該書の後半は、漢字ごとに對應する讀み方を整理した表になってをり、「珍しい地名」が一目でわかる勞作である。ここから假名遣に關係しさうなものを拾ってみた。ただしこちらで勝手に「正假名であらう」ものに推測して改めてある。また郵便番號データの該當項目を探してみた。ほとんどの地名が今なほ存在してゐることがわかる。


くらしの中の佛教語

昭和53年、山下民城著、冬樹社

・あうん、阿吽・阿[口云]

梵語のア・フーム a-hum。「阿」は悉曇しったん(梵語を記するための書體の一つ。よく卒都婆の最上部に書かれてゐる)の最初の字音で、口を開いて出す音聲。「吽」は最後の字音で、口を閉ぢて出す音聲。

・あか、閼伽・遏迦

梵語アルギャ arghya もしくはアルガ argha から轉じたもの。「功徳水」と譯されてゐる。……
アルギャもラテン語のアクアと關係があるものと推測される。

・がらんどう、伽藍堂

大きな建物などの内部が空虚なさまをいふ俗語だが、「伽藍」は梵語サンガーランマ(サンガとアーラーマの複合語)samgharama の音寫の「僧伽藍摩さんがらむま」の上と下が缺落した轉訛で、「精舍」と飜される。……
伽藍堂といふのは意味が重複してゐるやうだが、このやうに發音と内容を兼ねて飜譯するのを「梵漢兼擧ぼむかんけむこ」といひ、中國の譯經者はよくこんな便利な譯し方をした。

・かわら、瓦

梵語のカパーラ kapara。百濟國から初めてわが國に渡來し、寺の屋根に用ゐられたことから、一般に普及したものである。なほ、素燒きの皿を「かはらけ」といふのは周知のとほりだが、これもかはら製の(食器)といふ意味。

・とう、塔

梵語ストゥーパ stupa の音寫の轉訛(スとパが缺落したもの)。「塔」がその音寫のために中國で造られた字である。……
なほ、フキノトウを「蕗の薹」と書くが、これは誤りで「蕗の塔」が正しい。薹はタイと讀み、油菜あぶらなのことである。

・ひどい、

これは「非道」である。……
その「非道」をわが國で形容詞化したのが、「ひどい」である。

・あいきょう、愛敬

現在は「愛嬌」と書くが、本來は「愛敬」。……
むかしはアイギャウと濁って讀み、清音になったのは江戸時代以降といはれてゐる。

・うざうむざう、有相無相

現代では「有象無象」と書き、「つまらぬ人間」といふ輕蔑と含めた言葉だが、もともとはさうでなく、すがたのあるもの(有相)と、相のないもの(無相)を竝べて言ったに過ぎない。「象」も「かたち」だから、意味は同じ。

・おっくう、億劫

正しくは オッコフと讀む。「劫」といふのは、佛教で説かれる、極めて長い時間のこと……
さういふ時間のことを考へると、氣が遠くなりさうで、いつまでたってもやる氣が出ないことを「億劫」といふやうになった。

・かあい、可愛

この語は「愛する人」・「愛すべき物」・「容貌の美しいこと」の意として、佛典にしばしば出てくる。

・さんあく、三惡

もろもろの惡道を地獄・餓鬼・畜生に代表させて「三惡さんなく(さんまくとも讀む)」といったことからきたものである。

・しょっちゅう、

「始終」「いつも」の意。『法華經(序品)』に、日月燈明如來といふ佛が説かれた法は「初善しょぜん中善ちゅうぜん後善ごぜんであった」とある。これは釋尊教團が成立して間もなく弟子たちに告げられた「傳道宣言」の中の「比丘たちよ、初めも善く、中ほども善く、終りも善く、道理と表現とを兼ね具へた法を説け」といふ言葉から來たことは明白である。
われわれが日常によく使ふ「しょっちゅう」も、じつはここから出たもので、紀野一義氏はその著『法華經の風光 第一卷』に、次のやうに書かれてゐる。
「『初めも善く、中ほども善く、終も善く』の三つは『初中終しょちゅうしゅう』とちぢめていはれ、のちに『しょっちゅう』と訛って日本人の生活用語となった。だから『しょっちゅう』といふ言葉は惡いことには使はず、いいことに使ふべき言葉なのである。

・しんせつ、親切

禪語である。深切とも、心切とも書く。

・たんか、啖呵

もとは「彈呵」と書き、「誤りを責める」ことをいった。在家の佛教者であった維摩居士ゆいまこじが、十六羅漢や四大菩薩を小氣味よく論破し、叱り飛ばしたことから、『維摩經』を『彈呵經』とも呼ぶ。

・くゎんじん、(方言)

主として九州地方で行はれる方言で、乞食のこと。「勸進」である。もともとは、人びとに佛道に入ることを勸め、善に向はせることを「勸進」といった。轉じて、社寺・佛像の建立・修理などのために、廣く人びとに「善根功徳を積むことになりますよ」と勸めて、金品の寄付を募る意になった。歌舞伎の「勸進帳」で辨慶が讀み上げるの、その寄付募集の趣旨である。
それからまた轉じて、つひに物乞ひに歩くことになり、その人(すなはち乞食)の意となったもの。
なほ、九州地方では、「勸」はむかしの音のとほりクヮンと發音する。火事はクヮジであり、社會はシャクヮイである。五木の子守唄の「おどま(おれどもは)くゎんじんくゎんじん、あん人たちゃ好か衆」はだれ知らぬものもないが、熊本縣ではけちんぼのことも、目に出來るものもらいのことも「くゎんじん」といふ。

・おしょう、和尚

天台宗ではカシャウ、禪宗・淨土宗ではヲシャウ、法相宗・眞言宗・律宗ではワジャウと呼ぶ。「和上」と書かれる場合もある。唐招提寺の鑑眞和上がむじんわじゃうはだれ知らぬ人もなからう。巴語ウパッジャーヤの俗語オッジャー ojjha の音寫といはれ、

・げんのう、玄翁

玄能とも書く。……
玄翁和尚(鎌倉時代または南北朝時代の人といふ)が、下野國那須で殺生石を割ってその害惡を斷ったといふ傳説があり、そこから起った名稱。

・たくあん漬

徳川時代、江戸品川の東海寺(臨濟宗)の澤庵和尚が初めて作ったともいはれるが、どうやらそれ以前からあって、「たくはへ漬」と稱してゐたものを、澤庵和尚がそのよさを認めて廣く人びとにすすめたことからこの名が生じた、といふ説のはうが有力である。

・かんのう、堪能

現在は誤ってタムノウと讀み、十分に味はふこと、飽き足りることの意に用ゐるが、『廣辭苑』によれば、タムノウは「足りぬ」の音便「足んぬ」の轉訛である。本來の堪能かむのうは、「能力があってものごとに堪へうること、巧みなこと」をいふ。

・ずくにゅう、

でっぷり肥ってゐて、いかにも憎々しげな僧や、僧ならずとも坊主頭の大柄な人を罵っていふ言葉。語源としては、「ミミヅクのやうな頭をした人」といふのと「俗入道の約轉」の二説がある。

・まかしょ

「よいしょ、まかしょ」といふ掛け聲や、民謠の囃し言葉は、全國どこにでもあるが、この「まかしょ」について早大教授の仁戸田六三郎博士がおもしろいことを『大法輪四〇、九』に書いてをられた。むかし願人坊主といふのがゐて、あほだら經などを歌ひながら踊ったりして金とか食物をもらって歩いた。寒中に特に鈴やたくを振って細い紙を撒き散らしながら歩いたのを、子供たちが後を追ひかけて「まかしょ、まかしょ(撒きませう、撒きませう)」と叫んだ。これから起った、といふのである。

・むざん、無慚、無殘

「無慚(慙)」といふのは、罪を犯しながら自らの心に恥ぢないこと。……
ひどく亂暴な、殘酷なことをムザンといふのは、「無慚」からきたもののやうで、『大漢和』には無慘・無殘の語はない。

