日々氣づいたことなど整理して掲げる。問題ない限り、引用も歴史的假名遣にしてゐる。
「もちひ」は「もち」の延音ならず、「餠+
『新潮日本語漢字辭典』5371【榕】に「あかほ」の訓がある。しかし『日國』は「あこう(雀榕)」となってゐる。手許の『全植物圖鑑』(昭和28年三版だが、編輯は昭和8年)には「あかう・あこのき・うすのき・おほぎぼけ・雀榕」とある。いづれを可とすべきか?
なほ「ガジュマル(榕樹)」は沖繩方言に由來する、同じ桑科の植物。『全植物圖鑑』には「かづまる・かじまる・たいわんまつ・榕樹」。
『新潮日本語漢字辭典』5265【楮】に「かぢ」の訓がある。一般には「
創始者の名「はんぺい(半平)」の變化らしい。時代から考へてng韻尾の影響ではあるまい。
「翁」が音「ヲウ」訓「おきな」であるのは一寸と間違へやすい。
『疑問』で、岡山縣北部方言「
琵琶の名器「
秋田の「しょっつる鍋」は「
縁起字で「
19.09.27に「
『新潮日本語漢字辭典』13896【霍】に、「霍公鳥(ほととぎす)」の熟語見出しあり、「
「楾」に「はんぞう」の訓あり、漢字表などで見た時は何かの樹木の名かと思ってゐた。何とお齒黒の容器であったとは。中空の柄が注ぎ口になってゐるから、由來は「
20.01.20.追記。『物類稱呼』4卷「盥」の條に
因幡にて〇はんざうと云。江戸にてはとあった。匜盤 を匜 と云
「
昭和7年『第五改正.日本藥局方』に「ロート根」の項目あり、「ハシリドコロノ根莖ヲ採集シ乾燥セルモノ」とある。しかしここから漢字の「
結局、假名遣の話とは結つかなかった。「宕」の字が「愛宕」以外で使はれるのが珍しいぐらゐか。
『國語改革を批判する』(日本語の世界16、昭和58年、中央公論社)を久しぶりに開いた。大野晉の定義で「假名遣」とは、
區別すべきだと考へるある一定の數の假名を正しく使ひ分けることといふくだりに目が止った。見事な定義であると思ふ。ただしその直後に
假名遣の問題は、日本語の音韻の變遷と密接に結びついて生じたものである。日本語の音韻の變遷に關係しない場合は、假名遣の問題にはならない。と續く事からして、「音韻の合流」が盛込まれてゐないのは少々寂しい。却ってそれがよいのかもしれない。
『正假名遣』では、「假名遣」を
同音の假名を語によって使ひ分ける規則。とした。これに(言はずもがなではあるが)「語の表記の安定のため」と付け加へようとも思ひ、また單なる「規則」ではない「社會的規則」であると考へたりもする。どうあがいても、大野晉説に比べてまるで枯れてゐないなあ。
強引な意の「ちからづく」は現代假名遣で「チカラズク」。しかし勢づく意の「ちからづく」は「チカラヅク」のまま。現代假名遣に至って新しく書き分け始めた語「氣づく」と「築く」は知ってゐたが、もう一つあるとは氣づかなかった。他にはないものか。
國語問題とは理念と理念の爭ひだから、現代假名遣を批判嫌惡する理窟はよくわかるのだが、實際に運用されてゐる姿を觀察すると、兩者は驚くほど似通った姿を見せる。
『週刊文春』1月17日號に旅館「
『文學遺跡辭典_散文編(昭和46年、東京堂)』には、大原の三千院から寂光院に通ずる道を「芹生の里の細道」といふとある。同書の引用では『平家物語2、烽火之沙汰』に「せれうの里」とある。手許の角川文庫『平家物語』には「
假名遣は「せれふ」が正しいのだらう。「せりふ」ではセリュウと讀まざるを得ない。字音假名遣のテフテフなど困難といふが、それは實際を知らない人の感想であって、和語はとても簡單、などといった解説をよく見る。さうとも限らないのではないか。
