19年年頭より、日々氣づいたことなど整理して掲げる。問題ない限り、引用も歴史的假名遣にしてゐる。
19.01.05.ショウズ
「清水」は大抵「しみづ」、時に「きよみづ」だが、「ショウズ」と讀む地名もあり。「ズ」は音「ず」か、訓「づ」か不明。
(19.05.15追加)「シュウズ」と讀む地名もあるから、「しみづ」の轉なのだらう。では「せうづ」とすべきなのか。
19.01.10.生食・池月
『消えた驛名(今泉惠介著、平成16年東京堂)』によると、東急大井町線北千束驛は、昭和3年開業當時池月 驛。これは宇治川の合戰の名馬生食 にちなむ名のこと。
「美しく青い毛竝みに白い斑があり、これが池に映る月影のごとく」とあるのは後世の附會であらう。平安時代や鎌倉時代には四つ假名の區別あり、混同する筈なし。諸書によれば生食ならびに磨墨は荏原郡馬込の産。池上の洗足池には池月橋、また近くには磨墨塚あり。『江戸名所圖繪』には梶原屋敷の記述もあり。
19.01.11.コーセー化粧品
「コーセー(kose)化粧品」はギリシャ語kosmetikosの由。他にも異説あり。企業名や商品名はどこまで眞實なのか、判斷に難しい。
19.01.14.相生驛・那波驛
同『消えた驛名』によると、山陽新幹線相生 驛は、昭和17年まで那波 驛。「古代に繩 の浦と呼ばれ」との記述もあり。那波町は昭和14年に相生 町と合併し、この時に「あひおひ」と改稱。
沖繩 や那覇 がいづれも魚場 を語源とする事を彷彿とさせる。これはいはくありげと『大日本地名辭書(902n)』を見たが、さしたる解説はなし。
19.01.15.カセ
『日本の歴史04平城宮と木簡の世紀(講談社)』の月報「ウニとカセ(谷川健一)」によると、雲丹には二種類あり。大ぶりの紫雲丹を「ウニ」、小さいが美味な馬糞ウニを「カセ」といふ。この別は出雲國風土記にあり、また沖繩奄美から五島列島の方言にもあり。筆者はさらに、紫雲丹は岩の窪みや石の下などに棲む習性あるゆゑ「石陰子」の名があるのではないか、ウニとは「陰」の字音ではないか、と想像する。
しかし陰 は「-m」韻尾であり、それなら「ウミ」となるはずではないか。文 が「ふみ」となり、簡 が「かみ」の語源であるといふから、韻尾の「-n」「-m」の別は必ずしも絶對でないが。それにしても『疑問』で雁甲羸 を字音語と決めつけたのは迂闊であった。
19.01.22.十二門
同書(35,103n)には、藤原宮と平城宮の十二門の圖あり、「この頃(藤原京)にはすでに實質的な意味は失ってゐたが、大和政權の宮城門を守衞した氏族名を宮城門に充てるのが傳統であった。」と解説してゐる。壬生 門は平安京で美福 門となるが、門前から壬生 大路が南にとほる。今は壬生川通り。
藤原宮 平城宮 平安宮 呉音讀み 漢音讀み 東の北 山部 門縣犬養門(1) 陽明門 やぅみゃぅ やぅめぃ 東の中 建部 門建部門 待賢門 だいげん たいけん 東の南 小子部 門小子部門 郁芳門(2) ゐくはぅ ゐくはぅ 南の東 壬生 門壬生門 美福門(3) みふく びふく 南の中 大伴門 朱雀門 朱雀門 南の西 若犬養 門若犬養門 皇嘉門 西の南 玉手 門玉手門 談天門 だむてん たむてん 西の中 佐伯 門佐伯門 藻壁門 さうひゃく さうへき 西の北 伊福部 門伊福部門 殷富門 おんふ いんふう 北の西 海犬養 門海犬養門 安嘉門 あんけ あんか 北の中 猪使 門猪使門 偉鑒門 ゐけむ ゐかむ 北の東 丹比 門丹比門 達智門 だちち たつち
(1)縣犬養橘三千代 は藤原不比等の妻。不比等邸は門と相對してゐたといふ。
(2)拾芥抄 によると、郁芳門の名は的 氏にちなむといふ。
(3)門前より壬生大路が南通する。
19.01.28.大原女
『カメラ京都ガイド』(白川書院、昭和39年)の「大原」の項目。京の女性の變った風俗として、ここの大原女は昔から有名である。これは京の洛北、八瀬・大原の地に住む女性の裝ひをいったもので、古くはこの邊一帶を小原とよんだので、小原女と書くのが正しいと、八瀬の古老はいふ。」明日香村小原 とは逆の現象か。京都西方の大原野 には異讀はないやうだ。しかし大原野神社は奈良春日大社(藤原氏の氏神)の勸請であり、ひょっとすると明日香村の小原(もと大原)から取った名ではあるまいか。大原野にも、八瀬の大原にも小鹽 山あり、また歌枕清和井 あり、共通點があるのか、それとも單なる後世の假托なのか。
19.02.02.園生
「園生」を「そのう」と「そのお」の條件で檢索。2對3ほどの割合で「そのお」が多い。また「そのお」の方には人名が多く含まれるやうだ。歴史的假名遣はもちろん「そのふ」だし、通常の國語辭典でも「そのう」の見出ししかない。しかし人名の「ソノオさん」には男 の意識が込められてゐると思ふ。關川夏央 さん(評論家)なども同樣であらう。ただし桐野夏生 さん(作家)は女性である。どう判斷したものか以前から惱んでゐるが、どうもよくわからない。
19.02.12.結城
『大日本地名辭書』3426n、下總國結城郡の條。古語拾遺に「好麻所生、故謂之總國、穀木 所生、謂之結城郡」。木綿 の産地であったから結城 といふことらしい。「ゆひき」のウ音便ではないやうだ。
270n、大和國磯城郡結崎 の條。遊部 川の名が見える。結崎は觀世流の祖である結崎座のあった地。
19.02.17.清和院
清和天皇の「清和院」を「セガイ」と讀む。「せぐゎゐ」とすべきなのであらう。歌枕の清和井 とは關係あるまい。京都の社寺などにはこの種の讀み癖がじつに多い。中世の頃と見てよいのか。