魚のホントを教えてあげる

森拓也著、廣濟堂出版、平成8年、

 片々たる通俗書のやうな體裁であるが、著者は博識で有名であると聞く。「伊佐木いさき」のやうに萬葉假名風の命名は、果して正しい假名遣を傳へてゐるものかどうか甚だ心許ない。本書の語源説が正しいのかどうか自分には判斷できないが、專門家としての説得力を感じる。

・アイゴ

尻ビレに棘條があるのはアイゴに共通した特徴。……
ものの本によると、昔は觸れると肌を刺すイラクサを“アイ”と呼んでゐたところから、“棘を持った魚”といふ意味でアイゴの名がつけられたのだとか。
【按】漢字は「藍子」だから一般には「あゐご」とされる。

・アイナメ

體は櫛鱗せつりんと呼ばれる細い鱗で覆はれ、逆になぜるとザラザラとした感觸が殘りますが、それが落ちアユの肌の感觸に似てゐるといふので“鮎魚女”の字が當てられてゐたこともあります。

・アジ

アジの名は古くは平安時代の延喜式や倭名類聚抄に“阿遲”として記されてゐるさうですが、もともとはおそらく味の良い魚といふ意味で“味”から轉じたのではないかといふのが一般的な見方です。

・アコウダイ

アコウダイは漢字で赤魚鯛あこうだい(あるいは阿候鯛あこうだいと書く場合もあります)と書くやうに、全身眞っ赤。

・イサキ

「イサ」は磯、「キ・ギ」は魚を意味する古代の接尾語ださうで、古文書をひもといてみても“伊佐木”(和漢三才圖繪)“伊佐幾”(本朝食鑑)と、どちらともとれる漢字が當てられてゐます。

・イシダイ

イシダイの“イシ”とは、磯を意味する古い漁業用語“ヒサ・ヒシ”がなまったもので、名の本當の由來は齒ではなく“磯魚いそざかなから來てゐるさうです。

・イシナギ

イシナギは普通「石投いしなぎ」と當て字されますが、「イシ」は磯を意味し、“ギ”は「イサキ」の項で紹介したとほり、魚を表す接尾語ですから、“磯の魚”と解するのが正しいのだとか。

・イスズミ

イスズミとは磯(イス)に棲む(スミ)魚、あるいはイは單なる接頭語で清々(スズ)しい魚(ミ)といふ意味ださうで、實にいい名前ではないですか。また「伊壽墨」といふ字を當てることもありますが、この讀み方からイズスミといふ名が派生したやうです。

・エソ

漢字で[魚夷]、[魚惠][魚曾]、狗尾魚、蛇頭魚、九母魚などと書きますが、古文書等から推測すると「醜い魚」を意味してゐるといひます。

・カジキ

「カジキ」の名の語源は「カジキトオシ(舵木通し)」に由來し、鋭く丈夫な上顎で舵(もちろん木製)をも突き通すことを指すとありますが、古文書をひもといてみると、和船の船の最下部、すなはち龍骨の兩側に取付けた板をカジキ(船板かじきまたは加敷かじきといふところから、舵よりもむしろ船側せんそく船底ふなぞこを突き通すといふ意味のカジキトオシからきてゐるやうです。
【按】「古文書」とは何時のものだらうか。

・カレイ

カレイとは「空[魚覃]からえひ」、つまり朝鮮半島近海で捕れるエヒのやうな魚といふ意味ださうですが、一説には、古來より「韓(カラ)」は舶來品、あるいは上等品を表す語として使はれてゐたことから、「エヒより上等の魚」といふ意味だとも言はれてゐます。

・クエ

クエの名前の本來の由來は、老成すると縞模樣は薄れ、體全體が薄汚くなるところから「垢穢くゑ」(あかがついて汚れること)の字を當てるのが正しいさうですが、お客樣に説明するにはきれいにゆかうといふことであへて通説の「九繪くゑ」を採用してゐます。

・モロコ

「朦朧魚(モウロウコ)」あるいは「耄碌魚(モウロクコ)」がなまったといはれる。

・クロダイ

關西の呼び名であるチヌ……
チヌの語源を調べてみると、古いところでは『日本書紀』や『出雲風土記』(いづれも8世紀)、『倭名類聚抄』(10世紀)、新しいところでは『和漢三才圖會』や『物類稱呼』(いづれも18世紀)にその記述があり、どうやらこの呼び名は和泉いづみの國と淡路あはぢの國との間の“茅渟海(ちぬのうみ)”、現在の大阪灣一帶で多く獲れたことに由來してゐるやうで、

・サワラ

サワラはその體形から狹腹さはら、あるいは小腹さはらを意味してゐるさうですが

・シイラ

シイラの名は、米や麥などの穀物で身の入ってないものを「秕(しひな)」と呼んだことに由來してゐるさうで、體の大きさの割に身の少いシイラを言ひ表したといふ意味ではまことに言ひ得て妙です。
【按】大方の辭典には「シイラ」とあるが、語源が確かなら「シヒラ」か。

・キュウセン(求仙、九仙)

ヲスとメスではまるで別種と見まがふはどに色と模樣が異り、事實、昔は身體全體が青緑色を帶び、中央に褐色の帶が走るヲスを“青ベラ”、反對に身體全體が赤味を帶び、中央の太い線を中心に4本づつの點條があるメスを“赤ベラ”と呼んで區別してゐました。……
和名のキュウセンはこのメスの“九線”からきたもの。

・ホウボウ

“餌を求めて海底をホウボウ(?)はひまはる”ところから“這ふ魚”がなまったのだとか。他にも頭部が角ばってゐることを指して「方帽」あるいは「方頭」となったのだとか、前述の鳴き聲が「ホオブオッ」と聞えるからだとも言はれてゐますが、私は“這ふ魚”説を採ります。

・マトウダイ

マドウダイは漢字で“馬頭鯛”と書きますが、なるほど言はれてみればこの魚は上顎を前方に伸ばすことができるから、馬面うまづらと言っても立派に通用します。しかし私としては體の中央にある黒い丸紋まるもんを弓的に身立てた「的鯛(まとだひ)」のはうがふさはしいと思ひます。

・メジナ

メジナは“目近魚(メヂカナ)”がなまったもので、目がふんに近いことがその名の由來とか。

語源辭典 動物編・植物編

吉田金彦 平成十三年 東京堂出版

・あいなめ、愛魚女・鮎並

『倭訓栞』は「鮎のやうに滑らかであるから」としたが、滑らかな魚と「アイナメ」に限定するのはいかが。『大言海』に「鮎に似てゐることから、鮎並の轉」とするのがよいが、これだけでは、どんな點で似てゐるのかが明確ではない。

・あおじ、蒿雀

もとアヲシトトの略。頬の青いシトトといふ意。……
奈良時代には、シトトは今日のホホジロ・アヲジなど廣くホホジロ類一般を指すことばであったやうである。

・あおだいしょう、青大將

『大言海』に「青大蛇の延と云ふ」と言ったのが當ってゐる。……
青蛇あをんじゃう」(和漢三才圖繪)とある。

・あかしょうびん、赤翡翠

カハセミ類の古名ソニから變化したものである。すなはち、ソニ→ソビ→ショウビ→ショウビンで、赤いソニの意。

・あじ、鰺

『俚言集覽』や『倭訓栞』では「味のある魚」であることを擧げ、『東雅』も「アヂとは味也。其味の美をいふとなりといへり」とした。

・あひる、家鴨

『大言海』は「足廣あしひろの略」として足の水かきが大きくて廣いことを言ふとしてゐるが、『東雅』はアヒロとは足濶あひろと見、その濶歩するをいひしと見えたり」と歩く差萬い解してゐる。