再來年に常用漢字表が改訂される由。追加字候補11字は「鹿・阪・奈・岡・熊・梨・阜・埼・茨・栃・媛」と、まづ都道府縣名が採上げられたやうだ。
『山伏と尊皇(大伴茂、昭和16年、平凡社)』に、「役
「木葉衣」によれば……宣長は をずぬ と訓んでゐるが、それよりも をずみ と訓んだ方がよい……「木葉衣」は山伏行智の著である。といふ著者自身の注釋が入ってゐた。
時局柄とはいへこんな本もあったのかと面白く讀んだが、それはさておき一般には「角」を「つの」と訓んで「えんのをづぬ」ではないか。「すみ」と解釋するなら確かに「をずみ」だらうが、それが「をずぬ」へ變化するものだらうか。「宣長は云々」の文獻が裏付けられれば面白いのだが。
京都方言で「危のおす(危なうございます)」などといふが、江戸の遊里語でもあったらしい。「ある・居るの意の丁寧語」だが、假名遣は「をす」ではないらしい。「危のおす」でよいやうだ。
谷崎潤一郎『吉野葛』に
「くず」といふ地名は、吉野川の沿岸附近に二箇所ある。下流の方のは「葛」の字を充て、上流の方のは「國栖」の字を充てゝ、あのとある。能狂言鷺流や生田流箏曲の曲名「こんくゎい」の話もあり、面白い。飛鳥淨見原天皇 、 ――天武天皇にゆかりのある謠曲で有名なのは後者の方である。
しかし葛も國栖も吉野の名物である葛粉 の生産地といふ譯ではない。
今まで混同してゐたが、葛が名物だから國栖になったわけではないやうだ。
ちょっと多忙でもあったが、氣づくと二ヶ月も更新せず。
久々に「解説」に「宛字語の假名遣不一致」を追加。
多忙な時期はやっと終りさう。半年近くたまったものを些か。
由來は「なま(生)しひ(強)」
「
以前から作ってゐた字音假名遣表に「ヰャゥ」の音節がすっぽり拔けてゐた。「永」などの呉音に出現するが、これらが常用音でないために早い段階で捨ててしまったためである。御指摘に深く感謝申上げます。
「
團十郎のういらう賣りの口上に、韻學のとなへ文句が入ってゐた。
アワヤこれを覺えたところで、四つ假名の區別にはさほど役立たないだらうが、韻鏡を見る時には便利だらう。「お」と「を」が逆轉してゐるところが興味深い。咽 、サタラナ舌に、カ牙 サ齒音 。ハマの二ツは脣の輕重 開合 爽やかに、あかさたなはまやらわ、をこそとのほもよろお、(表記を少々變へた)
以前みつけた貝原益軒『大和童子訓』の方が、より役に立つ。
かなづかひとは、音を書くに開合あり。開合とは、字を唱ふるに、口のひらくと合ふとなり。和音五十字の内、あかさたな、はまやらわは、ひらく音なり。こちらは「お」と「を」が逆轉してゐないが、私は明治44年の有朋堂版のを見てゐるから、原文を修正してあるのかもしれない。益軒の時代には「あう」と「おう」の區別が殘ってゐたのだらうか、これまた興味深い。江 肴 豪 陽 唐 庚 清 青 の韻の字は、皆開くなり。おこそとの、ほもよろをは、合ふ音なり。東 冬 蕭 霄 蒸 登 尤 侯 幽 の韻の字は、皆合へるなり。又和訓の詞の字のかなづかひは…
江戸時代の著作には、ひょいと韻學の知識がさしはさまれる場合がある。あまり古典を讀んでゐないので、これから心して探してゆかう。
「萎る」や「栞」は「しを…」が通説であったが、どうやら「しほ…」らしい。『日國(二版)』の
「
女優の「貫地谷しほり」もこの言葉に關係するのだらうか?先祖はひょっとして鍛冶屋さんなのだらうか?