19.02.25.じぼたれる
『茶道辭典(昭和31年、桑田忠親編、東京堂)』の「じぼたれる」項目。「鹽垂れるといふ言葉の訛。茶道具や、その取合せに對していふ言葉。一見侘びたやうであって、實は安っぽく、きたならしいやうなのを、けなしていふ俗語である。」ハ行轉呼音の消失した近世以降の語であらうが、ハ行の意識は殘ってゐたかもしれないし、字面からおきた言葉かもしれない。
ちなみに同辭典は「ノンコウ」のみ示し、「のんかう」は見えない。語源不明の固有名詞こそ、元來の姿を殘しておいてほしいものである。ただし「のんかう」なる書き方もどこまで「本來」なのか、よくわからない。三代目道入の江戸時代初期はすでに「あう」と「おう」の區別は難しかっただらうから。
さういへば、北朝鮮向けの短波放送「しおかぜ」も假名書き。
19.02.29.タンビエット
越南語から。銅 =通貨單位。和平 =平和。感恩 =ありがたう。暫別 =さやうなら。「暫」は「タム」になるはずだが、檢索してみても壓倒的に「タン」が多い。「タムビエット」としても「ム」の後に脣音の「ビ」がつづくのだから、舌の短い日本人にも發音困難ではない筈だが。
19.03.01.盤渉調・黄鐘調
盤渉 調、黄鐘 調の字音の由來は?この二音のみ不規則である。假名遣にはかかはらぬものの、氣になる。同じ「黄鐘」でも、讀み方によって音階が異るとは知らなかった。北京音を參照しても手がかりにならない道理であった。
漢土 日本 西洋 陽 黄鐘 くゎぅしょぅ 壹越 いちこつ ニ 陰 大呂 たいりょ 斷金 だんきむ 嬰ニ・變ニ 陽 太簇 たいそう 平調 ひゃぅでう ホ 陰 夾鐘 けふしょぅ 勝絶 しょぅせつ ヘ 陽 姑洗 こせん 下無 しもむ 嬰ヘ・變ト 陰 仲呂 ちゅうりょ 雙調 さぅでう ト 陽 〓賓 すいひん 鳧鐘 ふしょぅ 嬰ト・變イ 陰 林鐘 りむしょぅ 黄鐘 わぅしき イ 陽 夷則 いそく 鸞鏡 らんけぃ 嬰イ・變ロ 陰 南呂 なむりょ 盤渉 ばんしき ロ 陽 無射 ぶえき 神仙 しんせん ハ 陰 應鐘 おうしょぅ 上無 かみむ 嬰ハ・變ニ 19.05.31.追記。太田全齋『漢呉音圖』を讀んでゐたら、「鍾」の欄に 「
黄鐘 」 の説明あり、 「勇禮 」 の如く、ng韻尾をカ行に譯したものと推定してゐる。しかしひょっとするとng韻尾とk入聲韻尾との對轉かもしれない。また 「盤渉 」 の説明にもならない。p入聲韻尾とk入聲韻尾との旁轉と考へる手もあるが、それではあらゆる音に自由自在に變化してしまひ、結局何も説明できない事になる。
19.03.02.跡呂井
『平安京物語(村井康彦著、平6年、小學館)』に「岩手縣水澤市跡呂井 の地は、平安初期の東北地方の豪族の長であった大墓公 阿弖流爲 の本據地といはれ…」とある。『大日本地名辭書』4283n、陸中國膽澤郡の條に安土呂井 、また跡呂井 に作る、とあり。
人文社の分縣地圖(昭和35年)には該當地名すでになし。郵便番號簿にもなし。しかし現地ではかなりの有名地名らしい。阿弖流爲を描いたアニメーション映畫やミュージカルまで上演されてゐるといふ。「あてるゐ」と「あとろゐ」を比較して、「ゐ」が一千二百年間も保存されたとは速斷できぬ。地名で「井」の字はしばしば假名遣にかかはらず宛てられてゐるから。
19.03.04.つくつく法師
「つくつく法師」について、漢字から「ほふし」とする辭書、擬音語と見て「ほうし」とする辭書に分れる。知友が『吾輩は猫である』に出てゐた筈と教へてくれたが、たしかに「おしいつくつく」とある。
さういへば『犬は「びよ」と鳴いてゐた』に解説があった事を思ひ出して再讀。擬音語だから樣々な書き方がある。しかし「法師」になぞらへるのは平安時代の『成尋阿闍梨母集』まで遡る由。
漢字書きなら「ほふし」、平假名なら「ほうし」とするしかないのだらう。
19.03.05.ちひママ
「ママ」とは飮み屋などの最高責任者、「チーママ」とはそのナンバー2の立場であるといふ。語源は「小さいママ」。「チーフママ」説は實態に合はない。とすれば「ちひママ」と表記すべきか。 ちかごろでは育兒初心者の自稱にも用ゐられるやうだ。
19.03.10.ウラジホ
古本屋で買った端本に「浦鹽 」とあり。驚いて「ウラジホ」で檢索してみたら幾つか用例もあり。石川啄木『浦鹽特信』(十月七日付)など。もしも振假名ではない、單獨の「ウラジホ」または「ウラジホストック」があれば更に面白いのだが、その可能性は少からう。
19.03.10.築地
築地 とは、版築による土塀で、つき(築)+ひぢ(泥)の變化による。つまりは訓讀みである。
一方で築地 とは、埋立地の意で、東京の地名もこの由來である。築 はともかく、地 は音讀みなのだらう。
漢字の音讀みと訓讀みは一見してわかるやうな印象があるが、なかなかどうしてわからぬ語もある。「築く」の語源は「杵 +衝 く」だといふから、音讀みのチクとは關係ないのだらう。
19.03.17.おいらせ
青森縣おいらせ町で漁船顛覆のニュース。おいらせ町は平成18年3月に合併成立したもので、確かに奧入瀬川の河口ではあるのだが、十和田湖からはかなり遠く「詐稱」の氣もする。『地名』4668n「奧瀬」に、「奧瀬又奧入瀬 に作る」とあり、「お」の部分が音讀み由來か訓讀み由來かは不明。
『疑問』では西津輕郡の「追良瀬」にも言及したが、こちらは『地名』4725n「追良瀬」。互ひのゆかりもなし、漢字どほりでよいやうだ。
19.03.21.氣比神宮