・あほうどり、信天翁

無人島を繁殖地にしてゐるので、人を恐れず、容易に捕へられるところからとも、陸上での歩き方が不器用で簡單に捕へられるからともいふ。

・あめんぼ、水黽

水面で小蟲などを捕へて食べるが、そのときに水飴の臭ひがするところからいふ。すなはち「飴棒」または「飴坊」からきた名稱と思はれる。

・あんこう、鮟鱇

アンコウの語源は、アカヲ(赤魚)の轉(大言海)とあるやうに、赤魚→アコウと、顎→アンゴの語形變化とのダブリが相まって、アンコウになっていった可能性が強い。

・いかなご、玉筋魚

『大言海』は「詳らかならず」としたうへで、カマス(梭子魚)と混じて「如何魚子いかなご」の意味でイカナゴとする説を紹介してゐる。……
一體どのやうにして生活してゐるのかが、漁師たちにとって不明であったことから、如何魚=イカナゴとなったものと思ふ。

・イクラ、

ロシア語でикраで、「魚の卵」の意の ikra から由來したもの。

・いさき、伊佐木

イサキは、イサ+ナキである(衣食住語源辭典)。すなはち、イサは磯臭いところから、ナキは別種でよく混同されるシマイサキが浮袋を使って警戒音を發するところから來てゐる。「磯臭く、鳴く」魚がイサキといふわけである。

・いのしし、猪

「ゐ」の語源は猪や豚の鳴き聲と關係がある。……
これらの語はすべてwとbとpといふ子音で始る。

・いもり、井守

『日本國語大辭典』では、ヰモリ(井守)説と、壁などを離れないからヰモリ(居守)といふのと二説を紹介してゐるが、前者が壓倒的に支持されてゐるやうに、清流の井の水中に居るといふことが語源として有力であらう。

・いわし、鰯

「いやし也、魚の賤しき者也、或曰く、よわし也、とりてはやく死るゆゑ也」(日本釋名)、「イワシとは弱也。其水を離ぬれば、たやすく死するをいふ也」(東雅)とあるやうに「弱し」の轉が定説になってゐる。

・いんこ、鸚鵡

漢語をそのまま唐音讀みした借用語で、

・うお、魚

結論をいへばヲ(尾)のある生き物、といふのが語源である。

・うぐい、石斑魚

一般に體が細長く、中には「丸太ん棒」がその語源とされるマルタもゐる。したがって、イグヒの語源も現在言ふところの杭=クヒ、すなはち齋杭=イグヒに求めることができようか。

・うじ、蛆

『古事記』に「火燭ひとつびともして入り見ます時に宇土うじたかれころろきて」、『新撰字鏡』に「[虫昔] 宇自」のやうに見える。……
蒸されて濕氣のある所から發生したものがムシ(蟲)で、その子音m音が下のシ音を濁音化させて脱落したのがウジ(蛆)である、と見るのが正解とならう。

・うとう、善知烏

藤原定家の「陸奧の外の濱なる呼子鳥鳴くなる聲はうとうやすかた」……
有力なのはアナ(穴)説である。すなはち青森縣八戸では、出崎ではなくて、穴・洞をウトウといひ、山形縣・秋田縣・九州でも穴をウトウ・ウトロと呼ぶこと、ウトウが子を穴で育てること、早く飛ぶ鳥の漢字に「穴」を用ゐた「いつ」の字があること、さらには青森縣の善知烏神社、長崎縣の鵜戸神社の本體が洞穴であることなどが根據となってゐる。

・うわばみ、蟒蛇・大蛇

『大言海』にいふごとく「大蝮おほはみ(大蛇)の轉」でよい。

・え、餌

『日本國語大辭典』の語源説五項の中では、ウヱ(飢)の義と通じるか、とした『倭訓栞』の説がよい。飢ゑた時に得られるもの、といふ意味があるからである。

・えそ、狗母魚・鱠

ヱソ科の外見上の最大の特徴は、下顎が上顎より長いこと、すなはち下顎の先端が上へ曲ってゐることである。このためヱソの頭部は、人間でいへば笑顏のことき表情を呈する。ヱソのヱは「笑」に通じるものとして『日本國語大辭典』でも一つしか語源説を出してゐない。……
これは苦しい解釋となる。むしろ練り固めて作る食品材としての命名で、魚肉から造る練製品、ウヲソ(魚酥)が語源であらう。

・えつ、齊魚

エツで特徴的なのは、その口である。非常に大きく、上顎骨の後端は胸鰭の基底にまで達する。また下顎は上顎に覆はれてしまふほどで、魚の口といふよりは、むしろ「くちばし」を彷彿とさせる。エソの語源は、「鳥のくちばし」を意味するアイヌ語の「エツ」と見たい。

・おこぜ、虎魚・〓

『新撰字鏡』に「乎己自」、『和名抄』に「乎古之」の記され、古名をヲコジ・ヲコゼと言ったことは間違ひない。

・おさむし、歩行蟲

ヲサ(筬)はヲサシ(麻差)の略である。

・おしどり、鴛鴦

イトヲシミ深い鳥であるところから、形容詞のヲシ(愛)をそのまま鳥名にしたものである。

・おっとせい、膃肭臍

「膃肭臍」はオットセイの陰莖のことで、中國で強壯劑として珍重された(本草綱目)。アイヌでオットセイは onnep といひ、アイヌの採ったオットセイの陰莖の部分が長崎經由で盛んに中國に輸出され、中國でこれを「膃肭をつどつ」と音譯した。

・おひょう、大鮃

大きなヒラメ「大鮃」を「おほひゃう」と讀んだことから、オヒョウとして定着した。

・かいつぶり、〓〓

カヒツブリは、カキ(掻)ツ-ムグリ(潛)ツの約略か(掻いたり潛ったり)といふ説(大言海)、……
ニホの語源は、ニフ(入)鳥、すなはち水に入る鳥の意といふ説(大言海)

・ががんぼ、大蚊

「カノオバ(姥)・カノウバ(姥)」などの稱もあることから考へて、語源は蚊の年長者・蚊の中のおんばの意、つまり「蚊の中の、大きいもの」「蚊々かがうば」といふ意味であらう。

・かげろう、蜉蝣

この蟲の飛び方が春の地平にちらちらと立ちのぼる陽炎かげろふの搖らめきを思はせるところからの名である。名詞のカゲロヒから轉じたもので、もとは動詞カギロフからきたものである。

・かじき、旗魚・梶木

中世末から近世における和船には、梶木と呼ばれる船底材として取つける棚板があった。カジキは、劍状に前に突き出た上顎で、この舟板を突き通すことがあったため、この名稱になったものと思はれる。

・かつお、鰹

「かつをはかた魚也、ほしてかたくなるゆへなり、たとつと通ず、うを略す」(日本釋名)、「かつをと云魚は、古はなまにては食せず、ほしたる計用ひし也、ほしたるをもかつをふしとはいはず、かつをと計いひしなり、かつをはかはうを也、ほせばかたくなる故也、かたうをゝ略してかつをといふなり」(定貞雜記)……
『大言海』は「堅き魚の義とする説あれど海中に[月昔]きたなるはなし」と批判してゐる。カツヲは漁師が釣上げると、木の棒で叩いたりぶつけたりして處置しておくから、米や麥をつやうに魚を搗つので、その點他の魚とは違ってをり、漁業處理法の特徴から名づけられた。

・かっこう、郭公

クヮッコウは明らかに鳴き聲による命名と思はれる。

・かに、蟹

「古漢字音かんの和語化」

・かも、鴨

中國語の「雁」(漢音ガン)から出、わが國では、語頭を濁ることを好まなかったのでカムと發音し、それがカモと轉じたもの(日本古語大辭典)といふ説などがある。しかし『衣食住語源辭典』の言ふやうに、古くはカモとカモメの區別があいまいであったとすれば、カモの語源は、カモメと同じといふことになる。