『新潮日本語漢字辭典』の「方」には、
明治以來の字音假名遣は「ハウ」。古例「ホウ」の説明のため、四角の意だけ「ホウ」と書いたといふ説が中世にできた。とある。『新潮國語辭典』など、これを「假名遣」として區別する潮流だが、うーんどんなものだらう。他にも「甲」や「乏」などはどうなのだらう。
『漢語と日本人(鈴木修次)』は確か中學か高校の教科書で讀んだ筈。「6.擬態語の中の漢語」は、久しく探してゐた文章にめぐり合った氣がする。漢語の中の擬音・擬態語は字音假名遣の大きな手がかりとなるが、まとまった解説は少ない。樂しめさう。
それにしても犬の鳴き聲「びょうびょう」に、
「
さ夜ふけと夜の更けにける暗黒にびようびようと犬は鳴くにあらずやも驚き。
「繃帶」が「bandage」の音譯、「希臘」は「Hellas」の音譯で、「Hellenism」はここから來てゐる事など、同書はじつに面白い。
しばらくぶりの本屋で出版を知った。新しい視點や難しい事をとても易しく説明してあり、共感が持てる。私などとても及びがつかない。特に
誤解をおそれずにいえば、…「規範」というものに學問的合理性や正確性はかならずしも必要とは考えない。といふ指摘は重要であらう。實態として「歴史的假名遣は學術的に正しい」といふ主張は限定的な效果しかない。「いやそれではいけない」と力説する事を拒否するわけではないが、私は「よくできた概論」ぐらゐの表現が好きである。
また『疑問假名遣』が
世の歴史的假名遣信奉者に衝撃をあたえたふしがあまり見られないのも同意。それどころか現行の辭典ごとに記述が大きく違ってゐても、あまりにも誰も氣にしないので私は驚いてゐる。どうも「現状把握」にひどく不熱心である。思想や文化を語る方が樂しい事はよくわかるが。
逆にびっくりする記述も。
日本人が外國語として漢文を讀んだり書いたり…中國字音の世界のものである。長崎通事や「時文」はさておき、かつてそんな讀み方をした事があったらうか?漢文は「中國語」の讀み方でないと批判されたのではないのか?
日本語に區別のない「li」音と「ri」音を無理やり區別することに、いかほどの意味があろうか。の部分は、たとへば國學者が「ヤ行のイ」を表す文字を創作した事などを指すのかもしれないが、明治以降にそのやうな作爲はないだらう。「ギヨオテ」「ゲエテ」は同時代に同義で共存したから、それを無理に區別するのは確かに意味がない。しかし「キャウ」「ケウ」「ケフ」などは上代に全く別音別義、別の漢字だった。字音假名遣も日本語の音韻變化によって合流した點で、和語と全く同じ現象である。異るのは「出自」だけである。
研究が精密になればなるほど、古代漢字音(中國字音)を再現しようとするといった批判は(參考文獻欄からみて)『全譯漢辭海』の「スヰン(春)」「シヰツ(述)」などを見ての事ではないだらうか。これらは純粹に日本の文獻にさう出てゐるから採用したまでであって、歴史的假名遣の定義に何一つ外れてゐない。それどころか「韻書」などの演繹的操作を極力排した結果であるから、現行辭書では「中國字音」から最も遠いものである。
「字音は外來語」である事は間違ひないし、だとすれば元の「外國語」に似た性質、似た傾向があるのは當然であらう。韻書を使ふといっても、それは「li」と「ri」を「再現」するのではなく、「地方ごとの字音」として互に矛盾がないやうに調整してゐるだけである。さういふ人工的な影響を排除してもよいとは思ふが、もし本氣で實行するとかなり多くの漢字が「字音不明」で「發音できなくなる」筈だが如何なものだらう。