『奧の細道風景(昭和36年、荻原井泉水著、社會思想社現代教養文庫336)』に曰く、當今は「氣比神宮」と書いて「きび神宮」と稱する。だが「氣比」は「笥飯」の文字を改めたもので、はじめは「氣比」と書いて「けい」と發音したものが、文字の方に引かれて「きび」と言ふやうになったものと思はれる。土地の人は今日でも「おけいさん」と呼んでゐる。『疑問』に「ケイ」とは讀まぬ、としたが、さうでもないやうだ。
19.03.24.母ぢゃ人
親しみを込めた呼び方で「母者人」とか「兄者人」とかいふ。これは「母である人」の略であるから、「ははぢゃ」が正しいといふ。中世には「ハワヂャ」と發音したのであらう。「者」は宛字であるが、四つ假名が混同した時代以降だらうから、案外に新しい書き方かもしれない。
「宛字」と斷言できるものと、怪しげな語源説との境界線は何處にあるのだらう。
19.03.26.逢州
歌舞伎に登場する遊女で「逢州」といふ名がある。『日本架空傳承人名事典』(昭和61年、平凡社)に曰く、元祿・享保期(1688-1736)の狂言本では「あふしう」とひらがな表記が多く、1805年(文化2)五月、八文字屋刊の複製本『けいせい淺間嶽』卷末の年代記では「奧州」ならびに「おうしう」と表記。「あふせ(逢瀬)」といふ言葉もあるし、これは「あふしう」でよいのだらう。「奧州」ならば「あうしう」。
19.03.27.三河安城
徳川家康の傳記を讀んでゐたら、「安城」は元「安祥 」だった由。『地名』2299n。由來はわからぬが、吉祥を願ったものと見える。
19.03.31.チャボ
チャボは江戸時代に占城から輸入された鷄の由。占城は越南の南部。17世紀末まで越南南部にあったチャム族の國。古くは「林邑」。唐代には「環王」。唐以降には「占城」または「占婆」。英文で「Champa」となるのは占 の -m韻尾を反映してゐるのだらう。
19.04.5.老・考
『中國文明の歴史』(岡田英弘著、講談社現代新書1761)に轉注文字の説明あり、漢字はもともと、同じ字形にいくつもの意味をあてて、それぞれをタイ系の夏人の言語で讀んだのであるが、のちに整理されて、一つの漢字にはただ一通り、それも一音節の語をあてて讀むやうになった。ところがごく少數、何通りにも讀む字が殘ってしまひ、それを「轉注」といってゐる。「考」とか「老」とかがこれだといふが、これらは本來同じ字形で、ともに「年老いる」といふ意味であった。轉注文字は古來多くの説があり、どれが正しいのかよくわからないが、整理方法として明快と感じる。「古今字」や「同源字」に近いといへさう。對する假借文字は同音であるが由來を異にする意味がかぶさったものである。
これまで字音假名遣を考へるために形聲文字ばかり注目してきたが、轉注文字も見直さねば。「老」と「考 」は明らかに類音である。LとKが交替する例は多く、上古音複子音説の大きな論據でもある。「おいる」→「ちち」といふ意味の展開も、「先考」「皇考」などの熟語を思ひ出せばわかりやすい。
19.04.10.お父さ゜ん
『浮世風呂』を讀む。「オトッツァン」を「お父さ゜ん」と書く事は前から聞いてゐたが、なるほどさうでてくる。ただし「觀音」を「くゎんお゜ん」としてゐるわけではないから、單なる「ツァ」の表記であって、連聲を表現したわけではないだらう。
歴史的假名遣では一般に連聲表記は元のままとするが、相撲の「うっちゃり」を「うちやり」とはしない。
19.04.12.一尺八寸
『姓名の研究』(荒木良造著、昭和4年)を入手。名簿や新聞など、出典となったものを全例につけてゐるのがとても素晴しい。よくある難姓奇名辭典の類は誤記があったり、それをまた類書が孫引きしたりで、信頼性が薄いものもあると聞く。
「一尺八寸」さんも實在するらしい。難讀で知られる大分縣の「壹尺八寸 山」も、別稱「かまづかのみをうやま」ださうだから、漢字と「みをう」の讀みは本來關係ないのだらう。
19.04.15.天羽さん
苗字の「天羽さん」は久しく惱んでゐたが、『和名抄』上總國天羽郡に「阿末波」と音注があるのを發見。湯桶讀みの「あまう」ではないやうだ。
ただし「まは」を「モー」と讀む例は他に見當らない。『正假名遣』の分類にもなし。今後如何に取り扱ふべきか。
19.04.20.春女菀
保育社カラーブックス397『歸化植物―雜草の文化史―』(昭和52年、長田武正・富士堯著)によれば文明開化の歸化植物 ヒメジョオン
明治の文明開化につれて廣がった北米の植物には、もう一つヒメジョオンがある。無理して漢字で書けば姫女菀。女菀とは日本でヒメシオンとよぶ草の中國名で、姫女菀は日本の本草家がつけた名。でもこのはうが背丈も花も女菀 よりずっと大きいので、はなはだ實情に合はない。ヒメジョオンはいま中國にも廣がり、一年蓬とよばれてゐる。昭和・戰後派の歸化植物 ハルジオン(ハルシオン・ハルジョオン)少々わかりにくい説明だが、
大正時代、東京近郊の夏はまさにヒメジョオンの世界だった。だがいまの東京には、ヒメジョオンのかはりにハルジオンがはばをきかせてゐる。
ハルジョオンは春の紫菀の意で、石川勇義『園藝植物圖譜』にその名があり、「おそらくいまにヒメジョオンのやうに諸所に雜草化してくるのでは…」と記されてゐる。
ハルジオンはまたハルシオンとも書き、ハルジョオンとも呼ばれる。ハルジョオンはハルジオンがヒメジョオンに右へならへをしていつの間にか轉化したもの。言語同化の一例である。
・「女菀」≒「ひめぢょをん」。
・「紫苑」→「はるじをん」。これを「はるぢょをん」に誤った。
ことになる。
『當代國語大辭典』(民國73年)を見ると、
・紫菀 … Aster tataricus,L.