・かれい、鰈

『和名抄』の割注に「和名加良衣比、俗云加禮比」とあるのは注目してよい。その體形の類似からエヒの一種であると考へられたのである。

・かわうそ、川獺

『大言海』によるとヲソ(獺)はウヲヲス(魚食)の義だとしてゐる。

・かわせみ、川蝉・翡翠

ソニ・ソニドリの名で奈良時代から知られる。……
『類聚名義抄』の「少微(セウビ)」、……
ソニドリはもともとアカセウビンを指すことばであったといふことになる。

・がん、雁

江戸時代には、カリは雅語、ガンが一般名といふ使ひ分けがなされてゐる。

・かんたん、邯鄲

漢字「邯鄲」は中國河南省の地名

・きじ、雉

キギシのつづまったもの、キギシ→キイシ→キジ

・こうなご、小女子

『衣食住語原辭典』が述べるやうに、コ(小さい)ウナゴ(ウナギ)が語原であらう。體形はウナギのやうに細長く、しかも五センチ程度の大きさであれば、妥當な説である。

・こうのとり、鸛

歴史假名はカウノトリ。『大言海』に「カウは鸛の音なるクヮヌの轉」とあるやうに クハン→クヮン→カン→コウの音變化と見られる。しかしまた『日本書紀』の用字「[霍鳥](鶴)」から考へると、この字音はカクだからカクのウ音便カウとも解される。カク→カウ→コウ。コウノトリは、くちばしをカタカタと咬み合せ、拍子木を打つやうな音を立てて求愛するので、カク(鶴)字音説のはうがそれに合ってゐる。
【按】多くの國語辭典では「こふのとり」。

・こおろぎ、蟋蟀

『箋注和名抄』『時代別國語大辭典・上代編』などは「コホロ」と鳴くことによるとする。

・ごかい、沙蠶・砂蠶

『大言海』に「ミミズを餌とするに對して、小飼こかひを濁音に云ふ語となるか。カヒはなり」といふのが定説である。

・こまい、氷下魚

他のタラ科目の魚に比べて體が小さいため、コマイ(小さいの意)と呼ばれるやうになった。

・ごんどうくじら、巨頭鯨

ゴンドウの語源には二説がある。一つは、この鯨が五島列島の海に多いため「五島ごたうクヂラ」がなまってゴンドウクジラになったとする説だが、この鯨は世界の海にをり、日本近海でもとくに五島列島近くの海に集中的にゐるわけではない。もう一つはゴンドウのゴンは「大」を意味し、ドウは「頭」の意味であるとする説。用字の「巨頭」とほぼ同じ發想である。しかし體も頭も他の鯨やイルカに較べて大きいとはいへない。ゴンドウクジラの大きな特徴は、前頭部から口にかけての形が丸く、くちばしが突き出てをらず、前頭部のメロン(melon)と呼ばれる部分が非常に丸い。つまり「丸頭クジラ」で「丸頭まるあたま」を音讀みすると「丸頭ぐゎんたう」となる。まるあたま→がんとう→ごんとう→コンドウ、といふやうに變化したと考へたらどうだらうか。

・ざこ、雜魚

漢語「雜喉ざっこう」または「雜魚ざふご」の變化したことば。「雜」の漢音サフの慣用音ザフ、「魚」の呉音ゴ。拗音化してジャコともいふ。

・さざえ、榮螺

『日本國語大辭典』では、小家ささえ小枝ささえ碍枝ささえだ塞手榮さへでさかえさざれの轉など五説をあげてゐるが、最後の松岡靜雄の説が參考になる。

・さば、鯖

『東雅』に「古語の多きを謂うてサハといふ」に注目してみたい。「サハ→サバ」といふ濁音化は十分にあり得るし、「鯖を讀む」とは「物を數へるとき、とくに數が多いときに實際よりごまかすことをいふ」のだから、サバが多數で群を成すために、正確に數へられないことから生じた慣用句であると考へ得る。……
まさにサバ(鯖)はサハ(多量)なのである。

・さはら、鰆

サハラはサバ科であることから、サバ(鯖)の語源に注意を拂ふ必要がある。

・さんま、秋刀魚

『衣食住語源辭典』がいふやうに、サンマが「三馬」や單に「馬」といはれたことを合せ考へると、サンマはもとサウマ・サムマであり、イサムマ(磯・甘味)→サンマの可能性はある。

・しいら、鬼頭魚・[魚暑]

歴史假名はシヒラ。シヒラはシヒナ(粃)の訛で、空籾からもみの意味からの轉用である。

・じがばち、似我蜂

『大言海』に「ジガは古名スガルの轉にて、共に鳴く聲にて呼べるならむ」と古い前の形も參照してゐる。そして「似我じがの字の音なりなどとも云ふは附會なるべし」と釘を刺してゐる。つまり上代では鳴き聲をスガといふ文字に寫し、中世ではジガといふ音で受取ってゐて、

・じゅごん、儒艮

マレー語で duyung といひ、これが英語に入って dugong となり、これが中國で音譯されて「儒艮じゅごん」(ju ken)となった。「儒」の漢音ジュ、「艮」は漢音コン、慣用音ゴンで、

・じょうびたき、尉鶲

ジョウについては、上等のヒタキ説や紋付とも呼ばれるところから、定紋ぢゃうもんの定ヒタキ説もあるが、成長した雄の頭頂部が灰白色であることから能樂でいふ翁の意でじょう、すなはち、尉ビタキであらう。

・じんべいざめ、甚兵衞鮫

魚の形がちゃうど甚兵衞羽織(甚平)を着た姿に似てゐることによる。

・すけとうだら、介黨鱈

一般に「スケトーダラ」の呼稱が廣く用ゐられたのは、昭和四〇年代からで、それまでは昭和三〇年代が「スケソーダラ」、それ以前は單に「タラ」と呼ばれてゐた。

・ずわいがに、ずわい蟹

スクスクと伸びた木の枝をスハエ(直生え)、それを訛ってズバエ・ズンバエ・ズンバイ(楚氣條)といふが、その細長い枝のやうな形の足を持つカニ

・せいうち、海象

『大言海』に「蘭語 Zeekoe の轉訛にてもあるか。セイクルと云ふ、蘭人舶來せり」とある。またロシア語ではアシカを意味する sivch に由來するともいふが、

・せみ、蝉

『大言海』の「鳴く聲を名とす。ミはムシの約、せぬの音轉なりと云ふは非なり」と斷言してゐるのを正解とする。

・たひ、鯛

タヒの外形で特徴的なのは、『類聚名義抄』の表記「平魚たひ」からもわかるやうに、「平らなこと」で、タヒ(ラ)が語源となった。

・たいらぎ、玉[玉兆]

歴史假名はタヒラギ。ギは介(貝)の漢音カイと和語のカヒの合致するところから、その約音キが濁音化したものか、あるいは本來から固いものを表す接尾語のキであったか、やや決定しがたい點もある。

・ちゅうひ、澤[狂鳥]

『大和本草』に「チウヒ」の名。……
チュウヒは、チュウヒダカ(中晝鷹―中位の大きさの晝間飛ぶ鷹)の下が省略された形と考へられる。チウシャク(大和本草)・チウサギ(養禽物語)など、チウ(中)といふ表現は珍しくない。

・ちん、狆

漢語「狆」の發音に由來する。「狆」は中國の貴州・雲南地方のタイ系の少數民族の舊稱で(舊稱チンチア族、現在プーイー族)、文字自體の意味は「犬」と「[中皿](小さい)」とからなり、「小さい犬(のやうな野蠻人)」といふ意味で、中國人の中華思想の産物である。……
「狆」の字音はチュウであるが、實際は tiung のやうな發音であり、チンに近い音である。

・てん、貂

漢字の「貂」の音テウ(チョウ)に由來する。「貂」は漢字音ではトンで、これが訛ってテンとなった(大言海)