「字音假名遣を區別する今日的意義はない」といふ説明なら、私もよく理解できる。その方が「規範といふものに學問的合理性や正確性はかならずしも必要ない」といふ著者の解説にもよく合ふ。ただし先づ「字音とは何か」の説明あっての話だが。たとへば「雹」は字音なのだらうか、和語だらうか。
私自身は大矢透『隋唐音圖』と『學研漢和大字典(第一版)』を愛用してゐる。宣長説でもよいのだが、より「便利」であり、日本上代の言葉が理解しやすい。もちろん學術的には「色めがね」であるわけだが、單なる「枠組」である事さへ忘れなければ、「スヰン(春)」「シヰツ(述)」などからの距離も測れて、一層便利である。それだけの事、と私は思ってゐる。文化や思想が嫌ひなわけではないが、これらが混ると碌な事はないと思ってゐる。
『かなづかい入門(白石良夫)』讀後感を書いた。
ところで字音假名遣は假名遣に非ずといふ意見は誰が言ひ始めたのだらうか。龜井孝かもしれない。漢字語は漢字を用ゐるのが正常な姿であり、「キャウ」「ケウ」「ケフ」などの差は語を識別する手がかりにならない。從って假名遣として書き分ける意味もないし、過去の實績もない、おほむねこのやうな内容であったと記憶する。日常一般の姿として、まことに當を得た分析である。
ただ、それなら歴史的假名遣は具體的にどうなるのかよくわからない。學校の古文でも「みやうぶ(命婦)」や「せうそこ(消息)」を習ふやうに、假名書きの漢語は少なくない。現代ではもっと多い。また和語と漢語はさう截然と分れるものではない。『かなづかい入門』でも、「泥鰌」が字音由來かもしれない可能性を語ってゐる(121n)。
丸谷才一氏のやうに字音に限り現假名支持といふ意見もあり、それはそれで一つの見識と思ふ。ただ、その方式で困る事はないのか、よく吟味する事が一番大切な筈だが、さういふ考察は至って少ない。「築地」を「ついぢ」と「つきじ」と意識して書き分けるのは、決して簡單ではないと思ふ。
『かなづかい入門』の白眉は、
假名遣が社會的な約束であるかぎり、それぞれの「社會」の假名遣は、それぞれの「社會」固有の事情があってしかるべきだろう(58n)かと思ふ。現代社會で、あへて字音のことは考へない流儀は「規範」として認められるのであらうか。
昨19年3月21日の條で、氣比神宮を取上げたが、續きを些か。
『地名』越前國敦賀郡(1859n1863n)、
式内社、越前國一宮、旧官幣大社。現在の讀み方はケヒ、若くはケイヒ。『日本書紀』垂仁天皇の條にあり。
「
『奧の細道』には「けいの明神」とあり。19年3月21日に書いたやうに、『奧の細道風景(昭和36年、荻原井泉水著、社會思想社現代教養文庫336)』には
當今は「氣比神宮」と書いて「きび神宮」と稱する。だが「氣比」は「笥飯」の文字を改めたもので、はじめは「氣比」と書いて「けい」と發音したものが、文字の方に引かれて「きび」と言ふやうになったものと思はれる。土地の人は今日でも「おけいさん」と呼んでゐる。
『地名』淡路國三原郡(780n)、
「或は慶野に作る。飼飯海の名は萬葉集に見ゆ」とあり。
『萬葉(3-256)』「
『地名』但馬國城崎郡(841n)、
いま「
他に郵便番號簿では
『かなづかひ入門』への「反論」は、やはり感情的なものにとどまるやうだ。
契沖假名遣は、その規準のおよぶ範圍が、じつはきわめて狹くかぎられていた(104n)といふ指摘は重要である。天動説と地動説では、話もかみ合はないだらう。
だいぶ前に氣づきながらそのままだった徳島縣吉野川市の高越山。『地名』阿波國麻植郡(1222n)に、
「
『正假名遣(平成十五年八月再修正版)』では、
第二章 七、複合語において、先頭語語尾と後續語語頭の假名遣が重なる場合、先頭語に從ふ。としたが、高越山も例證に加へてよいだらう。毛越寺は『地名』陸中國磐井郡(4266n)に、