・女菀 … Aster fastigiatus Fisch
。手許の『全植物圖鑑』(昭和8年編、日本博物研究會)には、
・シヲン … Aster tataricus
・ヒメシヲン …Aster fastigiatus
とあり、ヒメシヲンは誤りといふ事にならう。
結局、 紫苑と 女菀 は別種。「苑」と「菀」の漢字はどちらでも同じこと。「春女菀」は無理に「はるじをん」としなくても、漢字どほりに「はるぢょをん」でよいのだらう。そして「春紫苑」と書き、あるいはハルジオンと讀むなら「はるじをん」でよい事になる。ややこしい。
えらい間違ひをしてゐた。20.09.26.の項へ。
19.04.21.鰉
魚名の「ヒガイ」は「ひがい」「ひがひ」兩例あってよくわからない。たぶんいくら調べても埒があかないだらう。
昭憲皇太后の御歌は「ひがひ」となってゐる。
(湖上雨)ひがひとるゑり見えぬまで雲おりて雨になりゆくしがの大わたこれも用例の一つに違ひないのだが、それならまあ「ひがひ」でよいではないか、と理窟拔きに納得させる性質の資料であると思ふ。大勢が受け容れれば、社會的規範としては問題ない。幸田露伴は隨筆「鰉」で、「鰉」と「ひがい」は全く異る魚である事を力説してゐるが、今更「鰉」の訓を削るわけにもゆかないだらう。やはり規範と學術とは異るものである。
19.05.09.黒ぢょか
橘南谿『西遊記』高麗の子孫(卷之七)に薩摩にてはハノシコロ燒のチヨカといふ。チヨカとは茶家の心にて土瓶の事なり。薩摩の方言なり。どびんといひては知る者なし。とあり。今でも「黒 千代香」 は薩摩の傳統工藝品である。「千代香」は宛字なのだらうか。
19.05.16.もうか
「山府市に関するキログ(http://sampu4.exblog.jp)」は秀逸。たとへばこのリンク先では群馬縣眞岡市を取上げてゐる。ローマ字に「moka・mooka・mohka」3種類あって定らぬ事、驛名が國鐵時代に「もうか」、それが眞岡鐵道で「もおか」と改められた事など興味がつきない。
“あをめ→オーメ”などとは、焦点をずらしぎみに、ネットの場でも話題になっているけれど、歴史的仮名遣いの“まをか”ならば、生じないはずの違和感が、その地形が地名の由来に、関わったらしい“オカ”の字が、含まれているために、表面化し、この結論に、至ったのかもしれない。この指摘は正しいが、「氷雪の門」の「眞岡郵便局」も「まをか」と書いて「マオカ」と讀んだから、今度は兩者をどうやって區別するかといふ問題が出てくる。箕面市の箇所で
もし、字面が“蓑尾”であれば、仮に“箕の面”であったなら、どうなっていたのだろう。(嗤)とあるやうに、ローマ字にせよ假名文字にせよ「漢字表記をどうやって置き換へるか」の比重は意外に大きい。「山府市に関するキログ」氏はローマ字に興味があるやうだが、取上げられた地名の多くが同時に歴史的假名遣上の問題も抱へる。「歴史的假名遣がわからなくても表音式なら簡單」といふ意見が如何に危いか、よくわかる。
連休明けに、我が家も遲まきながら常時接續となった。最近は仕事でも顯微鏡を見る時間が増えたから、相俟ってまことに眼が疲れる。白黒ディスプレイとか、一定以上の輝度は暗く表示するプログラムはないものか。
19.05.23.ウ音便は「う」
前述「山府市に関するキログ」で、日光市(もとは今市市)の 手岡
といふ地名を知った。同樣のものを搜したら、 鹽岡 、 甲岡 、 飯岡 の三つ見つかった。「丘」や「阜」では存在しないやうだ。 さて「山府市に」では 眞岡
と比較して、「“てをか”→“チョーカ”→“ちょおか”」なのだらうか?と疑問を呈してゐる。やはり何とも言へぬ違和感がある。たとへば「遠山 景織子 」 といふ女優の名は、やはり漢字に引きずられた振假名なのだらうが、ネット上の書込でも違和感の表明がちらほら見られる。さういへば 手斧 をチョーナと讀む時、それは「てうな」であって「てをな」とは書かない。つまりウ音便は「う」と至極單純に考へればよいのである。 「申
す」 と書いて「モース」と讀む事もないではないが、どちらかといへば祝詞など「マオス」と讀む時の古形であり、通常は 「申 す」 であらう。だとすればむしろ、 眞岡 や 青梅 の方こそ「古形」と看做すべきであって、「まうか」「あうめ」と書いてよい理窟になる。樺太の眞岡はもちろん「まをか」でよい。 手岡 、 鹽岡 、 甲岡 、 飯岡 、 と、「甲岡」以外はウ音便ですっきりする。もっとも「しほをか」から「せうか」とするのは些かこじつけかもしれない。 大抵の辭書では 青梅
あをめ 、 赤穗あかほ と だから、今更「あうめ」「あかう」と改めるのは混亂をきたす。「まをす」と同樣の「古形」と認識するだけでよいだらう。ただ、地名人名に關して國語辭典はどこまで信頼できるのだらうか。地名人名の假名遣についていろいろ見たが、「守るべき傳統」など全く形成されてゐない。いきほひ類似例の比較類推に頼らざるを得ない。長年もやもやしてゐた霧がよく晴れた氣がする。