・てんじくねずみ、天竺鼠

「天竺」はインドを意味する漢語で、サンスクリット語の Sindhuh(インダス川地域)に由來する。この Sindhuh は原義的には「川」を意味するが、これがペルシャに傳へられ、Hendhu,Hindhu,Thendhu などのやうに變化した。天竺はこの變化した Thendhu の音譯である。ヒンズー教徒やインド人を意味する英語の Hindu はこのペルシャ語の Hindhu に由來する。『後漢書』の西域傳に「天竺國、一名身毒」とあり、身毒はサンスクリットの Shindhuh をほぼそのまま音譯したもの。「印度」もサンスクリットの Sindhu に由來してゐる。

・どじょう、泥鰌

『塵添[土蓋]嚢抄』『易林本節用集』『和爾雅』などに「ドチヤウ」のルビがあり、タ行であることがわかる。また『全國方言辭典』(東條操・一九五一年)にドテクロ(鹿兒島縣谷山)とトドヨ(和歌山縣海草郡)があることから、ドヂャウは、ドテ(トド)―ウヲ(イヲ)を語源とすることがわかる。ドテ(トド)は「泥」のことで、

・トナカイ、馴鹿

アイヌ語の tonakai に由來する。

・とんぼ、蜻蛉

『大言海』の「トビハ(飛羽)の音便延で、トンバウ(蜻蛉)、その約形がトンボ」で、それが最もおだやかな説である。

・なまず、鯰

ナマヅのヅはドヂャウ(泥鰌)のドと同じ「泥」の意である。ナマヅとドヂャウは似てゐる。したがってナマヅ(鯰)は、賀茂百樹の『日本語源』に則して「なめつる泥魚なり」といふのが正解となるであらう。

・なめくじ、蛞蝓

舌でめるやうにして這って歩くナメ(舐)。それに付いたクヂは花や葉が食べられてあと駄目になってしまふクヂル(抉)の末音省略形であらう。

・にいにいぜみ、にいにい蝉

芭蕉の「靜かさや岩にしみ入る蝉の聲」のセミは、ニイニイゼミではないかといはれる。……
鳴き聲がニイニイまたはチイチイと聞えるためである。

・にゅうないすずめ、入内雀

『大言海』に「ニフナイは新嘗にひなへの訛、新稻を人より先に食む意かと云ふ」とある。

・ぬえ、鵺

『古事記』に「青山に奴延ぬえは鳴きさ野つ鳥きぎしは響む」とあり、……
『和名抄』には「[空鳥] 沼江、恠鳥也」。

・はや、鮠

『和名抄』『字鏡』に「波江」とある。『大言海』は「はやの轉にて、泳ぐこと極めて速ければ云ふか」とし、

・はんどういるか、半道海豚

ハンダウとは、「半道はんだう」のことで、歌舞伎の役柄を示す用語で道化役者のこと。三枚目ともいふ。……
ちなみに「バンドウイルカ」は、動物學者の西脇昌治が一九五七年に「ハンドウ」ではなく「バンドウ」が正しいとして制定した名前で、その著書『鯨類・鰭脚類』(一九六五)の「バンドウイルカ」の項目の中に異名として「ハンドウ」を出し、バンドウイルカといふ名に正統性を與へた。……
西脇の勇み足だった。

・ひがい、鰉

美味で明治天皇が賞味したところから「鰉」の字を當てる。『大言海』は「この魚は明治天皇、嗜み給へるに因りて皇魚の合字を作る」としてゐる。しかし「鰉」(huang)の字は中國にありチャウザメの一種を指す。嚴密には國字とはいへない。

・ひわ、鶸

歴史假名はヒハとヒワの兩方がある、……
『榮花物語』に「いみじうひはやかにめでたういらせたまふ」、『源氏物語』に「いとさやかなる人の常の御なやみに痩せ衰へひわづにて」とあり、また「ひわずい」といふ方言もある。

・ふじつぼ、藤壺

小さい圓錐形は富士山に似てゐるので、この名前がある。ちなみに「藤」はフヂ、「富士」はフジの假名で、古い假名からいへば別々な語である。これが混同された中世以降の言葉である。平安京の藤壺といへば、内裏にあった女官の部屋の名前でこれとは關係ない。

・ほうぼう、魴[魚弗]

『書言字考節用集』に「魴[魚弗] ハウバウ」とあり、……
漢字「魴」は漢音ハウ、「[魚弗]」は漢音フツだが、二字でハウバウと讀んでゐる。『大言海』に「形、方頭魚かながしら髣髴はうふつたり、故に字を魴[魚弗]に作るといふ、いかが、假名遣亦詳かならず」とある。……
この魚は體表が滑らかで美しいが、頭・背・腰に特徴があり、骨質板で覆はれ、口先にとげがある。顏つきがいかにも骨張ってゐるのでホホボネウヲ(頬骨魚)であることは確かである。

・ほたてがい、帆立貝

ホッキガヒ(北寄貝)は、アイヌ語のホッケ(寢る)が起源といふ。ホタテガヒは砂泥上に棲息するからさう言った。

・ほっけ、[魚花]

語源はアイヌ語の「ホッケ」(寢る、伏す、横臥するの意)から出た……
ものか。

・ほととぎす、郭公

郭公ほととぎす保々登々ほとほととなくとききてやなづけそむらむ」([口嬰]々筆語・天保一三年)とあるやうに、ホトトギスの仲間の名は鳴き聲に由來し、

・まんぼう、翻車魚

『日本國語大辭典』で歴史假名はマンバウだが、語源未詳としてゐる。『大言海』は「圓坊鮫まんばうざめの訛にもあるか」として、ウキキ(浮木)と同じとしてゐる。……
『倭訓栞』では「形方なるをもて滿方といふにや」とあって

・みみず、蚯蚓

『名語記』『日本釋名』など多くのものが「メミズ(目不見)の義」

・みみずく、木菟

ミミヅクよりもツクの用例が古い。

・めじな、目仁奈

語源はメヂナ(目地魚)で、鱗の接ぎ目に黒點が竝んでゐる魚といふ意味であらう。メジナは元來、東京・三崎・伊豆の呼び名である(魚の生態・海魚篇、一九七八)。

・やぎ、山羊

語源は『大言海』によれば二つあり、一つは「羊」の朝鮮音ヤングに由來するとする説、もう一つは、ヤギは角があって牛に似てをり「野牛やぎう」と書かれたためヤギと呼ばれたとする説である。『物品識名』に「ヤギ 羊に似て小さし 野牛」とあり、『日葡辭書』に「ヤギュウ」とあり、群馬・徳島縣の方言でもヤギュウと呼ぶことを考へると、ヤギウ(野牛)が訛ってヤギになったとするのがよい。

・らんちゅう、蘭鑄

『大言海』は「俗に阿蘭陀おらんだの蟲の意と云ふも疑はし、龍睛魚(lung ching yu)の支那音の轉訛ならむ」としてゐる。

・あゐ、藍

「アヲ(青)の轉」とする『東雅』の説が最もよい。……
「藍」は音ラン(ラム)。

・あふひ、葵

「葵、阿保比」(新撰字鏡)、「葵、阿布比」(和名抄)。

・アカシア、

アカシアの語源はAcacia(俗名arabica)で、エジプトのいばら(茨)の意……
漢字では「槐棘くゎいきょく」「槐樹くゎいじゅ」……
「槐」はヱニスと言った。漢字「槐」の漢音クヮイ、呉音ヱ。平安時代に wenisu と發音してゐたのは、「の樹」のつもりで言ったのであらう。ヱニスは王朝時代の表記である。

・あぢさゐ、紫陽花

『日本國語大辭典』は語源説を七項目あげてをり、その主なものは、アヅサヰの約轉でアヅはアツ(集)サヰ(眞藍)で青い花が集って咲くの意、次にアヂサヰ(味狹藍)の意味。アヂはほめ言葉、サヰは青い花のことをさす。……
この中で最もよいのは第一であらう。アヂサヰの特徴は何といっても手鞠てまりのやうに小花が集って大きな球をなすこと、色が變ることにある。『萬葉集』には花の集ってゐることを歌った「安治佐爲あぢさゐの八重咲く如く八つ代にもいませ吾が夫子せこ、見つつ偲ばむ」(四四四八)や、物を言はない花の木にも變りやすいアヂサヰのやうな木もあると歌った「言問はぬ味狹藍あぢさゐ諸弟もろとらがねりの村戸にあざむかえけり」(七七三)とあって、……
しかしまた一方、『和名抄』に「紫陽花、和名阿豆佐爲」とあるのを見ると、アヅサアヰ(梓藍)の約も考へられてくる。