例 はひる(這入) 東京都あをめ(青梅)市 群馬縣さはたり(澤渡)温泉 平泉もうつう(毛越)寺
困るのが澤渡温泉。『萬葉集』以來の地名であるとすれば「左和多里」で「さわたり」となる。しかし「澤渡」といふ地名は他にも多く、群馬縣以外ではどうするのかわからない。「さわたり」には「狸の脚の肉」といふ意味もあるらしいが、例文は近世のものばかりだから例證としては弱いだらう。
『日本數寄』(松岡正剛著、筑摩學藝文庫、平成19年)に、
「佐伯」といふ一族が語り部集團を形成してゐた。佐伯は「サヘギ」であり、「よく喋る連中」といふ意味をもつ。とあった。どうも司馬遼太郎が『空海の風景』でたてた説らしい。
『岩波古語辭典』の「
《サヘ(障)キ(者)の意か》朝廷の命を妨害し反抗する者の意で、土着の先住民たるとある。國栖 の別稱。
谷川健一は「
「
『地名』にある「佐伯」は、430・790・911・1138・1391・2111・2154・3707(3557)n
『景觀から歴史を讀む』(足利健亮著、平成10年、NHKライブラリー91)を面白く讀んだ。例によって關聯するところのみ。
「老の坂」はすなはち「大枝の坂」、どうやら常識の範圍らしい。
福岡縣の耳納山は「御野」であると推定してゐる。「納」はナフだからどんなものかと思ったが、呉音にノフもあるし、そもそも「耳納」は後世の用字らしいから十分成立しさう。とすると「水繩」もよほど後世の宛字なのだらうか。筑後の
京都に多い
『對談 中國を考える』(昭和60年、司馬遼太郎・陳舜臣、文春文庫105-51)に、
[司馬]トゥングースはかつて漢民族がロシア人に、「あの連中はとある。次のページには東胡 だ」 といったところから
便覽本文を改訂。久々にマクロプログラムを組んで大いに疲れた。『日國』に倣って、和語と漢語を區別してみたが、なかなか微妙なものもあり。凡例も作らねば。
新潟縣新發田市の五十公野(〒957-0021)はもと赤谷線(廢線)の「五十公野」驛あり。『地名(2100)』に、
古訓イキミノなり、頸城郡に五公郷あるに參考すべし、……或はとあり、「訛った」時代がよくわからないが、戰國時代には「井地峰」といふ姓があったらしい。單純に「いつつ+きみ」で、「いぢみの」としてよいだらう。井地峰 に訛る。
夷隅などの地名と何か關係あるかと期待したが、さうでもないやうだ。
「鸛」と「鴻」は混同しやすい。
「鴻巣」や「鴻池」の
『日本の地名』(谷川健一著、平成9年、岩波新書495)に、「こふ」の詳しい考察あり。『萬葉集(5-813)』詞書および『筑前國風土記逸文』にある
『續日本の地名』(谷川健一著、平成10年、岩波新書559)によると、仁徳天皇の御名は
壬生をミブと讀むのは、「みづのえ」の略なのだらうか。
愛媛縣西條市(伊豫國周桑郡1290)の壬生川はニュウガワと讀む。「にふがは」でよいのだらうか。『地名』には「ミブカハ」とあり、一般にこのやうな音便變化を反映させない傾向がある。資料蒐集の限界があったのか、しれとも敢て標準的な音訓に揃へたのかはよくわからない。さういへば「八幡平」も「ハチマンタヒラ」とあって、ものの見事に役にたたなかった。
『都名所圖會』に
「
酒呑童子首塚(この所にあり。大江山の鬼神を平げて首をこの所にかけしとぞ)
「南朝四百八十寺」の「十」を何故シンと讀むのか不思議だったが、山田孝雄『國語の中に於ける漢語の研究』(169n)に唐音とあった。sip の旁轉で sim なのだらうと思ひ込んでゐたが、さういへば
「橘中佐」の
「修羅の巷か
19.04.20.春女菀で、思はぬ間違ひをしてゐた。『全植物圖鑑』を見てゐたら、「ヒメシヲン」と「ヒメジヨヲン(ママ)」が別項目の別種ではないか!