19.05.24.天羽さん(續)
上記のとほりなら、19.04.15記入の「天羽さん」は「あまう」でよいのだらうか。
19.05.27.知覽
『大日本地名辭書』1831n「知覽」に「チラミ」の振假名あり、檢索してみると今でも「ちらみ」の呼稱は使はれてをり、「遲羅美」が語源とか。字音「らむ」の頃、つまり院政時代以前の用字だらう。
19.05.31.『漢呉音圖』
19.03.01.「盤渉調・黄鐘調」の欄にも追記したが、ふと讀んだ太田全齋『漢呉音圖』が滅法面白かった。勉誠社文庫57の解説では批判して「理論が先行して考證がそれを追ふ、いはば演繹的な方法に陷った」とあり、確かに『平成疑問かなづかひ』でもつい都合のよい例ばかり集めてしまふ。ただ、字音假名遣程度の粗い枠組だと、時代や地域が異ってもかなり通用するとは思ふ。自戒を要す。以下、ざっと眺めて考へた事など。
- 薩摩國の 穎娃
えい 郡は 衣評えのこほり に由來するが、 可愛山陵えのみささぎ まで關聯づけるのは無理ではないか。かなり距離が離れる。- 出雲國の地名 鹽冶
やむや と、忠臣藏の鹽谷の判官は結びつかないだらうか。- t入聲やn韻尾がラ行に變化する例として典型的な 達磨
だるま が引かれてゐるが、 韃靼だったん が「タルタリヤ」だから、とあるのは本當なのだらうか。さういへばタルタル(tartar)ステーキの語源は韃靼ださうだから、案外正しいのかもしれない。 但馬たぢま の例も合せると面白い説明になりさう。- 崇神天皇の御名は 五十瓊殖
いにゑ 天皇(日本書紀)、 印惠いにゑ 命(古事記)。
19.06.01.えばる
「威張ゐば る」を「エバル」とも言ふが、その時は「ゑばる」なのだらうか。 佐伯さへき さんと 佐伯さひき さんとゐるが、本當に「さひき」さんでよいのだらうか。
19.06.20.水海道
しばらく記入の暇なく、だいぶメモがたまってゐる。少しづつ清書。まづ『地名を歩く』(昭和51年、山口惠一郎著、新人物往來社)から。
77n。茨城縣の水海道市は、「御津垣内」への宛字。 「垣内
かいと 」は中世の開墾地で、指定された範圍内をかこって開墾したところ。近世の「新田」以前のもの。奈良周邊だけの地名かと思ってゐたが、廣く分布してゐるやうだ。また「開戸」「街道」など宛字も多い。
19.06.20.別府
同書81n。「別府」を「ベフ」「ビュー」とする地名は南九州に分布。
なるほど「ビュウ」で檢索すると、南九州ばかり3ヶ所あった。
- (〒868-0422)柳別府
やなぎびふ 、熊本縣球磨郡上村- (〒879-0462)別府
びふ 、大分縣/宇佐市- (〒882-0861)別府町
びふまち 、宮崎縣/延岡市しかし「べふ」で檢索すると、三重縣以西、中國・四國・福岡・佐賀まで20件あった。それにしても「ビュー」は「びふ」としてよいのだらうか。
19.06.20.ソワイ
同書125n。「碆
はえ 」と同樣、岩礁を示す言葉に「ビラシ」「モタレ」「ソワイ」などの稱があるといふ。はて「ソワイ」とは?「碆」とは「波の下にある石」であって、本來の字義(矢尻の石)とは別。「礁」「砠」 「
」の字も用ゐる。
19.06.20.コー・ゴー
同書128n。宮崎縣では「川」または「河」は「コー」「ゴー」と發音するといふ。
「河内
かうち 」などの地名は多い筈だから、 「*川」または「*河」で「コー」「ゴー」となるものを檢索すると15件あり、關西方面に多く、かへって宮崎縣には見つからない。(〒939-0151)富山縣西礪波郡福岡町澤川ソウゴウ などは、「さうがう」なのだらうか。河内かうち は「かはち」のウ音便だから「か+うち」ではない筈。
19.06.20.八重
同書134n。宮崎縣に特徴的かつ多く分布してみられる地名「八重」(ハエ・ハイ・ヤヤ)。なるほど檢索してみると宮崎縣内ばかり3件あり。「はへ」でよいのだらうか。
19.06.20.新田原
同書161n。宮崎平野「新田原
にゅうたばる 」をさがしてみたら(〒889-1406)宮崎縣兒湯郡新富町「新田にゅうた 」とあり。「にふた(ばる)」とすべきだらうか。まさか「new」ではあるまい。
19.06.21.雲林院
京都の雲林院
うんりむゐん を「ウジイ」と讀むことあり、RとDと同じ舌尖音でダ行の「うぢゐ」とすべきだらうか。同じく京都の西院
サイ は「院」を省略した「さい」だらうか、それとも二字をつづめた「さゐ」なのだらうか。
19.06.21.掛字
掛字
かけじ は掛軸かけぢく の省略かと思ったら、漢字も意味も假名遣も異る。「裕
ゆう 」と 「祐いう 」と、 どちらも人名に瀕用されるが、部首も旁も、また假名遣も誤りやすい。さういへば「祐」は四等官の「じょう」なのに、訓が「たすける」ゆゑか「すけ」となるのも變。「巧