・あづき、小豆

ヅに漢字の「豆」の字音の「ヅ」やトウに關係してゐるかもしれない。

・あすなろ、翌檜

『大言海』にアスハヒノキ(羅漢柏)に對して「明日あすひのきに爲らむの意と云ふとして『明日檜』と云ふは略せるなり」と説いて、「明日あすらう」→アスナロ説が通用してゐるが、……
清少納言も「枝さしなどのいと手觸れにくげに荒々しけれど、何の心ありてあるは檜の木とつけけむ。あぢきなきかね言なりや。誰に頼めたるにかあらむと思ふに、知らまほしうをかし」(枕草子能因本四十七段)といって命名の理由を問題にし、その名が當てにならない言ひ方だと疑ってゐる。

・あらせいとう、紫羅欄花

方言では水油や菜種油をセイトウと呼ぶ。「齋燈さいとう」つまり燈明のことで、轉じて燈明油や水油の意となったらしい。蝋に對する菜種油の意の「油齋燈あぶらせいとう」がアラセイトウと縮まりながら

・い、藺

『大言海』に「席にして居る意」とあるやうに、人のヰル(居)……
その素材のヰ(藺)

・いすのき、蚊母樹・柞

『大言海』に「古くはユシと云ふ。語源詳ならず、今ユス、またイスと言ふは其轉なり……

・いたどり、虎杖

『倭訓栞』後編に「疼取の義也」とあるのを『大言海』も支持してゐるやうで、本草に「血痛、墜撲などに用う」とある。すり傷に若芽をもんで患部にすり込み、出血・痛み止めに用ゐたから、イタミ(痛)トリ(取)

・いちゐ、一位・櫟

昔、材がしゃくをつくるのに用ゐられ、位階の正一位・從一位に縁が深いといふことで「一位」と名づけられたとするのが通説。しかし漢字の櫟は『萬葉集』や『和名抄』ではイチヒと讀まれてゐるので、古くはイチヒが元で、イチヰ→イチイと變化したと考へられる。「イチヰ=一位」説は變化の途中の音イチヰを捉へた語源俗解である。イチヒは、日本の木材の中ではずば拔けて赤いといふことで「甚緋いちひ(very red)」といふ意味ではないか。……
現在の諸辭書はこれら(記紀萬葉)の「いちひ」をイチヒガシのことであると斷定する……
先入觀を捨てて考へると、記紀・萬葉の中のイチヒは現在の一位いちゐに相當するやうに思はれる。

・いちじく、無花果

イチジクは外來語。新村出によると、はじめペルシャ語 Anjir からヒンズー語 Injir に傳はり、中國語「映日いんじー」果と譯され、それが日本に入ってイチジクと寫された。……
『和漢三才圖會』に「無花果、映日果、阿[馬且]優曇華、俗云一熟、又云唐柿、いちじゅく、たうがき」とあるのは、傳來の事情を示してをり、また「熟すれば紫色軟らかに爛る、甘き味柿の如く核無し、一月にして熟す」とある。この文は毎日一つづつ熟してゆく經過がよく示され「一熟いちじゅく」といはれた理由も説明されてゐる。

・いちゃう、銀杏

はじめイテフと書かれてゐたのは葉の散るさまが「蝶」に似てゐるからもあったらう。それでイ(寢)たるテフ(蝶)の意といふ解釋も生じ(和句解)、またイチエフ(一葉)とも見る説も出たが(日本釋名)、「葉」を中心に見る考へは批判され、正しくは外來語にベースを置くことば。中國語に基づくことは『大言海』に「鴨脚あふきゃくの字の中國宋代の音なり、中國音は廣東にてイチャオ、揚子江北にてヤチャオなり。鴨は我が邦の漢音アフ、呉音エフなれば、エ・イ・ヤの轉なり。此樹の實なる銀杏ぎんきゃうをギンナンと云ふ、即ち宋音なり」で明白である。

・いのこづち、牛膝

『牧野植物圖鑑』は「亥槌ゐのこづちの義で、節の太い莖をゐのこの足の膝頭に見立てて言ふのだらうか」といふがわかりにくい。……
『新撰字鏡』に「爲乃久豆和ゐのくつわ」……
莖を中心に左右に斜上した花軸を馬のくつわに見、「ゐのししの轡」だったのが元である。それがヰノクツチになりヰノコヅチに變じたのだといふ説である(植物和名の語源研究)

・いばら、茨

『萬葉集』は「道の邊の宇萬良うまらうれ」(四三五二)などとあるウマラ(棘)からウバラに變り、

・うこぎ、五加木

『倭名抄』に「五茄、無古木」とあるやうに、五加の中國語音ウコに、日本語讀みの「木」が結びついた成語。なほ、ムコギはウコギの古名ともいはれ「向木」の意味に解され、葉が五葉一體になってゐるところから名づけられたとの説もある。

・うめ、梅

『萬葉集』の「梅」の假名書きはウメ、『古今集』はムメの傾向から、『日本國語大辭典』は「ウメの發音は上代は ume と發音したらしいが、平安以後 mme となったか」としてゐるが、これに對し梅は當時ムメと發音したにもかかはらず、語調上歌だけはウメを用ゐた、當時一般の梅の發音は一音のメでも二音のウメでもなく、朝鮮語もしくは中國語そのままにムメに近い音だったと反論が出てゐる。

・えごのき、齊[土敦]果

「エゴい木」といふ意味である。この木の果皮はあくが強く、なめるとのどがえごくなるので、形容詞エゴイの語幹エゴが元になったことばである。

・えにしだ、金雀枝

ラテン語の genista(ゲニスタ)が轉訛したスペイン語の Hiniesta(イニエスタ)から派生した語。

・えのき、榎

をなす木」「の多い木であるから」が通説だが、『牧野植物圖鑑』は、意味不明としてゐる。

・おぎ、荻

「風になびく姿から招草をぎくさの意」(古今要覽稿)とあるやうに、靈魂や鳥を招き寄せるといふことから、動詞ヲグ(招)が語源で、その連用形ヲギである。

・オクラ

英語の okra に由來する。これは西アフリカ土語のオクラを意味する nkuruman に由來する。

・おけら、朮

『新撰字鏡』に「白朮 乎介良をけら」と見える。……
語源は「葉や莖の軟毛をうけら(蓑)に見立てたといふ」(圖説草木名彙辭典)ことなら、ウブ(生)ケ(毛)ラ(接尾語)→ウケラ→ヲケラの經路で變化した藥草名と見るべきであらう。ウケがヲケに變るのは神を招き寄せる意のヲク(招)といふ動詞を類推したからであらう。

・おだまき、苧環

ヲは「緒」「麻」「苧」などの字が當てられ、絲や紐などのやうな長いものをさし、タマキは「環」「手卷」の字が使はれ、卷きつけて輪のやうにして穴のある玉の形をしたものをいふ。【按】「をだ」を卷くわけではない。

・おなもみ、蒼耳子

大振りなナモミに對して、全體に小振りなナモミがある。『新撰字鏡』に「奈毛彌」と見える。

・おみなえし、女郎花

『萬葉集』に「乎美奈弊之をみなへし」とある。

・おもだか、澤瀉

クワヰの原種。……
オモ(面)は顏、ダカは形容詞タカシ(高)の語幹。「面高の義。葉面の紋脈隆起す」(大言海)とあり、

・おもと、萬年青

『名言通』は「大本の義」、『牧野植物圖鑑』は「大本の意でがさつで大きい株を表現した名」といふ。

・かえで、楓・鷄冠木

『大言海』に「カヘデはカヘルデの略。カヘルデの木、略してカヘデ、轉じてカイルデ」……
『萬葉集』にも「蝦手かへるで」と表現してゐる。「吾が宿に黄變もみ蝦手かへるで見るごとに妹をかけつつ戀ひぬ日はなし」(一六二三)。