對象となる草は四種類ある。ややこしいので、まづは一覽表を。
| 漢字 | 現稱 | 漢名 | 學名 | 異名 | 原産地 | 歸化年代 | 開花時期 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シオン | Aster tataricus | 鬼の醜草 | |||||
| ヒメシオン | Aster fastigatus | ||||||
| ヒメジョオン | 一年蓬 | Erigeron annuus | 鐵道草・西郷草など | 北米 | 明治初年 | 6〜10月 | |
| ハルジオン | Erigeron philadiphicus | 北米 | 大正年代 | 4〜7月 |
さて一般には特に「春紫苑(春女菀)」が「ジオンか、ジョオンか」のみ注意が向けられるが、歴史的假名遣ではこれに加へて「ジヲンか、ヂョヲン」かといふ四つ假名の對立が織込まれる。いくつか植物圖鑑など見たが、
しばしば
何だかよくわからんが「姫ジョオン・春ジオン」と書いておけば間違ひないとされてゐるやうだ。
四つ假名の對立は
また「ジオンか、ジョオンか」の對立は、よく似た歸化植物に和名と漢名を交互につけてしまった事に由來する。
もし學名がなければ、そもそも何種類の草を扱ってゐるかすらわからなかっただらう。標準化は大切である。同じ文字だから同じものだらう、相手にも傳はるだらうと安易に考へてはいけない。
『岩波古語辭典』の「
「郎女」といふ表記は中國に無い。「郎子(いらつこ)」と對にして、日本語のイラの音を表すためにラウの音の「郎」を使ったものと見られる。とあり、これも宛字とは知らなかった。
「ちふ(〜といふ)」の例が萬葉集(5-800)まで遡るのも驚き。
『地名の由來を知る事典(武光誠著、東京堂、平成9年)』には、
「あべ」は宴會をさす 「とある。さういへば伊賀國阿山郡は「阿拜郡+山田郡」で、「アハイ」ならぬ「アヘ」郡であった筈。饗 」 が訛ったもので、朝廷の神事の宴會を管理する豪族に與へられた職名が阿部であった。
この本は部や名代など、古代地名の解説がわかりやすい。特に壬生部が聖徳太子に由來し、後世に受け繼がれてゆく解説は白眉。ただ、全卷を通讀すると漢字表記に誘導される傾向があるやうな氣がする。
圓朝の『牡丹燈籠(岩波文庫、昭和30年)』を讀んでゐたら、「
『正假名遣(平成15年版)』をそろそろ改訂し、また便覽本文もきちんと「20年版」にしたいと思ひつつちょっと多忙。何とか11月中には。
他にも「捻子」「捩子」などいづれも宛字で、字音「
年末ぎりぎりで更新。凡例など未整備でよい出來とは言へないが、五年間ですっきりとまとめ得た氣がする。來年はよりよい解説を。
長野縣安曇野市のホームページ(http://www.city.azumino.nagano.jp/shokai/azumino/hyouki/index.html)によると、
歴史や文化に深いかかわりを持つ「歴史的仮名遣い」である「あづみの」が適当ではないか、として、平成16年12月14日の第7回安曇野地域合併協議会で、かな表記を「あづみの」とすることが確認されました。とある。ただしローマ字は「AZUMINO」とか。「歴史的假名遣により」と明記された點がよい。
地圖をぼんやり眺めてゐたら、千葉縣の鋸南町に「をくづれ水仙郷」なる觀光施設があった。地名
「
「あぜち」は一種の連聲なのだらうか。一般に漢字音の連聲は「表記しない」習慣だが、それなら「あぜし」なのだらうか。
『見聞談叢』に
戀の字近來のかなづかひにはこひしくとひの字を用れども、昔はかまひなしと見ふ。徒然草にもこいしくをもひまひらせ給ふといふことをとあった。面白い發想である。ふたつもじ牛の角文字すぐな文字ゆかみ文字とぞ君はおぼゆるとあれば、かまひ無しと見ふ。僧明魏すでにかな文字づかひ破りて、「い井」「をほ」「えゑ」の類皆ひとつに書くべしとあり「い」と「ひ」通じ用ひてくるしからざるにや。
「ジョウセン飴」は、
「
「ギョウセン」とも言ふらしい。『日國』は歴史的假名遣を示してゐない。「ギャウセン」ではないのか。用例は「じゃうせん」「ぎゃうせん」「ぎょうせん」、しかしいづれも十七八世紀だから根據にはできないだらう。
奈良縣橿原市(〒634-0805)地黄町は「ジオチョウ」と讀む。『平成疑問假名遣−平成十七年版」では「ヂヲチャウ」でないかと書いたが、整合性はとれる。
「小椋久美子・潮田玲子」「末綱聰子・前田美順」の略だから、かう書くべきなのだらう。「そんなどうでもよい事を」と叱られさうだが、もし歴史的假名遣の世が續いてゐればきっと問題になった筈。
今年はこれで最後。毎度閲覽ありがたうございます。