かう 」の形聲音符は 「かう 」であって、 「工こう 」ではない。
19.06.21.岩佐
書き間違へさうな姓。いづれも知人あり。
- 「岩佐
いはさ 」と 「湯淺ゆあさ 」- 「伊織
いおり 」と 「伊從いより 」- 「三宅
みやけ 」と 「見明みあけ 」
19.06.22.頭首
Windows95附屬の「Microsoft/Shogakukan Bookshelf Basic」を見てゐたら、 「頭首
てうしゅ 」といふ言葉があった。「仏語。禅院における知事につぐ役。前堂首座以下の一二役をいう。日本曹洞宗では六知事に対し、六頭首を立てる。」と解説があり、 「頭てう 」は唐宋音だといふ。しかし同辭典では、 「饅頭まんぢゅう 」 「塔頭たっちゅう 」とあり、明らかに矛盾する。もちろん唐宋音の由來は複數にわたるから、何か由來があるのかもしれない。そもそも唐宋音に字音假名遣を適用できるかどうか、どうもよくわからない。同辭典で上記以外に「確かに適用してゐる」言葉を拾ってみると、 「和尚
をしゃう 」、 「菠薐草はうれんさう 」、 「提燈ちゃうちん ・ 挑燈てうちん 」、 「銀子ゐんつう ・ 員子ゐんつう 」、 「銀杏←鴨脚いちゃう 」、 「漆喰←石灰しっくい 」。一方で『學研大漢和』から、唐音を拔出してみよう。「和」と「頭」以外には假名遣に關係なささうだ。
- ng韻尾… 打
だ 、 灯ちん 、 亭ちん 、 清しん 、 請しん 、 綾りん 、 薐りん 、 經きん 、 経きん 、 輕きん 、 軽きん 、 杏あん 、 儂のん 、 鸚いん 、 湯たん 、 孟まん 、 温うん 、 行あん 、 鈴りん 、 明みん 、 京きん 、 羹かん 、 瓶びん 、 浪らん 、- k韻尾… 脚
きゃ 、 竹しつ - n韻尾… 乱
ろん 、 算そん 、 緞どん 、 訓きん 、 亂ろん 、 暖のん 、 敦つい - t韻尾… 喇
ら 、 謐ひつ 、 拂ほつ - m韻尾… 甚
そも 、 恁いん 、 怎そも 、 怎さむ 、 餡あむ - p韻尾… 納
な - 其他… 馬
ま 、 哥こ 、 呀や 、 對つい 、 外うい 、 賣まい 、 茴うい 、 話わ 、 和を 、 个こ 、 灰くい 、 叭は 、 茶さ 、 婆ほ 、 菠ほ 、 麻ま 、 火こ 、 抹も 、 胡う 、 個こ 、 箇こ 、 頭ぢゅう 、 事ず 、 推つい 、 堆つい 、 烏う 、 埠ふ 、 司す 、 子す それにしても 「甲板
かんぱん 」が唐宋音とは知らなかった。 甲かふ の對轉で「かむ」かと思ってゐたが、唐宋音なら「かん」でよいのだらう。「甲高い」もさうなのだらうか。「南朝四百八十寺」はどうか。 十じふ の對轉で「しむ」と思ふのだが。「銀子
ゐんつう ・ 員子ゐんつう 」は「員」由來なのだらう。
19.07.10.岩内町
三週間かけてやっと「各攝の典型的漢字音」の編輯が一段落。さほど複雜怪奇な内容ではないのだが、感覺的にわかりやすい説明はじつに難しい。疲れた。例によって三週間の積み殘しから。
- 知友から、北海道の岩内郡岩内町とは「硫黄
いわう 」の「ナイ(川)」である由連絡あり。さういへば昔どこかで讀んだ事がある。御指摘に感謝。- 日本アルプスの鷲羽山
わしう は、 天羽あまう と同樣に訓讀み「わしは」の轉なのだらうか。- 運動神經痲痺の「よいよい」とは語源如何に。
- 選炭のかす「ずり」は假名遣如何に。
- 「腕白」は「枉惑
わうわく 」の轉といふ。關西辯の「わや」も同語源といふ。- 「抱腹絶倒」の 抱腹
はうふく は 捧腹ほうふく の俗用といふ。いつの時代の變化なのだらう。「捧」の字音假名に關係する。- 「綯
な ひ交ま ぜ」は「なきまぜ」のイ音便と勘違ひしさう。- 「賄
まひな ひ」は動詞「まひなふ」の連用形であって、 「賄まかな ひ」のイ音便「まいなひ」ではない。同漢字で紛れやすい。
19.7.10.狼信仰
7月9日(月)日本經濟新聞朝刊文化面に『神か惡魔か オオカミ信仰(工藤利榮)』といふ記事あり。『疑問』でも「オイノ」といふ地名を取上げたが、東北地方に秩父三峰神社の信仰が廣く分布し、その眷族である狼を 「御犬
おいぬ 」 と呼ぶ由。江戸時代には實際に狼による人的被害もあったとか。さういへば深田久彌『日本百名山』65兩神山の項にも、兩神神社の社頭には狛犬ならぬ狼が控へてゐるとある。ちなみに 兩神
りゃうがみ 山の別稱は 八日見やうかみ 山。
19.7.12.サツクヮ
橘南谿『東遊記(後編卷の二)』の「龍燈」に
越中新川郡に眼目山といへる寺あり。眼目山と書いてサツクワ山と讀む。其わけは知らず。とある。岩波の新日本古典文學大系には『西遊記』しか入ってゐないので今は確かめやうがないが、原文ではどうなってゐるのだらう。昭和4年の出版で、假名遣は全面的に統一してあり、しかも注釋には「古の官職の名のサクワンである」と書いてあるから、意識して直した可能性が大きい。橘南谿は伊勢の人ださうで、「カ」と「クヮ」を區別したのかどうかよくわからない。また「クヮ」ではなく「クハ」と書いてゐただらう。『大日本地名辭書』越中國中新川郡1972nには 「眼目