・かじめ、搗布

乾かして粉にいて吸ひ物などに使ふので「

・かしゅう、何首烏

中國原産の蔓性の芋。

・がじゅまる、榕樹

ガジマル(榕樹)ともいひ琉球語(首里方言)で、八重山で「かざむねー」といふのは元の語形の訛ったものか。

・がまずみ、

ソミ(染)→スミ→ズミと變じた。ガマズミの實は衣布の染料になるが、萬葉の歌(一三四四)の歌はそれを證明してゐるといふ(植物記)。

・からたち、枸橘

『大言海』にいふやうにカラタチバナ(唐橘)の略でよい。タチは突き刺さるとげのある木の意。『古事記』の傳説、田道間守たぢまもりにちなんでタヂマハナ(田道間花)の約轉の中にタチバナを求めるのは俗説である。

・カンナ

英語の cannna に由來する。

・きはだ、黄蘗

樹皮の内側が黄色で苦味がある。これを黄蘗わうばくといひ、黄色の染色劑とし、

・ぎぼうし、擬寶珠

「若い葉が欄干の擬寶珠に似てゐるため」が定説だが、ネギ(葱)ボウシ(帽子)からの轉とも。

・きゅうり、胡瓜・黄瓜・木瓜

黄(キ)+瓜(ウリ)が構成的な語源で、

・ぎんなん、銀杏

「漢字銀杏ぎんきゃうの宋音、ギンアンなり、連聲にてギンナンと言ふ」(大言海)

・くず、葛

『衣食住語源辭典』には「吉野葛で著名な地名國栖くずから」といふ『大言海』説を支持するとともに、「木髻華きうず(木の髮飾り)の約」といふ説を出してゐる。

・くわい、慈姑

この語源に「食藺」が當てられるなら假名はクハヰでなければならず、そこで『大言海』はクヒ(噛)ワレ(破)ヰ(集)として葉の形を言ったものと考へたらしいが、

・げんげ、紫雲英

ゲンゲの語源はレングヱの代替表現によると言ってよい。

・げんのしょうこ、驗の證據

『大言海』に「現の證據の義、藥效に言ふ」とある通りであるが、ただゲンの漢字は「現」よりも「驗」(漢音・呉音ともにゲン。清音ケンは慣用音)がより適切である。

・こうぞ、楮

語源は『大言海』に「紙麻かみその音便、古、木綿ゆふを作りたれば、の名あり」といふのに盡きてゐる。

・こんぶ、昆布

アイヌ語で昆布を意味する Kombu の音譯に由來し、和譯としてエビスメ(夷布)と呼ばれたが、

・さいかち、皀莢

『大言海』には「皀角子さいかくし、サイカイシ、サイカチと轉じたる語」として皀は黒、角はさやだと解してゐるが、角子かくし→カチ」の變化に無理がある。……
さう」は音を借用したものか。

・しおじ、鹽地

狂ひが少く耐久力があるので、建材・家具・枕木・運動具などによく使はれる。……
歴史假名はシャウジュ。もとの文字は「柾樹」で「柾」は國字だから本來韻字ではないのであるが、「正」」の音でもって「柾」を讀ませてをり、シャウジュ→ショウジ→シオジと變化した。それに當て字「鹽地」を使った。

・しめじ、占地・濕地

多數群生し、地面を占領することから占地、濕って出るキノコでシメイヅ(濕出)、それがシメヂ(濕地)に轉じた。

・じゅずだま、數珠玉

珠の數をとなへるので、「誦數」などと書いた「じゅ」の音(漢音ショウ、呉音ジュ)の影響や、「たま」の音(漢音・呉音ともにシュ、その慣用音ジュ)と混じたかに見える。が、平安文學では「ぼだいずのすす」(宇津保物語・國讓下)、「すすの脇息に引き鳴らさるる音」(源氏物語・若紫)などススと表記(發音はズズ)……
ズズは假名和文系に用ゐられた直音表記の和化した言ひ方であって、本來は「誦數」の字音ジュス(數の呉音。スウは日本の一般の慣用音)が起原だったと見るべきである。

・しょうが、生姜

「薑」の字音がキャウ・カウであるため、同音の姜を代用して生姜と書くやうになった。

・すいか、西瓜

漢語の「西瓜」の唐音サイカが變化してスイカとなった。

・すいかずら、忍冬

『大言海』に「水をかづらの義、水邊に生ずといふ」とあるが、とくに水邊だけの植生ではないので、この水吸説は當らない。

・すいば、酸葉

ふつうスカンポといはれる。……
文字通りスイ(酸)ハ(葉)。

・ぜんまい、薇

ゼニマキ(錢卷)と呼ばれたのが轉じた。

・だいだい、橙

『本草圖譜』によれば、和名は「代々だいだい」の意で、

・たぶのき、椨

重壓にたへしのぶ固い材質故に舟材としたことから「たへる」木であり、その終止形「たふ」に木をつけた。

・つわぶき、石蕗

『大言海』の「ツヤハブキ(艷葉蕗)の義にて、葉に光澤あるを以て云ふかと云ふ」

・とうぐゎん、冬瓜、

漢語の冬瓜の字音はトウグヮ donggua が訛ってトウガンとなった。

・どうだんつつじ、滿天星

ドウダンはトウダイ(燈臺)の變化といふ。牧野富太郎によると、昔の家庭では燈明臺とうみゃうだいが三本脚を交叉しその上の皿に點火した。ドウダンツツジの痩せ長の枝振りがそれに似てゐるから、と説いた。そしてはっきり燈臺ツツジといってゐる所もあるといふ(植物一家言)。

・とうもろこし、玉蜀黍

タウ(唐)などモロモロ(諸々)のコシ(越)の國からやって來たもの、すなはち「外國からのもの」といふ意味。……
「唐唐」「唐蜀」といふ重複を避け、「玉蜀黍」の用字にした。……
タマキビ(玉黍)の別名もあり、

・どんぐり、團栗

諸説があり、トチグリ(橡栗)の音便説、ダングリ(團栗)の意、

・なずな、薺

『大言海』の「ナデナ(撫菜)の義にて、づる意かと云ふ」のが採るべき説であらうと思ふ。

・にくづく、肉荳蒄

ニクヅカンのンの省略とカの轉訛したクを使ひ、ニクヅクと讀んでゐる。この木の種子・香辛料のナツメグは、英語の nut-meg

・のうぜんかづら、凌霄花

リョウセウはr音とn音の交替によってノウセウとなり、それがさらに變じてノウゼンと訛った。

・ほうれんそう、菠薐草

唐宋音「菠薐(ホリン)」の訛った音である。唐の太宗の時に頗稜國より獻上されたので、「頗稜(ホリン)」と呼ばれ、改字して「菠薐(ホリン)」となった。頗稜國は現在のネパール(Nepal)のことである。ネパールのパールの部分を音譯したものが「頗稜」と考へられるので、(Ne)pal = 菠薐 = 頗稜 = ホリン → ホウレンとなる。

・まくわうり、眞桑瓜

岐阜縣本巣郡眞桑村(現眞正町)のものが最上とされた

・マロニエ

フランス語 marronnier、マロン(栗)の木が語源になってゐる。

・マンゴー

タミル語の man-kay

日本語の世界9 沖繩の言葉

外間守善 中央公論社 昭和五十六年

・18nイミソーレー

「おはいりください」といふ意味の「イミソーレー」について、この語の末尾の「ソーレー」を「候ふ」と解し、鎌倉時代以後の武士言葉の名殘りで、「さうらへ」といふ意味であるなどと解釋する人がゐるが、それは誤解である。
「イミソーレー」の原形は「御坐おはれ」であって、「さうらへ」ではない。……
なほ、『おもろさうし』を中心とする沖繩の古語には、謙讓を意味する「はべり」は「やべら」といふ形で表記され使はれてゐるが、叮嚀語の「候ふ」は、まったくみあたらない。