サツクワ 」とある。しかし筑前國嘉穗郡1453nには 「目尾シャカノヲ 」といふ地名もある。これを「しゃくゎのを」とするのは煩雜に過ぎるのか。
19.07.26.川上岳
岐阜縣の川上岳は古語「末
うれ 」に由來するといふ。同種の地名は岐阜縣に集中してゐる。さがしてみると結構あった。
- 西水源山
にしうれやま - 西ウレ峠
- 川浦谷
かおれだに - 吉城郡宮川村(〒509-4535)祢宜ケ澤上
ネガソレ - 吉城郡河合村(〒509-4306)中澤上
ナカソウレ - 吉城郡宮川村(〒509-4534)中澤上
ナカゾレ - 中津川市 (〒508-0002)阿木川上
アギカオレ - 益田郡馬瀬村(〒509-2601)川上
カオレ 『大日本地名辭書』2227n飛騨國益田郡の條に
川上嶽 川上は方言カホレと云ふとある。古語「末うれ 」は葉や枝の尖端を意味するが、岐阜縣の方言で川の上流や水源の事らしい。1.はさういふ意味の宛字である。さて、「川上岳」は「かおれ」「かほれ」それとも「かふれ」。上代なら「かふれ」となった氣がする。
19.08.23.『日本百名山』
木暮理太郎『山の憶ひ出』を讀む。元は昭和13年の出版だが、いま手に取ってゐるのは平成11年の平凡社ライブラリー(293・297)。深田久彌『日本百名山』の山名語源はおほかた此處から取ったやうなので隨分期待した。とてもよく調べてゐるのだが、急にポリエネシア系の言葉が出てきたりするあたりだけは感心できない。
『日本百名山』の番號順に、納得できさうなところだけ拔書き。
- 9. 後方羊蹄
しりべし 山の 羊蹄し とは、「ぎしぎし」といふ草の漢名。「シリ・ペツ」の音譯。- 12. 八幡平の平
たい は、山上の濕地帶の意。- 33. 越
こし の 中山なかやま → 名香みゃうかう 山 → 妙高めうかう 山。今も山麓に名香山村あり。- 36. 補陀洛
ふだらく → 二荒ふたあら 山 → 二荒にくゎう 山 → 日光にっくゎう 。- 38. 笄
かうがい 山 → 皇開くゎうかい 山 → 皇開すかい 山。- 65. 八日見
やうかみ 山 → 龍神りゅうがみ 山 → 兩神りゃうかみ 山。- 95. 朽網
くたみ 山 → 久住くすみ 山 → 久住くぢゅう 山 → 九重くぢゅう 山。(萬葉學者井上通泰氏説)- 99. 枚聞
ひらきき 岳 → 開聞ひらきき 岳 → 開聞かいもん 岳 → 海門かいもん 山。
19.08.23.河内
『日本國語大辭典(第二版)』には、 「河内
かふち 」とあり、また 「河野かうの 」とある。用例採取の結果としてさうなのだらうが、「表記法」としては難解である。
19.08.26.羗
鹿科の哺乳類「羗
キョン 」は、 「羌きゃう 」の異體字といふが、漢和字典を見ても動物の解説はない。ng韻尾を「ン」とするから、近世以降の傳來なのだらうが、「キャン」とならないところをみると南方經由かもしれない。
19.08.26.高知坐神社
宿毛市平田町に 高知坐
たかちざ 神社がある。縣名の高知とは關係ないやうだ。『大日本地名辭書』1350n土佐國土佐郡の項によると、高知の名は 河中山かうちやま に由來し、寶永年間に同所にある城を 高智かうち 城と改めた事によるらしい。
19.08.26.十市
奈良縣橿原市の古地名「十市」は「とほち」「とをち」の二種類あって安定しない。後世には「といち」、また現在は(〒634-0008)十市町
とをいちちゃう である。 十市縣主あがたぬし は古代の有力な豪族であり、室町戰國時代にもなほ勢力があったらしい。十市郡は明治29年までつづき、磯城郡に編入された。十市皇女は額田王の子である。なぜ「とをち」で安定しないかといふと、『和名抄』に「止保知」とあるからである。『大日本地名辭書』263n、268n大和國磯城郡の項には、「遠市」の義であらう、としてゐる。つまりは宛字である。
『新古今』卷五、式子内親王の歌
深けにけり山のはちかく月さえて とをちの里に衣うつ聲は、十市を「遠い」の掛詞にして、「はるか遠くの十市の里」といふ意味を持たせてゐる。哀愁を感じる歌枕の地として有名だったといふ。音韻の合流に伴ふ現象もあらうが、「遠市」の記憶が殘ってゐたと考へると樂しい。
19.09.27.焚
「焚
ふん 」は「林」と「火」の會意文字であって、 「林りむ 」を音符とする形聲文字ではない。ちゃうど 「戎じゅう 」が 「十じふ 」の形聲文字ではないやうなもので、類例をまとめると面白からう。しかし一説に、「焚」は音符 「彬
ひん 」の形聲文字だともいふ。「林」はその省略形。そして 「彬ひん 」は音符 「棼ふん 」の形聲文字。かうなると楷書の構造が頼りにならない。形聲文字別にならべた辭書があればさぞ便利だらうし、さういふ試みもいろいろあったが定着してゐない。字源説はしばしば不安定で、しかも「見た目」と一致しない事があるからだらう。
19.09.27.搗布
「搗布
かぢめ 」と「おかちん」が、共に 「搗か つ(臼でつく)」といふ動詞に由來するとは氣づかなかった。『岩波 古語辭典(大野晉)』は動詞の見出しを連用形で示してゐる。確かに上記のやうな關係がわかりやすい。
19.09.27.日本國語大辭典(第二版)
ひょんな事で『日本國語大辭典(第二版)』を格安で入手。ただし途中までなので、不足卷はそのうちに。改めて「凡例」を見ると、
6.方言・固有名詞などでは、歴史的假名遣の注記を省略するものもある。とある。以前から地名などに不安を感じてゐたが、やはり歴史的假名遣の調べやうがないのだらう。それにしても「ものもある」とは困った事である。たまたま見出し表記と一致するのか、それとも省略したのか確證を持てない。「標準化」と言ひながら、『平成疑問假名遣』の編輯は必ずしも標準化されてゐない。「寄せ集め」と批判されても仕方ない部分がある。これから準據する辭書として、
とする。平成20年中には、全面的に書き改めるべく、そろそろ作業に取かからうと考へてゐる。この「氣づいたこと」欄に書込む囘數は減るかもしれない。動植物の標準文獻をどうするか、しばし迷ってゐる。
- 和語を中心として、總合的には『日本國語大辭典(第二版)』
- 字音は『學研 漢和大字典(初版)』
- 語源説は『岩波 古語辭典(大野晉)』
- 地名は『大日本地名辭書(吉田東伍)』
19.10.27.嫦娥計畫
新聞で「嫦娥」に「チャンア」と振假名があった。本來の漢字は、「
娥」で、「こうが・heng2e2」だが、漢の文帝の名「恆(heng2)」の敬避で「嫦娥」となり、いつしか「百姓讀み」の「じゃうが・chang2e2」に變ったといふ。
- といふ事は、漢代すでに「恆」ならぬ「恒」が「正字」の地位にあったのではないか。
- それにしても 「亘
こう 」 「常じゃう 」とは發音がかなり異るのに、なぜ「代用」できたのか。『平成疑問』の改訂を始めた。いろいろ氣づいた事も多いが、いづれ半年後あたりにまとまったところで。
19.11.18.退治る
「退治
たいぢ る」の文語は「たいづ」となるのだらうか?そもそもこのやうな口頭語を文語化させようとする場面などないのかもしれないが、たとへば「御覽ごらう じる」などと同じやうな、ザ行活用のやうな感覺で使ってゐるだらから、「治ぢ 」の假名遣に微妙な違和感が殘る。「牛耳
ぎうじ る」なら問題ないし、文語なら正しく「牛耳を執る」と書くだらう。
19.11.18.鳩尾
「鳩尾
みぞおち 」はもと 「水落みづおち 」の意。假名遣は合はない。
19.11.19.はったい粉
はったい粉(麥こがし)とは、「叩
はた きもの」つまり碎いて粉にする意のイ音便。「はったい」でよい事になる。漢字は「糗」「麨」とか。
19.12.30.づんだ
日本經濟新聞29日朝刊の付録20ページ「NIPPONスイーツ紀行13」は「づんだ餠(表記このまま)」である。何でも店によって「づんだ」と「ずんだ」に分れるとか。豆を打つ意味の他、伊達政宗の「陣太刀」が語源との説のあるさうな。いづれにせよ「づんだ」でよからうし、新聞の見出しになったといふ事は「づんだ」が今も有力なのかもしれない。
19.12.31.新潮日本語漢字辭典
九月の新刊が品切れの由、かねてより注文のところ少し前に二刷が屆いた。
- 康煕字典の二百十四部首を踏襲したのはとても有難い。各ページ下についた見出しも好適。
- 字音の下に[n]・[m]・[ng]の注記を加へたのもよい。これが字音假名遣の最重要點だから。
- 「漢音、呉音の認定にあたっては『廣韻』を最重要視した」といふ編輯方針も妥當。といふよりも他には方法がない。すべての字に漢音・呉音を示した字典はさう多くない。
- 「水」を「スイ・スヰ」とするなど、「戰前の實態」を注記なしに併記するのは困る。
- 「宮」などの注記に、「キュウ」の古い假名書き例は「きう」が普通、とあるのはとてもよい。字音假名遣と古用例とは必ずしも一致しないし、強ひて一致させねばならぬとは限らぬ。
- 熟語見出しに歴史的假名遣がないのは殘念だが仕方ない。地名人名など、面倒なものを避けたのかもしれない。近年の辭書は固有名詞をよく拾ふ傾向にあるから、もしさうだとすると事態は深刻である。
- 今までの漢和字典にない漢字言葉がとにかく面白い。これに「なぜさう書くのか」説明があるともっとよいのだが、なかなか難しいのだらう。
19.12.31.もう歳の暮
早いものでもう歳の暮。今年の成果?は、歴史的假名遣の價値觀が「文法上の整合性を軸にした、ゆるやかな通時性」であると思ひ至った事かもしれない。どちらかといへば重點は通時性より現在の整合性にあると思ふ。
つまらぬ書込を長々と御覽いただき有難うございました。