・20n

『古事記』跛、あしなへ、なへぐ。足を引きずる。ネージュン。

・115nニライ・カナイの語源と語意

ニライ・カナイといふ語は語源のわかりにくい難語の一つである。ニライ・カナイが難語である理由は、この語が沖繩においてすら久しく忘却の彼方に置かれてゐたことにあるのかもしれない。ニライ・カナイといふ語が、「海の彼方の樂土」の意であり、一語にして沖繩の古代信仰をになふ語であることを、今では誰も疑はないが、この語を人々の遠く薄れた記憶の奧底から引出して、その意味を開いてみせたのは伊波普猷いはふいうであり、それにいきはやく着目し本土の古代信仰とつなげて意味解きをしたのがほかならぬ柳田國男、折口信夫であった。思へばこれら先覺の研究はニライ・カナイの一語に凝縮されてゐるといへるかもしれない。
おもろ語を中心にした沖繩古語における「へ」「い」は、意味的には「〜の方」「〜の邊」「〜のあたり」「〜のほとり」であり、文法的には接尾語と考へることができる。(118n)
以上のやうな理由で、「にらい」の「い」は「あがるい」の「い」などと同じやうに、體言的「にら」もしくは「ら」についた接尾語として考へることができる。(120n)
形態論的にとりだされた「ニ」「ラ」「イ」は、意味論的には「に(根)」、「ら(所)」、「い(方)」に整理することができる。すなはち「『にらい』は『根所方』といふ語義をもつ語である」といふことが結論としてとりだされたわけである。
ニライを「根所方」と解した私の語源探訪は、これで目的を達したわけであるが、最近になって仲宗根政善による「ニライのラを處・方向の意として、と解したい」(「なかべきょら御城」『青い海』八十四號、昭和五十四年七月)とする説があることを知り、その卓見に驚嘆してゐる。(127n)
伊波説で十分な説明であると思ふ。つまりカナイはニライに付いた意味のない後付語である。(129n)

・137nオモロの語源

折口の説明をかりるならば、神言を言ひ出すことが「思ふ」であるといふことになる。(142n)
まづ私は、オモロといふ語の意味と語源について、「言ふ」、口に出して「唱へる」といふ意味の動詞「思ふ」を原義にしたもので、その體言化したもんが神の言葉、神言といふ意味を背負はされたオモロであると結論する。(151n)

・192nおもろ語「あふ」の考察

『おもろさうし』卷十一の六〇八に出てくる「あふのいふさき」は地名であり、「あふのはまさき」の對語として使はれ、「あおのいふさき」「あおのはまさき」(卷二十一の一四二八)とも表記されてゐる。「いふさき(いふ崎)」「はまさき(濱崎)」はいづれもでばった砂濱の意である。「あふ」には普通「奧武」の字が當てられ、ここでは久米島仲里村の沖にある奧武オウ島のことをさすが、このほかにも那覇港内の奧武、島尻郡玉城村の奧武、國頭郡屋我地やがぢ島の奧武などがあり、それらはほとんど地續きともいへる地先の離れ小島になってゐる。仲松彌秀によれば現在では人が住むやうにもなってゐるが、古くは無人島で、死人を葬る場所であったらしい。また奧武には古代墓が存在するといふことも見逃せないことらしい。
天上世界への中繼ぎ的な場所としてアフが使はれてゐるところからすると、地上と天上の中間的な場所、この世とあの世の中間的な場所として考へることも可能であり、その中間性を色彩的な中間色として青に比喩し、問題を廣げて「黄の世界」に對する「青の世界」を想定したのが、仲松の考へ方だったわけである。ただ、仲松のいふ「青の世界」が沖繩のみに限られる獨自なものであるかどうかについては未詳である。なぜならば、宮崎縣にも有名な「青が島」があるし、伊波普猷による「櫻島も古くはオウ島と云ったが、櫻の字を宛てたので、いつしか訓でよむやうになったと何かで見たことがある。かういふのが靜岡縣にもあるやうだ」(『日本文化の南漸』)といふ指摘もあり、それらの探索は今後の研究にまたなければならないからである。(200n)

・206nおもろ語「うりずん」と「若夏」

沖繩の古語で、とりわけ美しい季節感を持つ言葉としては、右のオモロに出てくる「おれづも」「おれづむ」と「若夏」をあげることができる。さはやかで、若々しい季節の訪れを告げてくれる美しい季節語である。『おもろさうし』の中では、「おれづむ」「おれづも」といふ二つの表記で使はれてゐる。(206n)
もう一度整理すると、「うりづん」は潤ふの意の「うり」と、浸みとほる意の「づむ」が複合してできた語で、「降雨が土に潤ひ浸みる」ことを原意にした語であるが、特に、舊暦二、三月頃の季節を指していふやうになったものであると考へる。(218n)

・237n「やうら」考

おもろ語の「やうら」、八丈方言の「ようら」は、古代日本語としても「やはら」「やわら」「やをら」「やおら」などと記され、『宇津保物語』『源氏物語』『枕草子』『今昔物語』『宇治拾遺物語』等々に、「そろそろと」「靜かに」「ゆっくりと」「そっと」などの意味で用ゐられてゐる。(239n)

聯合艦隊軍艦銘銘傳 全八六〇餘隻の榮光と悲劇

昭和六十三年、光人社、片桐大自著

 かなり以前に圖書館で拔書きしたものを、そのまま掲載する。自衞隊の艦艇はことごとく平假名書きになり、假名遣に迷ふものが多い。本書は命名の由來を種別に整理してあり、得がたい一册である。

 【山嶽名】

 【河川名】

 【都市名勝】

 【天象】

 【海洋】

潛水艦は「○潮」のつくものが多い。……はるしお(春潮)、なつしお(夏潮)、あきしお(秋潮)、ふゆしお(冬潮)、ゆうしお(夕潮)、あさしお(朝潮)、おおしお(大潮)、あらしお(荒潮)、いそしお(磯潮)、うずしお(渦潮)、おやしお(親潮)、くろしお(黒潮)、さちしお(幸潮)、せとしお(瀬戸潮)、たかしお(高潮)、たけしお(雄潮)、なだしお(灘潮)、なるしお(鳴潮)、はましお(濱潮)、はやしお(早潮)、まきしお(卷潮)、みちしお(滿潮)、もちしお(望潮)、やえしお(八重潮)、ゆきしお(雪潮)、わかしお(若潮)、

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 【草木】

 昭和二十年代の警備艇など小艇に、花の名前が多い。……あおい(葵)、しょうぶ(菖蒲)、あじさい(紫陽花)、いわぎく(岩菊)、えぞぎく(蝦夷菊)、おにゆり(鬼百合)、かいどう(海棠)、ききょう(桔梗)、けいとう(鷄頭)、ひまわり(向日葵)、さわぎく(澤菊)、すいせん(水仙)、すいれん(睡蓮)、ふじ(藤)、ふよう(芙蓉)、ぼたん(牡丹)、りんどう(龍膽)、れんげ(蓮花)、かんな、

 南極觀測船の「ふじ」は「富士」であり、「ふじ(藤)」と紛はしい。「ふじ(藤)」は昭和二十八年から四十六年まで、「ふじ(富士)」は昭和四十年進水のため、同時期に同名の船が在籍した事になる。いふまでもなく歴史的假名遣では「ふぢ(藤)」であるため、かかる衝突は避けられる。

 「かんな」は、軍用としては珍しくラテン語由來である。

 【鳥名】

 【島名】

 【半島名】